2009年12月10〜13日じゅっくりの会in京都 記録     home  

10日 駅から  えいぞうさんの家体験記  えいぞうさん父を語る えいぞう・きみこさん新居を語る
11日 
 柳原照弘の この1年   工芸繊維大講義      デザインイースト 00 を語る  
12日  渡辺菊眞さんに聞く   
  鼎談 アガカーン賞の王路 (森田一弥・渡辺菊眞・江崎貴洋)
      松岡聡さんに聞く        
工繊大3年生浅野翔さんに聞く

京都工芸繊維大 3回生 浅野翔さんに聞く「もてたい!
        その01  その02  その03   

09年 じゅくりの会 in京都」はツイッターを介して作り上げられた感がある。会全体の内容と進行の決定、参加者への呼びかけ、応答は逐一ツイッター板に現れ進んだ。ツイッッターを使ったことで「09ことば悦覧in京都」の被取材者以外の方々にも参加していただくことができた。同時に初めて参加していたいだ方にはことば悦覧建築あそびが なんたるかを少し体験していただくことが出来た。

浅野翔さんもツイッッターを介して参加していただいた一人であったが 特筆すべきと言うかガス抜きというか、ツイッターの名手と呼ばれていた。その界では多少は知られた青年のようで、集いし面々の間ではすこぶる有名人であった。ことば悦覧登壇者では(3年生なので)最年少の浅野さんの記録を読んでみてください。

   その01

 阪神淡路大震災

佐藤:浅野翔(かける)さん、深夜(09年12月13日 am1時頃)ですけどよろしくお願いします
浅野よろしくお願いします

佐藤:浅野さんの「おいたち」を聞かせてください
浅野:1987年生まれで兵庫県の西宮市で産まれました

佐藤:西宮は海沿いですか山側ですか
浅野:甲子園球場の直ぐ傍ですね、甲子園口の方です
佐藤:毎日野球観て育ったんですか

浅野:観てなかったです、僕二歳までしか住んでなかったです、そこで名古屋に引っ越して
佐藤:名古屋はどちらへ
浅野:緑区っていう所なんですけど

  会場 方々で宴ありて 賑わっている

佐藤:ベットタウンで、2歳までしか居ないから。西宮はあんまり記憶も関係がない
浅野:でも、2歳までの記憶若干あるんですよ。マンションに住んでたんですけど。そこのマンションは震災でもう崩壊!建築への興味が第一歩
佐藤:高速道路がヒックリ返ったの見てた あ、写真で見たってことか

浅野:震災一ヶ月後に家族で、祖父母は暮らしいたので、お見舞にいっていうか、どうなっているか見に行くときに。僕が行っても、何歳ですか何年まえですか。
佐藤:1995年だよ
浅野:14年前ですか、8歳ぐらいですか僕は。

佐藤:大震災あったというのは知っていたでしょう
浅野:その時は虫の知らせか分かりませんけど、たまたまメチャメチャ朝早く起きたんですよ。で親父にお前こんな時間に起き珍しいなみたいなこと言われて、喋っているうちにグラグラって来て。震度3ぐらいでしたね。ではっとテレビ付けたら。あんときは映像暗かったですね、朝方だったんで。全然映って無かったし、死傷者数ほとんど出てなかった。で、昼過ぎ ぐらいから続々と情報が出てきて。ヤバイって。電話しても繋がらない

佐藤:育ったマンションが潰れてた。
浅野完全に無くなっていた
佐藤:かわいそうに
浅野:5,6階建てだったんですけど、生存者は1人だったんですよ。でその人がたまたま、窓からぼこんと落ちたみたいな。その人、上の階の人か下の階の人か忘れたんですけど。凄く仲良くさしてもらってて、その人の飼っている猫とか、オジサンオバサンの顔とかは、ぼんゃり覚えているんですよ。オジサンが唯一助かった

佐藤:強烈やな〜
浅野:で、自分の住んでいた場所も更地でしたし、で、公園の中に仮設住宅が一杯あって。でもお爺ちゃんお祖母ちゃんが楽しくっていうか。それでも前向きに、生活してたっていうのが凄く印象的

佐藤:8,才ぐらいのときにね
浅野:小学校で募金しましょう! あったんですよ。そんとき自分の爺ちゃん婆ちゃんがすでに大変な事になっているから、募金するのもなんか、おかしいっていうか。いやいやリアルに、こっちの方は感じているんだよみたいな。名古屋だと、あんまり関西の方に居る人少ない。それが最初の建築って凄いなっていうか、建築が持っているパワーって凄かったんだな〜っていうの。人間がちゃんと暮らしているから。で、崩れたのに、仮設住宅でさえ!ちゃんとそれなりに暮らしているなっていうのが。

佐藤:それは人間の生きようとする凄さじゃないの
浅野:人間の凄さと、建築物が、仮設住宅にしろチャント生活、住めている!って感じたのが初めてでした。


  スポーツ少年


佐藤:
小学校2年生ぐらいだから、ずーっとそのことで悩んでたわけじゃないでしょう。
浅野:その時は全然、僕はサッカー少年だったので。
佐藤:サッカー少年のポジションはどこでしたか
浅野:フォワードやってました。

佐藤:得点王ですか、トップ何人だったの
浅野:2トップでしたね
佐藤:派手なポジションだ、強かったですか

浅野ははは、あまり強くなかったです。
佐藤:小学校はずーっとサッカーをやっていたんですか
浅野:季節ごとに、春から夏にかけては野球やって、冬から春にかけてはサッカーやる。野球とサッカーでしたね。野球よりサッカーの方が好きでしたね。

佐藤:中学校に行ってもサッカーですか
浅野:中学校はサッカー部が無かったですよ、で僕の先輩がサッカークラブに通っていたんですけど。あるとき高校生にいんねん付けられて、公道でボコボコニ殴られて!お金捕られるっていう事件があったんで。親が危ないと、でバスケやった。
佐藤:中学校は3年間バスケをやっていたんだ

浅野:はいそうです
佐藤:スポーツ少年だったんだ。
浅野:でもがりがりのスポーツ少年ではなかったですね。スポ根とかは、あんまりそれなに みたいな
佐藤:スラムダンクは読まないと
浅野:スラムダンクは読んでました

佐藤:高校はどうなったですか。
浅野:愛知県のずいりょう高校っていう所なですけど。
佐藤:進学高ですか

浅野:言ってしまえば進学校だったとこです。今はちょっと落ち着いている。漢字は 瑞々しいに丘陵とかの 瑞陵高校
佐藤:高校は何かやってましたか
浅野:バスケ

佐藤:ずーっとスポーツやっていたんだね
浅野:でも途中でやめちゃったんです。キャプテンと監督どうしで馬が合わなくなってしまったので。
佐藤:馬が合わないを、具体的に説明して
浅野:僕が上手くならなかったもあるんですけど、
佐藤:他人のせいにしてるんだな

かいじょう 自分の技術と監督の馬が合わないなんて関係ない

浅野:もちろんそれもありますけども、やっぱりみんなとやっていて楽しくなかったんですよ。僕は楽しくやりたかったですけど。
佐藤:スラムダンクって楽しくない根性だ〜ぜっていうマンガなんですか
浅野:スラムダンクは、根性もありますけども、根性をエンターテーメントとしてやっているんで。

かいじょう 上手いこと言うね

佐藤:
なるほど、スラムダンクのようになってないし。高校何年でやめちゃったの
浅野:2年の冬にやめましたね。
佐藤:3年生はただひたすら受験勉強ですか

浅野:受験勉強でしたね
佐藤:どこを目指したんですか
浅野:僕は元々愛知県出たかったので、愛知県おもしろくないな〜と思って なまいきにも。デザイン的にも建築的にも。
佐藤:建築の情報を知っていたわけだ
浅野:ちょいちょいカーサとかペイントハウスとか、カジュアルな建築雑誌は読んでました。

佐藤:中学生ぐらいからですか
浅野:えーと、本屋にいったら見る程度で。ファッション誌の延長で、読みみたいな感じだった
佐藤:延長でもなんでも建築の情報に触れていたと、
浅野:あと中学校の、受験面接練習みたいなのある、そのときに校長先生と喋るっていう。

かいじょうがさわがしくなる

佐藤:みなさん静して ツイッター王子の話を聞いてやってください

浅野:
校長先生が、名古屋のセントラルタワーを作った友達がいる。でそんときに色々建築の話をちょこちょこっとしてもらったんです。何をしてもらったかは覚えてないですけど。そういう話を聞いて建築って面白な〜とおもって 漠然と思ってましたね。

   京都工芸繊維大へ 
 
佐藤:どこの大学に入ろうとしてたんですか
浅野愛知県を出たかったんので、僕は祖父母が兵庫県に住んでいるので、最初は神大の建築を、建設ですか今は、目指してたんですけど、落ちてしまって

で京都工繊を友人が受けるっていうのを聞いてて、それまで工繊って名前もまったく知らなかったんですけど。建築やっているっていうか、しかも国立なのかよ!みたいな。次の年にたまたま受けようかなかと、英語が出来たですよ。たまたま出来て。国語はまったく出来なかったんで、神戸は国語がめちゃめちゃ比率が高くって。僕にはちょっと届かなかったで。英語で工繊いけるかな?みたいなんで受けましたね。

佐藤:で工繊はいったと

松岡:神戸より工繊の方がいいもんね
浅野楽しいですね 入ってみたら
佐藤:よかったね、工繊いるけど 面白そうな先生 神大いないよね

かいじょうははははは

浅野:
ちょっと僕は分からない
佐藤:大学一年生の時は、工繊ではどんな勉強をしておってですか、震災について勉強したんですか
浅野:全然してない。震災の記憶は建て物とかが、毎月建っていくなと。見てましたけど、格好いい建築とか、に対しては全然興味がなくって。春の花見の時に先輩に、建築勉強してて何したらいいですか?って言ったら。本読めって言われたんですよ。はじめに何読んだらいいですかって聞いたら、空間時間建築をお薦めされたんですけど。ヘビー過ぎて、

佐藤:わからんと
浅野:一応読んだんですけど、2,3週間かけて
佐藤:俺読んだことないので中身を教えてください
浅野:ふふふふ歴史書ですから本を読み始めた感じですね。あとは建築雑誌とか見て、見てたぐらいで。
佐藤:今日現在大学3年生だよね
浅野:はい。

佐藤:で2年生のときは何をしてましたか、
浅野2年生の時もずーっと本読んでますね、後は学校の課題が2ヶ月ごとにだいたい有るんで。
松岡:今3年生なわけ

浅野:そうです。

     パソコンに触れる 

佐藤:
ツイッター王子になっているけどパソコンはどこで関わったんですか
浅野:インターネットとかですか、僕らが中学校1,2年生ぐらいからブロードバンドが始まるんです。それまではISDNが、電話回線みたいなの。その時にインターネットが、高速通信が出来るようになって、

佐藤:PCは中学生で持っていたんですか
浅野:親が仕事で使うとかっていうので 買ってくれたんです。お爺ちゃんお祖母ちゃん、お金くれたみたいな感じでしたね。最初は富士通のウィンドーズでしたね

佐藤:インタネットでエロサイトばっか隠れて見てた
浅野:エロサイト ばっかは見てなかったですけどたまには見てましたね

かいじょうははははは

浅野:その時は2ちゃんねるでしたよ。それまでは。面白い画像とかをまとめてる2ちゃんねるにポロポロ出始めたぐらいだったんで。それを見て変な画像を見付けては、こんな面白い画像があったよとか。あとチャットが流行っり初めていた時期だったと思うんですね。
佐藤:チャットもやったんだ

浅野:ちょっとだけやってましたね。

かいじょう ニコ動っていつから

浅野:
たぶん0年代です MSNのチャットでしたねたしかそのときは。
佐藤:そのとき指王子 鍛えたの

浅野:それは関係ない

 会場 この数ヶ月の話です 

佐藤
:あそうなの、
浅野:インターネットに触れてたっていうのが、けっこ長かったかもしれないですね、あと参考書とか
佐藤:高校のときは日常的にネットは使ってたと
浅野:そうですねアマゾンとかがもうかなり、活用してましたし。普通でしたね。おもてだって「2ちゃんねるでやっていて」とは言わなかったですけど。

佐藤:学校裏サイトもとかもやっていたですか
浅野:そんなのはやってない

会場学校の先生への文句とか書いてないの

浅野:それは書いてない

会場どこに常駐してたの

浅野:ぼくたぶん、びっぷは見てたと思います。けどあんまり

佐藤:なにそれ
浅野:ニューソクビップってアホみたいな事ばっかやっている人達が楽しくやっている所なですけど。そこに面白い事を暇つぶしに見てたりとか。あとは受験勉強の学習板みたいなのがあるんです。そこ見たりとかしてましたね。ユーチューブとかもちろん有りましたし

佐藤:数年前だ 高校生だったからね 
浅野:そうです、高校2年生ぐらいでミクシーとかあったと思うですね、ちょとだけ登録してたりしたんですけど。

佐藤:ミクシーもやっているんですか
浅野:今もやってます

佐藤:ツイッターもやっているし、始めたのは何時からですか
浅野:今年(2009年)に入ってからですね
佐藤:まだ1年経ってないんだ
浅野:1年経ってないです。

佐藤:どうして早撃ち出来るようになったですか
浅野:それは慣れだと思います、藤村さんが。初回が川勝さんと僕一緒にやっていたんですよ。その時に藤村さんが、実況というのは何度もやれば、何度もやるだけ上手くなるから、懲りずにやりなさいっていう。
佐藤:藤村さんに焚きつけられたってことですか

浅野:いやその前に、夜学校の実況とか。
佐藤:夜学校ってなんだっけ、ああ学会のね
浅野:東京とか、あとポムさんの桂さんが、扉プロジェクトの実況とかやってたのを見て。

 15:06

 その02へ