TopNovel世界が俺を*扉>世界が俺を聴いている!・10




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 そこまで告げると、彼女はふたたびぽろぽろと涙をこぼした。
「うわっ、……わわわっ! 如月さんっ、ち、ちょっと、待って……!」
  正直、彼女の発言もかなりの衝撃だったが、奏斗はただ驚いてばかりはいられなかった。
  こんなところを誰かに見られたら、大変なことになってしまう。
  美少女という肩書きがふさわしすぎる彼女が真珠のような涙をこぼしている姿もなかなかに見応えがあるのだが、それを上回るほどの痛々しさも同時に感じ取れた。
「えっと! ハンカチっ、ハンカチは……あった!」
  奏斗は制服の上着やズボンのポケットを片っ端から探り、どうにか一枚のタオルハンカチを見つけた。確かこれは今朝おろしたばかりのはず。何度か自分の手を拭いてしまったが、それは許されるだろうか。
「……ありがとう、竹本くん」
  埃っぽい階段下の半地下スペースで、彼女は花のように笑ってくれた。
  壁により掛かっていると制服が汚れてしまいそうで、とても心配である。
  それからしばらくはお互い無言。とにかくは彼女が落ち着いてくれるのを待つしかないと奏斗は思った。
  しかし、震える横顔を見ながら心の中に思い浮かべるのは、先ほどの不可解な彼女の台詞だ。
  ――歌えないって、どういうことなんだろう。
  美音の声は透き通っていて、小鳥のさえずりのようにも聞こえる。とても耳に馴染んで心地よく、聞く者の心を打つのに十分だ。だから、もしも彼女がこの声で歌ってくれたら、どんなに素晴らしいだろうと想像していた。
  放課後。
  窓の外からは、グラウンドで部活動に青春を燃やす同輩たちの声が聞こえてくる。運動部のノリというのは本当に異様だと思う。その中に入り込んでしまえば普通に思えるのだろうが、こうして一歩下がった場所から見つめていると自分たちとはまったく違う人種だと感じる。
  その向こうから微かに聞こえてくる、吹奏楽部の練習。校庭の外れ、プール脇にある練習場から響いてきているのだろう。
「……あのね、竹本くん」
  窓から差し込む午後の日差しが、宙に浮いた埃の粒を照らし出している。空間に浮き立った白い帯状のものを奏斗がぼんやりと見つめていたら、美音がぽつりと呟いた。
「え、なに?」
  校内一番人気の美少女とふたりきり。そんな恵まれすぎた現状にいることを、今の今まで忘れ切っていた。だから、一瞬のうちにすべてを思い出して慌ててしまう。
「あ、あの――」
  美音は奏斗の大袈裟にも思えるリアクションに一瞬ひるんだが、そのあと意を決したように続けた。
「音楽の授業では歌のテストって、毎年何回かあるでしょう。私、あの日はいつも学校を休んでたの。次の日はマスクをつけて登校して、喉が痛くて歌えませんって言い訳してた。そんな風にして、ずっと過ごしてたんだ。竹本くんには、そんなの絶対に想像できないよね?」
  彼女にとっては、かなりの覚悟を伴う告白であったのだろう。もともと色白の肌は、すっかり生気をなくしている。無理もない、誰がどこから見ても「如月美音」は完璧な優等生なのだ。そんな彼女が、過去の「汚点」とも言えるような事実を口にした。それだけ必死なのだろう。
「え……、まあ。そうかも……」
  正直、奏斗には「苦手」な分野の方が圧倒的に多い。
  いわゆる「できる人」として目立てるカテゴリ、たとえば足が速いとか、球技が得意とか、水泳が上手だとか。あるいは絵が上手いとか、習字が完璧とか。そういった、学校生活で日常的に「おおうっ!」と感嘆の声が上がるもので、目立てたことは一度もなかった。
  そんな中で、彼が唯一「人よりも勝った」と自覚できるのが、音楽分野。とはいえ、楽器はあまり得意ではない。だから、奏斗が音楽の授業で頑張るのは「歌」に限定されていた。
  たいした努力もせずに、常に人よりも良い評価をもらえる。それはとても貴重な経験だ。だから、高校入学時にも芸術科目の選択は、迷わずに「音楽」とした。
  その結果――今こうして、合唱部にスカウトされてしまったわけだが。
「ホント、びっくりしたもの。竹本くんの声って、すごく綺麗。良く響いてるし、潤いがあるし。歌声が音程に無理なく乗っているって思った。すごいよね……」
「そ、それほどでも」
  美音の言葉に、奏斗は思わず赤面してしまった。
  かつて、「歌が上手い」と褒められたことは何度もある。自分でもそう思っていたし、それは当たり前のことだと思っていた。だが、こんな風に面と向かって評価されると、なんとも気恥ずかしい。
「歌なんて、誰でも普通に歌えるでしょう? だって、校歌とかは集会のたびに歌うし、カラオケとかだって定番だし。もしかして、如月さんは人前で歌うのが恥ずかしいの? でも、スピーチコンテストとか、出ていたよね……」
  先日の卒業式で、彼女はピアノ伴奏を担当していた。あんな大勢の前で少しもひるむことなく、堂々とした演奏ぶりだったと思う。ピアノと歌では違うということか? いや、そんなことはないと思う。
「そ、そういうんじゃないの。その……音が全然取れなくて。自分でも外れてるってわかってるんだけど、直せないんだ」
「それって、いわゆる……」
「うん、音痴って奴だと思う」
  彼女は、もうこれ以上は耐えられないとでも言いたげに俯いてしまった。そして、消え入りそうな声で続ける。
「カラオケもね、極力断っているし……ひとりでマイクを持って歌ったことは過去に一度もないの」
  もしかして、冗談でも言っているのだろうか。美音の表情はどこまでも真面目であるが、世の中には真顔で嘘をつく人間などいくらでもいる。彼女がそのタイプとは思いたくないが、人は見かけによらないものだ。
「でも、そんなの――」
「……もうっ、これ以上は止めて!」
  現実的ではない、嘘をつくんならもう少しマシな話があるだろう。
  そう言いかけた奏斗であったが、美音の思い詰めた表情に出掛かった言葉が止まってしまった。
「私、無理なの。本当に、歌えない。山田先生はあんな風に仰るけど……駄目なものは駄目だから。あんなの、嘘だよね。さっきの男の人も、いつの間にか消えちゃったし……あれって、本当のことじゃないよね」
「ひでーな、そんな言い方することねーだろ?」
  ぼんっ、と大きな爆発音が、ふたりのすぐ近くで聞こえた。
  一瞬は目を瞑ってしまった奏斗と美音であったが、恐る恐る開いた瞼の先に見えたものに息を止める。
「……」
「おい、そこの女。俺様が本当じゃないとはどういうことだ。ほらっ、見ろ。正真正銘、この通りだ!」
  とか言いつつ、相変わらず宙に浮いている状態だ。これでは、幻覚か亡霊だと思われても仕方ない。
  いや、白昼夢というのはどうだろう。だったら、簡単に説明が付く。
「なんだ、この野郎。シケたこと考えるんじゃねえ、俺様はこうしてここに存在してるじゃないか。だいたいな、こっちに言わせてもらえば、お前らが今いるこの世界の方が、よっぽどまがい物だぞ。だって、ここはマリィが作った空間なんだ。いわば、あいつのお遊びのようなもの。それがわかっていないようじゃ、世も末だ」
  黒ずくめの服に黒いマント。濃すぎる顔に、漆黒の長髪。
  どこまでも作り物にしか見えない「物体」がまことしやかに説明する。
「お前らがきちんとしないと、本気でこの世界はぶっ飛ぶぞ。四の五の言ってる場合じゃねえ、いい加減、覚悟を決めたらどうだ」

   

つづく♪ (111114)

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