TopNovel世界が俺を*扉>世界が俺を聴いている!・16




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 川沿いに続く遊歩道。
  奏斗は自転車を押しながら、美音と並んで歩いた。前かごの中には彼女のカバン。斜めがけリュックが定番の奏斗にとって、それは新鮮な重さだった。
「へえ、じゃあピアノのレッスンがある日は朝送ってもらっているの?」
「そうなんだ、帰りが十時近くになっちゃうから、親が自転車じゃ危ないって言うの」
  ちょっと過保護すぎるよね、と言いながら彼女は首をすくめてみせる。
「それは当然だよ、なにかあってからじゃ遅いんだから」
「やだーっ、竹本くん。その言い方、まるでお父さんみたい」
  遠目に眺めているときには凜として近寄りがたそうに見えた美音だったが、こうして実際に話してみると拍子抜けするくらい気さくだ。勝手にイメージを膨らませ過ぎていたところがあるかも知れないと、奏斗はひっそり反省した。
  入学前のテストで選抜される特進クラスのメンバーは、運動も勉強も何もかもが全国平均ど真ん中である県立真中高等学校にとって、紛れもなく「期待の星」。数学や英語の教科書も他のクラスよりも難易度の高いものが用いられ、授業の進み方も内容もまったく違っている。
  同じ高校に通う生徒でありながら、彼らは自分たちとは異質の存在だと勝手に認識していたようだ。
  ――まあ、生徒会長の原田なんて、ハナからそりが合わなそうな気がするけど……
「……どうしたの、竹本くん。難しい顔して」
「あ、いや……なんでもないよ」
  駄目だ、あの自信満々で胸くそ悪い顔を思い出しただけで気分が悪くなる。あんな奴が学年の代表だなんて、絶対に間違っている。だが、彼は他に対抗する候補者もなく無投票で選ばれた生徒会長だ。そういう状況を作り上げた原因は自分にもあるんだから、今更文句が言えるはずもなかった。
「あー、今日はなんだかすっきりした! 本当にありがとうね、竹本くん」
「え?」
「大きな声で歌うのって、本当に気持ちいいんだね。今まで私、すごく損をしていた気分」
  見ると、美音の頬が赤く染まっている。
  でもそれは彼女の感情が内側から溢れ出たものなのか、ただ夕陽の色を映しただけなのか、奏斗には判断がつかなかった。それでも晴れやかな彼女の顔を見ているだけで、こっちまで嬉しくなってくる。
  歩道も川面も同じ色に染め上げられている。あまりにも美しく、それでいてどこか懐かしい温かさに包まれていると、いつの間にか不思議な気持ちになっていた。
「昔の人たちはもっと自由に歌っていたのかも知れないね」
「……それって、どういうこと?」
  単なる思いつきの発言に彼女がすぐに反応してくれるのが嬉しい。
「うん、だっていつも決まった音を出す楽器なんてなかったと思うし、それでも人は喜びや悲しみを自分の感情で自由気ままに歌っていたんじゃないかな。上手いとか下手とか、そういうのは関係なくて」
  話すように笑うように泣くように、当たり前の感情表現のひとつとして太古の昔から「歌」は存在したように思う。それが長い歴史の中で、いつの間にか枠にはまった堅苦しいものに変わり果ててしまった。
「そうかあ……そうだね、本当に竹本くんの言うとおりかも。私も大昔に生まれていたら、こんなに悩まなくても済んだのにな」
  学年一の才媛である如月美音の発言とは思えないようなひとことであったが、他のどんなことも残らず器用にこなしてしまう彼女だからこそ、唯一のコンプレックスが大きすぎたんだろう。
  それに引き替え、奏斗なんて「できないこと」だらけだ。いつだって、自分の得意分野を探す方がずっと難しい。膨らみかけた期待があっという間に萎んでしまう、そんな残念な経験が多すぎて、いつの間にか自分自身にあまり期待をしなくなっていた。
  美音がふと思いだしたように言う。
「昨日のあれ、夢じゃないよね?」
  その言葉には、躊躇いがちな期待が込められている気がした。
「うん……たぶん」
  あれは、魔女が仕掛けた大がかりな冗談である――そう考えることができたなら、どんなに楽か知れない。でも昨日目の前で次々に起こった出来事は、そんな風に簡単に片付けられることではなかった。
  意識のなかった美音には実感がなかっただろうが、奏斗は彼女の身体が特別棟の一階から四階まで瞬間移動したことを知っている。確かにそこにあったものが、次の瞬間には跡形もなく消えていた。あれは目の当たりにした者でなければ味わえない恐怖。まさか異空間にでも飛ばされてしまったのではという不安までが、その瞬間には過ぎった。
「……そうだ、新月」
「え?」
「山田先生、仰ったよね。『決戦は次の新月の夜だ』って」
  ああ、そういえばそうだったような気もする。奏斗としては、その直後の美音の取り乱しようの方がよほどインパクトがあり、記憶が曖昧になっていた部分だ。
「ええと、次の新月っていつだろう……」
  得体の知れない魔女や魔物がいくらもっともらしく語ったところで、信憑性に欠けると言うことだ。だが、とりあえず要点は押さえておいた方がいい。
  ふたりはそれぞれに携帯を操作する。先に情報を手に入れたのは美音だった。
「あ、24日だって、終了式の日だ」
  彼女が開いていたのは、月齢が載っているサイトだった。今は便利なことだ、欲しい情報は簡単な操作で手に入ってしまう。
「じゃあ、あと一週間もないんだ」
  思いついたことをそのまま口に出してしまい、次の瞬間に美音の不安げな瞳と出会う。奏斗は慌てて言葉を付け足した。
「ま、まあ……それだけ時間があれば、どうにかなると思うけど」
「う、うん。頑張らないとね」
  とはいえ、その間には土日と「春分の日」という祝日が入っている。ふたりが学校で顔を合わせることができる時間は充分とは言えなかった。とりあえずは頷いてみせる美音も、かなり動揺している。
「ごめんね、もう少し時間が取れればいいんだけど。コンクールが近いから、ピアノのレッスンを休むのは無理なんだ」
「大丈夫だよ、歌の練習はどこでだってできるし。まずはお互いに譜読みを完璧にしよう」
  とか言ってみるものの実はあまり自信がなかった。奏斗は基本、耳から聞いて音を覚える方だし、それでも今回はただ音取りをすれば良いわけではない。美音の歌う主旋律に自分の音を重ねなければならないのだ。今までそのような歌い方をしたことがないだけに、正しいやり方もわからない。
  だが、今回ばかりはその不安を口にすることも出来なければ、最初から無理に決まってると投げてしまうことも出来なかった。半ば無理矢理ではあったが、一度は引き受けてしまった話なのだ。しかも、その責任を背負っているのは奏斗ひとりではない。
  ――それにもしも、今回のことで如月さんが歌に対するコンプレックスを消してくれたら……
  そもそも「世界が壊滅する」のであれば、その先の未来などいくら考えても無駄だ。だけど確かな目標がなかったら、頑張ろうという気力が生まれてこない気がする。
  だが、世界が「続く」と信じることができるなら。それならば、そこにはいくつもの数え切れないほどの新しい希望が待っている。その場所にたどり着くために、今の努力は決して無駄にはならないはずだ。
  奏斗はもう一度、しっかりとした眼差しで空を見上げる。そこには綺麗に色づいた夕方の輝きがあった。

   

つづく♪ (120831)

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