TopNovel>金平糖*days ・1


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 ようするに、空気みたいなものなんだと思う。

 そこにあることが当たり前になっていて、すでに有り難みとかそういうものは全然感じなくなってる。「家族」よりも遠いけど、「友達」よりも近い。ちっちゃい頃から、ずーっと一緒。普通に遊ぶときや学校の行き帰りはもちろんのこと、親同士が仲良しだったこともあって旅行なんかにもかなりの確率で連れだって出掛けた。

 だから私の記憶の中には必ずと言っていいほど、臣くんが出てくる。臣くん、本当は「正臣」という名前なんだけど、赤ちゃんの私は「まさおみ」という長い名前を上手に発音することが出来なかったんだって。で、いつの間にか「臣くん」。何となく改めることもしないまま、今日まで来ちゃった。

 うん、いつの間にか。本当にいつの間にかって感じで、臣くんは高校2年生。いわゆるセブンティーンってやつだ。ひとつ年下の私は、高校1年生。臣くんと同じ高校に、ギリギリセーフのしっぽの先で合格した。
  志望校を決めるときは正直、五分五分だったのね。だけど、どうにか入学出来て良かった。だって、ウチの高校はここら辺で唯一の普通科共学。楽しいスクールライフを彩るにはやっぱ男女共学よ。

 

「どうしようかなぁ、迷うなあ〜っ!」

 お風呂上がり、ベッドの上でごろごろしながら。

 私は床に散らばった雑誌のひとつをつまみ上げ、グラビアをぱらぱらとめくった。もう、ここんとこはこればっか。昼間、空気の入れ換えに部屋に入った母親に「学生の本分は何だっけ?」と渋い顔をされるのもしばしばよ。でもねえ、そんなこといってもねー、仕方ないじゃないの。

 うーん、やっぱ「生チョコ」はいいなあ。苦いココアパウダーに包まれたとろんとした食感を思い出すだけでぞくぞくする。それに結構簡単に出来るのよね、そこも狙い目。うんうん、ここの頁は要チェックね。ああ、だけど焼き菓子も捨てがたい。しっとり濃厚なガトーショコラにシフォンケーキ。ナッツたっぷりのチョコブラウニーとかもいいなあ。ああ、悩む悩む。

 うわあ、プレゼントのラッピングも可愛いなあ。だけどさーこんなピンクのひらひら、男子たちはどう思うんだろう。どう考えても趣味じゃないと思うんだけどな。それでも綺麗に飾ってあった方が嬉しいのかしら。良く分かんないわ。
  ぱらんとまた一枚めくると、今度は何故か「おしゃれ情報」。バレンタイン当日はこんなコーディネイトでばっちりとか書いてある。髪型からメイクまで事細かに説明してあって、モデルの女の子の表情も「やる気満々」って感じだ。そんなこと言ったって、今年は平日なんだけど。一度家に戻って着替えてから出直すのかしら? それもすごいなあ。

 ごろごろ、ごろごろ、ごろごろ。

「ああっ、困った〜! どうしようーっ!」

 ひとりごとばっかり言ってるのも怪しい人みたいだから、とりあえずベッドの一角を占領しているクマさんに話しかけてみる。大きくて真っ白なクマさん。これは臣くんがくれた合格祝いだ。
  通学路の雑貨屋さんにずっとディスプレイで飾られていたこの子がずっと気になっていて、でも誰にも言い出せるはずもなくひとりで悶々としていたのね。そしたら合格発表の当日、帰宅した私を待っていたのは玄関で出迎えるクマさん本人。最初は何事かと思ったけど、母親の話を聞いて納得。臣くん、今までの貯金を全部はたいて連れてきてくれたんだって。

「そっかーお前がウチに来て、もう一年近くなのね」

 思わず、きゅーっと抱きしめてみたくなって、でもやめた。だって、こんなにチョコの記事ばっかり読んでたら、何だか身体中がチョコレート臭くなった気がするんだもの。だから我慢して、黒い鼻先にキスしてみる。クマさんはいつものつぶらな瞳のまま、じーっと私を見つめていた。

 

  


「おはよう、くるみ」

 どんよりとした冬空。夜のうちに降った雨がアスファルトを黒く濡らしている。雪になるかも知れないって予報では言ってたけど、そうじゃなかったんだね。雪はそりゃ最高にロマンチックなんだけど、あとの大変さを考えるとあまり嬉しくない。
  長いマフラーをぐるぐると首に巻きながら家を出ると、臣くんはもう電信柱のところで待っていた。あんまり遅いときは玄関まで呼び鈴を押しに来るんだけど、今日はどうにか間に合った。手にしているのは何かの問題集かなあ、私の視線に気付いてぱたんと閉じる。

「おはよう、臣くん。今日も寒いね」

 白い息を辺りにまき散らしながら駆け寄ると、臣くんはちょっと小首を傾げて言った。

「……手袋、忘れないで持ってきた?」

 毎朝、慌てて家を飛び出してくる私がしょっちゅう色々と忘れ物をすることを、臣くんはとっくに承知している。ちなみに襟元はマフラーで完全防備してるのに手袋を忘れたことが、この冬だけで三回もある。徒歩とバスをあわせて30分ほどの通学路。結構冷えるのよね。
  じゃあ行こうかって、連れだって歩き出す。本当にもう、気の遠くなるほど昔からずっと私たちの朝はこんな風に始まっていた。幼稚園の時は園バスだったけど、それも一緒に乗ってたし。小学校と中学校は敷地が並んでて、ふたりが離れた1年間だっていつも通りで良かった。臣くんが先に高校生になった1年は、朝練のある私に合わせて家を出てくれて、校門まで送り届けてからバスに乗り込んでたのよね。

「すごい、過保護だよねえ。だけど、今庄先輩なら許せるかな。だって、隣にいたら目の保養になるでしょ? 朝から眼福よ」

 そんな風に言ったのは、和沙(かずさ)ちゃん。中学から一緒の友達だ。うんうん、分かるよその気持ち。確かにそうなんだよねえ……。

「え? 何か顔についてるかな?」

 臣くんが急にそんな風に言うから、慌てて首を横に振った。ああん、もう。こっそり眺めていたんだから、視線に気付かないでよ。だってさ、臣くんって何というか……すっごい綺麗な顔をしてるの。髪の毛は真っ直ぐでさらさらしていて、それをこざっぱりとカットして清潔感に溢れてる。前髪から覗く太めの眉、きちんと二重の切れ長の目、確かな存在感を保ちながらもくどすぎない鼻と口。背だって高い。
  学年にひとクラスしかない理数科は特別に優等生が揃ってるところ。燦然と輝く「G組」のクラス章がその印。昔ながらの学ランの詰め襟にびしっと決まっている。授業だけでも私たちの普通科よりも週4時間も多いって言うのに、その上に陸上部と水泳部を掛け持ち。さらに書道部と放送部と新聞部にも籍を置いてるって話だ。でもって、お約束に生徒会もやってる。

「それはそうと……、くるみは昨日も遅くまで起きていたでしょう? でも、勉強していたんじゃないよね、机の電気は点いてなかったし」

 ふうっとひとつ息を吐いて、臣くんは少し険しい表情になる。整った顔だけにかなりの威圧感。幾度となく見慣れてるはずだけど、それでも思わず後ずさりしちゃうよ。
  これもお約束で、臣くんの部屋は私の部屋の真向かい。さすがに「屋根伝いに……」って距離じゃないけど、それでもカーテン越しにシルエットで色々ばれちゃうのね。ああ、雨戸閉めれば良かった、失敗だわ。

「目の下、クマができてる。どうしたの? 何か心配事かな。……困ってることでもあるの?」

 別にそんなんじゃないから、再び首を横に振る。そこで「大丈夫だよ」ってにっこり出来れば良かったんだけど、そうしなかったら臣くんはまた溜息をひとつ。

「はいはい、もう詮索しないから。ほら、遅れるといけないから早く行こう。今週は週番なんでしょう?」

 ぽんぽんって、頭に置かれた大きな手のひら。そんな風にするから、ますます私の背が縮んじゃうんだよと思っちゃう。昔はほとんど目線が同じはずだったのに、今では臣くんの方が頭一個分遠ざかってしまった。
  分厚い生地で作られている昔ながらのセーラー服。申し訳程度にスカートの丈を詰めてみたところで、おしゃれに変わるわけもない。聞くところによると、なんとお祖母ちゃんが通っていた頃からこの制服だったんだって。デザイナーズブランドの制服が大流行なご時世では、すでに化石の存在ね。

 ……それにしても、なぁ……。

 どっから見ても、誰から見ても、お兄ちゃんと妹にしか見えない私たち。ま、実際もそんな関係だから仕方ないんだけど、一度くらい勘違いをしてくれる人がいてもいいと思う。なのにさ、こんなに格好良くて素敵な臣くんとべったりな私なのに、他の女子たちからやっかまれたことがない。臣くん、モテるんだよ、マジで。バレンタインとか、毎年てんこ盛りにもらうんだよ。それなのにさ。

 

 通勤通学時間帯のバスは、乗り込む前からすでに満車状態。ぎゅうぎゅうと身体を押し込んでどうにか収まると、臣くんは私が押しつぶされないようにガードしてくれる。

 こういう関係も、いつかは終わるんだよね。臣くん、今までずっとフリーだったけど、きっと近い将来にとびきりの運命の相手と出会うんだから。そのドラマのような一幕にも私は遭遇することになるんだ。

「……あ、今庄先輩だ!」

 すし詰めの向こうから、そんな声がしてくる。……きっと、気付いてるよね? 

 どこへいても、必ず人目を引く臣くん。その影に隠れて私は冬道を走るエンジン音に紛れて小さく溜息をついた。

 

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