ことば悦覧 in 東京 2010(4/3〜4 版 記録集        home  

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  平塚桂さんに聞く    渋谷 4月4日曇り

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       その04    

 暗黒時代 

佐藤:それかケンチクナイト(2002年3月16日)ですか、企画されていたでしょう、その流れで森ビルの展覧会の時に六本木で会った
平塚:森ビルの、今はなきシンクゾーンでした

佐藤:田中さんは博士課程で多次元フォトコラージュを研究して いろいろ一緒に活動させてもらって。その後大学に就職しメデタシで。あの当たりでコアなPC建築系の人々に出会った。その後は藤村さんが参入したぐらい。でそのまま10年間が過ぎ。あの場に山崎さんも居ましたね。スフェラにはどういう経緯で、大島さんがやるって話だったけど、急に亡くなったんで

平塚:そういうことになって。やる人いないみたいな話がなんとなく聞こえてきてやりますって。山崎君と二人でやります。山崎君はケンチク・ナイトのときに初めて一緒に、なんらかの仕事を。その前から山崎君が京都に来て。すぐ連絡くれて。

佐藤:当時は山崎さんは超暗黒の時代だった
平塚:そうそう暗黒の時代は だいたい知っているんですははははは
佐藤:鴨川に飛び込んでも浅すぎて死ねない ははははは
平塚:ほんと凄いと思いますし、よく持ち直したな〜しみじみ感動を
佐藤:そのあたりの話は聞き取りました、山崎さん暗黒時代

平塚:暗黒時代 省略しているんですか
佐藤:ぜんぶ公開して 妻に救われて、振り出しに戻った。愛情に救われたと ふふふ 家庭家族に感謝していますと言ってます山崎さん。桂さんはその当たりに合流して一緒に活動を始められて

平塚:そうですね
佐藤:桂さんはその当時は暗黒の時代じゃなかったんでしょう
平塚山崎君の暗黒が暗黒過ぎて、自分が明るく?? ふふふふ
佐藤:就職は出来ないけれども 
平塚:私も傍目には たいがい暗黒なんですよ。本当にスフェラやる前には、フリーターです2年ぐらいフリーターやってましたから。そうとう暗黒だと思う


 建築系ネット 

佐藤:ポム企画で有名になったが 実態 暗黒
平塚:それで食べているわけじゃないから。だからマンガ喫茶でバイトしたり。そんな状況だったけど。でも山崎君の方がよっぽど暗黒に見えるという

佐藤
:博士課程に行ったら修士からやり直すと
平塚:そうそう、けっこう意味わかないことを! 修士2回やってしかも2回目の修士論文が全然書けなくって
佐藤:硬直してしまっていたんだ。ふふふふ、そうか。

平塚いや本当に山崎君には色々と相談に乗ったり、友達として仲良くしてもらったりとか。スフェラの活動でも凄く色々と動いてくれて。
佐藤:岡田栄造先生を巻き込んだのは大成功ですよね
平塚そうです色んな方にスフェラをやったときに声を掛けて、岡田さんちょうど工繊大に移って来た頃で。これは連絡とるしかない!と思って。
佐藤:デザインネットで知っていた

平塚:その前からネット活動を通して、例えばケンチク・ナイトを宣伝してくださいとお願いをしたりとか。たぶんしてたと思いますけど。
佐藤:現在のように猫も杓子もブログ・ツイッターという状態ではなかったからね、

平塚:そう誰に声掛けて 良いかとか分かる
佐藤:後のブログになってだいぶ拡大した
平塚:そうですね

佐藤:HP活動してた人人は 新しいメディア出ても やっているよね。
平塚:全然不透明で見渡せなかったのが、ツイッターが現れて急に何かみんな元気だったんだね〜
佐藤:はははははは
平塚:分かるという ふふふふふふふ  ネットの世界、意外にロングテールというか。超寿命化社会
佐藤:どんどん新しい乗り物に乗り換えて 長生きしこしこ同じ情報を出し続けている

平塚:そうそう乗り物換えてコンテンツは生き残るみたいなこと
佐藤:逆に狭さもわかるので 淋しくもあるけど

平塚:そうですね
佐藤:ネット場の乗り物 この10年激変してますものね。ツイッターやUST出るなんて予想してなかったですよ
平塚:予想してませんでしたよ ははははは

佐藤:実況中継なんてのはテレビ局がやるもんだと思っていて。照明に音声に編集に会場構成に。めんどくせー やるやつおるん〜と。カメラ背負って照明当てて音採って。5人でワンクルーだから放送局は

平塚まさかケイタイ電話で送れるようになるとは思わなかったですね
佐藤:ダダ漏れテレビとはいえね。ケイタイで動画が発信できいる
平塚:ケンチクナイトやっていた頃はDVっていう機械が凄い憧れの機材買うべきか買わないべきか10万円どうしようみたいなことになっていたんですけど。デジタルビデオを。
佐藤:デジタル映像撮っても 発表する場もないし

平塚:そうそう30分もまとめて、まとめる技術もまた大変で
佐藤:編集機材買わなきゃいけないし。PC一台で出来ちゃうようになった! この10年は情報の送り手の送りたいと思うものが、度素人でも ライブ音や動画映像が安価で手軽に送信できるようになって、凄い! かわりましたね。

ぽむ企画もやりつつスフェラのこともやりと、今現在はライターになっているんでしょう


  名刺に建築家って書く ライターなのだ

平塚そうですね。ずーっとライターみたいなものはやっていて(仕事アーカイブ)学生の時からかな〜。大学を出るか出ないかくらいのときに、スタジオボイスの何特集だったかな〜。建築の特集があって。それで突然仕事が来て。何か書いてくれって言われて。

佐藤:よかったね
平塚:うん、それが一番最初の仕事
佐藤:その当たりで書く者同士が集まって、桂さんも書いてみたらと
平塚:たぶんそうだと思います

佐藤:建築家になりたかったわけじゃないから、住宅情報を見てそだったんだから。建築家に憧れているわけでもなく。
平塚:うん、そうですね
佐藤:建築家になろうと思ったことあるんですか?

平塚:けっこう思っていてはははは
佐藤:これからやるぞ〜 そう〜!
平塚ははははは建築家になりたいわけじゃないんだろうけど。何か設計はしたかった
佐藤:建築家って明治以降の新しい言葉なんで 建築家の先祖は多様な職能を渡り歩く人人 お坊さんでもあるから。今ライターやっていて、次に建築の設計やって、次に雑誌の編集者でも、建築家の生き方はいいんだよね
平塚:そのとおり

佐藤:現状は作品を作り続けないものは建築家ではないみたいな誤った認識があるかもしれない。、実作!大優先、作品至上主義みたなことは悲劇的ですよね植田実さんのような方も建築界にすごい貢献しているわけだけど。でも建築系の人々は大切にしないみたいな力のマトメ方に偏りがありますよね。建築家自身が活動する領域を自分で狭めちゃっている感じがするから。桂さんはやっぱり建築家だね〜と言った、言い合った方がいいわけよね
平塚:あはははははじゃ私も名刺に建築家って

佐藤:書いちゃえばいいわけよ!ちょい変わった建築家だけどよろしくねと。まだ一個も作品ないけどよろしくねと言い張ると。ふふふ。作品至上主義って自分の活動領域を狭めて多数の仲間を叩き殺しているかのような絵柄に見えるよね。建築系の写真家とか、ライターもそうだけど、研究者もそうだけど。そういう人々と連携して、方向転換価値転換しないとね。縦割り主義のままだと 将来自滅だよね。
平塚:ふふふっふふふふ
佐藤:と僕は思います。建築の情報を加工し発信する仕事って、とても建築系にとっても社会にとっても重要な仕事ですね。実建築を作るってことはその場で朽ち果てるまで30,50年、100年としても、短いですからね。情報の建築の方が長生きしますよね。情報建築と実建築とを往き来して生きるのがいいと思うけど。 それから政治家の下請けが建築家でなく建築家の下請けが政治家である社会の方が面白そうだよね。脱線しましたね 。ライターをやりつつ、スフェラも活動しつつ、生活が成り立ったというのはいいね凄いね。ライター少ないですか

平塚少ないのかな〜
佐藤:媒体は印刷媒体だけなんでしょう
平塚:お金になるのは印刷媒体が多いですね webの仕事もあります
佐藤:印刷媒体は字数制限とかテーマも決められて依頼があるんでしょう
平塚:そういうのが多い

佐藤:建築専門雑誌だけじゃなく 女性の専用の雑誌とかにも書かれるんでしょう、建築ネタ以外にも書いているんですか
平塚あんまり 書かないですね
佐藤:建築とか都市について書いていると

平塚:割とライトなものを書いている
佐藤:ライトな内容で建築の間口を広げるために貢献していると
平塚:してるといいな〜と思いながら
佐藤:してます。そういう活動している人が少なすぎる。建築ってとても面白いので 多数の建築端緒を作り続ける活動だよね 今の桂さんはね 45:58

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