scene 10 …


 

 舞台奥手に幾重にも吊り下げられているのは、安物の白い布にたくさんのひだを寄せただけの大袈裟なドレープ。しかし、それが目映いばかりのライトを浴びて瞬間ごとに輝きの色を変える。
「サヤカさん、おめでとうございます」
「どうぞこちらに、今のお気持ちをひとこと聞かせてください……!」
  目のくらむような光の中ひときわ目映いスポットライトの下には、深紅のドレスに身を包んだ少女が立っていた。真っ直ぐに腰まで伸びた艶やかな髪。まだあどけなさを残した面差しが喜びに満ちあふれ、綺麗に整えられた目元からは真珠のようなしずくがポロポロとこぼれていた。
「あ、ありがとうございます……っ! 本当に、こんな素晴らしい賞が取れるなんて信じられません。ここまで支えてくれたファンの皆さんと、それから、それから……水城社長に、心から感謝します。ありがとうございます、ありがとうございます……っ!」
  女神のかたどられたトロフィーの瞳の部分にはエメラルドが埋め込まれている。それがステージライトの嫌みなぐらい反射して、さらなる華やぎを添えていた。
  そして。
  両手に抱えきれないほどの花束に彼女の細い身体が緊張のあまりか大きく揺らめいたとき、再び会場はどよめきに包まれた。白いスーツがぴったりと似合った長身の男性が、前触れもなくステージ上に現れたのである。、 それは前もって示し合わせたシナリオではなかったらしい。場を取り繕うとする進行係のアナウンサーも可哀想なくらい声をうわずらせている。
「大丈夫か、無理をするな」
  向けられたマイクを払い、彼は真っ直ぐに少女の元に進んでいく。そしてどこまでも自然な仕草で彼女の体勢を支えると、柔らかな影のように寄り添った。
  男性の腕の中に抱えられるかたちになった少女は、突然のことに動揺を隠せない様子である。しかし、やはり彼女も「女優」のはしくれ。次の瞬間には愛らしい笑みを取り戻していた。
「水城社長、愛弟子のサヤカさんにお祝いの言葉をどうぞ」
  白いスーツの彼は慣れた手つきでマイクを手にすると、さりげなく乱れた前髪を後ろに流す。「社長」と呼ばれる身の上であっても、まだ三十半ば。若々しさと落ち着きの両方を兼ね備えた上品な風格が、無駄な贅肉の見あたらないすらりとした長身に漂っている。
  自分の一挙一動が、数え切れないほどの眼差しにレンズに捉えられているということを十分に承知している彼。どのようなときも自らが造り上げたイメージを崩すことはしない。
「このたびの受賞は誰よりも努力したサヤカだからこそ、手に入れることが出来たのだと思います。僕はこの一年、サヤカの一生懸命な姿をずっと見つめてきました。ですから、本日いただいた栄誉もむしろ当然の結果だと考えていますよ?」
  落ち着き払った眼差しでカメラを見つめ、彼にしか語れない言葉がすらすらと語られる。そう、強気の行動こそが彼の持ち味。周囲の皆が「無理」と決めつけても、自分の信じた道を途中で曲げることは一度もなかった。時代の反逆者とも思えるカリスマ性、だが一度魅せられてしまったら最後逃れる術はない。
「ほう……すごい自信ですね? となれば、次はもっと高い頂を目指されるのだと予想しても宜しいですか?」
  彼よりもいくらか年配に見えるアナウンサーは、自らのプライドをかけて必死に切り返した。しかしそれも、悠然とした微笑みの向こうにあっという間に消し去られてしまう。
「さあ、それは皆様のご想像にお任せします。もちろん、サヤカは僕の大切な宝石ですから、この先も決して安売りはしませんけどね。僕が一流と認めた作品にのみ出演を許可します、万にひとつの例外もありませんよ」
  自信たっぷりに語られるその言葉は、しかしどこまでも甘く濃厚であった。
  彼の腕の中の少女は恥ずかしさのあまり、ドレスにも負けないくらい真っ赤になってしまっている。スクリーンの中で見せる完成された美しさとはあまりにかけ離れた姿に、会場からは再び感嘆のどよめきが上がった。
  そして割れんばかりの拍手、舞台の暗転とCMへ続くとのアナウンス。軽快な音楽に画面が切り替わったところで、私はリモコンのスイッチをオフにした。

「ふうん、相変わらずだねえ。あの天狗のように高い鼻をへし折る方法はないものかな?」
  その瞬間まで存在すら忘れていた男が、いつの間にかソファーの背後に寄り添っていた。
「嫌だなあ、昨日はあれからずっと呑んでたの? せっかく綺麗に片付けていったのに、一晩経ったらこれだもの。これじゃ、もう冷蔵庫の中も空っぽでしょう? 少しは栄養のあるものを胃に入れないと身体に毒だよ」
  足下にいくつも転がるチューハイやビールの空き缶。片付けるのも億劫で、あっという間にフローリングの床は足の踏み場もなくなる。そう、この部屋は十いくつの缶だけで塞がれてしまうほどの狭さと言うこと。
  綺麗な眉を少しだけ歪めて、男は手にした不燃物用のゴミ袋に私が散らかしたままにした空き缶を次々に投げ込んでいく。短時間で汚した場所ならば、同じだけの時間を掛ければ元通りになる。何事もずるずると長引かせては駄目なのだ。
  そんなことは、もうとっくに分かってる。ただ承知していることを実行に移せるかどうかは別問題だ。
「少しなら食べたわよ。でも、もういらないわ」
  一番見たくなかった番組に、ふとスイッチを入れたら運悪く遭遇してしまった。
  すぐに消せば良かったのについ見入ってしまったのが私の弱さ。あの場面で「彼」がステージに現れることは最初から容易く予想できたのに。
  そう、多分あの会場にいた誰よりも、それ以外のブラウン管を通して生放送を観ていた他の誰よりも、私は「彼」の次の行動を予測することが出来る。だから彼の周囲を取り巻く動揺が滑稽に見えて仕方ない。うろたえるその姿を見ているだけで勝利者になれるのだからこれ程に安い買い物はないだろう。
「何言ってるの、こんなの食事のうちに入らないよ。ほとんど油じゃない」
  半分以上残っているスナック菓子の袋をつまみ上げ、男は大袈裟に溜息をつく。何をやっても、この男にはどこか「二流」の香りが付きまとう。だから栄光へのレールに乗りきれなかったのだろう、私と同様に。
「きちんとエクササイズしてる? 余分な肉はいつも本人が一番気付かない場所につくんだからね? 一度抱えてしまうと大変だよ、それにこんな風に縮こまってないでたまには外にも出て気分転換した方がいい」
  この台詞を聞くのも何回目だろう、それとも何十回目だろう。繰り返し見せられて細部まで覚えてしまったTVコマーシャルのように、彼は毒にも薬にもならない男だ。いつからこの部屋に出入りしているのかも覚えていない。合い鍵を渡した覚えもないのに、ふと気がつくと戻ってきている。
「馬鹿言わないでよ。今出て行ったらどうなるか、アンタにだって分かるでしょ? すぐに写りの悪いネガと一緒にどこかに情報が売られるわ、『大女優まさかの転落、一年後の悪夢』とか見出しを付けられてね。あー、馬鹿らしい。人のネタで懐を温めている輩がいるかと思うと反吐が出るわ。冗談じゃない」

  舞台の上は眩しすぎて、周りの何も見えなくなっている。客席からは当たり前のように見える装置も飾られた花たちも、後から録画で確かめなければ知ることが出来なかった。
  そう、今ではこうしてガラス越しにしか観ることの叶わなくなった世界の中に、ほんの半年前までは私もかろうじて存在していたはずだ。まさかここまで短期間で全てが変わってしまうとは夢にも思わないままに。
「大女優」などという看板が自分に相応しくないことくらい分かっていた。だけど、それを否定することは自分の人生を否定すること。いくら分不相応なことを言われても、努力してそこまで辿り着けばいいのだと教えられた。
  だから頑張った、がむしゃらに頑張った。だって、彼がいたから。彼がいつでも私を見守っていてくれたから、どんな辛い境遇でも耐えることが出来たんだ。
「偉いぞ、マナミ。それでこそ、僕の見込んだヒロインだ」
  仕事上だけではない、プライベートでも彼は私の全てだった。女としての喜びも、女優としての成功も全て彼が与えてくれた。何も疑うことなく、ただ付き従っているだけで私にはあまりに多くのものが舞い込んできた。

「ねえ、この前の話。ちゃんと考えてくれた?」
  気がつけば目の前にはきちんとフライパンを温めて作った料理が並んでいる。どれも五分と待たずに仕上がるような簡単なものばかりだけど、このような皿を目にするようになったのはこの男が部屋を訪ねてくるようになってからのこと。
  それまで、家で食べるものといえば、すべて透明なパックや食品トレーに並べられているものだと信じ切っていた。
  私も彼の質問には答えず、手渡されたチューハイのプルトップを開ける。男は小さく首をすくめると、専用ケースから携帯用の小さなパソコンを取り出した。
  この男が余計なことを言って、私を怒らせることはない。張り巡らす棘を器用に避けながら、あっという間に心の内側まで進入してきた。自分では心を開いているつもりはない、だけど久しく感じていなかった安らぎがここにはある。
「ほら見て、この前言われたところは全部直してみた。それから、サビの部分も削ってシンプルにしてみたよ? 今、音出すから。……ちょっと待ってて」
  捨てる神あれば拾う神あり、とは本当なのだろうか。元は「彼」とバンドを組んでいたという男がある日ふらりと現れて、「夢」の片棒を担いでくれと言う。ふたり組のユニットを作って売り出す、その方法は私が考えても見なかったとんでもないものだった。
「彼」が今手掛けている自作映画の主題歌は一般公募で選ばれることになっている。そこに素性を明かさずに応募してみようというのだ。必ず勝てるという自信が男にはあるという。
「アイツが崖っぷちから突き落とされるのを待ってるんだろ? だったら、ただじっとしているだけじゃつまらないよ。その大役を自らの手で果たしてみたくない? 何、そんな難しくないと思うよ。俺たちは、アイツの性格を熟知しているんだからね」
  流れ出す旋律はどこまでも清らかで、奥に潜んだよどみなど露と感じさせることなどない。きっとこれこそが、目の前の男の中にある「闇」そのものなのであろう。
  途中までは同じ目的を持ったふたり、その夢が叶うのはそう遠くない気がする。少なくとも「彼」とはまた違う色をした自信過剰の瞳を見ているとそう思えてくるのだから不思議だ。
「ま、そういうのも悪くないかもね。私ばっかりがこんな場所でくすぶっているのも、面白くないし」
  私が手にしたいのは「彼」ひとり。この気持ちは未来までずっと変わることはない。もしもその希望に少しでも近づくことが出来るのだとしたら、「悪魔」に手を貸すのも決して悪い条件ではないだろう。
  いつの間にか、私も「洗脳」させられ始めているのだろうか。繰り返し繰り返し流れるフレーズを、知らないうちに破滅の呪文の如く口ずさんでいた。

 

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