古事記のものがたり
第七話 両目と鼻から生まれた尊い神
ふることに伝う。


黄泉の国からよみがえったいざなぎは、

「わたしは何と汚い国に行っていたものか。この汚れを払うために『みそぎ』をしなくては」

と言い、身を清めるために、筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原に行きました。そこは清涼な河の水が、大海へとそそぎこんでいる入り江になっています。

そこで、いざなぎは身につけていたものを全部脱ぎ捨てられたのでございます。するとそれらの物から次々と神様が誕生しました。

まず、杖を投げ捨てると、魔をよける道しるべの神が、

帯を投げ捨てると、長い道をふさぐ岩の神が、

袋を投げ捨てると、ものを解放する神が、

衣を投げ捨てると、疫病神が、

はかまを投げ捨てると、二又に分かれた道の神が、

かんむりを投げ捨てると、餓鬼が、

左の腕飾りを投げ捨てると、三柱のたたり神が、

右の腕飾りを投げ捨てると、三柱のけがれ神が現れました。

こうして裸になられたいざなぎは、今度は水の中に入って体を洗い清めようとされました。

「上流は流れが速過ぎる。下流は遅い」

そう言って、中流へと入っていきました。体を洗っていきますと、黄泉の国で付いた垢から、二柱の禍(わざわい)の神が生まれて流れていきました。

つづいて、禍を直す三柱の神(神直毘の神・大直毘の神・伊豆能売の神)が産まれ、禍の神を追いかけていきました。

いざなぎは、さらに深みへと入り潜っていきました。

海底で体をぶるぶると震わせてすすぎますと、底津綿津見の神と底筒之男の命が、

中ほどでぷるぷると震わせてすすぎますと、中津綿津見の神と中筒之男の命が、

水面でふるふると震わせてすすぎますと、上津綿津見の神と上筒之男の命がそれぞれ産まれたのでございます。

綿津見(わたつみ)の神は龍宮の守り神で、筑紫(九州)の海人族の祖先になられた神様です。筒之男(つつのを)の命は航海の 神様で、なにわの墨の江に居られる住吉の三神でございます。

なお『つつ』とは潜水中に吐く息が泡つぶのようになって「つつ……」と昇っていくさまをいうのです。また、夜空にきらめく星も泡粒のように見えるので、古代は星のことも「つつ」といっておりました。筒之男の三神は、星をたよりの航海にはかかせない神でした。

このように、海や川の中に入り、水の霊力によって体に付いた汚れを払うという『みそぎ』の風習は、相撲の力士が土俵に塩をまいたり、葬儀の後の『清めの塩』として今も形を変えて伝わっているのでございます。

いざなぎは、こんな風にして黄泉の国の汚れを払う『みそぎ』をされまして、最後に顔を洗いました。

左の目を洗うと、太陽の神、天照大御神が、

右の目を洗うと、月の神、月読の命が、

鼻を洗うと、嵐の神、建速須佐之男の命が、お産まれになりま した。

この三柱の神々は、いままでに産んできたどんな神々よりも光り輝き、生命力にあふれておりました。いざなぎは、

「わたしはたくさんの神々を産みつづけてきたが、しめくくりに、もっとも貴い三柱の神々を得た」

とたいそう喜ばれたのでございます。ここまでで、いざなぎといざなみの産んだ神様の合計が八十一柱(九×九)となり、国造りが完成したのです。かけ算も九九=八十一で完成します。

この、神様と数の不思議な関係は数霊(かずたま)という学問にもなって日本に伝わっております。

そこで、八十一柱の子どもを産み終えたいざなぎは、高天原の 神々から命じられていた国造りの役目が済みましたので、ご自分が身につけていた、美しい玉の首飾りを取りはずし、

「これからのことは頼みましたよ」

と天照大御神に譲りました。それは、ゆらゆらと揺れては、いい音色を奏でるのでした。首飾りの名は『みくらたな之神』と申しまして、稲の霊が宿っておりました。

いざなぎは、光り輝く天照大御神に、

「あなたは、高天原を治めなさい」

もの静かな月読の命に、

「あなたは、夜の国を治めなさい」

すえっこの須佐之男の命には、

「あなたは、海原を治めなさい」

と命じられたのでございます。しかし、このいいつけに須佐之男はふまん顔でした。さて、このお話はまたこの次に。
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