大島哲蔵さんからの便り 1998年   HOMへ
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1998年3月6日以前

財布東京駅に出てきました。失した多くの名刺の人たちとは縁が無いと思いましたが、そうでもないようです。 

白河の若い市議会議員のかたら連絡があり、中学校の件で話あうことになりました。 教育委員会は「佐藤の私欲で混乱させられ、土地の取得が出来ないのだ」仕事をやらせないから売ってくれないのだということになっているのだそうです。市議会の 専門委員会での発言も求めらそうなので楽しみです。

ワタナベさんは俺の名前を前面に押し出さないからうまくいかんし、コンペはいかん、と勘違いしていまして、苦笑しました。いつも元気で自信家で大変羨ましいと思いました。どうも私は建築家として肝心なところを欠いているようです。

今日は思っていなかったことが2つほど起こり一寸 幸福な気分です。box13(設計中で混乱してるようでbox12の間違い)の玄関からは山々に沈む直前の夕日が差してきて
(鉄八手が黄金色に)一瞬輝くのは浄土寺(浄土堂)からのメッセージなのかな。なんてノー天気にも思ってしまいます。

box13(12の誤り)はこんな風に考えました。 奥羽山脈から吹き出した風が新幹線の柱脚(橋脚)に当たりカルマン渦が(例のモンジュを、原子力行政をめちゃめちゃにした小さな渦)かルマン発生し、祓川の上を通り過ぎるとボロボロの貝に成る。全体が渦のような形と貝の合成です

信夫山は福島盆地にある聖なる山なのですが、馬鹿者がトンネルを掘り、祓川を埋めたてているのです。

(スケッチあり) 山々の 雪そぞろにて 帰りじたく    (乖離支度)

体調が悪いときはなにかと不調になるますから無理をせず休養ください。一日一回怒りましょう!とは寺山修司の名言ですが そうとばかりもいきません。

ミヤジマ君は若くて整いすぎているので、将来性はどうなんでしょうか。よある早見えっていうやつではないでしょうか。完成しすぎているのは組織のせいかもしれませんが魅力に欠けます。うまくはナルだろうが魅力とはどこかで鈍で破れている。狂っている。ものです。そしてわけの判らんもの。

実見してないので間違いかもしれませんが・・。今度見てから彼に話します。
(横書きで追加)
今日の怒りタマオキっていう建築家、がバカな住宅を 作って自信を持っているので、私はあきれを通りこし 怒りを感じました。(いかてない)講評会でバカな発言をしていた。完璧ですねと褒め称えた。

 
1998ー3ー7−9:28

財布が出た来たそうでよかったです。 あれから成安造形大の卒業制作展やワタナベキクマ展などをみることができました。前者は去年も呼ばれたのですが今年もなかなか好調でした。才能のある子は必ず何人か居ます。みながすくすくと育つ状況にはありませんので、その才能を伸ばすことができるのはほんの少しです。ほかの子もそうだと思うと「厳しいなぁー」とつくづく思ってしまいます。まだ手前勝手な話になりますが、自分も世界的に重要なことをしているはずだったのですが、10万単位の金で苦労ばかりしてるのですから、一寸先は闇です。

キクマはなかなかよくやっていました。期待以上でした。なにか切っ掛けをつかむことができればどんどん充実できるやつです。おやと同じで明るく物怖じしないのでおだてに乗るし、周囲の人間を巻き込んで使う術にもたけています。ドーケやミヤジマも良い刺激を受けたようです。

 文化の戦争と建築の特集号の文章を送りました。担当者が「なかなかよかった」と感想を伝えてくれたので、ホットしています。出来るのがたのしみです。京大の博士課程にいっている田中くんという学生(キクマの友人)が私の文書を読んでくて愛好していてくれたことを知り、ますます気分をよくしています。彼が言うには「ぜひ単行本を出してほしい」とのこと、客観的に言っても時期なのだなと思いますので、考えてみたいとおもっています。

死ぬまでには最低2〜3冊は本を出しておきたいです。訳が一人前になってから・・と考えてましたが、最低合格ラインには達したように思ってます。

多くの才能溢れる人から就職先の相談をうけているのですが、ほとんど求人はありません。なんと情けない社会なのでしょうか。バカな会社はいくらでも・・学生を吸収しているというのに。民主主義というのはそういうものなのでしょうか。その構造の維持にあたるのが、東大に進んだ一部の連中というわけです。怒りを通り過ぎて笑えてきますね。委員会出席はいかがでしたが。どうせロクナ会ではないのでしょうが、懇切丁寧に説明しておどかしてやってほしいと思います。
時代は変わって田舎政治家の出る幕ではないことを切実に教えてやらねばなりません。
      大島



1998ー3−13ー 21:34

佐藤様
 大変興味深いことになりましたね。中学校建設の裏で進行していたうしろめたいやり方が再検討に付された、一寸した事件だと思いました。おっしゃる通り、物理的には設計するより施設の生命を決するプロセスに介入出来るような事態の第一段階という感じです。委員会によいリーダー2〜3人でも居たら、真に有意義なことに結びつけていけると思われますが、そういう人が居なかったからこそ、こんなことにどこでもなったいるわけで、見かけ上良い意見を吐いていてもいつ寝返るか脱落するか分かったものではなく、基本的に信用できません。

前向きな話になっていて、最終的に従来型の決着を図ってしまうのがパターンですから気をつけてください。最後まで「表向きは優しくし丁寧にユーモアーを持って、要所は厳正、非妥協的に」というのが正解だと思います

また様子をみて単なる奉仕ではなく、指導フィーや基本文章作成料も取るべきです。設計意図は一切なくても良いから、原則を整理してまとめるのです。物理的な形を一切描かない建築家(真の)がそこで登場成立するわけです。(100万ぐらいの予算があれば一緒に作りましょう)本の代金は何時でも結構です。こんな景気の悪い時にちょくちょく本の注文をいただいて本当に助かります。

体調不良な時だけに気弱になってしまい、名古屋の店の存廃も本気で考えています。50までは週一回の往復が気にならなかったのですが、今はそれもおかしくなってきました。単なる花粉症なら良いのですが、目も変でといってもなにか悪性の病気の初期症状が出ているような気がします。こないだから散歩などしていますが、はたして効果が出てくるのでしょうか?

散歩して 様子を見てる 元過激派 という感じです。一触即発という今の日本と同じです。私の分も佐藤さんに活躍して欲しいと切に思っています。「金がない」と言っていた小屋の主が前の土地を千万円程だして 買いました。用心しているのは分かりますが、金がないということで頑張っていたのですが・・いろんなところに変なことが一杯起こっています。  大島


● 1998年3月16日 

大島哲蔵様

昨日の電話ですと元気そうなので安心しました。こちらも今年は経済的に大変になりそうなので土日 皆で話し合いました。お金が無いよりはやりたいことが見つけられなかったり、才能がない方が問題であり金が無いなりの生活をすることと大学生でも経済行為は可であるなどの話をして別れました。

今朝友人からの知らせで先ほど新聞を買ってきましたので送ります。行政(教育委員会)が話し合いを受け入れるか私は疑っていますが、オープンな場でよりよい学校を作るための協議が行われることが認められたのはとりあえず今までの長い長い話し合いが無にならなかっただけ 私は幸運だと思いました。

建築が結果としてあった「もの」としてではなく考え方や経過行・経緯が建築になった今世紀にあって「もの」と「考え方」を結ぶこと(プロセス)が欠落していたわけですから、うまくいけば来世紀へ向けた建築を考える契機にになるかもしれません。おおげさですが。

BOX12の足場がすっかり取り払われ発注者や友人に好評です。今日は雪が降って寒い一日でしたが、とたんの型枠は初めて使いましたがそこにピーコンの花が実が咲いたようになっていてこれから使い方によっては面白いな~と思いました。

 
3月16日河北新報コピー貼り付け見出し「強引な市教委 混乱招く」 地元地権者の意向無視役所の都合で判断 


●1998年3月16日以降
大島哲蔵様
昼連絡したとき女性が対応されたので入院でもなさったのかと思いましたがそうではないと分かり安心しました。春の宴 BOX13での花見ができそうなのでよかったです。体調には充分気をつけてください。雪と床暖房のボイラーのトラブルから家が冷え切って体温が奪われこちらもカゼをひきそうだったので、背中にホッカイロを背負っての1日でした。おかげで調子は上々。PM7:0に市議会・地元の人達が謝罪と交渉の再開の書面をもって来ましたが、謝罪の内容はまっったく抽象的な表現で普通の人が読んで理解できるものではありません、きわめて役所的なあいまいな内容でしたが、地主と話し合ってからいろんな注文はすることができるので、気分よく返してやりました。

問題はオープンな話し合いによって協議してゆく結果をどのように設計させるかなのです。基本設計者は指名競争によって地元の設計者が選ばれていて、地主が契約解除を要求できるかどうかです。請手のプライドや地元の利権がらみで強い反発と抵抗が予想できますので、立ち入らないほうが良いと私は考えています。私が仕事をしないことを条件に系焼きを解除させるか・・強引でしょう

地元の人や教師や反体制の良心的な市議をマスメディアも見方にしてしまう方法をてにいれなければなりません。一切の基本設計発注の件には触れず基本設計を作ってしまう、そして地元の人々や市議に納得させてしまうことではないかと考えております。。地元や体制側のタヌキ市議はそうはさせじと途中で気づき策を弄するでしょう。相手もこちらのガンコさと面の皮の厚さには参っていますから、委員会でこちらのタフさに市議たちは参っていますから、こちらは一人あいては多数なかなか付かれるのですが、彼らは施工業者ほど、私をバカにしないので助かります。

私はアベ氏に頼もうとおもっていました。経過を建築と考える手法やユーモラスな作風が消耗戦には向いていると思ったからです。従来の建築家のワタナベさんは地元の人々に反発されるでしょう。ニッタさんは本当の建築の楽しさを理解していないと思うからです。ワタナベさんの作風は地元に歓迎される可能性は大いにあるのですが、良い意味で楽観的建築家ではありますが、来世紀に向いては大いなる疑問があります。唯一建築家と私は思いますが。

地元の設計者には大きなプレッシャを与えられますけどそんなことでワタナベさんを使うわけにはいかない。カノウさんには大阪で食事を一緒させていただいだけで作風もしらないので資料があれば送ってください。コウケタロウ君がよいのではないでしょうか。実施にならないとおもった方が傷が浅いし実りが多いように思います。たロウ君にこんなことで瓦斯抜きさせては失礼ですね。

市教委では土地は買えることを前提に基本設計を再スタートさせているはずですから、1900万円で発注し完成した基本設計を見せてもらうことからスタートすることが良いと思っている。もし不完全なものであればどのようにでも切り崩せるように思います。設計の進捗状況を報告させ見せてもらうことは危険な行為となるでしょうか。
佐藤敏宏
追伸
コンペにこだわる理由を今日説明してあげました。「(オープンコンペによて)選ばれた」と思う建築家のプライドが地元の人々を大切にするから、だと言ったのですが彼らにはこの意味がわからなようでした。そして地元ではなぜ悪いと。市教委のミスでサンザン注文や変更をさせられ地元や私にいたぶられる設計者がとても健全な精神で仕事はできないと追い説明しておきました。これも理解できたとはおもえないので何度も話すことにします。




1998ー3−17ー1:11

佐藤様

一時はやはり難しいなと思っていたのですが、先日のお知らせはそうでもなさそうな感じを受けました。こうして実際に新聞に「もう一度よく話し合ってやる」ことに一応なっているわけですから、消耗な部分もあるとはいえ、画期的な方向に振れる可能性もあるわけです。

本当は最終的には佐藤さんがやるべきだと思うのですが、それがまた難しいですね。私は個人的にはwさんやNさんじゃなくて若い人でもなくしこの場合失敗は許されない(ある程度政治力のある人でないとうまく行かないと思う)以前にもいいましたカノウさんあたりが適任だと思います。彼なら必ず作ってくれる人です。こちらの意に添って動いてくれるし、尚かつ一般の人からも支持される学校を作ってくれる人です。

コンペは絶対に結果を左図以外に能がないわけですから、佐藤さんの気持ちなど最終的にはお構いなしに否応なくなってしまいます。

これから順序を踏んで基本プログラムからかなり実際的なレベルまで枠組みを作って、その条件を発展させながら、しかし設計と設計家は決定的であることを理解させて、その任に当たる人を強力に推薦すべきでしょう。

ただしその人物は誰によって真に状況を把握する能力を持った人でなければならないし、また佐藤さん達が作成した前提条件にあくまでも良い意味でかかずらわってくれる人でないといけないわけです。当面は設計者のことはさておき、今の中学校に必要な諸条件・自然や外部とのかかわり教室が収容所ではなくワークショップとしてあること、質感(物質感)・・・・・以下fax紙 感光して不明・・・・


●1998年3月18日以降

大島哲蔵様
今日仙台のアベ氏を訪ね、中学校の話をしてきました。人のよさとユーモラスな所は私が考えていた以上でした。こんなに普通でいいのかと思う反面 建築に対する考え方や作りたい形に拘泥しない 敷地と施主が寄り添うような態度は新しい建築への アプローチなのかなとも思い、ワタナベ氏とアベ氏の中間にいるなと私は感じました。

アメリカでのパフォーマンスや計画はとてもユーモラスなのもので どこからそれが発生するのかと興味を示しましたら 「そう言われるのがとても嬉しい」と話していました。

中学校のことは新聞記事が分かり易いと言っていました。コンペはプロポーザルで10名ぐらいにし 3名ぐらい住民と対話させるといった形が良いのではないか。審査員は地元代表と私と大学の学校計画専門家の方の3人ぐらいでいいのではないか等 30代の若手でこの話に乗りそうな建築家をリストアップしてくれるとのことでした。経費のことも心配してくれていました。

こんなに趣味的なことでいいのか」と質問されましたが、よき建築家と良い建築の作り方をしって欲しいのだ」と答えておきました。

宮城県白石市では建築家を集めた街作りが最期には イケホリとか言う建築家の独占場になってしまい、サンザンな事になっっているそうです。若手の建築家に餌を一寸与えてあとは全部独り占め。なんたるアクニン。

「新都白河」から始まり住民主体で考えることと行動することをテーマに考えてきましたが、発表する建築家も一時的、聞く側もあっという間に忘れてしまい自分自身に不利となれば絶交宣言され 私はとてもひどいことになっています。予想はしていたので単なるバカ丸出しっていうゆうことです。

市議と住民に会いこれからの話の進める順序を話することにしています。私はとてもよい建築が発見できるような気がずーっとしているので休止することはないし、とてもよい人々とすこし知り合いや友 だちになることが出来るとおもっています。コンペの展はナカムラさんお美術館でもやりますし地元でももちろん行い、住民との対話も展開最中に行う予定です。地主も協力的ですしお金にはなりませんがやはり趣味的ですかね、私は幸です。娘の本はさがせるでしょうか 佐藤敏宏


●1998年3月22日

大島哲蔵様
昨日白河市議会の委員会で中学校用地交渉の経過を討議することができました。6時間にも話し合ってしまい。年寄りの議員はグロッキー気味 教育長は辞任?することになるようです。だいぶ荒っぽいことになりそうですが、地元の民意はどうしても私が委任されている土地に中学校を建てたい!強い要求がなされ 教育委員会のごまかし行政が一瞬に壊れてしまいました。新聞社も4~5社ほど参加していましたので記事になることでしょう。いたたまれず教育長は途中退席。地主と住民と議会(委員会)が協力し話し合いをもち良い中学校を作るプロセスを構築することになる・・ということが承認されてしまいました。私は専門家としてその中学校にあれこれ注文をつけることもできることになっちゃいそうです。行政は住民と議会が従わせるっていっている。私は信じられんことです。

初めに市がナカムラマサヨシの美術展を開き、ナカムラ氏にその中学校前で出前美術展をやてもらい地主をしってもらうことからスタートということになりました。本当かな・・・。議会の記録に残ったから本当でしょう。なかなか信じがたいことですが・・・。

従来のように建築の図面を書いたり模型を作ったりといった作業は出来ませんが、「良いプロセスを構築する」がでいきるかが問われている時なので、もっともダイナミックな建築行為と思います。このような建築への参加は一般に認知されていないので報酬は無いのですが、重源のような人もこんな風にして作ったのだろうと思いながら楽しませてもらいます。建築家の素晴らしさエスプリも伝えることが出来ればよいのですが、成り行きにこれは任せることにします。

白河市にとっては無縁のまれびとが今後どのように扱われてゆくのか、良し悪し、どちらにしても 私の人生に大きな跡を残しそうな気がします。難局にさしかかりましたら御助言をお願いします。

本を頂きました。お金はもう少し待ってください。スターリングの考え方がよく理解できてとてもたのしいです。レスター大学とケンブリッジのそれはとてもダイナミックでコルビュジェからコールハースの中間にあるのがわかります。パースの中にいるスターリング風の人物も笑えますが、ケンブリッジのガラスの屋根のなかにいるスターリングがやんちゃ坊主みたいで楽しいです。

建築家の文章が分からないのは言葉が冗長なものであることを知らないからでしょう。キクマ氏の案内状を見ると社会を誤読しそれに対する反応の良さが売りでしょうか。建築家は滑稽でユーモラスなものに尽きると私は思います。

BOX12はちょうど桜の見物ができる塔を内包していますので、そこで花見をしましょう。最期の仕上げをしているところで、あと2週間で完成すると思います。

白梅 やちょっと四方     に香を放ち
佐藤敏宏


1998−3−23−23:52

佐藤様
fax拝見しました。大阪の桜はまだ咲いていません。一時大分暖かくなっていましたが、このところは少し寒い日が続いています。来月中頃までには福島に行くことが出来るかと思っています。よいタイミングがあったら知らせて下さい。ここのところ塾生の近大の女の子がバイトしてくれるので、ほとんどいつでも行ける状態です。

市教委の話はやはりわずらわしいことが多いようですね。無理のないようにしてください。場合によっては何時でも放りだしても良いのですから。コンペはもっと実施確立が高い場合でないと、事実上難しいように思います。設計条件などを作り審査委員をそろえる以上はかなり公的になって、責任も大きくなりますからね。私のような批評家が学者が全面的フォローで動ける状態じゃないと建築家が一人で動いてやるのは無理ではないでしょうか。

確かに普通の人には佐藤さんの真意は分からないでしょう。彼らは社会に慣れた常識人ですが、本当に重要なことは、何一つとしてわかりはしないですから。ヤッコさんから見れば確かに私達は大バカ者なのでしょうし、まったくその通りと言いたいですね。

・・な方に動きますし、学校が多少まともにたちあがっても、私達が考えているような教育は行われませんし、親や学生もそのほとんどがロクデモナシなのですから、理想て的な空間なんて意味ないかもしれません。

しかしたった一人でも二人でも、その空間に触発される人が出てくればそれで良いのではないでしょうか。それは先生でもPTAでもなんでもよいのですが、考え抜かれて作られた場合で数年間を過ごしたことを自覚出来る人が居ればそれで良い。

今度は設計は私見によれば、いわゆる作家が個性的で独自の見解を見事に造形化するのが良いのか、もう少し一般レベルでも解るような普通に近いがよく考えられたものを議論すの始点にするか、でもし前者ならアベタイプの人がよく、後者ならカノウ氏にやってもらえばいいです。お金は基本的に100万もあれば十分でしょう。彼ならやってくれるはずです。もしそれで彼が私から離れるようなら、それは最初から互いに縁が無かっただけです。彼は穏健ですが、バカとうか気違いですからほとんど私達と同類のところがある人です

    大島哲蔵

1998−3−27−0:33

佐藤様
 今日坂田明のジャズ演奏を聴く機会がありました。とても良かったです。もう半年ぐらいは聞きたくないですが、音とアクションと声を叩きつけるようなエネルギーが充満して、同じ50代でも全く別物の迫力があり、結構な内容でしたよ。

また今日の朝、外に出てみると始めて花が咲き始めたことを実感しました。ある日突然、それはやって来るもののようです。これからはしばらくフワフワと夢見心地で、目を楽しませてやることができるのですが、カラオケをやっている連中が多くて、あれだけは困ります。桜の下でゲロを吐くような声を張り上げるオッサンを見ると棒切れで殴りつけてやりたくなります。

 この花前線が福島まで到達すると、またそちらにお伺い出来ると思うと待ち遠しいような、そんな淡い期待を少しでも長くキープしておきたいような妙な感じです。開発で薄汚れてしまった日本の風景ですが、この季節だけは、かろうじて昔の浮世絵や狩野派の障子のような艶っぽさが広がります。

また先ほどは被災地の体制派街協の会議に私が出席していたというウワサが広がっているようで、味方から確認の電話がありました。冗談で「実は思うところあありまして・・・」とやってましたが、怪情報はこちらが出したと思っていたのに、向こうから先にやられまてしまい、反省することしきりです。これほどいろいろやっているのに疑われるとは、これも人格のなせる技だと我ながら感心します。確かに寝返りとか裏切りは大好きなのですが、なぜが私には本当はできません。
大島哲蔵


●1998年3月28日前

大島哲蔵様
BOX12もあと10日ほどで完成の予定です。桜前線も北上中。上野の森は週末が見頃のようです。中学校の交渉は市教委の無責任で意味不明の謝罪文を受け、地元の代表と話し合いを事前にしてみました。地元では私は極悪で欲望の固まりであると市教委に教化されていました。

私は名誉毀損で訴訟してやろうかと思うほどえす。公開の場で回復すればよいので労が多そうですからとりあえず休止しておきます。

建築家との関係はどうするか本当に考え込んでしまいます。まずは勝算は無いですし、設計費用だって充分払えません。とりあえず私が払うしかないので、せいぜい300万円うらいを年払いということになるからです。

地主は支払いを約束してくれていますが。建築のための論争なのであまり巻き込みたくありません。地元が支払うよう誘導するつもりでいますが、最終的にはやはり自分で処理することになるでしょう。

市長選に関しているので(絡んでいる)より複雑です。建築家を紹介していただい大島さんの作り上げられた人間関係を私が壊すことになっては辛いですから、共闘できる建築家も私が直接話をしてゆくつもりです。他人から見れば私の行動は不可解なのだとうことが住民、市教委、市議、地主とそれぞれ話し合って判ったことです。もう一人ぐらいバカな建築家は日本にいると思っています。

コンペを開くと要素を多くするだけで問題の解決には、大島さんのアドバイスのように、ならないと私も思うようになるました。淋しいですね。

本代は月末に支払います。今日は娘よりの注文です。
Crusader Cashes
The Mint
OrrinatalAssembly
Seven p:Llars of Wisdam
T.E.Lawrence

本の内容はわまりませんが古い年代ですが捜してやってください。
佐藤敏宏
 


1998ー3−28ー2:15

佐藤様 FAX届きました。アベさんは良い意味で若い世代の感覚を代表しているような人なのでしょう。彼の仲間もそんな感覚でやってくれるのかもしれません。もう少し動き始めた感じですから、そのままやるのもよし、またストップをかける最後の機会がでもあるでしょうから、各方面からチェックしてみてください。ペシミスティックに考えると、恐らく新都白河をやるまえも、ワクワクした予感と仲間意識と周囲の好意的な眼が感じられたのではないですか?

それがやり終えてしばらくすると、そうは問屋が卸さず苦い後味や煩わしいことが多く降りかかって来ます。

今後のことも、そうならないと良いのですが・・。そいう風に考えると、何にも出来ないので、楽天的に考えて下手をし、似たようなことになっても、めげることなく進むのも面白い。もちろん私は今まで後者の道を選択して色々やって来ました。でも今は私だったらやらないような気がします。お金のことが心配ですし リアリズムの底なし沼の方が純粋なイデアより強力な気がするからです。

もちろん強行される場合もいつまでも応援はします。結果がどうなろうと、やるにはやるだけのことはありますし、私も白河は参加して良かったと思っていますから。娘さんの本は手配しましたからなんとかなるはずです。多分リプリントがいくつか入手出来ると思います。  大島


● 1998年3月
 大島哲蔵
先日娘が求めたロレンスの本を届けに妻と仙台に行ってきました。代金はマッタクラークの分とともに銀行に入金しておきました。子供達とはなしていると当たり前ですがすっかり大人でこちらがあまり話をする仲間もいないのですっかり同時代に生きる仲間とおもってしまいます。

今はBOX13の図面が終わり業者を餞別しようとしているところです。不景気なので安価で施工できればと思っています。千(1000)の住宅は農地転用許可が進まず来年の中頃まで時間がかかるそうです。役人は庶民に対してとても冷たいので、その時間を使いゆっくり設計しようと思っています。

春秋塾ではいろいろお世話になってしまいます。紹介文よろしくお願いします。聞く人は少人数でも私は気になりません。建築を専門にしている人々の前で話すのは初めてなんで期待に応えることができるかどうか判りませんが、私が最近まで考え作ってきた住宅のことなど要約して話してみたいと思います。

私の建築はモダンでもポストモダンでもない所在不明ですが(それはKB6月号でますます明確になったのです)現在の日本の状況を正しく投影した構築物であると思います。無学者の行く末は完成せず、認められず、成り上がらず、淡々と作り続けることだと思っています。 

スライド投影機は持参しませんので準備願います。

白河の中学校で時間を追うごとに明らかになって来たのは考えない人々による判断しない人々のための金儲け建築が求められていることです。当然日本らしくて 市議が全国的に皆こうやっているのでどこが悪いんだ。との発言が現実というところです。
最終判断を代理人の私にさせようとする。つまり「代理人が土地を売らないと言っているのでの別の場所へ建築することにする」です 。いつも判断するのは他人ということなのです。官僚機構の完勝でしょうか。

これから半年は時間がありそうなのでいままでのことを整理しようかと先週から仕事場の片付けや本の分類をしているところです。一週間ほどかけて大阪へは車で漫遊しながら南下しようかと考えています。

ロンヘロンのテントを見ながらゆつくり時間をかけて不況列島を見物しようかなと思っています。

ドーケ君が脱線するは自らの中にオリジナルな考えが完成してないからでしょう。考えたり話をすることと作ることはだいぶ次元が異なるような気がします。まとまらない現況を素直に表現できるようになるには時間がかかるかもしれませんね。周囲にできのよい人達が多すぎるのも大変です。

KB80年12月号を古本屋で買いましたらワタナベ・タカマツ・モズナ・ヒラヤマ・ヨシダ・ヤスハラなどが載っていました。 ヒラヤマ氏の発言が陳腐化してないのが判りおもしろく思います。

建築を続けることが出来るのは頭が悪くて世界を読み間違えるのが良さそうです。これまでは、そして日本では。

高知でのエッシャー展があるので足を伸ばそうか・・などと思っております。現物をみてみたいですね。 ヒヤヤマ氏の建築を見て歩くのもよさそうです。また連絡します。



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