2009年8月2〜9日 ことば悦覧in京都 記録集    home 

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 岡田栄造さん編   8月06日 pm1時〜 曇りのち小雨 

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 その01  

佐藤:よろしくお願いします。ゆうべはご苦労様でした。とりあえず2ショットから
岡田:どこバックがいいかな〜
川勝:逆光になっちゃう
佐藤:本をバックにでいいじゃないですか
岡田:本で

佐藤:どうもどうも 古山先生
岡田:古山先生めちゃくちゃ面白いですからね話が。(川勝さん記録へ)
佐藤:めちゃめちゃ面白いですよ、二人で漫才やったな。
川勝:ふふふふ うんOKです

佐藤阪神ばっかり、下半身なのか阪神なのかわかりゃしない。何言ってるんだお父さんだったけど。昨日は遅くまでというか今日朝早くまでというか。ご苦労様でした。

岡田:
今日 早くにもてなしをいただいて
佐藤:ふふふ。もう川勝さんの家って知ってますからね。これお土産はい。麦煎餅です


      090805 京都 地下鉄 北山駅 深夜 11時頃 

岡田:
ああそうですか
佐藤:喰ってください。
川勝:さっき榊君からメールあってインタビューどうしますって

佐藤:川勝さんの家に戻ってからしますって。
      じゃよろしくお願いします。
岡田:ありがとうございました
佐藤:よろしくお願いします。本当に大丈夫なんですか。今日時間はどのぐらい大丈夫ですか。
岡田:今日 ずーっと大丈夫です
佐藤:あ、本当ですか。じゃ喋ってますか。よろしくお願いします。インタビューなんですけどもまず初めに。前回(09年3月7日)聞いたんですけども、知ってますけど。一応どこで産まれたとか。そういうのからお願いします。先生は何年生まれですか

岡田:1970年生まれです
佐藤:今39才。どこで産まれたんですか
岡田:福岡県の北九州市、若松病院です
佐藤:ふふふ 北九州市には何年いられたんですか
岡田:北九州市は産まれて、小学校入って6月に引っ越したんで。7才まで
佐藤:7才までで、どこへ行かれたんですか
岡田:鹿児島市

佐藤:鹿児島ですか、桜島を見ながら。鹿児島には何年いられたんですか
岡田:鹿児島は高校卒業するまでですから11年か。
佐藤:鹿児島で高校時代はスポーツ陸上とか
岡田:いや高校は何にもやってなかった。中学まで野球はやってました。いや やってた高校の時に空手やっていたんだ。

佐藤:空手!
岡田:外で
佐藤:野球は中学生ですか
岡田:中学まで野球やってたんです。
佐藤:ポジションはどこですか
岡田:ポジションはピッチャーやっていた
佐藤:あら〜
岡田:途中でやめたんですけどね

 (右 前夜川勝家でのワイワイ)

佐藤:ふふふふ肩壊したですか
岡田:肘がおかしくなって
佐藤:ああ ピッチャーですか。野球している人何人かでますね。高校は空手。真面目に剛柔流とかじゃないですか
岡田:極真、実践空手みたいなやつ。

佐藤:何ですかあ
岡田:何でか、強くなりたかったんでしようね
佐藤:なるほど。モビルスーツ着て
岡田:体が強くなれば性格も強くなるかな〜って
佐藤:ふふふふふふふ
岡田:全然違ったね
佐藤:ふふふふ あんまり関係なかったですか
岡田:関係ない 

佐藤:へ〜そうですか空手ですか。段とかとったですか
岡田:いや何も、個人の人がやっている処で四国から帰ってきた人で、凄い厳しかったんですよ。
佐藤:は〜朝早くから時間決めて、毎日ですか。
岡田:いや!毎日だっけかな。だいぶ忘れましたけどね。毎日ではなかったと。ま〜あたいへでした。
佐藤:(高校生の時分には)鹿児島で空手をやって。高校時代通って。空手やったことないから全然
岡田:空手はほとんど記憶にないから。自分の人間形成に関係なさそうですね
佐藤:はははは、なさそうですね

岡田:して(思えて) きましたね。
佐藤:へえ、そうですか。それで大学はどこへ行かれたんですか
岡田:大学は福岡の九州芸術工科大学。今九州大学になっちゃったんですけど。
佐藤:それで何学部とかってあるんですか
岡田:えーとね。単科大学で芸術工学部っていう。4学科あって音響設計、画像設計、環境設計、工業設計っての在りまして。それで工業設計学科だった。行きました。

佐藤:僕は建築設計だけど、まだどうして工業デザインっていか工業設計は椅子とか
岡田:そうですそうです。工業製品の
佐藤:あらゆるものをデザイするのでしょう。凄く広いですよね。こういうもの(デジカメラ)
岡田:そうです
佐藤:凄い広すぎますね。
岡田:う〜ん
佐藤:どうやって勉強するんですか、ああいうものは
岡田:いや、勉強はね。最初彫刻みたいなものを作らされたり色んな素材の勉強ですよね。木の、木で何かオブジェ作らされて。石膏で作って。鉄の溶接で作って。みたいな。素材の学習授業があって。それで、それ1年性ぐらいでそれやって。2年生から設計の授業が入って来て。リートフェルトレッドアンドブルーチェアーの模型作らされたり。その後椅子の設計をしたり。それとか照明器具を作ったり。時計を作ったり。3年生からインテリアの

佐藤:インテリアもする
岡田:インテリアに進んで。インテリアも工業設計だったんで。インテリアではいわゆる家具の設計もやりましたし、ワンルームマンションの内装設計しろとか。
佐藤:すごいね領域が広いですね

岡田:まあ〜一応インテリア。4年生になるときに、先生がいなくなっちゃって。それで4年生は理論系にいったんですよ。造型論という。先生
佐藤:批評じゃなくって、歴史じゃなくって、なんですかそれは
岡田:それは先生が、スズキケンジ先生って京都の国立近代美術館のキュレターだった先生が。大酒飲みの先生が居て
佐藤:キュレターだからね
岡田:その先生に一応ついて、ほとんど
佐藤:酒飲みかたを教わったですか

岡田:いや 酒の飲み方さえ教えてくれないというか
佐藤:ふふふふ
岡田:常に酔っぱらって居るんで。で、ゼミ 2回しかなかったです。テーマ決める時に、何やますっていう話と、出来ましたと持っていく
佐藤:ふふふふふ
岡田:無かったんですよ。
佐藤:いい先生ですね
岡田:好い先生です。ただそのテーマで僕倉俣史朗やったんですけどね。卒制で。あ、「卒論で、倉俣史朗やりたいでです」って言ったら。「じゃ〜ちょっと待って」っうて。東京国立近代美術館の先輩のキュレーターの人に電話してくれて。その人の伝で雑誌の編集者経由で、倉俣さんの事務所まで繋げていただいて。で、資料借りに行ったり。とか

佐藤:それは何年ですか
岡田:92年。倉俣さんが91年だったかな亡くなったのが。
佐藤:亡くなった
岡田:亡くなった後だったんで。先生も「まあ丁度いいんじゃなか」ということで。

佐藤:
そうかそうかそれで一応倉俣さんの研究に専念したんですか、その1年間。
岡田:専念っていうか遊んでましたね。すごい自由だったんで。その4年生のときは。他の設計に進んだやつらがもう、ヒイヒイ言いながら、ところをこう昼頃学校に行って夜までなんだか知んないけど。遊んでいるみたいな感じで。今学生に言えないこんな事。

佐藤:でも文字になっちゃいますよ

 共に はは

岡田:そんな感じで。凄く好かったんですよ。

佐藤:
それで 倉俣史朗論は一応論文として整ったんですか。とりあえずは。
岡田:一応論文として出来て
佐藤:下さい今日
岡田:それは絶対誰にも見せない!。というか雑誌に載ったんですね。
佐藤:それは何ていう雑誌ですか、教えてくれれば。古本屋さんから。それは嫌ですか
岡田:ふふふふ、それは。いや言いますけど。絶対読んで欲しくないですね
佐藤:そうですか
岡田:デザインニュースっていう、今いわゆるGマークの団体が出していて。もう休刊になりましたけど。雑誌があって。そこの編集長が色々間に入ってくれたんで。東京に就職出来たときに。持って行ったら「受けるよ」と 載っけてくれたんで
佐藤:編集長がOK出すんだから、それなりに凄いんじゃないですか

岡田:もう〜ぅ
佐藤:それは今読み返せば、
岡田:もう酷いんですよ。独りよがりの。なんだか知んない
佐藤:みんなに「独りよがり遺憾よ」と言っている身としては、それを見ると
岡田:その反省の上に立って、今の私は文章を書いているみたいな
佐藤:それはいいじゃないですか

岡田:それはもう
佐藤:よほど身に
岡田:ひどいもんですよ。酷いモンですけどもよく載っけていただいて。それなりに格好ばっかり付けた文章で
佐藤:でもそういう評論というか、どこか破れているけと、どこか関節外れたりしているけど、何か勢いっていうがやっぱり必要じゃないですか。
岡田:いやそうだと思いますけどね。

佐藤:支離滅裂だっていいんだもん。
岡田:そうなんですけど。それにしてもね。やっぱり駄目ですね
佐藤:ああそうですか
岡田:だめです
佐藤:そうとう駄目なんだな これ 
岡田:もう全然だめ



 (就職する)

佐藤;それで4年間で卒業されたわけですよね。
岡田:はい
佐藤:それで就職されたんですか、何処かへ
岡田:就職は西武百貨店の建装部って言って。いわゆる高島屋の建装、昔で言うと船の内装とか、ホテルの内装とか。公共施設の内装とかやっているような部署で。私は特注家具デザイナーで。

佐藤:いきなり デパート(所属)の建装部に入って、いきなり実施ですか。
岡田:そうですね、半年間売り場で研修して。そっから配属されて。そうですね実務を。
佐藤:海の者とも 山の者とも分からんような発注者と付き合ったり。
岡田:あ、あ まあ
佐藤:施行も現場も管理されるわけでしょう。職人さん達の(管理)
岡田:一応、最初は先輩についてね。やって。見よう見まねで。やってましたけどね。ね〜え。手で図面書きましたよねあの当時は

佐藤:今の(岡田)先生の仕事と随分違いますね。どこがどうなって ここへ来たのか?
岡田:ああ  ああ。でその。まあそれで西武百貨店で働いていたんです3年間。同時のその倉俣史朗論が載ったというのが あったから。雑誌でも書いていたんです。「連載しない」って言われて。アレは何かな キカンだったかなの雑誌。
佐藤:一応実務もやりつつ文章も書いていた。器用ですね

岡田:器用って
佐藤:2足のわらじを履いた。
岡田:そういうふうに言ってくださる人が大事ですね
佐藤:(声掛けてくれる人の存在が大切)そうですよね。

岡田:書いてみたいし、そういうの憧れていたんで。それでまあ何か書いて。みたいな。やっていたんですけど。まあとにかくバブル弾けてたんですよ。その就職と同時で。93年なんで。
佐藤:バブルは85〜91年当たりでか)そうですよね
岡田:なんでも忙しいんですよね

佐藤:バブル弾けたら忙しいの
岡田:人は入って来ないですよ。後輩がまったく入って来ないですよ、自分の下が。仕事の量は、デザイナーって、そういう系のデザイナーっうのは。営業が引き合いを持ってきて。お客さんにプレゼンして、それが通れば仕事になるみたいな。だから営業がやたらプレゼンさせようとするわけですよ。

佐藤:ふふふふふふ
岡田:だから こっちはプレゼンばっかりやっている。
佐藤:プレゼンペーパー作って
岡田:結局とれねーじゃないかみたいな、プレゼンをやるわけなんですよ。ですけど営業も勝手なもんで。そうしないと駄目だから。

佐藤:餌ばらまくみたなもんだから
岡田:そうそう。ばっかり! やってみたいな。実際仕事になるのは少なくってみたいな感じで。やたら忙しくって。もう駄目だなと思って。それでもともと大学院に行きたいって気持ちも有ったんで、それで3年間働いて辞めたんです

佐藤:それは9 4年位ですか
岡田:95年、96年の5月に辞めたのかな。
佐藤:どこに大学に入られたんですか
岡田:千葉大学で

佐藤:千葉大学で、試験はあるじゃないですか。そんなに簡単に入れるんですか
岡田:あの〜、それがね。修士課程に入ろうと思ったんです。
佐藤:え え
岡田:そしたら。実務経験有るし雑誌にも書いてたから。行った先の先生が「まあ博士入っていいじゃないか」みたいな

佐藤はは
岡田:そういう審査があると。「修士の資格があるか、審査を受けてその上で博士の試験を受けたらいいんじゃないか」と。博士の試験の方がシンプルなんですよね。英語と論文みたいな。しかも博士まで行く人はそんなに居ないので。そしたらすんなり入って

佐藤:おめでとうございます
岡田:いえ いえ
佐藤:無駄じゃなかったじゃないですか。実務はある程度ね
岡田:そうそう、実務はよかったんですけど一 応それを提出して修士の同等のレベルという事、認めてもらえたんで。  15:06

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