LRAJ 2010 もう一つのライブ      home

建築あそびin竹屋(2008年2月10日)当日の様子  1月26日の事  LRAJって何? 建築あそびって何? 今後の課題 

 01福島駅から  02朝礼  03会場構成 04受け付け 05観客の場
 06編集1    07編集2 08印刷配布 09打ち上げ 10コメントなど 


         その10 コメント 感想など

 01junque  02辻琢磨 03秋吉浩気  04岡本章大 05匿名一男
 06浅野翔   07石川翔平  08藤井亮介 


2010年3月13日 4:19 藤井亮介さん (  )才 TRAJメンバー

  (USTREAM+twitterの発信当事者の感想)


佐藤さん ご無沙汰しております。返信がすっかり遅くなってしまって申し訳ありません…。さてLRAJ2010USTREAMtwitterの感想ですが

基本的にはAARのレビューでも書いたようにhttp://aar.art-it.asia/u/fujiidata/x24NA8CPOEcZf5Bsl9tQ/オリジナルの情報の欠如とオルタナティブの情報の補完の相互作用というのが個人的に一番の収穫だったように思います。
 
ただこれは今回のLRAJ2010だけに限ったことではないかもしれません。特にTEAM ROUNDABOUTのメンバーは第一回目のライブの時から当日は何かしらの仕事がありますから純粋な観客よりもかなり得られる情報量は少なかったように思います。しかし、それでも自分の聞いていなかった部分の文字起こしの断片マンガの製作過程などを見ることで足りない部分を補っていたように思います。

そして実はこの「欠如したオリジナルの情報の代わりに二次創作された情報で補うこと」というのことこそがライブの肝だったのだと感じています。そして今までは最後に発行するフリーペーパーがその役割を担っていた側面もあります。
 
でも今回で顕著だったのはそのような二次創作(登壇者の発言に対するコメントなど)リアルタイムで飛び交っていた、ということだと思います。しかもtwitterだけでなく、USTREAMでの中継のおかげで、かなり多角的に意見が交錯して(それゆえ議論が複雑になってしまったかもしれませんが)何か異様な盛り上がりを見せていたのは確かです。会場にいる人も自分の携帯でtwitterを見て興奮してたり、自分のつぶやきがスクリーンに映し出されたりという光景はいままでの講演会のスタイルから考えるとほとんど革命のような変化に感じられました
 
ただやはり今はまだ「異常な盛り上がりがある」という状態のままでそこから先の展開を考えないといけないな、というのも同時に感じています。すごく難しいと思うのですが、議論を拡散させるツールではなく議論を構築するツールになるような仕組みを考えることがこれからの課題ですね。そういう意味でtwitterの140字の制限は良いアーキテクチャなのでそこに加えて何か別のアーキテクチャを考えたいです。
 

(延長したことについて

あとUSTREAMの延長についてですが、これは予想以上にリピーターが多かったことがひとつの原因です。当初、USTREAMのビデオを一定期間残すことで会場でのライブUSTREAMの生中継も見逃してしまった人に対してなるべく議論を共有したいと思ってました。

ただビデオだけというのはオリジナル(に近い)情報なのでそれだけが一人歩きするのは今までのポリシーに反します。(ビデオだけが消費されると「ライブ編集」というコンセプトがほとんどなくなってしまうため)ただし、ブログやtwitterの書き込みなどと併せて見れるような期間に限って公開するのであれば二次創作との関連性が生まれるので単なる消費で終わらないのでは、ということで「期間限定の公開」を実施したのです。

ただ、公開してみて分かったのは実際にビデオの閲覧していたのは、会場にいた人もしくはUSTREAMの生中継を見てた人だということ。つまり多くの人がリピーターで、そういう人の多くがいったんLRAJ2010から離れて何か別のレクチャーを見た後にそれを踏まえてもう一度LRAJのUSTREAMを見る、ということをしていたようです。なので公開の延長というのはそういう人たちのために冷却期間後のリピート視聴できるだけの期間を設けたという解釈です。
 
以上、ざっくばらんにいろいろ書かせていただきました。僕もtwitterはLRAJ2010から始めたくらいなので、まだ経験は浅いですがここ最近の盛り上がりは本当に何か恐ろしいものを感じます。この勢いを絶やさないためにも次の手を何か考えながら展開していきたいと思います。
 
またインタビューのときにいろいろお話したいですね。あ、あとインタビューの時間ですが4/3の午後3時以降ではなくて4/4の午後1時とかに変更できませんか?無理言って申し訳ありませんが、お応えいただければ幸いです。それでは、またよろしくお願いいたします。   藤井亮介
 


2010年2月26日 7:21 石川翔さん ( 才) 

     イベント と twitter 
       注意石川さんのブログにも同文が掲載されます
・自己紹介

今までtwitterで、突発的に議論が起こった時やイベントなどでのみんなの「post /つぶやき/ついっと(以下、post)を自分のブログにまとめてきました。

前者には「住宅設計における建築家の役割の話 その1 ーログまとめ編ー」
(http://d.hatena.ne.jp/arch-database/20091101/p1 )
後者には「建築夜学校2009 第一夜 前半部分
(→ http://d.hatena.ne.jp/arch-database/20091011/p10 )などがあります。

それらtwitter上の活動をしてきたことに加えて、このイベントでも現地でtwitterを利用して参加したので、イベントとtwitterの話を書こうと思います。

・「講演会を拝聴する」と「イベントに参加する」の間これまでの講演会では「テーマ」が設定されており、聴衆はそのテーマと壇上の方たちの話を受動する立場でした。それは「大きな物語」があり、ばらばらな人に対して求心性を与える主題が設定し易い状況だったことと、コミュニケーションツールの都合上、そのような「代理的討議」が行われていたのだと思います

今回は、「UstreamによるLIVE配信+twitterによる会話の場」という新しい技術により、従来の講演会とは異なった、「イベントへの擬似参加とも呼べる体験をすることになりました。
僕の2月6日のpostは「twilog」( http://twilog.org/siskw/date-100206)にあります。これを振り返りpostを大まかに分けると、次の5つになります。

1:要約、発表者が話した気になる言葉を取り上げてpostする。
2:意見、発表者の言葉を受けて自分の考えたことをpostする。
3:付加、発表者の発言に対して関係しそうな資料などをpostする。
4:議論、他の方のpostに対して自分の意見をpostする。
5:状況、自分の状況をpostする。

人によりこれらのバランスは異なっていて、「要約」に徹する人もいれば「意見」が多い方もいます。そこには聞くことに徹する、積極的に意見を述べる、という「イベントに対してどのように参加するか」の選択肢が広がっています


・聴衆のグラデーションを可視化する

そしていつも面白いと思うのが、「壇上」の議論とは別にtwitterのpostが流れているTimeLine(TL)で、postしている聴衆同士の「4:議論」が始まるところです。元々、「聴衆」側のテーマ理解の程度には差があるハズですし、各人の目的も異なっているハズです。その聴衆の中にある意志の濃淡のような部分がtwitterのpostを通して可視化・発見され、新たな対話を生み出しています


・イベントはポイントでしかない

このイベントに付けられたハッシュタグ #LRAJ2010での発言はtwitter本家にはストックされていませんが、他の様々なサービスにより保管されています。ここでは、その中のひとつ「hashtagsjp」(http://hashtagsjp.appspot.com/tag/lraj2010)を紹介します。「hashtagsjp」では、そのハッシュタグのTL、関係者、関係リンク、post数などを表示してくれます。しかも、今なお#LRAJ2010では議論が続いていまして、そこに関わったたくさんの人や記事へのリンクが伸びていますTLを追ってみれば、会場にいたその瞬間には分からなかった、登壇者や他の聴衆の人たちの関係性が見えるかもしれません

・自分の言葉で語ること

これまで「登壇者」は聴衆の代弁者であり、客席にいる自分たちの言葉は自己へと向かう言葉でした。しかし、このコミュニケーション技術の進歩により、文章として発信される言葉こそが、自分を表現する一番強いものになる可能性があります。だからこそ「他者へと向けることができる強度を持つ自分の言葉」を考え、積極的に他者との関係を積み上げていきたいと思います。

                   石川翔平

     LRAJ2010 そのものの感想は 書き込み中ですお待ち下さい


 2010年2月25日13:19:09 浅野翔さん(22才) ツイッッターへ


このイベントに参加して全体像を見て最も印象的だったのはTRAの組織力だったように思います。藤村さんが司会、進行と表舞台に立っているのでどうしてもそちらに印象が強くなってしまいですが、内部から見てみるとそれ以外のメンバーの方々がしっかり支えていて、その下部組織如く学生スタッフが的確に動かされている(動いている)なと私は思いました。50人の学生がスタッフとして集まる求心力はこの点にあるのかなと思いました。

 文字おこしについてですが、僕はバックボーン的にtsudaりを体験しているのでほとんど苦労はありませんでした。むしろリアルタイムで1時間程度集中して編集・思考を繰り返しているtsudaりの方が体験的にはとても大変で。また文字おこしは録音を通しているので演者が何を言っているのか聞こえづらいという問題点を感じましたこの点は次回には解決して欲しいと思います。

 文字おこしスタッフとして参加した上で最も問題と感じた点はスタッフが議論の共有をしにくい点です。LRAJ2010の様々な議論は文字おこしの録音(5分程度の断片的な話)を通して聞くか、次の文字おこしまでの間しか話を聞けないので当日は不満を感じました。もちろん後日にUSTREAMの録画を見ましたが。)スタッフとして「歴史に参加」している一方で話を共有できていないので疎外感は否めませんでした。終了後の打ち上げでもその点について演者の方々とあまり話をできなかったのはもったいなかったと感じました。この問題は文字おこしスタッフの宿命ではあると思いますが、繋ぎ合わせた文章をスタッフ間で共有できれば空いた時間に僕らは見ることができるのでこの点は解決できるのかなと思います。

(左眼鏡マン浅野さん)

 ミーハーな建築学生としてあの場で一体何が行われているのかを体験するために参加したのですが、やっていることはごく当り前なことで別段新しいことや難しいことをやっているわけではないと感じました。逆に、その"当然"な作業クオリティーコントロールに繋がりあれだけの規模にまで発展しているのだろうと分りました。

 僕はDE00LRAJ2010と続けざまに面白いイベントに触れることができ、自分はどうするのか。」と改めて考える機会になったのでとても有意義でした。そして、学生スタッフが将来をつくる一員になるという意味で藤村さんがよく口にする「歴史をつくる」といったことの意味を再確認できたように思います。この経験を生かしてどう社会に参加していくのか、将来が僕は楽しみです。御精読ありがとうございました。

         京都工芸繊維大学 浅野 翔


052010年2月24日19:56:55匿名一男さん23才)学生

     「イチ観客から見えた「2010.2.6」

初めに
私は当日会場に足を運んだ、23才の男性です。失礼とは思いつつも、匿名でコメントさせていただきます。イチ観客の率直な感想程度に読んで頂ければ幸いです。

会場・中継ガジェット

 僕が2010年2月6日にINAXギャラリーに到着したのは、まさに初めの藤村龍至さんのプレゼンテーションが始まらんとする頃合いで、すでに7階の100ほどの席は埋まり、立ち見の観客も多く見られた。現場を生で体験したい衝動に駆られつつも、7時間を超える長丁場を終始立ち見で過ごすのは辛いと思い、僕は8階での中継映像を見ながら過ごした。ぱっと見た所の客層は、社会人が2割、学生8割で、その中の学生の割合は学部3年生以下が7割、院生3割といった印象であった。ustreamの観客は平均で300人程度、会場にはスタッフ含め、250人程度の人がいた。この数字は、期待していたよりも相当少ない。

 LRAJで始まった事ではないが、7階会場では常時twitterでのツイートがスクリーンに投影され、観客も討議に参加できるようなライヴ感を非常に感じた。建築界に限って言えば、これは藤村さんが初めて試みた(実験的な)功績で、世界中のweb空間の観客にさえ参政権を与える非常に興味深い試みである。

藤村龍至の真骨頂 「学生を動かすアジテーション」

 LRAJ当日のみならず、藤村さんに関して僕が抱く印象は、人を(特筆すべきは建築学生を)動かすアジテーションが非常に上手い、と言うことである。言うなれば、「アメとムチ」。twitter上では(09年前期までは主にそのステージはブログであった)ネット警察のように藤村氏に関連したツイートを検閲し、それが印象論的に藤村批判をしているならば、それを責め(ムチ)、論に異なる切断面を示し、奥行きを与えているツイートに関してはそれを "RT" (リ・ツイート)し、一言、コメントを添える(アメ)。藤村氏にコメントを取り上げられること、さらには藤村率いるTRAに加入することが一種のステータスであると勘違いしている学生も少なからず居ることだろう。藤村氏側からみれば、twitter、ustreamなどのメディアが次々登場する中、それらに柔軟に対応するフットワークの軽い学生を利用することは、即効性があり効率が良い。

 また、ネット上のみならず、リアルでのコミュニケーション能力、アジテーション能力も特筆すべきものがある。「ARCHITECTURE AFTER 1995」展に関連したシンポジウム「2000年以後を考える」展では、二日間のワークショップを通じて、1995年以降の住宅、200以上を学生を鼓舞しながら作成した。並外れた速度と量における偉業である。

 09年、RAJはウナギノボリに大量の建築学生を取り込む事に成功し、さらに東浩紀、濱野智史などを初めとする人文系を建築系へとプラグインさせる事に成功した。建築系でも、今回は大御所、磯崎新さえもプレゼンターに招集するまでに成長した。印象論ではあるが2.6はその烽火を打ち上げてはみたものの、磯崎新の掌で踊らされ、果ては東浩紀からのダメ出しを受けるなど、祝祭的に終わってしまった感が否めない。

 せっかく建築のフレームを飛び出して活動を展開しつつあるRAJがこのまま島宇宙で終わって欲しくはない。藤村氏は次へと繋がる手は考えているはずであろうから、テン年代のTRAの活動に期待したい。


さいごに

 藤村龍至さんは、議論の場を作り、人を動かすアーキテクチャの設定には天才的な能力があることは、既に散々議論されているし、最大限評価出来る。が、やはり僕は(2.6で「建築家」が死んだのであればあえて稚拙ながら「都市・建築を作る人」と呼ぶことにすると)「実際の建築・都市」で「建築・都市を作る人」を評価したい。これは、極めて個人的な嗜好で、自分が将来いわゆる都市・建築を作る人になりたいからであることは考慮して頂きたい。藤村氏は少なからず、「何か、しでかしてくれる」大きな存在であると学生から仰がれている節があるが、藤村イズムを未だ見ぬ建築・都市へと落とし込めたとき、「軍曹」なる呼称は消え去り、真の民主権を獲得すると思ったのでした。

 最後に、様々考慮した上で、僕はTRA周辺のイベントに関しては、それに没入することなくメタ視点から眺めることをしばらく続けたいという結論に至りました。



 2010年2月23日 22:26岡本章大21才)さん ツイッターへ

僕の仕事は会場の準備と、ゲストへのお水渡し何かあった時の補佐役というものでした。

建築系のイベントに足を運んだことは何度もありますが、裏方で参加というのは初めてです。豪華な面々を前に最初はいかに「あいつは荒削りだけど光るものがある」と思わせるかとか考えていましたが、考え過ぎて仕事に集中できなくなりそうなのでやめました。今回のテーマは「議論の場の設計」。僕を設計する必要はないのです。

会場の準備には主に照明の取り付けをやらせて頂きましたが、照明の配置からとても細かな指示が出されました。スポットライトの光が天井の梁に当たらない様に壁に当てろかとか。机1つに焦点1つとか照明の設置を通して最初のミーティングで藤村さんがおっしゃっていた「議論の場を設計する」、ということが何なのかをモヤっと感じて始めていました。

当たり前ですがまず場がテーマに沿ってしっかりデザインされていないと、意味の無いものになってしまうのだなと。それからはずっと議論の場の設計ということを頭の片隅で考えながら作業をしていました。

仕事としては至らぬところもありましたが、議論の場を裏方として歩くのは楽しい経験でした。途中ついプレゼンに聞き入って観客となってしまうようなところもありました。しかし、そうは言っても僕は決して観客ではなかったのです。観客としての僕なら100%の情熱を議論の内容把握に向けて、退屈な場面では寝て議論の場から一時離脱をしてしまう、なんてことを繰り返していたでしょう。

それに対し裏方としての僕は会場の様子や水の減り具合などをチェックするサポーターであり、気を抜くと観客になっていたのです。観客と裏方どちらが偉いとか凄いとかいう話ではありませんが、間違いなくあの時の自分の意識は観客の時の自分の意識より高い所にあったでしょう。でなければ、8時間(準備を含めれば12時間)という長丁場を頑張ることはできなかったと思います。

 (左眼鏡 岡本さん)
ある討論会でtwitterが導入されているのを見て、衝撃を受けたのを覚えています。観客をも巻き込んだ新しい議論の可能性を感じました。それが今、微力ではありますが更に新しい議論の場の設計に関わることができました。当日はもう立ってられないとか思ってましたが、今思い返せばとても贅沢な体験だったのだなと思います。ただレクチャーを聞くだけとは違ったことを考えさせるチャンスを持ってきてくれたarcade代表秋吉君にはこの場を借りて感謝をしたいと思います。 岡本章大


2010年2月23日 17:16 秋吉浩気 (21才)さん(ツイッターへ


   LRAJへの道のりと arcadeのプロセス  ー裏から表へー

@arcade結成までのプロセス(現在進行形)

 参考文献にも挙げられていた『ビルディングの終わり、アーキテクチャの始まり』中に<建築不全症候群><建築は死んだ>という見 出しがある。これらの言葉に象徴される様に現在(主に『私たちの住みたい都市』から『思想地図vol.3 アーキテクチャ』を経て)建築・ 建築家は危機に瀕している

 もう建築家はいらないんじゃないか。そんな事が”外部で”騒がれている今、呑気に学校の内側で設計なんかしている場合ではないそう 感じていた。私の周りの同級生達は、そんな事とはつゆ知らず平和で自由に設計している。当然問題意識の欠片もない。そんな日常に、不安と焦りを感じていたのだ。

 そんな中、twitterarchiTVなどのイヴェントで、少ないながらも同世代の他校の連中と絡む様になった志の高い彼・彼女らとは、ど うやら問題意識が共有できているらしい。そういうことに気が付き始め、「ひとつの学校内では問題を共有できる同志は少ないかもしれ ないが、私と同じ様な連中が各校に点在して存在しているのではないか」。こう考える様になった。これがarcadeの起源である

この 予想は的中し現在10校以上の二年生がarcadeに参加している。これからもの様に成長していくだろう。しかし、淘汰という形をとる のではなく、各自の”選択”という意志に基づいて成長していく。それがarcadeというアーキテクチャである


ALRAJ裏方参戦

 また、我々は建築家はこういった問題に対してどう答えていくのか。または、どう答えていっているのかどういう建築をつくっていくのか。そういうことに興味があった。

 そんな中出会ったのが建築家・藤村龍至さんとTRAの皆さんである。「歴史をつくる」「新しい都市のビジョンを描く」といった言葉 や書籍、twitterの発言からも分かる通り、建築界に警鐘を鳴らすと共に、自ら建築家代表として建築内外問わず戦っておられる。そんな印 象を持っていた。

重要なのは、批判するだけではなく自ら議論の場を設計し、実作を伴って実行している点であるそこに共感と畏敬の念を持っていた

そこでLRAJ2010開催の知らせを嗅ぎつけ、藤村さんに無理を言って手伝い組にねじ込ませて頂いたその歴史的瞬間を内部で体験したかったからだ。

 大まかな意図としては
   1、議論の場の設計を暗黙知的に伝承する。
   2、メンバーや同世代に火を付ける。
   3、純粋に歴史作りを手伝いたい。

 の三点である。すべて達成できたと思っています

実際に裏方をしてみて、「自分たちがこれを一緒に作った」という高い意識緊張感からか、後日もustに食いついてみてみたりその 背景を探ってみたりする自分がいる普通の参加者がここまでできるか?少なくともtwitterのTLを見ている限りに於いてNOである。裏方 をすることで、そのまま歴史に組み込まれたのである未来を語る、未来の建築家を育てるという点でもLRAJは成功していると断言できる

最後に、LRAJはスタッフが主役。そう藤村さんは仰っていたが、そのスタッフの基板を成すのが我々arcade。要するに(実は)我々こそが主役中の主役だったのである。


(arcadeのメンバーを前列中央秋吉さん)
藤村龍至様。TRAの皆様。株式会社INAXの皆様。このような機会を与えて頂き誠に感謝しております。  arcade代表 秋吉浩気


以下問題点

1、国広ジョージさんが指摘する通り世界視点が無かったこと。
2、1も同様基本的に参加者も登壇者もローカルな世界に留まっていたように思える。藤村さんの身内での議論といった感じがした。

そのためtwitterustの世界では盛り上がりに欠けていた様にも思える。もはやニュースに取り上げられ、世界各国の首相が注目する ぐらいの一大イベントになってもらいたい。 次回も是非手伝わせて下さい。 秋吉 浩気 


2010年2月20日 17:09 辻琢磨 24才)さん よりem(辻さん ツイッタへ

初めてのLRAJでしたが、藤村さん初め、山崎さんや松島さんに声をかけて頂き彼らが作り出す程よい緊張感を体験出来たこと、嬉しく思っております。

編集作業に関しては、昨年も同様の作業を経験しているg86の鎌谷くんがコツを的確に教えてくれたので、なんとかやり切ることが出来ました1ターンの編集時間は30分。あれだけハイコンテクストな議論の核心を5分でつかみ15分でバッサリ削り5分でジリジリ削り5分で調整といった具合ですが、実際は目の前の一行一行と格闘している感じで途中からほぼ思考が停止し(作業放棄ではありません)半ば自動的に作業していたと思います

  (中央 辻さん)

結果的にその時の詳しい内容や思考は覚えていません。ですが、実物としてあのフリーペーパーは確かに存在した。そういう事実が一番大事だと思っています。
余談ですが磯崎氏の文章編集だけは異様に疲れました。彼の言葉のそれぞれはズルズルつながっていて、どこも削れない、要約出来ないという気にさせられて頭がおかしくなりそうでした。要約ってそもそも合理的な作業だから、彼の言葉自体が要約という合理作業に対して喧嘩を売っているような感じでした。それでもなんとか削ったわけで、不安でしたが、「ただプロセスだけが時代を超えていく」という素晴らしい見出しを見て、ほっとしました。 貴重な爽快感をくれたTRAのみなさま、関係者のみなさま、来場のみなさま、本当にありがとうございました

 (参考 ツイッタ連絡) 
2月19日16:59:57 絡どうもありがとうございます。編集作業は自分がセッションごとの前半を、鎌谷くんが後半をそれぞれ担当していました。彼は昨年も担当していてノウハウが蓄積されていたので、的確なアドバイス等、かなり助けられました。詳細なレポート、本当にお疲れ様です



 01 
2月10日11:33:49 jun_que (20才)さん (内容は送られたまま 色付け佐藤

文字起こしは、一人当たり30分ほどの割り振りで行ないました1セッションにつき5分担当します。5分の音声を約40分くらいかけて文章化します。出来るだけ素早く文字化する事が求められ、プレッシャーでしたが、何とかできたかなと思います。

文字起こしのメリット・デメリットとして、自分が担当した箇所については、非常に理解が進むものの、基本的に文字起こし中はレクチャーが聴けないために、後で追いかける必要があります。それは、今回はUstなどを活用して家でも聞ける環境があるので、非常に助かっています

初文字起こし体験だったわけですが、なんとかやりきる事が出来ました。今後はスピードを上げていけたら良いと思います。あんなに大きなイベントの内側で参加させていただいた事は、非常に大きなモチベーションになりました。藤村さん等、関わらせていただいたすべての方に感謝です