〜みどりちゃんの妹・ぼたんのお話〜 …11…
「やあ、ぼたんちゃん。この前は、本当にありがとう」 トレードマークの白い帽子の下、微笑んでいたのは「楽々亭」のおじさん。正直、こんな状況は万に一つも考えていなかったから、面食らってしまった。 「え……、あのぉ……」 ちょい待ち、どういうことよ? まだ復帰まではしばらく掛かるって言ってなかったっけ? 退院は出来ても、リハビリとかなんとか。 「今日から戻ってくるって、誰かに聞いてきてくれたの? いやあ、思ったよりも回復が順調でね。それもこれもやっぱりぼたんちゃんのお陰かな? ――今日は何? 思い切りサービスさせてもらうよ」
普段よりもなめらかに動く口元。やっと大好きな仕事場に戻れて喜んでいるのがよく分かる。えと、でも……と言うことは? 一週間ぶりに訪れたというのに、何ひとつ変わったところが見られない店内。いつもと同じ民謡の節回しが、耳元でくるくると踊る。
でも、でもっ。これってもしかして、好都合なんじゃないかしら? 何気なく買い物して、いつも通りに三色団子もサーブして貰って。おじさん特別ブランドのお茶で一服したら、元気になる。今まで、どんなに落ち込んだって「楽々亭」の和菓子があれば復活出来たんだから。そうよ、……でも。 「だ、……大吉くんは?」 やっぱり、聞いちゃった。どうしようかと思ったんだけど。 少し足が遠のいていたから、状況の変化について行けない。おじさんがお店に戻ってきた、ということは大吉くんは……。 「ああ、大ちゃん? 確か、お昼の新幹線だって言ってたなあ……。今日、あっちに戻るんだよ」 あっさりとそう言ってから、おじさんはちらっと壁掛け時計を見る。それと同時に、私はお店を飛び出していた。
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頭の中で、かちかちと計算していく。 どういうルートで行けば一番早く辿り着けるだろう。私鉄を乗り継ぐよりも、一番近いJRの駅までタクシーを使った方がいいかな。今の時間帯なら、10分も待たずに特快が出ているはずだ。やっぱり途中まではそっちのがいいだろうか。 自分が一体、何をしようとしているのか。それがよく分からなかった。でも、おじさんに「お昼の新幹線」って聞いた途端に、身体が反応していたのだ。そうだ、そうなんだよ。おじさんが元気になったんだもん、助っ人だった大吉くんは今までのお店に戻っていくんだ。
……って、ことは。もう、会えないってことで。下手したら、一生会えないかも知れないってことで。
大袈裟な考えかも知れないね、でもそうじゃない? 「じゃあ、ばいばい」っていつもと同じ感じで別れて、二度と会わなくなる人ってすごく多い。いつでも会えるって思ってると、どんどん遠くなる。人と人とのつながりをキープするのは、かなりの労力を使うんだ。 ――何してるんだろう、私。 今更、会ってどうなるわけでもないじゃない。二度と顔を合わせられないって思ったはずだ。私の中にある、大吉くんに求めるものに気付いてしまったから。知らないうちに、するりと心の中に忍び込んで、どんどん膨らんで。いつの間にか蒸しカステラを食べ過ぎたみたいに、私の心の中はいっぱいになっていたんだ。 忘れたふりしてた、思い出さないようにしてた。でも駄目なの、全然うまくいかない。中途半端で逃げちゃったから、このままじゃきっと、いつまでもくすぶり続けちゃう。時々、大吉くんのことを思い出して、胸が痛くなって。苦しい気持ちを吐き出せないまま生きてくなんて、やっぱ嫌だ。
ぐき、って。ふいに視界が揺れる。 足首に鋭い痛みを感じて確認すると、右側のヒールが根元からぽっきりと折れていた。取れた部分は勢い待って、後ろの方にすっ飛んで行っちゃったみたい。……ひどい、何てことなの。こんな大切なときに。気合いを入れるために履いてきた8センチのヒールまでが私に邪魔をする。 「もう、……やだぁ……」 商店街のひと区画にある、ちっちゃな公園。その車止めの前で、私はしゃがみ込んでしまった。何、意地になっていたんだろう。もう大丈夫だって、絶対にきちんと出来るって、ずっと自分に言い聞かせてきた。「可愛い」って、「美人だ」って、適当に持ち上げられて、それを武器にして生きるのはやめにしようって。全部ゼロに戻して、新しい自分に変わろうって思ったんだ。 ……だけど、上手くいかない。 靴も片っぽなくなって、カボチャの馬車もなくて。私は物語の途中で魔法が解けてしまったシンデレラみたいだ。 口惜しくて、情けなくて。あの日に空っぽになるほど流したはずの涙が、また溢れてくる。いいじゃない、もう大吉くんなんて。ファンの女の子たちにきゃーきゃー言われて喜んでいればいいんだ。口ではなんだかんだと言いながら、結構嬉しかったりするんじゃない? そんなこと、……一生掛かったって無理なのに。
ひんやりとした風が頬をくすぐっていく。 どうしよう、だいぶ派手にマスカラが落ちちゃったな。目の周りがパンダになっちゃったかも知れない……。とりあえず、ポケットをごそごそ。ハンカチを取り出したときに、背後から軽やかなスニーカーの音がしてきた。 「ああ、良かった〜! もう、どこ行っちゃったかと思ったよ」 ぴくっと、肩先が反応する。 え、……嘘だ。そんなはずないのに。すっかり耳に馴染んだ心地よい響きが、私の否定する心に「待った」をかける。こんなあったかい音色、奏でられる人は他にいるわけない。 「表の方で声がしたと思ったのに、もういないんだもの。……どうしたの、どこか痛めたのかな?」 肩に置かれた手のひらから、懐かしい香りがした。ほんのりと温かくて、つい今し方まで作業していたって分かる。でも……まさか、まだ奥にいるなんて思わなかったよ。どうしよう、一体どんな顔したらいいの? 大丈夫だから、って言いたくて、でも言えなくて。ようやっと、首を横に振った。なんか分からず屋の子供みたいだわって、情けない気持ちでいっぱいになる。そしたら、大吉くんはいつもと同じにくすくすって笑うんだ。 「ふふ、ちょうど良かった。出来たてのを持ってきたから、食べてよ。一番最後、ぎりぎりに作っていたんだ」
ぷうん、と甘い香り。 しゃがんだままで振り向くと、そこには発泡スチロールトレイに乗せられた三色団子。私のおなかと胸が、いっぺんにきゅううんと反応していた。
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……こんな風にのんびりしている暇はないと思うんだけど。気が付いたら、並んで公園のベンチに腰掛けてる。 お団子のトレイはあっという間に空っぽになった。そりゃ、最初はいくらなんでもいやしんぼみたいでやめようって思ったのよ。けどね、一口ぱくっとしたら、もう止まらないの。私の身体中の細胞が「待ってました」とばかりにぷちぷちと弾けて、もっともっとって要求するんだ。 役者のいなくなったトレイをぼんやりと眺めていたら、大吉くんはホットのお茶の缶を差し出してくれた。受け取って、一口含んで。そしたらまた、鼻の先がじーんとする。ああ、駄目よ。水分を補給なんてしたら、また泣けて来ちゃう。 「……行っちゃうんだ」 どうにか、こみ上げるものを抑えて。私の視線の先にあるのは、大吉くんの向こう側にあるボストンバッグ。そうだね、もう白い作業着も帽子も身につけてない。本当の本当に、いなくなっちゃうんだ。 「うん、僕もやっと元気になれたみたいだ。これも、ぼたんちゃんのお陰だね。これですっきりと戻れるよ、本当にありがとう」
……え、どういうこと? 何で、そんなこと言うの……? 思いがけない言葉に、顔を上げる。やっとまっすぐに見ることの出来た大吉くんの瞳が、ちょっぴりだけ違う色に輝いていた。
つづく (050421)
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