TopNovel>金平糖*days ・4


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 ――くるみの気が散るといけないしね、この先しばらくは別行動しよう。

 いきなりそんな風に言われて、最初はちょっと意地悪な冗談なんだと思ってた。だけど、ひとりで帰宅した翌朝。いつもの電信柱の前に臣くんの姿はなかった。見れば、物置の軒下に置いてある自転車も消えている。寝ぼけ頭のままでも、この状況はしっかり把握出来た。

 

 けど、何なの。本当にいきなりだよ、臣くんは。

 私の知ってる臣くんは、とにかく信じられないほど優しい「お兄さん」だった。うん、今だってそうだけど、ずっと昔からそれは変わらない。スカートめくりしたり毛虫を鼻先に突きつけてきたりする男の子はいっぱいいたのに、一番一緒にいたはずの臣くんに意地悪された記憶はひとつもない。

 お願いすれば、何でも言うことを聞いてくれた。こんなのはちょっと無理かな……って半分諦めてしまいそうなことでも、臣くんに掛かれば大丈夫。
  中1のとき大好きだったアイドルグループのコンサートに行きたくて私が両親に駄々をこねたときにも、電車を乗り継いで遠い街の会場まで連れていてくれた。周りはみんな女の子だらけだったのに、臣くんはただニコニコしてたっけ。
  高校受験の時だって付きっきりで教えてもらったし、ストライキでバスが走らなかったときには本当は学校で禁止されている自転車の二人乗りで学校まで行った。……あ、もちろん運転は臣くんだよ。あの自転車、サドルが高くて私じゃ足が届かないの。

 

 あんまり簡単に「うん、いいよ」って言ってくれるから、かえって申し訳なくてこの頃ではあんまり頼み事もしなくなってた。

 このままだと臣くんなしでは何も出来なくなっちゃいそうなんだもん。それもどうかなと思って。おんぶに抱っこじゃ、鬱陶しいなと思われても仕方ない。子供じゃないんだから、自立しなくちゃって。

 

 ――ま、いきなりこんな風に谷底までどすんと落とされるとは思ってなかったけどね。

 

  


「おはよ〜、くるみ。……うわ、うわわわ。何それ、すごい絆創膏」

 バスを降りたあとひとりで歩いてたら、後ろから名前を呼ばれた。振り向いたらそこに和沙ちゃん。電車通だから、時々こんな風に合流してる。

「おはよー」

 ああ、やっぱ絆創膏はやりすぎだったかな。でもなー、鼻の頭から血が滲んでるのもどうかと思ったんだもの。バッグの中をいくら探してもピンクや黄色のファンシーな柄のしか出て来ないし、参った。

「ちょっとー、それ絶対に保健室だよ。ちゃんと消毒しておかないとあとになったりしたら大変。ま、待って。こっちの膝もすごいじゃない……!」

 

 家からバス停までの道のりは、なだらかな下り坂。

 あっという間のその距離で、今朝は三回も転んだ。そんなに安定感が悪いとは思っていなかったんだけど、自分でもびっくり。一度なんて、丁度目の前を通りかかった小学生がびっくりして起きあがらせてくれた。「お姉さん大丈夫?」ってすごい心配されちゃって、思わず「えへへ」って照れ笑いしちゃったよ。

『通学路には危険がいっぱい』とか看板も立ってるけど、本当にこんなに歩きづらかったなんて知らなかった。蓋の半分開きかけたマンホール、隅っこがはがれ掛けた点字ブロック。ゴミ置き場の周辺は空きビンとか空き缶とか落っこちてるし、一体どうなってるんだーって思っちゃった。

 何で今までは平気だったのかなと考えて、すぐに気付く。

 そうか、臣くんがいたからだ。私よりも少し先を歩いて、危ないところを避けてくれてたみたい。私はただ臣くんの背中だけを追いかけていれば、とっても安全だった。もしも万が一、絆創膏が必要になったとしても、ちゃんと目立たないのを持ってるし。多分、消毒液だって常備してそうだ。

 あっという間に思い知らされて、また落ち込む。ああ、やっぱ変だったよ、昨日の臣くん。何でいきなりあんなことを言い出すの。もしかして宇宙からの謎の侵略者に脳細胞を破壊されちゃったとか? うーん、そう言うこともあり得るよなあ。

 

「あれ? ……そう言えば今庄先輩はどうしたの。今日は朝練とか?」

 ほらほら、傷ついた心と身体に練り辛子をすり込むような発言は避けるように……! そう言い返せるだけの気力は、すでに私には残っていなかった。

 

  


 臣くん以外にも、ちゃあんと救急セットを持ってる人はいた。そう、それは穂積ちゃん。教室までたどり着くと、彼女はいつも通りにおっとりとした物腰で私たちを迎えた。

「大変よ、くるみちゃん。すでに噂が広がってるわ」

 その言い方が、全然大変そうじゃないんですけど。「あらあ、こっちも大変ね」って私の膝小僧を指さして、にっこりと笑った。

 

「えー、何それ。訳が分かんないじゃないのっ!?」

 膝小僧全体に広がった擦り傷、そこに染みこむマキロンが痛い。ようやくぽつんぽつんと昨日のいきさつを説明した私に、ふたりはリアクションはかなり違えど同じくらい驚いた様子だった。
  ちなみに穂積ちゃんは教室に入るまでに全部で10人から詳細を訊ねられたという。そうかー、だから今朝はいつもに増して周りの視線が気になったのね。全部鼻の頭の絆創膏のせいだと思っていたんだけど、違ったのか。

「まあ、知らないものは答えられないから。適当に言葉を濁しておいたわ。何だかあっという間に、話がどこまでも膨らんでいるらしいわよ」

 一体どこから情報が流れたのだろう。とにかく昨日のバス停での一件から今朝の別登校まで、芸能ニュースのようなスピードで臣くんと私の破局(?)が全校に広まっていた。

「そりゃあね、往年のゴールデンカップルにいきなりの出来事じゃ、誰だって驚くでしょうよ。時期が時期だし、なおさらだわ〜! うわあ、これからが見物だ」

 ……あの。だから、別に私と臣くんは特別な関係じゃないんですけど。

 何も知らない外野ならともかくとして、ふたりはとっくにそれを承知しているはずよ。その上、どうしてそんなに楽しそうなんですか、和沙ちゃん。完全に顔がにやけてるよ……。

「でも、確かにいきなりよね。困ったわねえ、その調子じゃメニューのことも相談出来てなかったんでしょ? まあ、今となってはこっちの方が一大事かも知れないけど。どうしたのかしら、今庄先輩。まさか……」

 ――意中の彼女でも出来たのかな?

 そんな言葉があとに続くような気がした。もちろん、穂積ちゃんは声に出さなかったけどね。
 
  だから、私も何も言わなかったよ。別にね、悲しいとかそういう気持ちは余り無かった。ただ、……何て言うんだろう。自分の「宇宙」に穴が空いて、そこから空気が抜けていくような空虚な気分。心からも身体からも力が失われていくのに、自分ではどうすることも出来ないの。

 

「僕が一番欲しいのを、くるみが自分で当てるんだよ?」

 どうして、臣くんはあんなことを言いだしたんだろう。分かるわけないじゃない、私は臣くんじゃないんだから。いくらずっと側にいたからって、心の中までは知らないよ。いきなり謎かけをして、そのまま放り投げられて、私はいらなくなった不燃ゴミみたいな気分だ。

 このまま、私がきちんと答えを出さなかったら、放置されちゃうのかな。ううん、出したとしても当たってなかったらそれでおしまいでしょ?

 どう考えたって、分が悪いじゃない。しかも、臣くんはただ待っているだけ「高みの見物」って奴だ。こんなの、すごい意地悪だよ。「好きなの」って言い方も何かなあ……これじゃあ臣くんが思い描いているものがチョコレートなのかそうじゃないのかすら分からない。バレンタインって言ったって、この頃は多様化してるもの。何でもありなんだよ。

 無理、絶対に無理だよ、考えられっこない。これなら、クッキング部のチョコメニューを考える方がずっと楽だわ。ああ、そっちもタイムリミット。今日はもう金曜日、土日に材料を買いに行かなくちゃだし。

 

 ……あ、そうだ。

 もしかして、その買い出しもひとり? いつものように臣くんに一緒に行ってもらうつもりだったから、先輩とかにも声掛けてない。やだなあ、今は2年生の教室には行きたくないし。

 

 結局は私、どこまでも『臣くん依存症』だったんだなと思い知らされた。膝小僧と鼻の頭に残るひりひりした痛みと共に。

 

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