和歌と俳句

伊勢物語

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 むかし おとこありけり  そのおとこ 身をえうなき物に思なして  京にはあらじ あづまの方に住むべき国求めにとて行きけり  もとより友とする人ひとりふたりしていきけり  道知れる人もなくて まどひいきけり  三河の国 八橋といふ所にいたりぬ  そこを八橋といひけるは 水ゆく河の蜘蛛手なれば  橋を八つわたせるによりてなむ 八橋といひける  その沢のほとりの木のかげに下りゐて 乾飯食ひけり  その沢にかきつばたいとおもしろく咲きたり  それを見て ある人のいはく  かきつばたといふ五文字を句の上にすへて 旅の心をよめ  といひければ よめる 

  唐衣きつゝなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思

とよめりければ 皆人 乾飯のうへに涙落してほとびにけり
 行き行きて 駿河の国にいたりぬ  宇津の山にいたりて わが入らむとする道はいと暗う細きに  つたかえでは茂り 物心ぼそく すゞろなるめを見ることと思ふに  修行者あひたり かゝる道はいかでかいまする といふを見れば 見し人なりけり  京に その人の御もとにとて 文書きてつく 

  駿河なる宇津の山べのうつゝにも夢にも人にあはぬなりけり 

 富士の山を見れば 五月のつごもりに 雪いと白う降れり 

  時知らぬ山は富士の嶺いつとてか鹿の子まだらに雪の降るらん 

 その山は こゝにたとへば 比叡の山を二十ばかり  重ねあげたらんほどして なりは塩尻のやうになんありける 
 猶行き行きて 武蔵の国と下総の国との中に  いと大きなる河あり それをすみだ河といふ  その河のほとりにむれゐて思ひやれば  限りなくとをくも来にけるかなとわびあへるに 渡守  はや舟に乗れ 日も暮れぬ  といふに 乗りて渡らんとするに みな人物わびしくて  京に思ふ人なきにしもあらず  さるおりしも  白き鳥の嘴と脚と赤き 鴫の大きさなる 水のうへに遊びつゝ魚をくふ  京には見えぬ鳥なれば みな人見知らず  渡守に問ひければ これなん宮こ鳥 といふを聞きて 

  名にし負はばいざ事問はむ宮こ鳥わが思ふ人はありやなしやと 

とよめりければ 舟こぞりて泣きにけり