ちょっとティータイム

『ビーチボーイズ』な年頃

お盆過ぎに実家に帰った時、もはやフジテレビの夏の午後の恒例とも言える、『ビーチボーイズ』の再放送を見てしまった。東京にいると仕事しているか(8月1日開業しました)、どこかにでかけているかの時間帯で、テレビをつけてることはないんだが。その時見たのは、社長が海人と広海に「ここは俺の海だ。お前らの海は別にあるはずだ。お前らの海は自分で捜せ。」と言う回だった。自分の海か・・・、見つけたのかな。Rayはまだ海じゃなく河口でおぼれかかっているんじゃないんか(爆笑)と。

その3日後、表参道で行われたライブに一緒に行った青年がこう漏らした。「専門学校をやめて何か別なことをやるか、専門学校を続けるか悩んでます」。彼は25歳になるらしい。その頃Rayも悩んでいたなー、そういえば、と、思い出した。同級生のほとんどは社会人、周りは違いを感じざるを得ない年下ばかり。自分でできる『何か』を探したいとあせる日々。オンタイムに『ビーチボーイズ』がやっていた 。

でも今思えば、今こうしているのは あの頃があったからこそ。仲間と語りあえた時間も、飲み遊びまわったことも、宝物になりつつある。今も自分でできる『何か』を探してるには変わりがないけど、サイは投げられた(とゆうか、無理矢理投げた(爆笑))ので、やることをやらないとメシが食えないから、悩んでばかりではいられないんだよな。青年よ、学生のうちに大いに悩め(爆笑)。

2002年9月5日

「カワイイ」より「カッコイイ」

飾るのが嫌いんすよ、昔から。キャラクター商品とか子供からあまり憧れはなく、今にいたっては「なんじゃ、それ」と驚くばかり。遊園地で騒げるのに、ディズニーランドで妙に冷めているんだよなー。ブランドにこだわるのは米のこしひかりとサントリーの烏龍茶とCPUのペンティアム(爆笑)、といってもノートパソコンは違うからな。昔ジーパンにこだわろうと思ったが、這ってひざをすってすぐに破くんでやめた(爆笑)。リーバイスは外出用になった。もしこだわるのであれば、マイ・バイスキーとか車とかだよな、Rayの思考回路は(爆笑)。

マジで雑貨屋に興味ないと、最近思った。「カワイイ」という発想がカンペキにずれてるらしい、Rayは(爆笑)。どうもキレイなもんで部屋を飾ろうとする気がおきない。最近実家からマンガ風のかわいい招き猫は奪ったが(爆笑)、ある種願望を入れた守りの置物だしね。雑貨屋より東急ハンズでDIV商品やキャンプ商品をみてた方がわくわくする。この前アキバでおもしろいところを教えてもらったし。でも車椅子でどーいくんだろ、というところ(爆笑)。宝探しみたいでけっこうはまりそうで怖いんすけど。服装なんて「キメるときにキメたらいい」と思うから、ジーパンにTシャツに紐のスニーカーが1番の普段着というか、お気に入りというか、1番自分でいられるもの。

もしかして1番こだわりたいものは『生き方』だったりする。Rayにしかできない生き方。普段は酔っ払いの遊び屋でも、「キメるときにキメる」カッコイイやつになりたいよなー。

2002年9月11日

900万円の土地で「建設中」(爆笑)

仕事がなければ暇もてあましてついつい遊びにでかけるけど、仕事があればめっちゃ忙しく、日中新聞も読めない。どちらにしてもあんまり読まないんだよな(爆笑)。仕事で忙しく寝る前にめくった時のこと。都内の基準地価が載っていた。えーっと、うちは・・・と探したら、うちの一区画内のほんとに目と鼻の先が1坪90万円! うちの部屋はたぶん10坪はあるから(1坪って2畳だよね?と誰にきくんだっちゅーの(爆笑))、普通プータロー同然のやつが住めるトコロじゃないやねー。家賃で障害者年金と手当がまるごとなくなるわけだ。ありがたや。仕事しよ、仕事。

引っ越すつもりはさらさらない。場所を東京の中心部をあきらめて不動産屋をめぐっても、こんないい物件はねーだろ。安定収入の職業もあるにはある。会社をやめて、すぐにお声がかかったんだ、たぶん。障害者として活きる仕事。でもなんかねー、Rayには合わないんだよ、24時間マジメに障害者してるっちゅーのはと昔から思っていた。だから敢えて大学で福祉を勉強しなかったわけ。障害者の自覚が足らないかもしんないけど(爆笑)。んで、パソコンでメシを食おうとしているんすけど・・・。

新聞をまためくっていたら、ある女子大生の投稿が載っていた。『「自分らしく」にこだわると、人生設計にもことさら時間がかかる。簡単ではない・・・』と。人生設計にも時間が8年もかかったけど、「建設中」はもっとかかるらしい(爆笑)。

2002年9月24日

アメ横でワンショルダーバッグ

ワンショルダーバッグなるものを買った。今まで使っていたウエストバッグは、もう3年前になるのかぁ、無理やり押しかけた仲間の結婚式の引き出物だった(爆笑)。そう、カタログで選べるやつ。押しかけて行ったのに、お祝いの額よりすげーお釣りが来てしまったアノ結婚式の引き出物^^;。手が使えないのに1人で歩くRayにとっては、車椅子の後ろにかけて持ち歩くのはどーでもいいもの、例えば車椅子の説明書とか地図とか、車のトランク代わり。大切なものは自分がとれる膝の上に持ち歩く。といっても、食事の道具から、駅員に行き先を書いて伝えるメモ帳、バリアフリー施設があるかどうかわかる地下鉄マップ、仕事用とプライベート用の名刺、そしていわゆる貴重品までと、必需品が多い。それを持ち歩くのにはウエストバッグが便利だった。でも1人暮らしすると、ベルトを腰にはめてもらう人がいつもいるとは限らなくなった。それでもこりず持ち歩いていたけど、買い物をして荷物を持ち抱えるとよく落とす。やばっ、ここは東京だぜ、というこった。

こっちに引っ越す時おふくろからかっぱらったワンショルダーバッグはあるのだが、四角くて旅行に使えるほど大きすぎて、電動車椅子の操作に邪魔だった。三角で3,000円ぐらいで、ちょっとした仕事にも使えそうな派手ではないやつ(そりゃスーツを着るときは昔の通勤バッグを出すけど、普段着でいい営業だってあるわけで。)を祝日の上野のアメ横で探した(爆笑)。非常にメーワクだということはわかっているけど、好きなんだよ、人込みかきわけるのがさ(爆笑)。有名メーカー品は6,000円はするので、なかなかめっけられなかったが、おばあさんが店番していたところでみつけた、グレーのポケットがちーっと小さい2,900円のやつ。「1人で来たの」と不思議がられ消費税をおまけしてもらった(笑う)。

まさかな、三十路で、週末飲んで午前様に帰るやつには見えないらしい(爆笑)。最寄り駅の駅員にも「帰りは12時ね」と平然と言われるやつなのに(爆笑)。このワンショルダーバッグをギターのように抱え、遊び回るRayであった。

2002年9月30日

『四次元の胃袋』の15年後・・・

食欲の秋。メシがうまくてしゃーない季節になりました。ただでさえ、介助者に夜料理の本どうりに4人前を作ってもらって、その日の晩ごはんにした残りを翌日の昼に食べてすべてなくなるやつです(爆笑)。独り者なのに月々の食費は3万円、しかも飲み会代ぬき。飲み会でも飲みながら「つまむ」じゃなく「しっかり食事」するやつ、らしいです^^;。今年は夏太りしました。でもダイエットといっても、量を減らすのは我慢できないんで、意識的に豆腐・魚をメインにしたメニューを多くしただけで痩せました。「一昔前のアメ車」とよんでください。動かない割に燃費が悪いんで(爆笑)。

中学生の頃はもっとすごかったのです。自称『四次元の胃袋』(爆笑)。ふつーの女子中学生がちっせー弁当箱を持ち歩く年頃、Rayはもちろん部活なんかやってないのに、給食は休んだ人の分を横取りして食べ、家に戻っておやつにスーパーカップ(1.5倍あるというカップラーメン)をぺろりたいらげた後、夕飯もおかわりしていたんすから(爆笑)。しかも牛乳1リットルくらい飲むし、給食の時今言う「マヨチュッチュッ」してたし。香取慎吾を見るたびに、「なんでコイツのようにデカくならなかったんだろ」と不思議に思うんす(爆笑)。まっ、スポーツせずに小児ゼンソクが治ってたんでいいかー。

その頃おやつがなきゃうるさかったんすが、カップラーメンの他には餅とか団子、大福、というしっかり腹持ちがいいやつを食べてたんす。うちはスナック菓子、ケーキ、ジュースをおいてなかったんす。今はどこか行って出されるのをパクつく程度で、敢えて自分から間食もしないんす。どーせ食べるならしっかり食べたいんで(爆笑)。

2002年10月4日

運命は、自分の力でしか切りひらけない

「運命は、自分の力でしか切りひらけない。」 新しい連続ドラマ『真夜中の雨』の広告のコピーに目が留まった。新しいといえ、キャストをみても、主役の職業をとっても、主題歌の作曲者をみても、『振り返れば奴がいる』を彷彿とさせるもの。まっ、製作スタッフが同じだからね。『振り返れば奴がいる』の斯波センセーとちがい、ミステリアスで本当の「冷酷な男」になれなさそうな都倉センセーの心の移り変わりを楽しみに・・・とドラマの話を書くのと違ったっけ(笑う)。

『振り返れば奴がいる』がやってた10年前、3年目の大学入試を控えてた。「これが最後」とおふくろにも言われていたし、自分もそう思っていた。受験まで、「障害者が大学行ってなんになる」と当たり前のように言う養護学校の教師がいる中、カリキュラムを変えて勉強させていただいた先生方や、受験時間の延長やワープロでの解答などの必要性を大学内部で訴えていただいた大学の先生方に、お世話になった。今も忘れない。だけど・・・合格しなかったら、それらが無駄になったのかもしれない。まっ、一石を投じた影響はあると思うけど、「Rayのために」という思いは無駄になったと思う。協力してくれる人はたくさんいても、「結果」を出すのは結局自分の力だ。そのことがわかったのがその10年前、「♪今からそいつを これからそいつを なぐりにいこうかー」という歌がはやっていた頃だった。

今周りの人の期待に応える「焦り」はなくなった。けど、いや、もっとかなー、「運命は、自分の力でしか切りひらけない。」 ってやつを痛いほど感じてる。「織田ちゃんはあんまり変わらないけど、石黒賢ってオヤジになったよなー」と、自分のことを棚に上げながら(爆笑)。

2002年10月26日

歩き回った新宿で・・・。

買い物には、上野か新宿かアキバによく行く。上野はアメ横、アキバはもちろん電気街。そして一番歩き回る新宿。高島屋にはぜんぜん興味が無いのだが、HMV・東急ハンズ・紀伊国屋は広くて車椅子の人間にはありがたいっすよ。紀伊国屋なんかRayの興味のパソコンと社会科学の本が5階にあり、ワンフロアで事足りるからねー(たまには文学作品を読めよな(爆笑))。あとは、新宿ペペにある100円ショップとユニクロも広くてよく行く。100円ショップとかマツキヨってたいてい狭いから、新宿まで行かないと自由に歩き回れないんすよ。新宿ペペには楽譜が売っている楽器屋もあるし、中古CDを売っている店もあり、いいっす。結局行く所が学生時代と変わってないやんか(爆笑)。

この前もどーしても確定申告について調べたくて(いちおう個人事業主となったからさー)、紀伊国屋にいき、ついで高島屋のビルの中にあるベスト電器や、新宿ペペを一人で気楽にぷらぷらと。この気楽さがたまらなく好きなんす。

ところがその帰り、地下鉄に乗ろうとして、携帯といっしょのネックストラップにつけているメトロカード(地下鉄のプリペイドカード)や切符を入れておくパスカード入れを出して見ると、携帯がなーーい。つないであった紐が切れてどこかに落としたらしいっす。捜すっていったってさー、大江戸線から高島屋、新宿ペペってすげー歩きまわったんすから。1万何千円と他人のデータが入ってる財布を落としたようなモンじゃん、いや悪用されたらカードも落としたモン、顔面蒼白、内村てるよし(爆笑)。地下鉄に乗っている間、そんなことを考えていた。

地下鉄をおり、世話になっている自立生活センターにダッシュ。言語障害があるためスタッフの人に自分の携帯番号にかけてもらった。すると「高島屋の警備員室で預かっているって」。悪運の持ち主(爆笑)。あー、よかったー。

2002年11月10日


久しぶりの風呂

1カ月半ぶりに風呂に入った。といっても、病気していたとか(新宿に行けるやつにはあり得ないだろーが(爆笑))、命賭けの放浪の旅に出ていたとか(これはありえそうだって?(爆笑))ではない。浴槽に入るために使うリフトが壊れて、修理に出して戻って来るまで1カ月半かかったのである。その間シャワー浴びたり、シャワーを浴びることも寒くてめんどくさく介助者に頭だけ洗ってもらったりしていた。10月なかばまでは東京は暖かかったが、それ以降急に冷え込んだし、ちょうどその頃仕事が忙しく寝不足が続いたけど、風邪もひかなかったのはやはり・・・(爆笑)。でも左股関節の古傷が痛かったけど。

実家の風呂はバリアブルで、おふくろに湯船に入れてもらわないと入れない。なので一人暮らししたら、出来るだけ一人でできるようにしたくて、浴槽内リフトにこだわった。ほとんど毎日風呂に入り自力でリフトに載るから、この2年間くらいで左腕は鍛えられたし。だけどこのリフトがよく壊れるんだけどねー、これがっ^^;(爆笑)。

もともと長風呂で、髪と体を洗う前後に冬なら20分湯船に入っている。それでも物足りなくてお湯をわかしてごまかしている(爆笑)。床上を這うので冷え性かも(「かも」って自覚してないし(爆笑))。だけどそんだけ入ると、こんな寒い家の中(と他人は言うが、実家が欠陥住宅だもんで寒くないと感じてしまうんだよな、これが(爆笑))なのに、すぐには眠れなくなり、メールやネットにはまりこんで、寝不足は続く(爆笑)。

2002年11月24日


いいんだ、これで

初級シスアドを受けに戸山サンライズに行った時のこと。ある映画のポスターを見た。「世の中、平らな道なんてないんだぜ。」、なんか面白そう。仲良しの女子大生を誘って、初雪の降った次の日に池袋まで見に行った(初雪の降った日は仕事関係で新宿に行ったんだけど(爆笑))。加藤晴彦主演の『AIKI』

内容は、バイク事故により脊髄損傷になり、車椅子の生活となった元ボクサーが、面白い人達と出会ったことで自暴自棄の時期を経て、どーしても格闘技をやりたくなって、唯一車椅子でも入門を許された合気柔術をやり成長して行くという青春映画。生々しい障害の現実の描写もあり、脊髄損傷の友達とはたぶん見れねーだろーなと思った。それくらい加藤晴彦は熱演していた。けど後味さわやかーの青春モノだった。

主人公太一がひかれていった合気柔術はボクシングなどの格闘技とは違う。「その本質は『殴らない、殴られない、蹴らない、蹴られない、斬らない、斬られない』ことを特徴とする護身術である。呼吸・条件反射・円運動の3つを原理とし、相手の呼吸と力を読み、気を合わせることによって、自分のバランスに相手を引きずり込んで崩す。こうして自分の力をほとんど使わずに、相手の力を利用して倒すことが可能となるのである。」(『AIKI』の公式HPから引用)

これって合気柔術とかそういうものを越えて、私の理想の生き方だよなと。人との関係も、相手がどんな人なのか受け入れてからつきあいがはじまる。初めから拒絶しないし、自分を押し付けることも極力避ける。でもありのままの自分を見てもらうしかない。相手が拒絶したらそれはしかたない。社会へのアプローチも、社会の現実を素直に受け入れてから、悲観的にならず、自分ができることを考えて行動してきた。それによって理解してくれた人も増えたと思う。「礼は食べさせておけば、世の中渡って行けるからほっとけー」と暖かく見守ってくれるオヤジたちや、「何にでも挑戦するお前が好きで付き合ってるんだから」という悪友にも巡り会えた。チカラを使ってカベを壊さなくてもいい、ただ自分がありのまま受け入れ進めば・・・とぼんやりと思ってたことを、鮮明にさせてくれた映画だった。

2002年12月22日

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