2009年12月10〜13日「じゅっくりの会」in京都 記録 home 10日 駅から えいぞうさんの家体験記 えいぞうさん父を語る えいぞう・きみこさん新居を語る 11日 柳原照弘の この1年 工芸繊維大講義 デザインイースト 00 を語る 12日 渡辺菊眞さんに聞く 鼎談 アガカーン賞の王路 (森田一弥・渡辺菊眞・江崎貴洋) 松岡聡さんに聞く 工繊大3年生・浅野翔さんに聞く 松岡聡さんに聞く その01 その02 その03 その04 ( 布野研出身者ワイワイ その05 その06) その03 東大 生研へ 松岡:凄く初歩的なんですね。その達成感はあったんですね。 佐藤:建築の質はどうだったんですか 松岡:どうなんでしょう 佐藤:卒制を見ていなので分からないんだけど。図面引けて満足したってのは分かったんですが内容が分からないんで 松岡:細かく配慮が出来てる処もあるけれども、そうじゃない処もあったんです。そのバランスがあんまりよくなくって。パースを幾つか描いたときに、それはよくないパースと良いパースが混在してた状態ですね。だから実際的に図面を描くということに集中して、どういう空間を実現するかということに対してはすこし疎かな 佐藤:分かりました。今は話だけなので、図面が無いのでこれ以上質問できないです。文字起こし終わってweb記録に付けるのでデータを送っていただければ、貼りますけど 松岡:あるかなふふふふ 佐藤:卒制の話はやめます。それで、4年生ですよね、修士は 松岡:修士行きました 佐藤:どうして修士に進まれたんですか 松岡:え〜東京に行きました、東大に行きました 佐藤:京都大学でもいいじゃないですか 評価してくれた先生もいるし 松岡:そうですね〜、 佐藤:妹島さん東大に居ないよ 松岡:そうですね、ただ、何か東京に行こうと思ったのは、同級生達がたまに、夏休みにオープンデスクに行き始めて。僕もたまに東京へ行って、東京の環境に身を置きたいなというふうな、のはちょっと思って。 佐藤:どうしてか分からないな 松岡:特にそれを、思ったのは、設計事務所でバイトしたいと。 佐藤:設計事務所でバイトをね、京都も一杯あるでしょ 松岡:当時は確かにありました、ただ、 佐藤:妹島事務所に行ったということですか 松岡:妹島・伊東 佐藤:東京に行き妹島さんと伊東さんの事務所に行きたいと思ったと 松岡:そうですね 佐藤:なるほど。東工大とか早稲田とか慶応とか色々あるけどどうして東大なんですか、東大には魅力的な建築家 当時いましたか 松岡:あの〜、何ででしたっけ。 佐藤:今回京大出て京大の修士に進んだ人しかインタビューし出会わなかったんで。家でやっていた建築あそびの講師には京都から東大へ行っちゃった人は何人か知っていて、交流してたです。 全然違う雰囲気。松岡さんが今回京大から東大へ行った建築家は初登場なので 色々聞かせてください。 松岡:そうですね、東大の中でも僕は原研の後の藤井・曲淵研ところに行ったですね 佐藤:生産研究所ですよね、槻橋さんとか居ましたですか 松岡:居ました、南さんも見てましたし、太田さんも居ましたね 佐藤:なるほど。 松岡:あの研究室 佐藤:無呼吸症候群だったと後に判明した槻橋さんが講義中に居眠りして 凄いイビキをかくの聞いて、目撃してたいと 松岡:心配になりながら見ていましたね 佐藤:すみません!、そこの観客の人五月蠅いですけど音採り中にて静かに願います 会場ははははは 佐藤:東大の生研にいって伊東事務所や妹島事務世でバイトをやって 松岡:バイトやってないんですね 佐藤:なんだ 松岡:やりたかったんですよそれは。で僕は直ぐに行きたかったので。受かった直ぐに。9月か10月かな。結果が来てすぐに、友達の家に転がり込んで。バイトを探したんですよ。行きたい順にリストを書いて。ます妹島さんの処に掛けたんですけど、駄目だと。伊東さん順番にやって。OKだった事務所にまずはバイトに入ったと。とにかく働きたいと。それなりに欲求は溜まってますので。そいう現場を見たいと。どういう遣り方で、設計進んでいるかというのを観たいっていうことに凄く貪欲だった。 佐藤:藤井・曲淵研って集落調査してたから、アフリカ行って集落調査とかしたんですか 松岡:ベトナムに行きました。ハノイ市の中心市街地、集落ではない。都市の調査っていう枠で行きました。 佐藤:修士論文を書いたと 松岡:書きました 佐藤:どんなタイトルでどんな内容だったですか 松岡:タイトルはセルの局所的正常に基づく形式的空間構成法、みたいなやつで 佐藤:一度聞いただけでは分からない、集落調査とは関係ないんですか 松岡:ベトナム 佐藤:セルってランドセルのセルですか それともシェル 松岡:オートマトンですね、チッチャナ マスみたいなものです。それらが。ベトナムの状態が凄く、間口の狭い、間口が2.5mで奥行き8mぐらいの住戸がずーっと通りから出てるような、集積でそれが実は細かく立体化されているんですね。 それを一つのセルと見立てて、それがどういった変化をしてきたかと。これからどうなるか?っていう事を推測する。それをオートマトンって言う理論によってライフゲームってありますよね。 例えば凄く元気な頃の生物は死んでしまうとそういった、細かいグリットとの中にこれが有ると廻りが死ぬ。で次のステップで今度それが生きていたら次なにが起こるみたいな事をずーっとステップを重ねて行くっていうやつなんですけど。 佐藤:それと建築はどういう関係にあったですか、まちづくりみたいな話ですか 松岡:それは非常に面白くって、セルのある人が住みたいと思ったら、そのためには外部環境が要りますね。光や風を通すための。 そういった、外と中がせめぎ合っている状態なんですよ。でこっちも中が欲しいと思ったらドンドンドンドン外が潰れて行って、それで住めなくなってしまう。その瞬間に。そうするとこれは住めない家になるので、それをギリギリ保とうっていうような動きが出て来るんですね。でこの論文では 佐藤:動物的に出るっていうこと 松岡:比較的原理的に、それを僕がルールとして書けばいいんですよ。例えば何メーター以上の居室は光が届かないので、成立しないって僕が文言を書と、それをコンピューターで走らせて、それあり得ないっていうふうにしたモデルが。何十年後、何十ステップ後は出来て来るっていう 佐藤:プログラムを組んで走らせて自動生成しているのを観ていると 松岡:そうです 佐藤:じゃプログラムも作れるっていうことですか 松岡:そうですね、それが4つぐらいの 今と似た町が出来るんです。まず今と似た町を作るにはどうすれば良いかということを、まず歴史を観て。最初は中空洞だったと。で結構短い家があったのに 佐藤:いきなりまちづくりの話になっちゃったけどね、集落調査の人達だからねしょうがないと。研究室はそうだったと 松岡:確かに町のレベルで考えようとするのはありますね 佐藤:建築から離れて、外部の話と関係性の話になった訳だね 松岡:そうですね、ただ非常にミクロなせめぎ合いで町が出来るって言うことには拘って 佐藤:壁が夕焼けでピンクに染まった 白くなった黒くなった、そういうレベルで無くなっちゃったね 松岡:ふふふふなくなったんですね 佐藤:そこで修士論文書いて、博士課程は、ややっこしいタイトルは分かりましたけど持ってない、今度送ってください。 松岡:はい送ります 佐藤:博士課程は行ったですか 松岡:博士課程はあとから行きました 佐藤:博士論文はどんな内容でしたか 松岡:博士論文は書かずに、退学。 佐藤:それはどういうことなんですか。 松岡:研究室に居て書けませでしたと 佐藤:5年間ぐらい建築と離れてたんじゃないですか 松岡:たしかに 佐藤:今建築設計をやっているんでしょう 松岡:僕はそこから修士終わって今度はコロンビア大学に行ったんですね、 佐藤:勉強好きだね〜 松岡:勉強好きですはい。色んなやりかたがまず観たいっていのが 佐藤:自分で考えないで他人のをまず観ちゃおうととりあえず 松岡:うへへへへ、で、何か入った当初から留学はしたいと思っていたんですね。 佐藤:ミーハーポイね 松岡:ミーハーぽい動機で最初は入ってます 佐藤:コロンビア大学はどいう大学なんですか 松岡:コロンビア大学は当時ペパーレスっていうのが進んでいて、パソコンだけでやるです。何もプリントするなって世界で。設計は全てコンピューターの中でして。プレゼンテーションもコンピューターでしろと。教育をしてまして。そこで三つの課題を 佐藤:プログラム組めるんだからそんは簡単でしょうね 松岡:ただ新しいソフトを覚えなくちゃいけなくって、それはかなり酷です。フラッシュを覚えて、WEBのやりかた覚えて。ソフトを新しく、2つぐらいフリーソフト覚えて、みたいな事をやりましたね。 佐藤:それで尚かつオリジナルを考え出さなきゃいけないと、それは忙しいね 松岡:そうです、 佐藤:女の事を考えてる暇がないね、コンピューターと結婚したか?みたいな感じになっちゃうね 松岡:当時は確かにコンピュータの事ばっかりですね 佐藤:何年間コロンビア大学には行っていたんですか 松岡:丁度1年です、既に修士取った人は修士が1年で取れるっていうプログラムがありまして。そこはもう既にそういった設計実務やっている人がやって来るような、ちょっとアドバンスなスタジオになっていましたね。そこに入ったんです。 佐藤:それは何年頃の話ですか 松岡:2001年です 専任講師 佐藤:今は何をやっているですか、どこに住んでいるですか、東京? 松岡:はい 佐藤:今日は どうして京都に居るの?、 かいじょうはははははは 松岡:京都造形芸術大学で専任講師をしてまして。 佐藤:東京から出掛けて来て教えているんだ 松岡:そうです。 佐藤:たまたま今日は京都に来いた 松岡:はいそうです、毎週来てます 佐藤:東京で会ってインタビューしてもよかったんじゃないかい 松岡:そうなんですよ。 佐藤:造形大では何を教えているんですか、コンピューター・プログラミングですか建築ですか 松岡:スタジオです建築です 佐藤:教えるのは得意ですかどうですか 松岡:最近得意になって来たと思ってます 佐藤:コンピューターそんだけ出来れば横ずれしていく人が多いけど、PC大好きな友達は数人いるけど。松川さんとか田中さんとか渡辺さんとか居ますけど。建築に留まったのは何ですか 松岡:ねえ。おそらく それこそ その後 色んな事務所に居たんですけど。自分はパソコン出来ることを明かさなかったんですね。 佐藤:そうなんだ 松岡:え。明かした瞬間から、モデラーっていうかそういうのやらされるんで。 佐藤:パソコン便利屋になるからね 松岡:だからなるべく言わないで、何も出来ない顔して。何も出来ないならスタディー模型作れよ、案出せよっていうような立場に拘ったのは確かですね。それはコロンビアの教育が凄く楽しかったんですけど、ちょっと危機感もあって。 佐藤:「PCと体が一体になってるよ」と自慢されたんだけど、その逆で明かさないと。一体になっているけど 見えないから言わないと。 松岡:そうですね。 佐藤:PCと体が一体になったかのように相当やっていたんでしょう 松岡:そうですね、ひたすらフラッシュを覚えたっていう、一ヶ月フラッシュ覚えて。 佐藤:松川さんはフラッシュを使ってボロノイド分割をPCに何度もさせて。で建築を作ったんですが、そういう事には 興味がなかったんだ 松岡:そうですね 佐藤:フラッシュで画像作っていた、何してたんですか 松岡:主にダイヤグラムを作れって言われるんですよ、でダイヤグラムの為には色んな3Dのアニメーションとかを作ってそれを解析しろっていうこと言われるんですね。動く物を解析しろみたいな。 まず自分で動く物をつくって置いて、それを自分で解析しろと。そこで出来た物を建築にしろっていうのがあって。その接続制が凄く重要視されてまして。建築はそんなフニャフニャしたものは作りたくないんですよね。ここで頑張って、これで凄く刺激的なダイアグラム一杯出来て来る。これを如何に建築にするかっていうことは、切り離して考えてましたね。そこで建築 佐藤:賢いね、PCは裏技で取っておいてと。建築をPCにプログラムに委ねてしまわない。アルゴリズム建築に回収させない。アルゴリズムは言葉は分かるけど、どこで建築として決定するのか分からない。決定出来なアルゴリズムは無いだろうと思うんだけど。松岡さんは建築の王道を歩きつつPCの裏支え技も身につけていると 松岡:ちょうどコロンビアの教育が、クネクネしたみんな同じになってしまうんですよ 佐藤:同じプログラム使うんだもんな 松岡:それをやれって言っていたハズなのに、いざ講評会になるとそれ駄目だってみんな言い出すんですよね 46:25 その04へ |