2010夏   ことば悦覧 in うるとらまんchin々  (仮想領域 大坂・京都)
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         「たかぎ み江さん エア人生を語る」  全4章      聞き手・文責:佐藤敏宏 
第1章 ■ 夕飯 作って食べよう  01  02 03 04 
2章 ■     生い立ち       01  02  03  04 
第3章 ■  学問卒業後のエア人生 01  02  03  
第4章 ■ みやげなら→ 建築模型ケーキを作ろう  01 02 03 04 05 06
第3章 学問 卒業後のエア人生  01

 あまぞんwebよりコピー

なぜこの誤った概念がかくも支配力を持つようになったのか

「ニート」とは、働かず、就学もせず、求職行動もとっていない若者を指す言葉で、日本では二〇〇四年頃より使われ始め、その急増が国を揺るがす危機のように叫ばれている。様々な機関が「ニート」の「人間性」を叩き直そうと「支援」の手を差し伸べており、多額の予算が動いている。

このような状況下において、本書では、まず、日本での「ニート問題」の論じられ方に疑問を覚える本田由紀氏が、「ニート」という言葉自体の不適切さを量と質の両面から明らかにする。

また、『いじめの社会理論』の著者である内藤朝雄氏は、「ニート」が大衆の憎悪と不安の標的とされていることを挙げ、憎悪のメカニズムと、「教育」的指導の持つ危険な欲望について解説する。

さらに、ブログ上で「俗流若者論批判」を精力的に展開し注目を浴びている後藤和智氏が、「ニート」を巡る言説を詳しく検証する。

 


 ■ 就職氷河期とは

 wikiよりコピー

日本ではバブル崩壊の就職が困難であった時期(1993年から2005年と定義されている[1] )を指す語。

就職雑誌『就職ジャーナル』が1992年11月号で提唱した造語。1994年の第11回新語・流行語大賞で審査員特選造語賞を受賞した。なお、新卒者の就職難だけを指すこともある




佐藤:京都大学卒業して目出度く
み江プーになりました

佐藤:プーになるために 8年掛かったんでしょう
み江はい
佐藤:プーなの ニートなの。当時そんな言葉ないかな。2004年ごろ ニート・言葉ことば使いに混乱があったけ
み江無職に

佐藤:ぷーだろうがニートだろが。銭ないと飯喰ってけないでしょう
み江アルバイトですね
佐藤:就職する気が最初から無いってことですか 
み江:いや就職活動しましたよめっちゃーM2のときに。私も平塚も就職活動はしたんですよ。脱建築しようと思って

佐藤:脱・権築 ぶっふ。 じゃーニートじゃないわ。脱建築するためにはどういう処を目指すんですか。役所じゃないでよう。不動産とか
み江出版をやろうと思ったら何かね〜建築のメディアを作りたいっていう気持ちがあって
佐藤:それは布野先生の影響ですか
み江ああ それあるかもですね〜

佐藤:布野さんは群居をはじめ 本を沢山作ってますよね
み江それはあるかもですね〜
佐藤:本を作りたいと
み江はいそういうのがあったから、出版関係に、就職活動したんですけど
佐藤:それは建築系の本ですか、単に本を作りたい ですか

み江建築系も作りたいっていうのあった。
佐藤:建築の本を作るとなると就職先は限られちゃいますよね
み江でも建築をやっている出版社になんか行くつもりなくて。そうじゃない所ばっかり行ってました。廻りました。でも就職出来なくってもう腐ったんですよも〜いい加減。なんだたいな
佐藤:それは腐るわ〜、建築の本なんか数千部 売れたら大売れでしょうから 売れんよ。普通じゃ建築本は作らないよね。

み江:っていうか普通に就職できなかったんですよ。私が。
佐藤:なんでも編集しますから、出来ますやります〜 ってことで一般の出版社を受けたのね
み江普通に編集やっている処に行ったんですけど。どうやって入れるんですかね、私が知りたい
佐藤:こんど雑誌社の人に出会ったら聞いて記録してみよう、まあ電子書籍も出たし、話してくれないでしょうね ふふふふ

み江そうですね。今思うとねちょっとあのときはね自分の売り込み方が分かってなかったですね。今思 ううん。今だったらもうちょっと上手い売り込み方して。成功するような面接の受け方を当時の自分に教えてあげられると思うんだけども。

佐藤:その就職試験・体験紀行を書いたら売れるんじゃない
み江あそうか。だめでしたね、自分で分かってなかったですね。
佐藤:超氷河期とか言われた時期ですよね
み江氷河

佐藤:氷河以上の悪環境ね ど氷河期ですね〜。人は一杯いるし、パブル弾けて立ち直らんし、拓銀・長銀△銀などバンバンつぶれ自殺者3万人時代になっていたよ

み江ここに置くな! (桂さんにむかって)
:さっき置いてあったふふふふ
み江:便宜上だ。そんで 非常に腐ったんですよ。で私も平塚も
佐藤:大卒が普通に だれでも腐る 時代に入りましたんですよね まだ続いているけど グローバル化の悲劇が先進国の世界中を覆い始めたと

み江なんだも〜みたいな。そんなときに取り合えず、どうする来年みたいな話をしてて。で、もう取り合えずもう一年やってモラトリアムしようM3をやって。でモラトリアムしつつ、なんでか分かんないけど、WEBサイト作ろうという話になったんですよ。時代はWEBだろうみたいな

佐藤:敗者の勝利ってもんですね

   共に ふふふふははは

  ぽむ企画 開始 

  サイトへ 
 pomu.tv  TVなのです
 







































田中浩也さん講義・建築あそび記録 2001年8月4日)







 

佐藤:あそれははは 腐った乗りで 勢いで〜ぽむ企画が始まったんだ。
み江はい そ〜うです
佐藤:PCバリバリの使い手だったの二人とも

み江:PCは研究室にはありましたから。私 当時学芸出版社でアルバイトをしてて。学芸出版社でネットのコンテンツを作る、仕事やっていたんだけども。そんなんで、原始人みたいなHTMLとかをちょっと書けたから。

佐藤:原始人みたいなHTMLって面白いね〜
桂:ふふふふふははははは 
佐藤原始人HTMLおもろい

み江:そうですか
佐藤:こういうこと言うか 若い人はいい〜

    みな わはははははふぃふぃふぃ

み江原始人が書くみたいなHTMLふふふふふ
佐藤:HTML書けない俺様人間は みな原始人以前に 総ざらいでゴミ箱ポンってな気分がしておかしい ふふふふふ HTMLなんか書けない俺はどう扱われるんだ みたいな気分が面白いふふふ 脳なし化石HTML 生きている気分がしなくなるね いいじゃない。み江さんふう原始人HTMLを書いて


み江:そうそう 出来るだけ軽いデーターに組んで、当時まだ通信回線重かったからさ〜
佐藤:デカイ画像なんか載せたら、大顰蹙だった
み江そうそう
佐藤:色つけても重いし

み江:色も表示できないのとかあるから、なるべく凄い基本的なカラー使って
佐藤:なるほど。それは2000年だよね
み江:それは2000年ですね

佐藤:そうしたらあっという間に凄い人気者になっちゃったと。凄い人気者ってのはどういうことだか分からないけど、俺のマワリの人間はみんな知っていましたよ。俺も知ってました
み江:当時は

桂:
毒まんじゅうだ (台所で饅頭を発見する桂)
み江:なに 箱をすてたの。当時はWEBやっている人自体が少なかったから。目につきやすかったのかもしれないですよね。

佐藤:大勢の人がHPやっていたとは思うけども、二人の女の子が 建築系で。それも建築ヨイショじゃなく、ネタにして笑い飛ばすっていう 腐りの鬱憤晴らし 姿勢が良かったんじゃないですか。
み江ああ。なんかまあね時代の波にうまく乗ったんですよ

佐藤:僕はね田中浩也さんから聞いたんですよ。「ぽむ企画ってのがあってね西の横綱ですよ〜」「なにゃその怪しげな企画会社は」ふふふふ。あれこれ説明してくれたの。
み江:へーえ。浩也君は知っていたんですか

佐藤:俺ですか。浩也さんですか。2000年前だったが 原宿の路上で偶然であって、知っていた。 まだ田中さん今のように名前が売れる前から知っているんですよ。学生でしたよまだ。4次元サイコロっていう、生女 転がさずPC内で4次元サイコロ転がしてみんなに見せていた芸人ですよ。博士課程じゃなかったとと思うけど、分からない。 4次元サイコロから、その後の多次元フォトコラージュはまだソフトがなかったし。ストリュートビューみたい、その考えの前身のソフトが無かった。で浩也さん秘かに作っていたんだよね。

色々しゃべっていて。写真でこんなにできますよ〜見せびらかしてくれて、色々言って。これはお前作り方下手やな〜と言い返してやると。俺にガンガン言われて。色々徴発してやったら。本気になってジャガスカソフトを作るんだよね彼はね。面白かったですね。 それのコンビで 森ビルでさんと山崎さんに会ったんです。

ふ〜ん 

佐藤:六本木でなんか プレ美術展みたいなのがあったのよ。オープン前の練習企画展のようなものがあったんですよ。浩也さんは京大卒じゃないですか。WEBの最先端をいろいろ教え込まれたが あまり分かんなかった。my掲示板作ってくれたりして。この餓鬼にできて俺が出来ないわきゃないと勘違いしたのが ネットと俺の関わりですよ。

あいつらプログラムの若き天才って言われてた人なんだって知ったのは大分後ですよ。日本の天才若手プログラマーと政府の太鼓判付の人たちだったですよね。俺は何も知らない田舎のジジイ・オジサンだから。PCスイッチ入れたただけで先に進まない PCおやじだった ふふふ。それで色々見せられて 俺もやってみたくなり PCを使い込みだしたんですよ
み江:ほー〜

佐藤:いきなり PC系の天才と出会っちゃだめですよね、

 ともに ははははははは

佐藤
:俺も負けずに。お前の作ったプログラムはここが悪いあそこが悪いと駄目だしして

:先生が あの世界だ〜ふふふふ
佐藤:お前のプログラムひどいじゃないかと言い放って、このソフトのここの機能の使い方お前は間違っているとか 指導してしまい

 はははははは

佐藤:天才に向かって。知らないから言いたい放題、面白かったですね。相変わらずお二人はHPやってますよね、俺も 続けているけど。

み江やってまね
佐藤:情報を出すのが好きなんだね。まだまだ自分の本質に辿り着いてないってて感じですよね
み江ああなるほどね〜

佐藤:これだけ喋っていると原点にだどりつくんだけど原点分からん
み江:私
佐藤:原点に辿り着いた感じがしないね
み江:そうですかね、あえてそこをはぐらかしいるかもしれませんね。はぐらかしていると言うか、なんかあまり劇的な感じになんないように喋っているかもしんないです

佐藤:追っかけに大転換はすごく面白かったですね。
み江おっかけ楽しかったよね〜。別になにか起点とか無いです私も〜やりたいこととか無いしね。
佐藤:いいね〜
み江:やりたいことを、聞かれるのが一番困りますよね

佐藤:ないのが普通だよね。あるわけない。俺もないもの。はははは 無くっていいよね。
み江:ある人は凄いと思う。ある人は偉い
佐藤:あると思い込んでいるだけじゃないの。
み江:ある人 才能やと思いますよあれは。思い込めるって才能じゃないですか

佐藤:本当にすごいやつって思い込んでないよ 理屈無くってやっているよ。
み江ああ
佐藤:なんかこいつアホじゃないかと思うぐらい動物的ですよ
み江ああ そうですね
佐藤:そのことだけ考えている 行動しやっている
み江うんうん、それは選ばれた人

佐藤:そいう変な奴は 多少いるけど だいたい屁理屈君だよ ね
み江うん、でも屁理屈でも何か行きたいところがあるって羨ましいですね
佐藤:暑くなってきました
み江:暑いですか、ちょっと温度上げたから、少し下げますかね


 建築系は脳てきイケメンおらん

佐藤:それで学芸出版社でHTMLをの書いてたと。 桂さんとはいきなり学部から会っちゃったわけ。

み江そうです。学部から

佐藤:男も女も一杯いるでしょうに。なんで二人一緒にずーっと居るの今まで。お互いにエアな人間同士だからまあ良いか〜、あんまり建築好きじゃないし。みたいな感じなの。女性何人ぐらいいたんですか50人ぐらいは居るの。

み江8人ぐらい
佐藤:女性 少ないんだね
み江:1学年はそうですね、8人いました。

佐藤:建築的イケメンとかいないんですか、博士課程までいれたら一人ぐらい居るでしょう。松岡さんですかやはり。あちらの世界においで風だし。なかなか難しいよね
み江松岡は面白い

佐藤:何の話をしてるんだおれ。建築学科ってイケメンの人多いじゃないんですか
み江まあ男子は多かったですけどね。単に桂といちばん話が合ったんでしょうね。

佐藤:建築の仕事って基本的に人から好かれないと、もてないと仕事に成らないですよ。こいつと喋っていると気持ち悪いわ〜って思われちゃ〜 仕事発注してくれないですよ。そうじゃない 脳のイケメンなりゃおらんわ〜 むずかしいな〜。最近の男の個に意外性を期待してはいけません。意外性は母の胎盤に置き忘れて生まれてきましたから。時々学生に遭うともっと酷くなってしまっているなと グローバル社会の不景気内での言説がかなり影響しているけど。 システム言語、超効率型目的合理に生きている学生がほとんどですからね。あきれるほど不自由・人間らしくない 意外性はないですよ みらいはエア人間なしですね。重たい堅い 岩石男・化石男ばかり ウザイよ。 そっか〜webパートナーは女性をね

 

平塚桂さんとの出会いから

佐藤:じゃ桂さんと出会ったその辺の話から。一人でも出来たでしょうがなんで二人で
み江:何か弾みがつきやすいんじゃないですかね。
佐藤:桂さんその当たりはどうなんですか。桂さん桃食わないけど 桃嫌いなの

桃は好き過ぎて もったいなくって
佐藤:え
もったいなくって、食べ終わることが ふふふふ
佐藤:まだ有るから食えよ
美味しすぎてふふふふ

み江けちけち すんな
ふふふふ
佐藤:夏美さん土産も ここで食っちゃってもいいよ
よかった〜

佐藤:夏美さん用お土産は桃談義が盛り上がり 俺たちが食っちゃったってことで
み江あはははははは
そんなのばれたら大変なことに
み江恐ろしいですね 

佐藤:山形メロンもあるから。み江さんと二人でメロン一個喰うのシンドイなと思って持参したんだけど。3人だったら喰えるわふふふふふ。メロンも出しますから桃くっちゃって。み江さんおれと お蚕様つながりもあるしね。蚕農家の子孫らしい。

み江うちの2階 蚕小屋だった。ぽむ企画は 別に相方が男子、気が合う人が男子だったら、全然良かったんだけど。たまたまだったです
佐藤: 2000年当たHPは一人でやるって感じだったと思うんだけど。2人でやってるな〜と。
み江:そうですかね。ユニット派ですよ

佐藤:俺は 二人でやるって発想なかった、廻りにだれも居ないし、浩也ちゃんは絶対一緒にやってくれないしね。レベルが違うんで押しつけられたらかなわと思ってて 冷たいんだよね。
み江あはははははは

むしろユニットで売り出したら面白いですよね、佐藤さんと田中さん
み江:面白いと思う それまじで面白い。なにそれって。

桂:やろうとしてたんですか残念でならない
佐藤:フォトコラージュ作成はニュニットで おれがこき使われてような振りしてやっていたんだけど。田中さんプログラム作る人で おれ使う人でさ。使う人が偉そうにしつつ 、プログラマーに使い込まれているって共犯関係だねふふふうふう。対等なニュニット派にはならない。凄い面白かった 相当 俺様 暇つぶし出来た

み江残念ジャン
佐藤:おれの作ったフォトコラージュ作品はほとんど田中浩也さんのサイトに入っていたんだけど、

み江あはははははは
佐藤:俺がアップしたコンテンツ、みんな消えちゃったよ!あのデータはどこに行ってしまったのか、3年ぐらいの俺の労力の固まりはネット上から消えてしまった。すこしもったいない

あははははは
佐藤:3年ぐらい そればっかり集中して作ってたんだけど 突然消えた、消されてもうたわい
み江へ〜
桂:凄い
み江そうなんだ

佐藤
:訪ねた先々でデジカメ撮ってフォトコラジュー作っていたんですよ。プラダビルとか 原広司さん自邸だとか  ミホミュージアムだとか 色んなところに行っては、フォトコラ作品作ってたんですよ。

田中さんはストリュートビュー 出来るって知っていたんだと思うんだけど。どんどん、力が抜けていた。

ストリュートビューは面白くない、便利だけ
ど。あのデータに 他者は参加出来ないしね。画像投稿して参加型ストリュートビューを目指してたんだけど。エロ投稿が多いだよね だから駄目だと思ったけど。

似たような参加型の数種のソフトも試していたよ。文字を並べかえら文章にするものとか、のソフトも公開し使われてたけど。ヒステリー起こす輩がぐじゃぐじゃに並べ換えちゃう 後和算にしちゃう。リセット。 cmcでの参加型日本は難しいってこと知ってたんだよね。掲示板なとの参加型のWEB1・5みたいな形式のCMC(コンピュータメディアコミュニケーション)のソフトを完成させるのはなかなか難しくって。順調じゃなかった。 15:56

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