古事記のものがたり 第十一話 尻に大豆、ほと(女陰)に麦 |
ふることに伝う。 外にもう一人のたいそうりっぱな神様がいることを不思議に思われた天照大御神は、岩戸からほんの少し体を乗り出しました。そ の瞬間、隠れていた手力男(たじからお)が天照大御神の手をつかみ、怪力でぐ いと外に引っぱり出したのです。そして、すぐにふとだまが岩戸に『しめ繩』を張り、 「これで二度とお隠れになることはできません」 と岩戸の前に立ちふさがりました。 このとき、怪力の手力男が力まかせに岩戸を開けたので、その勢いで戸がはずれて下界に落ちてしまいました。はずれた戸の落ちたところが信州の戸隠山だといわれております。 高天原一の知恵者、思金(おもひかね)の神のはかりごとは、こんな風につつがなくとてもうまく運びました。このようなわけで高天原と中つ国に光がふりそそぎ、ふたたび明るくなったのでございます。神々は、太陽の神、天照大御神のすばらしさを前にも増し てほめたたえました。 昔から、暗いときには楽しく笑い遊ぶことが最良の方法(笑う門には福きたる)だったのでございます。 お手柄のあめのうずめは、このとき以来、芸能の神、お神楽の元祖となりました。 また、しめ縄には「もう二度と太陽が隠れませんように」という願いが封じ込められているのです。新しい年の初めに太陽の復活を祝ってしめ飾りをする習慣は、こうして神代からずっと続き「今年も太陽の恵みをいっぱいいただけますように」という思いを込めて初日の出を拝むようになりました。 さて、このような騒動になったのは、もとはといえば須佐之男(すさのお)が原因です。神々は須佐之男の処分をどうするか相談いたしました。そして、二つの刑を決められたのです。 ひとつは山のようにたくさんの物品を差し出すこと、ひとつは須佐之男の髭と手足の爪を切り、けがれを払うというものでした。 神々は、それらをとどこおりなく済ますと須佐之男を放しました。 大騒ぎも静まりようやくひと息ついた神々は、空腹を覚えたので食べ物の神おほけつ姫(大宣都比売)に、おいしい料理を作ってくれるように頼みました。 おほけつ姫は、はな、くち、大きなお尻から食べ物を取り出してごちそうを作る不思議な女神です。そこで、さっそくはりきって料理に取りかかりました。 まず、おしりから、五色のお米をとり出してご飯を炊きました。また、おしりから山いもを取り出して口に放り込み、ぐちゃぐちゃとよく噛んで、それをよだれのように垂れ流し、おいしそうなとろろ汁を作りました。鼻からは、あずきや栗をまるで鼻くそのようにほじくり出して、ぐつぐつと煮込んでいます。 ほんとうに楽しそうに歌を口ずさみながら、美味しいものをつくろうと一生懸命です。 偶然通りかかって、その光景をのぞき見ていた須佐之男は、 「おえっ。 なんと汚いことをするやつだ。あれを食べろというのか!」 と言うなり駆け寄り、大きなお尻のおほけつ姫を剣で切り殺してしまったのでございます。 殺されてもさすがに食物の神様です。死体からは食べ物がどんどん出てきます。 頭から蚕が、 目からは稲が、 耳からは粟が、 鼻に小豆、 ほと(女陰)に麦、 尻に大豆が生じました。 死体に成ったこれらを、宇宙を創造された造化三神の一人、かむみむすひの神が採って、種とされました。それがいまわたしたちの食べている五殻と養蚕の起源ということでございます。 このおほけつ姫さまは、阿波の国(徳島県)の神山町にある、上一宮大粟神社(かみいちのみやおおあわじんじゃ)の御祭神としてお祀りされています。 さて、堪忍袋の緒が切れた神々は、またもや乱暴を働いた須佐之男を、ついに高天原から下界(中つ国)へと追放しました。 というわけで須佐之男は、出雲の肥の河の上流、鳥髪というところに降りたちました。そこには大きな川が流れております。 須佐之男はその川に箸が流れてくるのを見つけ「川上に人が住んでいるに違いない」と思い、上流へと上っていきました。 箸を使って食事をするという行いは、神代からすでに人々の生活習慣として根づいていたのでございます。 しばらく歩いていくと、老夫婦が麗しい乙女を真ん中にして、しくしくと泣いているのに出会いました。 いったいどうしたというのでしょうか。このお話はまたこの次 に。 |
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