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●  98年秋 12月1日前か

千万家の敷地へ行くためには阿武隈川を渡らなければなりません。8月の大雨で川原の樹木にはビニールやプラスチックの飾りがしてあり、北西の風を受けてクリスマスでもないのに涼しげにたなびき98年の不景気をいっそう不景気にした感があります。下水処理場の対岸には毎年多くの渡り鳥がやって来ます。その鳥の餌付けをした人がいたようで、仮小屋の小屋の中には方々から持ち込まれた餌が納められています。毎日阿武隈川に播くのですが、綺麗などと嬉しがる御都合主義の人間を笑っています。

多くの白鳥を見てカルガモやマガモなどが足の踏み場も無いほどいます。渡ってくる鳥にとって人間が与える餌がどれほど役立っているのか、自然に生きる力を奪い取っているのかは判りませんが、鳥は補助金にむらがり自生する力を失ってしまった人々のように見えて哀感をもってしまうのは私だけらしく、餌付けを禁止する様子はなく出店なども出来て大繁盛してます。

千万家の模型が完成しました。1と0だけのプランなので発注者に与える印象は強いらしく 10万 or100万ぐらいしか完成しないだろうと告げていたのですが、すっかり全部作りたくなってしまっています。私はゼロを4ほど付け加え上空からみると一千万になるように模型を作り替えているところです。こうするとどう見ても全部完成するとは誰も思いませんからね。

敷地の長は50m以上を確保することを条件に設計を始めましたがこれだけだと廊下が50mほどになり0を一つ通過するほどにタイムを計測することが出来る楽しい家になります。途中の0は鶏小屋だったりするんです。今や世界は秒単位で冨を投棄する社会です。それぞれの0に50mの廊下を走る子供の刺激が伝わりその0がブルブルと振動する。デリバティブハウスです。(ファンドハウス)

水はあると思いますがサウジの塔は風車がテーマになりますした。美術館は「織る」です。新旧の建築を一枚の布のように作り上げようとしています。模型制作中です。近況です

大島哲蔵様      佐藤敏宏



1998年12月1日 20:4

佐藤敏宏様
近況報告を頂き楽しく拝見しました。生活と仕事を楽しむのがもっとも良い方法ですね。生活苦は考えないようにとりあえずしておいてです。

都会は週二回ゴミを出す日がありますが、前日の夕方から、皆が路上に置きますから壮観です。猫やカラスが張り切って、ちょいと下手な出し方をすると翌朝はゴミがビルの前で散乱していることになります。インドに行ったと時、街中がゴミであふれている光景を見ましたが、昔は土に返っていた自然物が出回るヨウになって、阿武隈川の河川敷の数倍の迫力となって都市のあちこちにわだかまっています。ただそこを筋肉質の若い労働者やサリー姿の美人が通りかかると、とても絵になります。

千万住宅はいずれ見せていただけると思いますが、楽しみにしてます。ささやかな住み易い住宅や健康住宅や工夫をいじましい位した家などの話を 新建のゼミでいろいろ聞いた後なので、とにかくやりたいことをそのままやっている家には共感を覚えます。

超不況下で、シェアを住宅会社がに一人占めされて、それでも真面目に問題を捉えようとする彼らも健気ですが、できるものは大したものでなく、人間的とか環境に優しいとか、住み手の立場に立ってとか、パターン化した思考から出られないから、日本共産党も万年20%いかの支持をコンスタントに続けているのでしょう。彼らの幸せあれかし、と言ったところです。

その後 博多に行ってフクダさんの祝賀会に出たのですが、九州の連中も上品で真面目ですから限界があります。 やはり九州の人たちは豪快で野生粋の九州人は居なかったです。博多もイソザキ事務所に居たという人がのさばっていたり、東大からフランスに行っていた、ドイとかいうのが偉そうにしているようでは末期症状のようです。

黒姫に来ていた長野の建築関係者が大阪に一泊で遊びに来て、来年の1月に黒姫で会合を持つことになりました。地方の若い人と交流して将来役所と掛け合ってなにかやろうと思います。オリンピック施設の改作など面白そうですが・・・。コンペをやっている人が多いですが誰か一人ぐらい当たる人が出ると良いのですが。12月はすぐに終わってしまいそうですね。体に気をつけて、2〜3月ぐらいには、またなにか用事を作ってお会いしましょう。大島哲蔵



  1999年