大島哲蔵さんからの便り 1998年    HOMへ
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1998年6月7日
佐藤敏宏様 土曜日に若い人たちを集め新しい会を発足させました。いろんな意見が聞けて楽しかったのですが、全体としてあきらめムードが漂っているのが気になります。状況が良くならないことを折り込んで皆が発想しているので「こんなもんっでしょう」という観念が抜けないようです。
その通りかも知れませんが、若いうちからそんなにこと言っていたらどうにも将来に夢が持てないと思うのですが・・・。ニヒリズムと言うより期待しない気分の蔓延という感じです。私達の世代が敗退してしまったのが大きいようです。怒ったり大きな声を出すのはもってもヤボはことのようです。なにか人間的ではありませんね。気心の知れた人と建築以外の話をしている方が楽なんだそうです。ついにくるところまで来ているのですね。始めて思い知りました。しかし時代がそうでも私達は建築を含めたすべてを熱く語りたいものです。ダメと判っていても ○大島
●1998年6月9日

大島哲蔵様 今日BOX12の(竣工)パーティーがあり素人の人達の意思や感想を聞いてとても参考になりました。専門家はマニリスムの穴に落ちて前が見えなく苦心しているようです。 体外受精で仕舞の子を産んだ女性がいるようですが、親子感や夫婦についての役割が従来なら子を産むことが出来ない女性によって解体されてゆくのはとても気持ちがいいです

法があろうと定義が崩れてゆくわけで人の思いといった力はすごいものだと明るい気分になりました

娘がBOX12を仙台の本屋で見て現地見学に来て意見を聞いたこともありますが、今日のパーティーでの声もそうですが、専門家が専門家自身を問うてないことにある、あらゆる無気力が内包されてゆくのを感じます(私の乱暴な建築が人になぜ受け入れられるのかを知ったようです)私は感心したり驚いたりするより素直に考え作ることの大切さを確かめながら作っているつもりです。

現在雑誌に出現するほとんどの建築家は不用なんじゃないでしょうか。崩れゆく価値や感を眺めていると従来の建築家感は捨て去ったほうがよさそうです。ありもしない価値を押しつけ与えられても困る時代になってしまいました。複雑で多様な価値の前で一つの手法によって事に対応していては他者に関わる意味がないようです。価値と価値がぶつかりおもいもよらぬ事の出現を楽しむ態度が必要なようです

モダンマニエリスムの建築は人が不在の時もっとも美しい均質空間の美(価値の階級)からとうぶん解き放たれることなないdしょう。不在の人間や死体置き場を作る人間はいないでしょう。存在すれば周囲の人々を狂気の世界に押し込んでしまうことでしょう。狂気で発光する均質空間に私は魅力を感じません。

即物表現主義や表層擬態様式もやはり変種である建築家が不在になるまで私達は静観することが時代から要求されているのです。

とりあえず小さいものから出発すべきと私は以前より思っているところです、小さき個人が社会を構成してると実感できる日までは無気力な人はいなくなてもらいましょう。一時旧体制の老人権力者があばれ死んでしまうまで兎に角私達は長く生き続けることにしましょう。

完璧な地図が不完全な地図であるように完璧な建築家など必要ないのです、呪文を唱え人を楽しませながら言葉(物)を構築してゆきましょう。 佐藤敏宏
 
1998年6月9日 6:30

佐藤敏宏様
FAX頂きました。BOX12のパーティ楽しそうで近所だったら参加できたのに惜しいことです。人が集まり建物をサカナに感想を交換するのは素晴らしい機会ですね。 こちらでもよく見学会がありますが、皆が様子を伺ったりさもしい目つきの人、付き合いでもないのに来てヤッタという感じの人、らしいことを言ってやる奴とか、何か感じが悪くって出来れば行きたくない気がしてしまいます。

モダンマンネリズムの派は出るべきして出てきましたが、確かに魅力に乏しいですね。多くいのもいやです。皆がやっていることにロクナものはありません。主流派は常に間違っているということでしょう。自分が始めたことでも皆がやり始めたらしない位の人でないと信用できません。

雑誌にはたまに載るのが一番良いです。良いモノは毎号でてくるわけにはいかずたまにしかお目にかかれないものを良いというわけです。日常化してしまったら、好ましいものかも知れませんが期待感はありません。年に一回程度で良いし発表しないのもあって良いと思う。ありふれたメディアアーキテクトになったらお終いです。

世間に適当な調子を合わせる、浮かれものの人はとめどなく わいてくるでしょう。私の時代は永遠に来ないと思いますが、ある意味ではもう来ているような気もします。追いつめられて展望のない割には気分が良いのです。誰も何も言ってきませんが(佐藤さん以外)苦になりません。
50代を貧乏に 閑雅に 孤独に 憎々しげに過ごしたいと思います。被災地での活動も勢いが強まっています。春秋塾も内容がないのに衰えません。無内容な建築家は私のことを恐がっているようです。人間は適度な才能と努力を惜しまなければ自分のなりたいようになれるもののようです。 事故や病気にさえならなければサバイバル可能のようです 大島


1998−6−11−23:20

来月のゲストの件決定しました。建築の紹介とともに「主張」つまり建築の現状に対する忌憚のない提言をよろしくお願いします。
切符は早めに予約すると安いですからいますぐに手配してください。多分旅費として4万ほどでます。時間があれば2〜3泊していってください。大島


1998−6−

C&Dに河合さんの記事が載っていたので送りします。
こないだ黒姫の契約が成立しました。当初の予定プラス100万円で決着したので、総額1600万で地鎮祭を行うことに決まりました。内容的には2500万ぐらいの物件ですから、ニッタ氏も持ち味を発揮してくれたようです。

1週間もすれば建築文化の誌上でBOX12に再会できるかと思うと懐かしい気さえします。実作を見てから、写真を見るのと、いきなり写真で見るのとは全く違うような気がしています。今度も もし表紙に使われるようだと・・そうだとすると僕はとても嬉しい気持ちになります。メジャーな人が中心にとりあげられるのはしかたのないことでしょうが・・この便りが着く頃は夜学での講演も終わっていることでしょう。若い人たちが、こんな人も居るんだ、自分も頑張ってみよう、と思ってくれるような気がします。それが一番いいことだと思います。


1998年6月22日 手紙

佐藤様
その後いかがですか?コンペの目が出てきたのはとてもよいことです。もし実現すれば、まったくのレアケースで恐らく日本で初めての試みということになるでしょう。佐藤さん独自の境地がそんな出来事を可能にならしめたわけです。もしその方向で実現したら、それこそ革命です。誰もそれほど犠牲になっていませんから(敢えて言えば佐藤さん本人でしょう)無血革命ですね。多分21世紀の革命はそのような方式をとることになるでしょう。政治革命や社会革命や文化革命は後からやってくるわけで、普通の個人がその先鞭をつけるのです。

C&Dに河合さんの記事がのっていましたので送ります。(34ページと32ページ)ワタナベさんの件はどうなりましたか?適当に対応しておいてください。私達も春秋塾でいろいろ接点を持たざるを得ないのですが、基本的に気にしないことにしてます。もう実質的に彼の時代は終わりかけています。建築士会の会長に納まろうとした時点でもう相談役のような位置に退いたと考えています。どんなに困難でも、うまく行かなくっても、もう私達がリードしてもっと若い人の判断や意見をまつ時代になっているのです。 大島哲蔵
ウラに

こないだの日曜に黒姫が契約が一応成立しまいした。当初予定プラス100万円で決着したので総額1600万円で6月1日に地鎮祭をとりおこなうことに決まりました。内容的に2000万ぐらいの物件ですから、ニッタ氏も最後に持ち味を発揮してくれたように思います。でもかなり今の時点ですべての報酬をもらい終えているというのはなんとなく淋しいです。

あと1週間もすればKBの誌上でBOX12に再会できるかと思うと懐かしい気さえします。実作を見て写真を見るのと、いきなり写真で見せられるのとは全く違うような気がしています。今後ももし表紙に使われるようだと編集長はよっぽど佐藤さんの建築のファンなのですね。 そだとすると僕はとても嬉しい気分になります。

メジャーな人が中心にとり上げられるのは仕方ないことでしょうが、自分の本当の好みは全然別のところにあるようで人間は正直なもんだなあと思うからです。もっとも後の編集後記などを読むといつもそういう調子で、やっぱり文学畑の人なんだと思って納得してしまいます。

この便りが届くころには夜学で講演会も終わっていることでしょう。若い人たちが、こんな人も居るんだ、自分も頑張ってみよう、と思ってくれるような気がします。それが一番よいことだと思います。大島



1998−6−23−0:20

佐藤敏宏様 その後いかがですか。こちらは雨が降ればうっとおしいし、晴れれば暑いので、どちらもスッキリせず。これからどんどん暑くなると思うと少し憂鬱です。娘さんの注文の本一冊行ったと思いますが。あと2〜3冊入手出来そうです。おいおい着いたら送ります。最初のは高価でしたが、あとのはあんなには高くはありません。
春秋塾での佐藤さんの紹介は私が作らせてもらいました。気に入ってもらえればいいのですが、来週ぐらいには皆の手元に届くはずです。前回の体育館はやはり人気がなかったようで、8点ぐらい案が出されましたが、集まりも25人ぐらいで少し中だるみという感じです。

こんどは30人ちょっとか終わりぐらいには40人ぐらいになるかもしれません。私も楽しみにして待ってます。余りゆっくりできないかもしれませんが、できるだけ余裕をもって来ていらっしゃってください。私は暇です。お金は少しあるので、あちこち行って、美味いモノでも食べに行きましょう。

今週の土曜日は珍しく私が依頼されたレクチャーをやります。いつもそこそこ準備はするのですが、しゃべり始めたらメモは見ないし、いつも好き勝手なことを言うだけに終わってしまうので、もうすこしストーリィにそって話そうかとは思っているのですが、どうなるか、は判りません。

建築思潮の次号が出るそうです。ワタナベさんからなにか書けとのことでしたが、稿料があまりにも安いので、結構手抜きの原稿を渡してしまい、少し気がとがめました。彼はそんなことには関係なく書く人ですから、少し尊敬するのですが、結構な給料を確保しているからできるのかなーと思ったりもします。

ドウケ君に頼んでいる実家は大分目鼻が付いてきました。例によって余りに変わったことはしてこないので、こちらの方が挑発しています。突然のギャグでとんでもないとんでもないことをしてくるのであきれています。文章はますます、好調ですが、設計者はまだまだ、時間がかかりそうです。ただ文も1年ぐらいして急に調子がでて、2年目ぐらいから冴えてきたので建築も4〜5作目ぐらいからなのかと思ったりします。佐藤さんでもそれぐらいはかかったのですかから無理ないかも知れません。

●  日時不明 ・・・98年ではないかもしれない
大島様
建築思潮拝受 思潮全体が低調で迷走する建築界と生活に追われればなんてもする建築家の無節操な姿が明らかになって良かったのではないかと思います。「建築家はだれのために何を作り思考するのか?」設問と解を手に入れにはまだ大人にまだなっていないのでしょう

今回の論文は建築家への 愛憎が充分伝わる文章と思います。が このような建築家全体への応援歌は歓迎されたためしがない 存在しない国民国家の国民のために手を変え品を替えその場を繕うことに皆いそがしいようです。

10+1のほうが開かれていて思潮より良いと思いました。大島さんの文章はSDの「ミニマリズムとアーバーニズム」が作家の水面下の心情や社会との対峙のしかたなどが明確に説明されていて良かったと思います。 思潮の文は建築家達と近づき過ぎているのでしょうか、どうも冷たくないのがいけません。切り方が中途半端です、思潮から離れることを、おすすめします。

イソノさんの文章を読んでわかったのですが 当たり前ですが、僕と見ていることと気づいている所があまりにも違い過ぎることです。 (ぼくは建築家を信じていない)建築家と社会(人)との関係から作られる物や事象に強く関心があるわけです。ワタナベさんは 癒される主体に揺るぎがないのですが、ぼくは主体が存在するかどうか考えているのです、どうもフィクションにちかいように思えてならないのです。

何もないものがあるように振る舞う建築家の姿 社会がそれに物を作らせる。 その関係です。言語に物を発注すると言ったらいいのでしょうか

タカサキ氏の天文台は物に対する裏切りがなく 嘘に対する裏切りがあるのです。ワタナベシいわく「建築は虚のない空無にその表現の可能性を見るのであって造形・・」近いのですが、作るべき主体さへも虚であるといったことです。現実の社会は思潮の中にあるようなものだと思います。

ぼくは今日から「虚築」や「虚建」 「虚人」「虚物」が交錯するたびに出現する「空間」=「嘘」と作ることに努力するつもりです


春風が 二階の窓を 開け放つ

27日からぶらぶら南下します

佐藤敏宏


1998−6−27−9:48

佐藤敏宏様
子供達が今の日本で順調に成長してくれるというのは有り難いことですね。自分のことより心配になってしまいますが、今や最も問題なのは、親の方かもしれません。奥さんが子供達の前では元にも戻ると言うのもわかるような気がします。

学校の件については「佐藤さんの人間離れした能力も彼らを動かせないのか」という驚嘆にひたっています。いよいよ権力で動かす意外に手はないことがハッキリしました。

建築で言えば安藤方式しかないのですね。もし現市長が選挙で勝ったら、弁護士でも通して、見切り発注の抗議と損害賠償請求を通告して、さもなくば3倍の値で買ってコンペ方式にすることを承認せよ、とやる以外にないのかもしれません。(もちろん冗談ですが)

漫遊旅行は本当にやれるのですか。もしそうなれ水曜日の昼頃どこかで待ち合わせて、同道したく思います。考えてみて下さい。またエッシャーやどこでも足を伸ばせると思うので 、希望のコースを決めて下されば付き合いしたいものです。

ワタナベさんは職人大学のプロポーザル 一次に通って本審査があるとかで得意そうです。80億の仕事で、初夏の夢物語としては悪くはないですね。もし取れたら「だから僕の言う通りにしないとうまく行かないんだ」と言われてしまうかもしれません。

スライド機は会場にあるので心配いりません。50枚ぐらいに絞ってむしろ話を重点にやってくださった方が良いかも知れません。何を言っても構わない席ですから持論を展開してください。私も楽しみにまってます。


●98年6月27日~30日頃

大島哲蔵様
昨年6月より計画「新都市白河」を切っ掛けに白河の人々とかかわりが今日、地元の代表者の「時間がないので」の一言で終えることが出来ました。

多くのことを実体験をもとに確認できたことはよかったと思います。公共性と言える程の動機がない現況においては、老後の不安感を煽ることにより不安感を増幅し税金の使い方を裏打ちすることぐらいか。それ以外は選挙資金を集める方法がないようです。

資本(お金)は考えないで使う人々を多数必要とするために大規模な戦争等 人間が不在になることを回避するでか 賢い消費者もいやがることでしょう。(役人)お金は賢者よりも愚民がお好き

この一年で確認したことは民衆は容器と機械のあいだを振れ動き(目的)機械ではなく容器であったと。私の話を聞き感心し、次に市長さんの話を聞き納得する。ただ受け入れるだけで発言することはないのです。市長とて人間として理念や目的や希望があるわけではなく
(思いこんではいますが)現況を通過するために不在の(官僚機構)の発言者の論を受け入れ実行するだけです。

人間は言葉を詰め込むための容器である。(外の状況に応じて発言が変わる)動機(詰め込むため)を与えるのは資本 お金でしょうか

こんなことでは寂しいのでBOXシリーズでは人が陽気であることを証明し、それを明らかにし個人史を捏造加速してきたわけです。やっていることは官僚機構と大差ないのですが、発注者にしか影響を与えない(周辺の人々にはある)ので少し罪は軽いかもしれません

アンドウ史やワタナベ史の物語の捏造の仕方の理由は大量のお金や名誉を得るために仕掛けが大げさなことでしょうか。物語の聞き手 不在を隠蔽することでしょうか。建築家は常に自らの存在証明を自分でしなければならないのが日本の正しい現況対応でしょうね。より強い刺激を求め80億ですか、日本は職人を外国に求めるような気がしますけど。

分列病患者は自分で考え浮かんだことが 考えたとたん他者に指示されたように思う自他の混乱なのですが、公共建築の決め手は使用者が建築家が考えたように考えを要求していたと 思わせること。設計者 他者の考えが発注者の考えになることです。

私は解っても他の建築家のように実行しようとはおもわないのです。今までのように平凡に仕事を続けながらです。動機が逆転しているので普通にはづいぶん変に見えるかも知れません

漫遊旅行はします。妻と犬を伴い2~3週間の予定です。コースはゆきあたりばったりです。西宮には2~3日の予定でいます。スライドはあまり持って行きません。黒板があればよいと思います。白い紙でもよいです。マイクはどうでしょうか。1時間半で充分だと思います。簡単に話したいと思います。いろいろお世話になりますがよろしくお願いします。 また連絡します。佐藤敏宏


●1998年6月末

大島哲蔵様
福島の昼の基本は36℃で梅雨明け前にしては真夏のような1日でした。BOX12で住宅をこれから作る人と話していましたが風通しも適度で夏の仕事場としてはまあまあのようです。(7月)9日の話の段取りいろいろお世話になっています。モリタさんより案内が届きました。学者のように系統だった話しになるかどうか判りませんが簡潔に繰り返しBOXシリーズを話してみたいと思っています。

事務所の掃除と今までのまとめる機会に感謝しています。あらためて「家出のすすめ」を読み返して24才の青年のみずみずした才能の考えさせられるところです。

戦後 明治に完成した家父長制が崩壊し個が父に代わるのか又は新しい人間関係が出現するのかのスリリングな時を経験しているのが実感できます。個室・個電・個食。それにいらだつ政治家・文部省のいらだちによる家庭における父権の復活指導をスタート。進歩とアナクロニズムの拮抗劇が日々ブラウン管に映し出されています。

資本にとって個の完成は物を売りつけるためには大切なようです。進展すれば乱れる。役人のいらだちにほほえみます。家出をし悪徳を極め反俗をもって自立せよそして自由を開発・発見創造せよということです。合法行為がすべて正しいならば戦争による殺人は・・・。人が作った法を疑い続けることが肝要ということでしょうが、民衆が日々平安なものとしてリスクを回避することや役人が既定の路線を手放さないのは一種の宗教や迷信です。(安定した世界なんかありはしない)あと15年もすると激烈に社会が変化しそうです。

強烈な復古調になるのか、まったく新しい機構が出現するかは分かりませんが、今までの15年のように今後の15年も静観してゆきたいと思います。

渡り職人孝のなかにある職人は暇な時は大学教授や農業を営むことになっているので、そんなことになるのでしょうか・・・。

時々若い娘達や女性の方々と楽しい時を過ごしているのでその人達に食べさせてもらうのもいいでしょうか、それを文学に仕立てるのも良さそうです。

BOX13を自分で作るのもよいのですが、現場より楽しい遊びが好きですからゆっくり大阪へ行きます。月曜日に福島を出発し9日に大阪へ到着するようにします。宿のことは心配しないでください。車(スチールBOX)に棲み生活するものよい実験ですから。

建築を捨て 旅に出よう、などとパロってみます。家を作ることは楽しいので静かに続けます。BOX13の施工会社の人達とBOX10を訪ねてなかなかいいなと思いました。生活の仕方もウエダ氏の論文を読み直しなかなかよいのでそんなことを中心にしようかなどと9日のことをあれこれ思うのは楽しいものです。

9日大阪でおあいしましょう。  佐藤敏宏

1998−6ー30−22:10

佐藤敏宏様
自分のやろうとしてことが結局うまく行かなかったという結論が出たとき、すっきりした気分と割り切れない空しさを感じるものではないでしょうか。確かに民衆は個別にそれそれの判断を持つでしょうが、未知の分野にあえて乗り出して、リスクを背負いながら、筋を通すことなどできない相談ですね。まして役人は既定の路線を手放さなように細心の注意でリスク回避をはかる本能的とも言える習性を身につけてます。

私達は結局のところそういう人達が進歩的にはなり得ないことを繰り返し思い知らされるのみです。そして自分の限界を知った時、その人も庶民に近づいて行くのでしょう。

権力も金もない私達がエネルギーまで減少させてしまったとき危機的な状況に追い込まれるのではないでしょうか。多くを望まないにしても、決してあきらめてはならないようです。自分のやってきたことを精算することなく、ますますストレートにあくなく工作を続行すべきでしょう。この大世紀末という選別と錯誤の時代を有意義に過ごすことだってできるはずです。

若い人にとって何より励ましになるのは 既存の力に頼らずに独自の方法を貫いてる人の存在です。それがあり得るということとそこに揺るぎない価値が定立されている事実を知ったとき、彼らは勇気づけられるように想います。佐藤さんの勇気と成果品と解説に触れ鼓舞されるに違いないと思います。

マイクや白板もありますが調子にむらがありベストではありません。(一応使えます)少し雰囲気が硬いところがあって、ペースをつかむのが難しいですが、語りかけると乗って来ます。私やニッタ氏、ワタナベさん、ドーケ、ミヤジマ、コウケ(きていれば)に振ってもらえれば次第にもりあがってくるように思います。

夫婦プラス犬で漫遊旅行するのは素晴らしいですね。そのメンバーなら佐藤さんも淋しくないでしょうから、私は大阪周辺を同道することにします。

西宮にはお二人と犬一匹で泊まっていただけるのは1日のみになりそうです。というのは私の母親は私と全く違ってそんじょそこらの「容器」ですから、他者を受け入れることについては神経質なのです。

散らかった家の中を見せては失礼、とか体調と神経が持たないとのことですが、要は一人娘のわがままな質なのです。どうか気を悪くしないでください。思えば私のこれまでは、そうした母親の小市民性との対決そのものっだったようにも思います。

そのかわり小生の部屋でしたら何時でも使っていただけます。(不都合が多いと思いますが)私はその間実家に帰りますので問題はありません。そんなわけで、いろいろ大変ですが都市の没落しようとしてる(私はそうはちっとも思っていませんが)家とは面倒くさいものです。

大島哲蔵

     1998年 7月へ