2009年12月10〜13日じゅっくりの会in京都 記録     home  

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11日  柳原照弘の この1年   工芸繊維大講義      デザインイースト 00 を語る  

12日  渡辺菊眞さんに聞く   鼎談 アガカーン賞の王路 (森田一弥・渡辺菊眞・江崎貴洋)
     松岡聡さんに聞く    
工繊大3年生・浅野翔さんに聞く

 渡辺菊眞さんに聞く 2009年12月12日 曇り 奈良県西大寺駅そば事務所

 その01 その02 その03 その04 その05 その06 その07


  その05

佐藤:これが最後で2005年、2006年か
渡辺:2006年ですね、

佐藤:これは手書きで かっこいいサインください。自分の趣味がでてるんじゃない
渡辺:そういうのが好きな後輩が居て彼もそういうの好きなんでしょうねたぶん。

佐藤:
最初は何人ぐらいで、最後は5,6人だったということですが、日付書いてくれますか
渡辺:これを出したときの、今のでいいですよね
佐藤:今ので、はいありがとうございました

渡辺:最初は中心になる幹事会には多いときでも4,50人、30人ぐらいが居て。あと幹事の人に学生たちがそれぞれの幹事に10人ぐらい付いてというような感じだから

佐藤:
凄く多いね
渡辺:だから300人ぐらいは居ましたね。最初
佐藤:それだと、どこで何が起きているか分からないね
渡辺:全然分からないですね。あと布野先生のアイディアとしては大学の研究室っていうのは、いつまでも在るから継続的に調査とか提案出来るはずだという事だったんですが。

ただ学生そのものは4年で居なくなったりするので。引き継ぎが全然出来たなかったりとかするから。また1から同じ事を説明したりとか。

あと先輩がやっていたことと同じしたくないって普通思うじゃないですか。というのもあってそいう意味でも難しかったですね。

佐藤:
独立建築家になりたい人人だったら 思うね
渡辺:そんな事なんで!しなきゃいけなんだ?って事になるので。その気持ちは痛いほど解るんでやれとは言いにくい、っていうのがあって。

てなるときに個人で居てもやりがいのあるようなものが、仕組みだとか。イベント考えざるを得なくなって。地区型の住宅の設計競技みたいな、風景を観て歩いて、そこにフィットするような新しい住空間提案しようと。コンペを作ったりだとか。あとは美大の子達は調査も嫌いっていうので。その子たちは地区を、ある地域風景を背景にしたような、変なドラマ仕立てのビデオ。それでもいいよって。

佐藤:作品をつくりたいんだからね
渡辺:だから、その気持ちは非常に分かるので。僕も実はそっち寄りだったので。気分としては。

だから、そういうのを発揮出来るようなものと、発表できる場みたいなのを頑張って作ってたんですが。そっちに関する配慮とかに僕もエネルギーくだき過ぎて、あんまり組織をまとめるような事の方まで手が回り切らないこともあったから。

で、まあ布野先生盛んに色々苦情を言っていたわけですけど、けど、まあ、あるときから向こうも言わなくなって来て。こっちは思うようにやってると。いわゆる単なるワークショップが好きな人達は、ぜんぜんしないじゃないかみたいな事になって。離れていったりするし。

まず僕一人が運営委員長というのもおかしくって。あんな300人居るような人の代表として意見なんてちょっと言えないなというのがあって。けどまあ個人としてそれを殺してやり続けるのもなかなかおかしな事に成るから。折り合え付けながらギリギリやっていると、そうなっていった感じなんですけど。

佐藤:まちづくりって建築家には不得意、その原因がそこにあるんだよね
渡辺:うんうん、ありますね
佐藤:やっぱり作品を作りたいていう欲望が先にあるので、大勢の中から普遍性のあるものを見出して活動して行くっていのはベクトルが違うので。絵描きさんでもアーテストでも内向きになっちゃうんだよね。

渡辺:うんうん
佐藤:まちづくりって 内向きではなかなか成らないからね。建築つくってれば町作れるだろうっていう誤解があるけど。建築家はまちづくりプランナーには不向きなんだよね。そういうおかしな誤配された状況は今でも続いているよね。まちづくりだと 今時の建築家が出てきたりして、そうじゃなくってもうちょっと得体の知れない、形の無い主体をもったような人間が登場して つないでいけばいいんだけど。今時の建築家はそうい体質もっている人が居ないといいってもいいのでね

建築家だとどうしても形をつくることに目が走っていきがちだからね。でも良い無駄飯喰ったね6年間ね

渡辺:そうですね、だからそれと
佐藤:建築つくるのじゃなくって組織を作るってことだから すごい勉強になるよね
渡辺なりますね
佐藤:なんなんだこの社会性の無い人の集まりはと
渡辺:そうですね、行っていた事務所では もともと そういうな当たりの事しないっていう中で。CDLと設計事務所での設計修業とほぼ五分五分でやっていたんですけど。

キツイというか、けっこう何とも言えない!密度の6年間でしたね

佐藤:ということは2007年までですね
渡辺:2007年までです

佐藤:まだ、たった2年しか経ってないんだね、何時からですか高知大学に行かれたのは
渡辺:高知は今年からなので
佐藤:ちょっとここで休憩タイムです 
渡辺:はい 
                 1:05:52


     インド で作る

佐藤:まちづくりのようなCDLが終わって、土嚢建築をつくっていると森田さんから聞いたですけど、何も知らないので教えてください 。土嚢建築からアフリカやヨルダンで作られた建築の話しにいきたいですけども。

渡辺:もう事務所の修行時と平行なですね、渡辺豊和建築工房なので。そこに入った時に、渡辺豊和と知り合いの天理大学の先生が、インドでもの凄い大震災があった。という話があって。その復興支援を建築家として入って欲しいって話があって。で、その時にですね、本当は土嚢で作る建築っていうのはカリフォルニアに居る建築家の方が既に開発してて。耐震実験とかもやっていて、かなり性能が良いと、話が有ったので。、天理大の先生最初。英語ぺらぺらの先生なんで、アメリカに行って、打診しに行ったらしいんですよ

(絵 菊眞さんhpより以下同じ)

そしたら、話は分かるけど、俺はカリフォルニアから出たくないみたいな事を言ったので、だったらその技術を誰か建築をやっている人に学ばせて、その人がインドへ行くのは構わないか?って聞いたら、それは別に構わないと

その人が言ったので、で知り合いだった渡辺豊和に「やってくれないか」と「俺はもう年だから土嚢なんて積まね〜よ」みたいな話になって。「今、息子が来ているからあいつはするかもしれない」と。で話を聞いたときに僕はそれをやってみたいと思って。「じゃあ僕がやります」と。

その井上さんていう先生に。カリフォルニアまで行って、視察して、でそれでインドに、視察して実験的に作ってみたら分かったんで。

佐藤:災害復興、仮設っていうのか、そういう住宅を造ろうという話からだったんだ
渡辺:そうだったんです。それが切っ掛けだったっですね。
佐藤:それは何年ぐらいの話ですか

渡辺:2001年です
佐藤:京都CDLもやってる時じゃん
渡辺:そうです、そうなんですよ。これやって土嚢を始めてみたいなのがあって
佐藤:三色建築家のような感じでね

渡辺:
そうですね。だから、今はもうある程度 統合出来るようになりましたけど、分立してまいた、2001の頃は。これ(CDL)もこれとして、考えてましたしたんで事務所の修業は修業でやっててでそれで受けた土嚢の話は土嚢でっていう、何か三つがあまりちゃんと重ならなかったんで。基本的に凄く分裂して引き裂かれる感じで

佐藤:
統合力 ないから、 しんどいよね
渡辺:しんどいかったですね〜。はい。
佐藤:最初の振り出しに戻るみたいなもんだからね
渡辺:ふふふふふふ、振り出しに戻るみたいなははは

佐藤:
いつもそういう状況に追い込まれてるんだね
渡辺:そうですね、何か割とそうですね。あともう一つは一応うんと、やりますと言うことは、何となく流すとか嫌なのでどれも一応全力でちゃんとやって。何か自分が苦手と思っているような分野でも、苦手じゃなく意味がある事に持ち込もうと思うんで。 けっこう全力でやるですよ。そしたらシンドくなるのは当たり前なんですけど。

佐藤:そこでカリフォルニアに行って 直伝してもらい、これを世界に普及していいぞとお墨付きをいただいて。特許とっているんですか
渡辺:取っていると思います。ただ、色んな弟子たちをそこも教えているので、あんまり構わないっていう感じだったです。行っても展開出来ないんじゃないかという思いもあったかもしれません。  それでまずインドに行って。

佐藤:
インド広いですけどどこへ行かれたんですか
渡辺:西インドの、グジャラート州という、アーメダバードとかが首都である所ですね。その近隣のパキスタン国境に近い田舎町なんですけど。
佐藤:そこへ行って土嚢をつんだ

渡辺:土嚢積みましたね
佐藤:設計施工なんだ
渡辺:そうです、基本的に土嚢は設計施工ですね、設計だけっていうことは無いです。

佐藤:虫採り少年が土嚢遊び青年に変わるわけだ、建築とも繋がっているし、すごいワイルドな感じに成長し。一番最初の土嚢建築はアフリカでなくってインドでしたか
渡辺:インドでした


     NGO ヨルダンで作る 
     ヨルダン南シューナ地区コミュニティセンター

佐藤:そこからアフリカまで行ってしまった話をお願いします

渡辺:だからインドでやって来た事とかをとりあえず、HPとかでこういう事をやりました。写真若干載ってます。沢山ではないですけど、それを見たNGO。天理大学との共同がその後も続くんですけど。

佐藤:天理大学と菊眞さんが共同でやっている
渡辺:それが割とあってインドとアフリカはそうです。ただ天理大学で基本的にやっているのが井上さんという教授の方だけなので。大学としてもなぜか乗り気じゃない事があるから。井上さんもこの業務、かなり高齢の方なんですよ。であの大学やる気が無いからっていうことで。お前のところに渡すわ!みたいな事に今なっているんですけども。

ただアフリカとか先鞭付けたのは天理大学の井上さんていう方なので。その中で一緒にやって来てて。

ヨルダンの方は、土嚢のWEBとかに載っているのを見た京都NGOの人が今中東で色々やっているから、そこでも土嚢を使った建物ので色んな支援をして欲しいって話があって

 二本立てみたいな感じで、そのNGOから来るお話しと、元々あったやつと。

佐藤:元々あった土嚢話は資金切れになりそうだね
渡辺:そうですね。
佐藤:自腹プロジェクトになるかもしれなね
渡辺自腹プロジェクトになる時もあると思います。だから後は今行っている高知の大学で、そのての事は意味があるからって事をちゃんと啓発して、で科研費なんか取りながらだと出来ると思うんで。そいう事でやって行くのを、あと何年後かはそうしようと思っているんですが。しばらくは自腹プロジェクトみたいな状態があるかなと。

佐藤:政府が支援する可能性はあるよね
渡辺:はい
佐藤:ロビー活動とかしてないんだろうから、政治とつなぎ役がいないから、自腹になっているんだろいけど、宙ぶらりんな状況にあると。

NGOの人達は資金を集めて、この場所にこういうプロジェクトを実行してくれと言う話なので、そちらは継続していきそうだね

渡辺:そうですね
佐藤:そちらに吸収されていくのかな
渡辺:それも、日本のNGOはやっぱりなかなか大変というか。あまり大きな枠で色々やれない感じなので。

佐藤:派遣村村長の湯浅さんの話を文字に起こしたんだけど 彼らは世界中の団体や企業がそういう活動にお金を出すそうで、そこに申し込こみ活動資金を得ているそうです。そこで得た資金で活動してるって話していたけど。そうい資金集めは行っていないんでしょう
渡辺:そうですね、はい
佐藤:企業が社会に対する福祉活動のような方面に利益を還元して行く会社じゃないと商品と企業は支持されないような雰囲気があるようで、大企業になればなるほど。そいう方面にお金をだなさいと、製品を買ってもらえなくなる。社会貢献しているという実績が企業の価値になっている。そういう活動をするのが企業の義務であるような。

菊眞さんは今資金集めるって部位が抜けているということで、今後参加支援してくれる人が現れるかもしれないと

渡辺:
そうですね
佐藤:建築家は活動家じゃないから作る方に体重が移動してしまうよね
渡辺:そうですね

佐藤:自己完結型になりがちだと
渡辺:それはありますね。だからそいうことを見ている、映像やっている作家の方が、ちょっとそういう様なこ事の広報というか、アッピールしないとキツイでしょうという話が有って。だからこの事務所とかの、そういった事。やっているものは多いから。建っているものも在ったりするので。そういったものを編んでCMみたいなものを作りますと。それは別に高いお金じゃなくって、NPOとして映像を作ることで支援出来るっていう活動されている映画監督の方がおられて。「あんたらのそれは作ってあげるよ」みたいな話をしてたから。

佐藤:ドキュメンタリー映画のようなのが出来るといいよね
渡辺:そういうもので、今台本を作ってくれって言われてて。台本を作りながら、直ぐ出来るので、すぐ出したいですけど。
佐藤:とりあえず映像とって台本作っても良いしね、ドキュメンタリーって大筋どんどん撮りながら変わるもんだから
渡辺:そうですね。それは近い内お渡しするんで、その方に。だからたぶん作っていただけると思うんですけど。

佐藤:組織化が下手だっていうことだよね、建築家は。そういうプロジェクトにど真ん中に居る人間ではないんで、一人のスタッフなんだけど。真ん中に行ってしまうんだね今はね。そこで自腹になったり、シンドさが増してやめてしまう形になるから。全体の一員にしてくれる役割の人が居れば、威力が増しそうなんだけどね。

渡辺:こないだ行ったときに、むこうのウガンダの方の大学とか訪ねて今後色々やって行きたいねって話はしているので。繋がってはいけそうですけど。やっぱりファンドみたいなもの無いと、長くは続かないので、それはどうにかしようなと

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