TopNovel>金平糖*days ・9


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 授業と授業の間の休み時間って10分なんだけど、次の時間の準備とかあるから気が付くとチャイムが鳴っている。普段だったら何気なく過ごしてしまうちょっぴりの隙間が、今日の私にはとても重要だった。ふにゃっと気を抜いている暇はない。

 

 二時間目は授業が長引いたみたい、いつまで経っても2年G組の廊下は静かだった。
  そうっと引き戸から中を覗くと、臣くんはとっても真剣な顔でノートに何かを書き込んでる。全部が全部、選りすぐりの優等生たちの集団である「理数科」。張りつめた空気が痛いくらいだ。しばらくして、ホッとした笑顔。ゆっくり席を立って、教壇の方に歩いていく。先生と二言三言話をして戻って来る、綺麗な横顔。
  その後、他のクラスメイトたちもがたがたと立ち上がって、制服の林の向こうに臣くんは見えなくなった。

 三時間目が終わった後は、何人かの友達に囲まれてた。
  みんなとても真剣そう。臣くんの手元を息をひそめて見守っている。やがて「おおっ、そっかー!」って声がして、一同は大きく頷く。何か「すごいな」とか言われているみたいだけど、臣くんはあまり反応してないみたい。口元には柔らかい笑みを浮かべたまま、教科書を入れ替える。あ、次は移動教室だ、見つからないように隠れなくちゃ。

 

 四時間目が終わってすぐ、私はお弁当を持って調理室に向かった。インフルエンザの出校停止が解除になった同級生部員と先輩部員がふたりずつ来てくれることになってる。

  試作会は放課後すぐに始めないと間に合わないから、この時間で材料とか調理器具の最終チェックをするのね。オーソドックスな流し込みチョコと、濃厚な味わいのガドーショコラ。それからチョコチップやナッツがぎっしり詰まったチョコクッキーを作ることになった。あと、材料持ち込みで個人的に相談にも乗る予定。

 ……あ、来た。

 特別棟への連絡通路を通っていたら、向こうからどやどやと人の波が押し寄せてきた。あの集団の中に化学の授業を終えた臣くんがいる。移動教室からの戻り、ここを通るのだろうとだいたい目星をつけていた。

 最初にセーラー服の集団が過ぎていって、その後2、3人ずつばらけて男の先輩たちがやってくる。半日の授業を終えて、みんなホッとした表情。歩みを進めながら必死に横目で確認しているのに、なかなか臣くんは現れない。

 えー、もしかして違う通路から戻っちゃったのかな。

 化学室は特別棟の1階にあって、教室棟への連絡通路はそれぞれの階にあるから何通りかのルートがある。でも1階の購買部の近くはお昼時で滅茶苦茶に混んでるし、2階は三年生がたむろってる。そうなれば、ここが一番あり得るかなと思ってたのに。

 がっくりと肩を落として突き当たりの階段を下りようと思ったら、ひとつだけの足音が階下から聞こえてきた。自分に都合のいい期待をして、私の胸はにわかに高鳴っていく。何か、もう絶対。あの足音はそうだと思う。だんだん自分が超能力者になった気がしてきた。

「……あ……」

 二階と三階の間の踊り場で、足音がぴたりと止む。真っ直ぐにこちらを見上げた瞳、階段の手すりに手を添えたまま、彼は全ての動きを止めた。

「……っ!」

 一呼吸を置いて。目をそらしたのは、私の方。そのまま一気に階段を駆け下りる。その姿を臣くんが見ていたのかいなかったのか、振り向いて確認することも出来なかった。

 

 自分でも馬鹿だなって思う。会いたかったのに、すごく会いたかったのに、その瞬間が来ると自分から逃げちゃうなんて。

 きっと、臣くんもこんな私のこと変な奴だと思ったよね。別にちょっと挨拶くらい、しても良かったのに。口惜しい、すごく口惜しい。だって、臣くんは少しも変わってないんだもん。私ひとりが慌てたり悲しくなったりして、何か馬鹿みたい。

 知らないうちに、涙がぼろぼろと溢れてきた。早く行かなくちゃ、試作会の準備をしなくちゃと思っても、どうしても止めることが出来ない。
  1階の階段下、物置みたいにごちゃごちゃと埃をかぶった用具が置かれている場所に隠れて、気持ちが落ち着くのを待った。何度も深呼吸をして、気持ちを切り替えようとしても駄目。ポケットティッシュふたつがあっという間に空っぽになった。

 もうやだ、こんなのは絶対に。

 臣くんが変なことを言い出すから、私はずっとそのことばっかり考えて、いつの間にか頭の中が臣くんで埋め尽くされてしまった。ずるいよ、どうしたらいいの。このままいたら、息が詰まっちゃう。呼吸困難になって死んじゃったら、責任取ってくれるのかしら?

 

 いっぱい泣いて、とことん泣いて。

 そしたら、ようやくすっきりした。無駄な感情が全て流れ落ちてしまったみたいに、心はクリアに晴れ渡っていく。

 

 ……そうか、こんなに簡単なことだったんだな。

 

 午後の授業もその後の試作会も、元気よく乗り越えることが出来た。予想を超えてかなり忙しくて大変だったけど、お菓子作りってやっぱり楽しい。ほとんど味見で終わっちゃうような人もいたけど、それはそれでいいんだよね。
  最後に特別参加の穂積ちゃんが、持ち前のセンスを生かしてラッピング講習会までしてくれた。次々に完成していく色とりどりのパッケージ。参加してくれた人たちの満足そうな笑顔を見ていたら、こっちまで幸せな気分になれたよ。

 ふと窓の外を見たら、中庭を突っ切っていくジャージ姿の臣くんがいる。「ふうん、これから部活かぁ」なんて、のんびりとその横顔を見送ることが出来た。

 

  


 午前6時、夜明け前。

 うっすらと白くなり始めた空、ぼんやりと見える風景。私の動きにセンサーが反応して、ガレージの灯りが何度も点いたり消えたりする。白い息、もわもわ。浮かんでは消えていく。

 ぴっちりとカーテンの閉まった窓を、何度となく見上げてた。……大丈夫、まだ自転車はあるし。新聞も牛乳も配達されたまま。手袋をしててもかじかんでしまう指、はぁっと息を掛けて温める。耳がかぶるくらい深く巻いたマフラー。

 鉄筋の柱にもたれかかって、ぼんやりと目で追う一つ星。今日は一日、どんなにたくさんのドラマが生まれるのだろう。特殊カメラで見たら、あちこちにハートマークが乱舞して大変だろうな。だけど、まだ幕開け前。静かな静かな朝。

 

 ……うっ、駄目。気を抜くと、このままうとうとしちゃいそう。

 昨日は一日大変だったもんな、本当は家に帰ったらすぐにベッドに直行してバタンキューしたかった。でも、そう言うわけにも行かないから。必死で頑張った「成果」は縞々模様の紙袋の中で出番を待っている。

 どこからか、エンジン音。メール便配達のオートバイが目の前を通り過ぎていく。こんな朝早くからご苦労様。ヘルメットの下で耳が赤くなってるお兄さんを見送った後、私は大きくひとつ深呼吸した。

 ――まだかな。

 ちょっと気合いを入れすぎたかしら、あと30分くらい遅くしても良かったかな。だけど、駄目。もう一息、気力で乗り切るんだ。ううっ、負けないぞ……!

 

「えっ、……くるみ!?」

 不意に空から声が降ってきた、……わけない。二階、南側の窓。そこから臣くんが顔を出していた。ふふ、寝ぼけたまんまの顔だ。さすがに驚いてるみたいで、何だか嬉しい。

「おはよう!」

 半分凍ったままの頬を動かして、どうにか笑顔を作る。

 だけど、臣くんはそれには何の反応も示さずにすぐに窓を閉めた。続いて、家の中で階段を下りてくる音がして。玄関ドアを開けて、お父さんのサンダルを足に引っかけた臣くんが出てくる。

「どうしたの、今朝は何か早く登校しなくちゃいけない用事でもあった?」

 ウチのガレージと臣くんちの間には小さな植え込み。膝の下までしかない30センチほどの境界を隔てて、私たちは向き合った。
  朝の挨拶も浮かばないほどに臣くんは慌ててる。灰色と白、ツートンカラーのスェット上下。多分これはパジャマ代わりなんだね。

「ううん」

 にわかに高鳴り出す胸。昨日の晩から何度も何度も繰り返してシミュレーションしたのに、こうやって本番になって本人を目の前にするとさすがに緊張する。

「これ、渡すのに待ってたの」

 そう言って、紙袋を前に差し出した。カードとかは添えなかった、中には綺麗にラッピングした大きめの包みがひとつ。

「あ、……ありがとう」

 まだ頭が完全に目覚めてないのかな? 臣くんの反応がすごく鈍い。

「開けていいかな?」

 臣くんの言葉に、私はひとつ頷く。長くて綺麗で、何でも器用にこなしちゃう臣くんの指先がくるくる巻きのリボンを解いていく。うすピンクのラッピングペーパーの中は透明な箱だから、開けなくても中身が分かる。

「うわ、何だかすごいね」

 素直な驚きの声、私はえへへっと照れ笑いした。

 

 だって、いつの間にかこうなっちゃった。本当は小型のチョコレートケーキを焼くためのハート型。溶かしたチョコとナッツやマシュマロ、コーンフレークにこめはぜ。とにかく段々にこれでもかってくらい詰め込んだ。途中、ホワイトやストロベリーのチョコも使ったから、断面は綺麗な縞々模様になってる。

 チョコレートだけで軽く1kgを越えていたもんね。いくら混ぜものが多いとは言っても、ちょっとやそっとじゃたいらげられない分量だと思う。
  包丁でも切れなそうだし、一体どうやって食べたらいいんだろう。出来上がってからそれに気付いたけど、まあ食べるのは私じゃないし。いいかなーと思った。

 

「何か、一気に目が覚めたよ。……参ったなあ、これは」

 柔らかい猫っ毛は、あちこちに寝癖が付いてる。それに気付いてるのか気付いてないのか、臣くんは髪をくしゃくしゃってかき混ぜて独り言みたいに呟いた。

 それから、今度は真っ直ぐにこちらに向き直って。

 

「これが、くるみの考えた答え? 僕の欲しかったもの……?」

 

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