2009年12月10〜13日じゅっくりの会in京都 記録     home  

10日 駅から  えいぞうさんの家体験記  えいぞうさん父を語る えいぞう・きみこさん新居を語る

11日  柳原照弘の この1年   工芸繊維大講義      デザインイースト 00 を語る  

12日  渡辺菊眞さんに聞く   鼎談 アガカーン賞の王路 (森田一弥・渡辺菊眞・江崎貴洋)
     松岡聡さんに聞く    
工繊大3年生・浅野翔さんに聞く

 渡辺菊眞さんに聞く 2009年12月12日 曇り 奈良県西大寺駅そば事務所

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 その07

       準教授に 高知工科大学に赴任

渡辺:勝手にもう、その頃資格も無い時代だったんですよ、一級建築士わりと最近とったんですけど。無いけれども、修業もいい加減いいだろうと。勝手に思ってて。で渡辺豊和の方は「資格取らないと独立だめだ」とか言っていたんですけど。

そうも言ってられないと。任意団体でいいから、独立したいと思っていて。勝手にD研究所立ち上げたんですね 2007年1月1日よく分かんない日に立ち上げたんですけど。ははははは任意団体だから自分が「立ち上げた」と言えば良い話でしょうって事で。

佐藤:そうだよね。一人研究所みたいなことではじめたと
渡辺:そうです。それをやっていて。気分の問題で修業してると思っていると、駄目なんですよ。自分が代表じゃないので。何となくそれを背負って立つっていう気持ちにもならないしっていうのがあって。で、独立して土嚢のやつとかも、もうちょっと自覚的にやとうと思ってた時期に、ヨルダンの事とか、ウガンダの話が具体的に動く時期と重なったので。

やっていると。けっこうユニークな事をしてるな!っていうことには成っていたことがあって。

今行った大学は、デザインを出来る人と、かつ講義がちゃんと出来る人。単に建築の設計だけじゃなくって、講義、ちゃんと論理が出来る人。でユニークな事やっている人みたいなのとかく欲しいみいたな事を言ってて、求人を出してたみたいで。

佐藤:知らなかったと
渡辺:そうですね、それは知らず、それで色んな方たちに聞いたらこういうのが居るぞと言う話があって。
佐藤:白羽の矢が立ったんだ
渡辺:ぜひみたいな感じ、まず会いに来られて。大学の方が。面白そうだと。で、もう来てくれみたいな。ことがピュット成ったんですね。僕自身もそんな事は考えずに独立した時は事務所の事しか考えてなかったので。ぽっとそういう話が来て、まあじゃ行きますと。


佐藤:どうですか1年教えてみて
渡辺:ちょうど1年終わろうかと、4月からですから。8ヶ月ぐらいなんですけど。
佐藤:大学で教えるってことはどうですか?
渡辺:非常勤みたいなことは10年ぐらいやっていたので。それは、最初は京都造形芸大、その後大阪市立大学で教えてたので。それは割と慣れている環境だったんですけど、常駐で行っているのと、非常勤でだいぶん違うので。

一個思ったのは、田舎だと、まずそこに居る子たちが自分たちの居る場所に関して端からマイナーな意識を持ってる子が多いのがまず問題で。一旦、中央的な処みたいなものに憧れるステップをまず持つので。それ、まあ仕方ないと思いながらも、何かそうじゃない。

佐藤:情報の流れも教育も140年間 中央集権型だから
渡辺:だからそれが嫌だったので、自分たちが居る処を中心に考えるって話をまずして。そしたらやっぱり、ほんまそう在りたいと思っている子が何人か居たので。その子達とかを軸に職も就職とかじゃなく、自分で職ぐらい作ろうよ!みたいな事になりつつあって。

佐藤:仕事を発明しちゃうわけだね
渡辺:そうですね。それで成ると。別に東京へ行かなくっていいでしょう
佐藤:まちづくりっぽいね
渡辺:そうなです、逆にそっちの方が、京都に居るときは嫌で嫌でたまらんかったんですけど
佐藤:はあはははは
渡辺:結局アフリカとかヨルダン行っているときも、まちづくりっぽい事やっているですよ。
佐藤:そうだよな

渡辺:
ああいう所だったらまだ良いと思った。京都でやるのゴメンだがって。意識がちゃんとある中で。例えばヨルダンとなると時もその人たちがどうにかしたいと思ってる中で 単に専門家として入っているので、結果的にまちづくりぽく成るんですけれども。いわゆる端からまちづくりみたいなものをやる人として、京都とかに入ってワークショップとかするって何か違う気がするんです。その違いが大きくって

佐藤:そこを共有できるような言葉に 直してくれる人が要るねと。まちづくりも違う展開の一つが出来ると思うね。商売とか銭とか絡んでしまうと 多くの人が違和感もってスムーズに乗れない状況だと思うので。頼んだ方もまあ地に根張ってないし無駄だろうと。口には出さないけれど
渡辺そうなんです
佐藤:補助金こなし消化みたいなことになってしまう可能性もあるよね。卒業設計のテーマ、自殺の名称を鵜呑みにして観光地化し発展する、その欺瞞を暴く態度と繋がって来てるよね。欺瞞なき共有意志を模索してもらい、お互いに有効な行為を発明してくれていけばね。問題の核心は分かってるわけだからね。

渡辺はい
佐藤:情報で売る商売人とは異なる生き方を捜すと。 いいことだな〜。とりあえずまだ8ヶ月だけど、自分たち地力で生き続ける 高知で仕事を発明して生活を作りあげていくと
渡辺:そうですね。あと実際どこの町もそうかもしれませんけれど。高知も高知市じゃなく四万十とか西の方だと良い村が在るんだけれども。もう小学生は1人みたいな村が在って。空き屋とか凄い多くって、かつ高知の人は外部の人が嫌いじゃないような処があるので、そういう処 出身の子とか居るので。そういう所に入って色んな事を住みつづけながら、

佐藤:限界集落もとおに過ぎて、小学生一人のような村が
渡辺ありますねそれで、そんなような所に入って、大学が在る処はサポートしたり補修とかしながら、農業はお爺ちゃんに教えてもらいつつやって行くと若者が必要な時絶対 有るでしょうから。そういう所でちゃんと自分らが生きて行けたら別に貨幣を稼がなくってもいいでしょう。

佐藤:
年齢を混ぜてしまい 楽しく暮らせる方法を発明してしまえばね
渡辺:楽しく生きていける事の方がいいんじゃないかって話を言ったら「そいう事したいです」って子が1,2人出て。

佐藤:そうだよね貨幣稼いで富を手に入れてからどうなるの?って事が語られないでよね。集めてそれで、仕合わせなの?って。色々理屈は言うけど仕合わせに思えない暮らしぶりが多い。ぴんと来ないワカラン暮らし方多いよね
渡辺:はいはい

佐藤:
自分たちの日々の生活が 当たり前に出来てない 浮いているように感じて、当たり前の生活が出来て対話も成り立てばいいよ。単純でいいと思うけど、理屈は言うけど楽しそうじゃない。ためになるけど面白くない暮らしが多い。極め尽くしたけど孤独になってしまた暮らし方。なんだそれって?みたな空気があるよね

渡辺:そういう事が高知にありえそうなのと。あと能力がすごく有る子でも企業みたいな所に入ってしまうと明らかに潰れるだろうという子も居てて。ただそういう人は苦じゃないし、そういう所で世話しながら、トンカンしてうるのが向いているような子が結構いたりするので。

そしたら別に貨幣なんて、喰うものがちゃんと有って、自分で作れるのだったら別に大して金は要らないでしょうし。それでやれてしかも、自分が好きな大工仕事みたいなのをやって、生きれるんだったら。そっちの方がいいじゃないって。

佐藤:近代がいよいよ変わる、移行期に突入したからね。近世に揺れ戻るのか、どうい社会になっていくのか、そういう動きに成っているよね。健康とか安全とか環境とかもあるね。国境を越えて話し合わないと解決できない。大きなテーマになっていて近代の国民国家制度では持続しきれないように成ってきたからね。持続可能な社会をどうつくるかと極当たり前の事が まともに出来るようにしなければならなくなっている
渡辺:そうです

佐藤:ナンバーワンは建築家を作ることの意味が薄れてしまって来て、ほどほど建築家が沢山いて緩やかに連携し誇りを持って生きられれば社会はよく動くと。人間の安全保障のような 肌理の細かな話になっていくよね

渡辺:
地方にある大学って地域貢献がどうのこうのって言ってますけれども。結局なんかにゃかにゃと言って就職率がどう?みたいな話でアピールしようとするので。田舎の大学がその手の就職率9割なんぼとか言ったところで、そこでしか出来ないような生き方みたいなものを、事態をつくり出すような状態をサポートするような事の方 が意味があるしょう。 

ときたま田舎の方に行って大学の先生がレクチャーするのはほとんど意味が無いので、それよりは何かやりたい学生がそこに行って生きていくほうが、よっぽど地域貢献というか、ちゃんとした事になるんじゃないかなと思って。

佐藤:実験的な 子育てしているみたいものだ ふふふふ
渡辺:基本的に実験的な状態が何か好きなんでしょうから
佐藤:ちょうど良い時期だよね、そいう場所で活動するのは 近代のシステムが末端で壊れててしまった時期だから。そういう時にでも人間は生きていかなきゃいけないからね。新しい仕事を発明したり、暮らしと人間関係を発明したりしないと 新しいものを産みださないと、生まれないと死ぬ。知らず知らずに まちづくり嫌いな者が人間作りに突っ込んでいて  まちづくりになっていくと。地域作りになっていくよね

渡辺そうですねあんまり、そんなの意識してなかったですけどふふふ、一個あるのはヨルダンに行って、アフリカのどこかに行ってても。何か基本的に四万十に行くのとあんまり変わらないんですよね。要は僕自身は日本人とかっていう事が有ったにしても、地球はどこへ行ってもある地域なんで。
佐藤:適応能力高いかも

渡辺:
もともと奈良生まれですけど両親が奈良と関係無い人だったので。だから目の前に在る場所で何をするか?っていつも自分で考えて楽しまないと、しがらみみたいなものが無い場所なんです。ここも。

だからどこでも意識変わらないんですよ。ヨルダンに行こうがアフリカに行こうが、高知の僻地に行こうが。何か目の前に在るものをじーっと観て。じゃあここやったらこうしようかという処から始まるような、思考回路が出来てるんでしょうね

佐藤:ということは子供の時に産まれた地域に馴染めないっていうか?。そういうのが元々あった、他者を受け入れない地域だったんですか、排他的だったのかな
渡辺:排他的です

佐藤:そこれを体験することによってどこに行っても誰とでも適応できる人間が生まれるっていうのは、面白い話だね
渡辺:そうですね、だから当たり前なんですけど。とくに田原本は古い農村が一杯あったので僕らは新興住宅地だったから、川向こうの子らんなんかと遊ぶな!みたいなことを村の子たちは言われるので。それで、そういうのも子供どうしだから、仲良くなったりしますよね。

ただ、家にもよりますけど、行ったらあからさまに、その子が来たって感じで、嫌な顔しますよ。そういうの敏感に感じるような事が有ったので。

凄い嫌だったですけど、コミュニティーが強いって事はそうい事なんじゃないかなと。

やっぱり自分らを守って行くってことだから
、簡単に外部に開いてますなんて事はあり得ないだろうと。っていうのがあった事もあって。

ゆるいワークショップによるまちづくりも、基本的にあんまりピント来なかったのも、それが有って。だから根本的に、それはちょっと違うだろうと言う思いが有ったの。

佐藤:排他的ある場で、まちづくりだから受け入れるという。ダブルスンダーは成たつのかと?
渡辺:それ自体嘘だろうという思いがあったので

佐藤:だんだん菊眞さんの全体がまとまりつつあるようですね
渡辺:そうですね 


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 渡辺菊眞さんに聞く 読んできたいただきありがとうございました
 場所を京都へ移動し 09年12月12日 pm3時より
鼎談( 森田一弥+江崎貴洋+渡辺菊眞)NGO活動と建築家の役割などはなしていただいた「アガカーン賞の王路」へ続きます 

    文字起こし・文責:佐藤敏宏