2009年12月10〜13日じゅっくりの会in京都 記録     home  

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11日  柳原照弘の この1年   工芸繊維大講義      デザインイースト 00 を語る  

12日  渡辺菊眞さんに聞く   鼎談 アガカーン賞の王路 (森田一弥・渡辺菊眞・江崎貴洋)
     松岡聡さんに聞く    
工繊大3年生・浅野翔さんに聞く

 渡辺菊眞さんに聞く 2009年12月12日 曇り 奈良県西大寺駅そば事務所

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 その04

  博士論文のテーマ

佐藤:そういう反応が面白かったわけだ
渡辺:面白かったですね
佐藤:俺の作り事に! みんな反応しちゃって
渡辺:ははははは
佐藤:これはいけると 博士課程の1年目は模型をつくって個展を催して終わり、次は本格的な論文を書くんですか

渡辺:そうですね
佐藤:小説ではだめだから
渡辺:そうなんですよ、修士のときは、これまたなかなか、論文書いたことも無いこともあり、一個もテーマ決まらなかったんですが

佐藤:ふつうだよね、テーマ探すのが大変
渡辺:大変でした。結局何に興味が有るんだという話になって

ちっちゃい頃に奈良の公園とかじゃなく空き地でばっかり遊んでたりしてたので空き地に興味が有りますって言ったら。そんなの論文に成らないだろう!みたいな話があったははははは。空き地っていうことをもうちょっと概念化しないか?って話があって。要は僕が撮って来た写真を、布野先生じーっと見てて。要は隙間的な、ある種固まった所と固まった所の間にあるような所が、好きそうじゃないって話があって。

ああ、そうかも知れません。じゃーそれはとか余白という事なんじゃないのかという事で、都市における余白に関する研究みたいな事で。

それを京都を題材にやったんですけど。で、面白い設定は出来たけどそんなの捌き切れるはずもなくということがあって。よく観てると、京都って設定されたとかじゃない漠然とした 気を計画で作るような事があったことが分かって来たんです

佐藤:それはいつ頃の話ですか
渡辺:最初からですね、桓武天皇が平安京を建てた時からよく分かんないスペースを小さい区画でつくって置いて、そこは いじらなくって農地にしても駄目で。で、まあ許せるのは、人、死んだ人をそこに置くのは可能みたいな。何とも言えない領域をカッチリ寸法作るんですよ。

で、そういうような、狭間みたいなものを単にたまたま出来たんじゃないような事で、それが在ることで 神秘性を増すみたいな装置が結構在って。修士の研究をやりきって、そういう事が体系的に見えて来たんですが

だけど最初は、余白みたいものと自分が空き地で遊んでいたような記憶みたいなものが綯い交ぜになったような、半分エッセイみたいなようなものに成ってしまってて。 で博士過程の研究は、その空きみたいなもので、もう一個京都の中心街じゃなくって、端の方に

佐藤:辺境好きなんだな
渡辺:辺境好きなんですはい
佐藤:中心に行かないんだね

渡辺:それで、端の方の研究をして、それも昔から墓地が在ったりする領域 とても大事で。そいつが在るから中心が光みたいな領域があって。みんな中心を延長させようとしますので、京都は。それだと中心も駄目に成るよっていう話で。端を端で固めないと。真ん中もどうしようもないでしょうっていうことで。カウンター的にやっていて。

そのフレームを作って、それを誰でもこのフレームを詰めて行けばまあ、ドクター研究になるんじゃないか?って。 こんな事もやっていたんで。タイムオーバーでもう。出たのが2001年。論文書ききらずに出て来てしまったんです

佐藤:残り三年でまとまらなかったと
渡辺:まとまらなかったです。まとまる様なフレーム、目次立てを作って、先生もこれで行けるだろうって言ったですが。書く時間が持てなかったので。あと、

佐藤:
むずかしそうだな、中心と無縁の世界両方にまたがる話だから。広すぎて、網野さんの話じゃないけど無縁楽公界のような話で、無縁になるような部分を研究し、というんだから、人間が無知だったということから発生してるかも知れないし。中をカッチリするって今の話は後付なんで。論文としては難しそうだね

渡辺:
やり難かったですね、当たり前なですけど、要は中央に何か構造みたいな作るから、そういうのもが産まれて来たりしますので。今の現況が。まあ中心を一方的に延長するからって事があるから。 さっき言ったような後付みたいな事言えますけど。ただ、根源から研究していくと、かなり難しいくなって

だから、概ねドクター研究になりそうな、ギリギリのレベルみたいなフレームは作ったけれども。それを突っ込んで書き記す時間が無かったので。フレームのまま置いて出て来てしまったんですけど。

佐藤:それは大変そうだ、これからゆっくり書けばいいんじゃないの
渡辺:そうですね〜。ただ、
佐藤:それは大変な作業量になりそうだ、で論文書かずに卒業して。それでドクターは中退
渡辺:中退ですね、単位だけ取って、論文だけ出してないっていう。単に認定退学みたいな事になるんですけど。中退ですよね要は。

佐藤:それは何年ですか、
渡辺:ドクターを4年まで居たですよ。粘って。4年で出て、出たのが2001年3月に出ました。


             CDL 活動 

佐藤:今から8年前に、
渡辺:そうですね。

佐藤:卒業して今まで何をやっていたんですか
渡辺:2001年からは、設計事務所に入って修業ですね
佐藤:具体的な設計をね
渡辺:はい。それとプラスして、布野先生がですね、まちづくりタウンアーキテクト論というのを出してまして。町を面倒みる建築家という、もっと細かい単位で、ちゃんと居るべきだみたいな話のシュミレーション版を京都でやるらって、話があって。

で、それを京都を舞台に15,6大学の連合、色々担当地区をもたせつつ、シュミレーション版をやってみようと。建築家にあたいする者を京都の各研究室が、ある地区を面倒みるみたいな事をやるっていう活動を提言されて。それの 学生を面倒みる立場で、要するに運営委員長とか呼んでいたんですけど。京都CDLっていうのが在って、その委員長やってくれって言われたんで。週に1回2回はそのCDL

佐藤:布野先生としてはスターアキテクトが景観やデザインなど全体を引っ張るんじゃなくって、ホドホド建築家が一杯居てそれが全体で活動することによって建築の質を向上させるという、企てイメージがあったと。 それを実験的にやったと

渡辺:それを建築家に当たるものを、研究室に読み替えてやってみようか
佐藤:雑用係じゃないかそれは、
渡辺:事務局の会計的なことは僕はさすがに先生も出来ると思わなかったでしょうから。学生みたいな者を引っ張る役目をやってくれって言われて。で、サザン迷惑掛けて来たこともあったので、まあそれぐらいやろうかなと当面やってくれって最初言われたから。1,2年やってあと次の人にバトンタッチしようかと。思っていたら。 2006年ぐらいまで続きまして。結局最後まで僕がそれをやるはめに成って。

佐藤:
とうことは5年間びつちりやっちゃったと。
渡辺:5年6年やりました

佐藤:
その話 面白そうなんで、結果はどうなったですか
渡辺:最初何となく面白そうな事もあるから、参加大学も半端じゃなくって、多かったんです。でこれはまあ、凄い話題に成るからというような話が有って。有ったんですけれども、何だろう。京都でまず

佐藤:話題になったんでしょう
渡辺話題には成っていたんですよ、機関誌とかも出してたりとかして。
佐藤:インターネットは無かったんですか
渡辺:インターネットもありますから、ホームページとかもやっていたんですが、ただ何だろうな、布野先生が諸々事情があったせいで、行政とかとは関係なくやりたいという思いがあったりとか、そういうような事をやっていると、京都は京都の論理みたいなものが有って。で、どうもあんまり市の方と関係なくやってたものだから、こっちもサポートしないし、どちらかと言うと煙たがるみたいな状況であったりとかがあって。

でかつ先生、市との繋がり強い先生が多いからあの活動はあんまりな?とか引く処も増えて来て。で、まあ

佐藤:手法を間違えたんだな
渡辺:そうなんですね。だから、割となんか単なる任意団体で、好きな人らがやっているみたいな事になって。それで、団体で
佐藤:理念は良かったんだけど社会化するときの手法が拙いと 実社会や行政との関係を構築しなかったのでまずかったと

渡辺:
そうですね、そういう事とかもあったりとか。で、正直言うと僕自身が、いわゆる、町でワークショップしてまちづくりをするとか、全然好きじゃないタイプ
佐藤:今 凄い数だよね、方々でやっているけどね、仕分けされそうだが
渡辺:そうです、あれ好きじゃないんですよ僕

佐藤:仕事へらす発言じゃん 何で
渡辺:なんか嫌なんですね。参加してどうのって、いわゆる幼稚園のお遊戯みたいな事やることで団結を深めるみたいな、馬鹿にされている気がするんで。やるほうも嫌やし、やらされのも嫌でっていうことで。僕自身のまちづくり嫌いみたいなもが有るのに僕に運営委員長させたこ事もあって

だから何とも言えない変なマニアックな動きなので。僕自身が学生を具体的に引っ張ってたので、ちょっとずつ布野先生の思惑と関係ない方面にいく

佐藤:
それでよく5,6年続いたね〜

渡辺:続きましたね〜意地があったんでホトホト疲れてしまって。それもあって最後はちっちゃくなりながらも 機関誌ちゃんと1年に一回出して、全部発送してたので。だから余所の大学に行くと、あの団体凄いねと騙しきって終わりましたけど。最後5,6人でやってましたね。やたら一杯居るように見せかけて、5,6人でやってたははははは

佐藤:そうか

渡辺:最後6年目やったとき 先生たち応援してくれてる先生5,6人は居てくれてので当の布野先生が逃げ腰になってて。僕一人でやってた感じになっていたので。
佐藤:異なる領域と連携すること 建築関係者は下手くそ、才能無いように思える
渡辺:はいはい
佐藤:その体質がモロに出てしまって、理念は他領域を越えていくようなんだけど自分の身体や手法が越えていかない、だめで孤立化を促進して行くみたいな話はよく出会うよね
渡辺:そうですね
佐藤:そんな状況下でも なお粉飾して意地でやり通して、

渡辺:
そうですね、機関誌とかも普通にジュンク堂で売っているような状態で持ち込んでいるんで。機関誌128頁もあって、えらい分厚いし。なんかえらく充実してように見せかけたんですよ
佐藤:ふふふふ

渡辺:実質は執筆者は5,6人で、ペンネーム使って滅茶苦茶一杯書いているははははははははは(豪快に笑う)最後はそんな状態だったんで。
佐藤:で一応印刷媒体が残っているんだ

渡辺:残ってます。今でも若干ありますよ
佐藤:あ、そうなんだ
渡辺:ここらへんに、(がさごそガサ さがし始める) 何冊か、これとか。
佐藤:一冊もらっていいですか
渡辺:どうぞどうぞ。それは良い出来のものじゃなので。これがラストのやつですね

佐藤:これももらっていいですか
渡辺:どうぞ
佐藤:サインに入りで
渡辺:はいははは
佐藤:見せかけたやつに

渡辺:これ6号で最後で一番見せかけていたやつ
佐藤:ふふふふ、見せかけを今暴いて記録すると
渡辺:もういいかな〜と思って、今暴いても

佐藤:すべて一人じゃないんでしょう
渡辺:そんな事はないです、4,5人やる気の有る子が中心で必死漕いでつくっていたんで。

佐藤:お金が掛かるじゃない
渡辺:そうなんですよ、スポンサーも付いてたんですね。CDLには。1個の不動産屋さんがスポンサーだったんですが、3年目の時に引きますって。スポンサーが引いて、やめるっていうのは余りにもお粗末なので。その後どうするんだという時に、これ自体を応援してくれるって言う人から1年何円と会費みたいなもの取って。それの合計でなんとか出そうと。

佐藤:これでも100万ぐらいは掛かるんじゃなの
渡辺:55万ぐらいですかね。それで
佐藤:安いね
渡辺:全部レイアウトとかも込みでほとんど最後出版する処までは全部自分たちでやっているので、

佐藤:印刷と紙・製本代ぐらいだと。一応メディアを作った自分たちでね。
渡辺:それを守らないと。精一杯でした。
佐藤:まち作っている場合じゃない 雑誌つくりで精は尽きたと
渡辺:そうですね。布野先生は割と雑誌作りはものすごくプロなので、それもあって。その手の事は上手く行くっていうのが有るんですよ。

佐藤:これがあることで記録になるから 凄いよな〜
渡辺:そうなんですよ

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