ちょっとティータイム

リアルな夢

リアルな夢を見ちゃったよ。

下りのエスカレータを後ろ向きで電動車椅子で下りていたんす。突然左の前輪のボルトが取れてしまったんす。Rayは大騒ぎして、なんとか周りの人に助けてもらったんだけど、そのボルトがアメリカ製で、取り寄せるまでしばらく動けないと言われた夢(爆笑)。ドイツ製の電動車椅子なのに、なぜかアメリカからボルトを取り寄せるのかというのが、現実ではありえないんだけど。

人によっては「下りのエスカレータを後ろ向きで電動車椅子で下りていた」というのがリアルじゃないと思うんだけど(爆笑)、Rayにとっちゃあ日常なのよ(爆笑)。しかも車椅子の友達とお台場に行って電動車椅子が壊れて動かなくなったものの、なんとか通りすがりの韓国のおにーさんたちに助けてもらって駅までついたつわものだから(爆笑)、あり得ないことはない(爆笑)。

正夢にならないよーに(爆笑)。

2004年9月5日

「話さなくても、伝えられるものがある」

今までのクライアントがほかの会社にホームページの管理を委託するということで、その会社にクライアントが私を紹介してくれることになった。9月から契約。今度のクライアントは完全週休2日制。土日は仕事を気にせずおもいっきり遊べます、うれしいっす。

そんな最初の土曜日、やっと『機関車先生』を見に行った。6,7月の落ち込みを過ぎたころから、この映画の存在を知っていて、気になっていてしょーがなかったものの、仕事が忙しく、何日か連続午前4時就寝とかいう生活を送ってた。夏休みなんてヒトゴトだったね、今年も(笑う)。去年も今頃『踊る大捜査線MOVIE2』を見に行ったんだっけ。ほんとにやっとです。

新宿の映画館に行ったんすが、いやー、久々に急な階段で車椅子をかつがれました(爆笑)。前以て映画館に昇降リフトがあることを確認して行ったんすが、「時間がかかるので」と映画館スタッフさんが運んでくれました。こわかったっす(爆笑)。

じわじわとわき出る感動というタイプの映画でした。ほんとの強さとか勇気って何だろうかと。フィクションの奇麗事なんすけどね。「憎しみは憎しみしか生まれない。その大きくなったものが戦争だ」とか、日常なんとなく分かってるはず、でもやっちまうかもしんないと思うこともあり、やっぱRayは汚い大人になったんだよなと(爆笑)。生徒や周りの人と向き合い、自分に正直に真っすぐ生きようと決める主人公はやっぱ先生っす。うーん「話さなくても、伝えられるものがある」かー。でもむずかしいよね、声が出せる奴でも思うんでもうちょっとそこの葛藤はみたかったよーな気がしますけど、坂口憲二の表現(せりふはない)はよかったっす。

昭和30年代の話だったので、「あの木の机、鹿児島の学校で使ってたよーなきがする」と思うほどまだ生まれていないのに懐かしい雰囲気も感じられたっす。チャンバラごっこをやったよなと小学生のころを思いだしました(爆笑)。それに瀬戸内海はきれいでそれだけでも「自分の小ささ」を感じたんで、暇なら是非勧めます。

2004年9月6日

ダブルパンチ

マシンも調子わりい。バッテリーが変。いつ止まるかわかんない。クライアントとの打ち合わせで神保町に行くつもりだったのに、怖くて理由を言ってキャンセルしてしまった。本物の脚も実働のアシも調子わりいと、できることはパソコンに向かうことしかない。おとなしくするしかないか^^;。

先日の通院の時。「翌々月来たときにレントゲンをとります。結果次第では手術です」って言われて、早く痛みがなくなるからとっとときってほしい自分と、これ以上動けなくなるのが怖い自分がいるんだよな。あーいやじゃ、グレーな自分。

手術自体怖くないけど、それからリハビリをすぐにやるわけではない。今家の中の移動は這うのを諦め、脚を伸ばして座り両腕でカラダを引きずって動いている。腕を触ると筋肉がついてイイ感触になってきた。その鍛えざるを得なかった腕力でさえ0にリセットすること。もともと上肢はリハビリしても使い物にならないと子供のときから思っていたヤツにリセットはきつい。「座っていることはできます」と言われたけど、立つことや這うことは諦めたとしても、今のように両腕でカラダを動かして、一人でトイレに行きたい。本当にそこまで回復することができるのか。それとも車椅子に座りっぱなしで車椅子からの移乗もできなくなるのか。すげー不安。

夏の落ち込みと違うのは、両腕の可能性を見いだせたことだけ。でもそれが大きいかもしんない。

2004年9月15日

どんなときも。

かんたんな買い物は人に頼めるけど、役所と銀行は自分でいかなきゃならない。当たり前っちゃ当たり前だけどさ、「申し込み用紙は区役所の障害福祉課や福祉事務所にありますから、とりにいってこちらに送ってください」て、『こちら』はもちろん障害福祉課や福祉事務所じゃない。書類書きは代筆を頼むしかないけど、申し込み用紙を送ってくれよー。ブツブツ言うけど、金も引き下ろさないとならんから、行くことにした。

書類はもらった。せっかく障害福祉課にきたんだから、「入浴台の申請って何年毎にできるんでしょうか」と聞いてみた。さすが障害福祉課、言語障害でも対応はいい。「3年前の住宅改修ではすのこは申請されていません。申請できますよ」。ラッキー。実は諦めてたんで^^; 「業者とお宅に伺いますが予定が・・・」「慌てなくてもいいんでお願いします」といってしまいました(爆笑)。いてーのに^^;

入浴台だけでなくトイレリフトを特注してもらうことも、次の通院日にはメドをつけたい。手術をするのか先延ばしになるかわからないけど、先延ばしになっても寒さと低気圧の季節痛さで間違いなく立ち上がれなくなりそうだし、手術してリハビリして退院してもここで暮らせる環境を作っておきたい。「どんなときも自分らしく活きる」ために今できること。

2004年10月1日

手術を受ける準備

トイレで立てなくなってしまった。痛くて痛くて便座にすわるのに立たないといけないのに立てない。「頼む、立たせてくれ」とわめくが、こんなときに限ってチャイムや電話が鳴り響く。5,6回目によーやっと立って座れた。ほとんど奇跡。精魂尽き果てて、トイレを出て移動するため脚を伸ばしてすわろうしたら、バランスを崩して背中から倒れた。床と背中の間に、利き手でない右手、右腕を挟んでしばらく動けない。「こんな脚ならもういらない。はやく痛みをとってくれー」、いっちまった。次の通院日までちょうど1カ月、それまでどーすりゃいいのか、わかんないとパニクった。

次の日はなんとか立てた。日によっても痛さが違うし、夜より朝がつらい。つらいときは朝寝ているときから鈍痛というように違う。体圧低減パッドを使っているのにもかかわらず。「これが現実!!」だけど、CMでそう言ってるヤツと同い年なんだって(爆笑)。年寄りくさい。

頭の中を整理した。手術を受けるという前提で今しなければならないのか、決まったときにやることか。迷ったのがクライアントにいつなんて言おうかということ。1番の大口クライアントは「産休する社員の代わりに」と9月から契約したばかりなのだ。契約した8月終わりにはまだ「半年や1年くらいは猶予ある」と思ってたけど、立てないほど痛くなったんではもうその準備をしなければ。でもほんとに手術するかは通院日までわからねーし、先行きよめないやつだとクビ切られてもしゃーない。不安で、同じ業界にいて会社で仕事をSOHOに依頼している立場になったことがある、大学時代の悪友にアドバイスを求めた。「クライアントもそこまで鬼じゃないよ。仕事は、代わりの人間を見つけてちゃんと紹介して引継ぎして、手術終わって復帰できるようになったら復帰したら?」。引き継ぎって言っても、まだ本人の引き継ぎ期間が終わってないのに。。。

週明けにそのクライアントの社長と上司?にメッセンジャーで呼ばれた。あるソフトをマスターして新しい仕事をしてもらえないかという話であった。前以て聞いてたので、やりますと即答。こんないい機会ないと思って、「ご相談がございます」と切り出した。結果は「休職扱いにします」。よかったー。最大の迷惑は免れたし、復帰もできる。早速悪友に報告。気持ち的に楽になった。

2004年10月21日

母校の学園祭で日本の将来を不安に思う^^;

出身大学の学園祭へ、悪友たちと行った。学生たちのもりあがりはなく、Mが「俺たちもそうだったのかなー。もーちょっとやる気はあったし、接客態度もよかったはず」とカンペキおやじモード全開。あれはもう大学の終わりだよな。模擬店も義務感漂わせてるし。

夜恩師と飲んだとき聞いたのだけど、ゼミコンというものもないんだって。どーも学生たち全体が「誰かと協力して企画したり、自分で考え行動する」力というものがなくなったらしい。高校まで言われたことをやっていれば「良い子」だったからというものがあって、大学になってからそれが身につくのは難しいらしい。大学時代って机に向って勉強した覚えはなくても (爆笑)、「自分で考え行動する」力を発揮して学ぶところじゃん。Rayはそれを身につけたから、イイ大学時代を過ごしたと胸を張って言えるけど、はたして今の学生サンは何かを得られるのだろうか。

待て、それってどこかで言われて来た問題じゃんと思った。具体的には言えないけど(爆笑)、「自分で考え行動する」力を身につけられない環境があるんだよ、確かに昔から。なぜそうなるかは違うけど、『特殊』なとこではあった。でもここまで『一般化』するか。

「自分で考え行動する」力がないと、社会人になったら、「ツカエナイ人材」となるのは見えている。「自分で考え行動する」力を大前提にして、その上に求められるものの先を読む力が社会人には必要なのは、どこでどういう形態で仕事をしても同じ。つくづく最近思う社会人4年目の三十路である(爆笑)。そういうことができない人が増えるとなればやべーじゃん。日本の将来。

2004年10月31日

可能性と不安入り乱れのセカンドオピニオン

中学時代の恩師から別な医者の名前を教えてもらった。最初はパニクるような気がして乗り気じゃなかったが、おふくろが手術に反対していて説得する材料が欲しかったのと、自分自身「座ることはできる」の程度がどのくらいなのか(今のように寄りかからずになのか、今の車椅子で大丈夫なのか、まさかリクライニング式の車椅子なんか作らないとやばいのか)確認したかったために、所沢までセカンドオピニオンを聞きに行った。やはりパニクることになった。

股関節はもちろん首・腰・足の先までレントゲンをとられ(まー脳性麻痺だから2次障害がでるポイントすべてということ)、「君は若い。左股関節だけ悪いんだから、ながい目で見ても大腿骨を削るとか半端なことですますより、痛みを取り立つことを諦めずに保つために自骨による関節再形成を」と手術&温泉病院でリハビリ1年を勧められたんす。

待て1年なのー。手術は東京、リハは山梨。

待て待て待て。仕事は? 金は? ここの家賃は?

自骨による関節形成術って。そりゃ立てれば自分はもちろん介助する側も楽になるけど、やっと稼ぎで飯食えるようになったかなという時に1年かよ。。。間違いなく東京での入院は寝たきりで、山梨でPHSを病院の中で使えるかどうかの電波の弱さ。山梨から戻って来たら34だし、SOHOだからそれから仕事を1から始めるのも覚悟しておかないと。それで50までとか絶対もつなら1年やるけど、30代でまた悪くなるなら・・・と思う。50歳でもスパン短いんだけど、諸々出てくる年齢だからしゃーないと。でも30代ではいやだ。野球選手なら引退すりゃ痛まないけど、Rayはこれから働くわけだし、社会保険労務士を目指すし、大阪にも行きたいし、スカイダイビングなんか夢のまた夢のままだって。。なら大腿骨を削る手術を受け何カ月かで復帰して、関節が外れないように立つことを諦めて機具を使って生きる方がいい。「1年はあっと言う間だよ」と言われても、その後の期間の長さで価値が違うって。

石橋をたたいてわたってもう立つことを諦めるか、勝負に出てもう1度立てるようにするか。可能性は有るけど不安も大きくなってしまった。。。とにかく話を再度聞きに行くしかない。

2004年11月10日

決断

手術(自骨を使う関節形成術)を春に受けることに決めた。確定申告を済ませて2月末から山梨の温泉病院に入院し、2週間手術の前のウォームアップとしてのリハビリをやり、都内で手術、関節が引っ付くまで2,3カ月おとなしく寝たまま過ごして、山梨に戻って半年かそこらリハビリする。腹をくくった。初めての手術なので怖いんだけど、やっぱこのまま動けなくなるのはいやだ。

山梨の温泉病院まで行って再度話を聞いて決めたんだけど、その数日前Webアクセシビリティー認定アドバイザー試験と初級シスアドに合格したのも大きい。退院して(リハビリ中に再開というのはやっぱ締切厳守は難しいかも)、1から仕事を始めるのを覚悟したけど、合格したことで今まで4年間何をやってきたか、何ができるか客観的にアピールできる。1からでなく2から始められる。なら、たかがトイレで小一時間かかったり、仕事中にトイレのために誰かいる生活なんて、合理的ではない。可能性がないならしかたがないけど、可能性があるとすれば、そういう意味でも仕事ができるカラダにしたい。

今度はドラマ『GOOD LUCK!!』の新海元になります(爆笑)。人一倍かかってつかんだ夢を手術とリハビリでもう一度取り返します。悲しいのは柴咲コウにあたる存在がいないっつーことか(爆笑)。「山梨って。ワインとか、温泉とか、食いもんもうまそうやな。」と既に見舞いを楽しみにしている悪友はいるけどさ^^;

2004年11月23日

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