TopNovelさかなシリーズ扉10111213


〜みどりちゃんの妹・ぼたんのお話〜
…13…

 

 

 向こうの大通りから、数え切れないほどのエンジン音が響いてくる。

 私鉄と平行して走る幹線道路、この街をまっすぐに通り過ぎていく。ずっと歩いていったらどこまで行けるのかなって、子供の頃考えていた。いつかきっと冒険してみようと思ったことも、長いこと忘れてた気がする。

 

 手のひらに、何かが乗せられた。堅くて、でも冷たくはない感触……紙の箱? 大吉くんがこくりと息を呑む音が聞こえてくる。

「いいよ、もう。目を開けても」

 ぎゅーっと閉じていた瞼を開いたら、ちょっと辺りの風景が白く感じられた。何度か瞬きして、それからゆっくりと手のひらの上に乗っかったものを確認する。蓋を取られたその中身。

「――何、これ……」

 思わず、そんな声がこぼれて。一度、大吉くんの方を確かめて、それからまた視線を落とした。白くて小さな……そう、おまんじゅうをひとつかふたつ入れるくらいの箱。少し深さのあるそこには、ちょんと小さな人形が座っていた。

「雲平(うんぺい)って、知ってるでしょう? 洋菓子で言うマジパンみたいなものだけど……上生菓子の装飾とかに使ってるよね。あれで、作ってみたんだけど」

 ううん、違う。私が聞きたかったのは、そんなことじゃない。それくらい、見れば分かるわよ。そして、雲平が甘いばっかりで、そんなに美味しいものじゃないってことも知ってる。

 

 ――だって。

 何で、ここでいきなり人形なの? それも和菓子素材で作られたはずなのに、なんか違うんだよ? 顔はいわゆる「日本人形」――おひなさまみたいな面影は全くない。

 ミルク色の肌に、ほろんとこぼれ落ちそうな大きな目、ついでに長いまつげまで丁寧に描いてある。着てる服だって、そうよ。淡いピンクのドレスは柔らかく膨らんで、たくさんギャザーが寄っている。ぴっちり並んだボタン、結んだリボンの端がくるくると流れていた。裾からちらちらのぞくレェス、編み上げの靴。

 

 ……そして。

「本当はね、飴細工で作ろうかと思ったんだよ、髪の毛。その方が本物っぽいかもって。でも、何だか思うようにならなくて、すごく堅い感じになっちゃったから。結局は、ここまでがやっとだった」

 ……ううん、そんなことないよ。薄茶色の髪の毛はごくごく細い糸状になっていて、それこそ気の遠くなるような作業だったと想像が付く。まっすぐにこちらを見てる小さな小さな女の子は、愛らしい口元をわずかにほころばせていた。

 ここまで見事な細工って、本物は見たことなかった。そりゃ、名人の域までにはまだまだ長い道のりがあるんだろう。でも、……何かすごすぎて。持ってると手が震えて来るみたい。だって、まるでこれ、アンティークの陶器で出来たお人形みたいだよ。ジェニーちゃんの半分くらいの大きさなのに、何でこんなにリアルなの? きっと、仕上げるまでにはすごくすごく時間が掛かったと思う。

 

「……ぼたんちゃん」

 大吉くんは、コホンと軽く咳払いした。私がそっと顔を上げると、はにかんだ笑顔がそこにある。

「チョコレート、ありがとう。それ、お礼に作ってみたんだ。……本当は当日に渡せればいいと思ったけど、そのころには僕、ここにいないから。悪いけど前倒しにさせてね。何を作ろうかなって色々考えたんだ。でも、もう頭の中はぼたんちゃんでいっぱいで、他のこと考える隙間がなかったよ」

「え……」

 いきなり、何を言い出すんだろう。大吉くんの言葉の意味が分からない。そんな、まさか。だって……あのチョコは渡してないよ? どこかに置き忘れちゃって、それきりになって――。

 

 そのまんま固まってしまった私を、大吉くんの視線がなぞる。

 何だか、とっても恥ずかしい。見つめられてるってよりも観察されてるみたいなんだもの。やだな、一体どんなにか間抜けな顔をしてるんだよ、私。せめてきちんと口を結びたいと思っても、金縛りにあったみたいに動けないの。

 

「すぐには気付かなかったんだ。午前中の作業が終わって店の中を軽く片づけてたら、ぼたんちゃんが座っていた椅子と壁の間に紙袋が挟まってて。忘れ物かなって中を見たら、僕宛のカードが入ってて……すごく驚いたけど、その何十倍も嬉しかったよ」

 私、どうしよう。動けないのに、動かないのに、顔だけがかあああっと熱くなってくる。そうか、そうだったんだ。私、お店に置きっぱなしにしちゃったんだね。わざとじゃなかったんだけどなあ、まるでそうとしか思えない状況。子供っぽくて恥ずかしくて、気が狂いそう。

 それなのに……、そんな風にやさしく笑わないで。

「最初はね、もったいないからひとつだけ味見をしてみようかなって思ったんだ。でも、美味しくてついつい手が伸びて……気が付いたら空っぽ。二重になってないかなって、箱をひっくり返して確認しちゃったよ。もっと食べたいなってあんなに口惜しく思ったの、本当に久しぶり」

 

 私は、小さく首を横に振った。そうしないと、胸につかえている想いがいっぺんに溢れてきそうだったから。ぶるぶると震える唇を、ぎゅっと噛みしめる。

 駄目、もう……これ以上はやめて。分かっちゃったんでしょう、私は大吉くんが嫌いな女の子のひとりでしかないんだよ。恩着せがましくあんなものを作ったりして、いろんなこと期待して。認めたくないけど、情けなくて仕方ないけど……そうでしかないんだもの。

「あれは、……違うの。お礼だから、ただの。うちに材料があったから、適当にぱぱぱっと作っただけで……全然、普通のだから」

 冬空みたいに、張りつめた心。もうちょっとだけ、頑張りたい。私は自分の心臓がばくばくと音を立てるのを感じながら、必死にこらえていた。

「……そう?」

 くすっと、小さく笑い声を上げて。大吉くんは、私の手にしてる箱をのぞき込む。

「とても、そうは思えなかったんだけどな。ナッツとマシュマロとぎっちり詰まってて、でもそれ以上にぼたんちゃんの気持ちがたくさん詰まっていたから嬉しかったんだけどな。あれも僕の気のせいかな? これでも舌は肥えているつもりなんだけど……な、お前はどう思う?」

 ちょっと貸してね、って言って。私の手から箱入り人形を取り上げる。それを自分の目線と同じ高さのところまで持ち上げて。

「この子、可愛いんだよ? ふたりでずいぶん、いろんな話をしたんだ。ぼたんちゃんが来なくなったから、話し相手もいなくなっちゃったし。今日こそは来るかなって、一緒に窓の外を眺めたりしてね。親方が店に戻ってきたときも全然気が付かなくて、恥ずかしいところを見られちゃったよ」

 ……そりゃあ、驚くだろう。おじさんじゃなくたって、どうしようかと思っちゃうわ。いい大人がお菓子のお人形相手に何してるの、怪しい人になっちゃうわよ?

 

 私、大きく深呼吸した。もう、いい加減にしようよ。大吉くんもタイムリミットだろうけど、私の方だって仕事を抜け出してきてるんだからそんなに暇ないの。どんよりの曇り空がちょっと残念だけど、ふたりのそれぞれ、新しい門出だよ。ね、そうでしょ?

 大吉くんだって自分の一番大切なものを取り戻したんだもん、もう大丈夫だよね。きっと、これからはふたりそれぞれに、少しずつ今よりも高いところを目指して進んでいける。現状維持じゃなくて、少しずつ上。だから今度会う頃までには、見違えちゃうくらいすごくなってるよね。

 そうだね、これからは会いたくても会えなくなっちゃう。約束をしなかったら、このさきずっとすれ違っちゃうかも。ふたりの距離があまりにも遠すぎる。

 

「それ、いいよ。大吉くんが持っていって。話し相手にしたいなら、そうすればいいじゃない」

 ちょっぴり寂しいけど、ここはこらえなくちゃね。驚いて顔を上げた彼を残して、私はくるんと回れ右をした。目指す場所は「楽々亭」よ、ちゃんとママから頼まれた用事を済ませなくちゃ。

「え、……駄目だよ、これはぼたんちゃんのだから」

 慌てたスニーカーの音が追いかけてくる。ヒールを片方無くした足下はとってもぎこちなかったけど、そんなことは気にしていられない。もうちょっと早く、と思った瞬間に、腕を掴まれた。

「僕は、ぼたんちゃんの方がいいけど。本物じゃなくちゃ、我慢出来ない」

 もうちょっとで、ぷつんと緊張が途切れるところだった。だって、今までの中で一番真面目な声なんだもの。すごくどきどきしちゃう、目眩がするくらい。でもひどい、何でそんなこと言うの……?

「隠したって、駄目だからね。ぼたんちゃんの気持ち、僕は全部食べちゃったから。……ぼたんちゃんだって、そうでしょう? 僕の気持ちでもうとっくにおなかにいっぱいになってるはずだよ。きっと、僕自身が気付く前から、想いは込められていたはずだから」

 冷たい風が吹き抜けて。きっちりまとめたはずの私の髪が少し乱れていく。後れ毛がふわふわと、隠しきれない気持ちを表しているみたい。

「色々あって、分からなくなっていたんだ。僕は和菓子が自分でも大好きだし、最高だと思ってるんだけど……何か世間は思っているほどは高く評価してくれない。確かに一目置かれる存在だとは思うけど、広く一般的に知られるまでにはいかない感じだし。何となく職人の世界も閉鎖的で、技術面よりも精神面で厳しいなと思ってた。自分が好きなものが正当に認められてないって、とても口惜しかったよ……」

 年上の男の人に失礼だとは思うけど。やっぱり大吉くんって、すっごく純粋だと思う。傷つけちゃいけないな、壊さないようにしなくちゃって思っちゃうな。

 しっかりと現実を見て生きて行かなくちゃ、大人とは言えない。でも……、たまにはこんな風に、いつまでもいつまでも大きな夢を追い続けてる人がいたらいいと思う。少なくとも、大吉くんにはそうであって欲しいな。

「ぼたんちゃんは、僕の作ったものを一生懸命食べてくれて。おいしいおいしいって言ってくれたでしょう? あれが嬉しかったんだ。喜んで欲しくて、もっと頑張ろうって思えるようになった。そうしているうちにね、なんか憑き物が落ちたみたいに楽な気分になっていたんだよ。ぼたんちゃんみたいな子、きっとどこを探しても見つからない」

 

 繋がれた腕から、かすかな震えまでが伝わっていく。どきどきって心臓の音まで響いてしまいそう。これって、普通だったらハッピーエンドな状況? こんな風に上手くいったら、ちょっと安易すぎないかな。

 ……まあ、そう簡単にはいかないけどね。

 

「む、無責任なこと言わないでよっ! もう、いい加減にして……!」

 だってさ、物理的な距離は変えようがないんだよ? 私がその言葉を本気にしちゃったらどうするの、困るのは大吉くんなんだから。そんな風に口から出任せを言うと、ずっと信じちゃうよ。毎日毎日、クール宅急便で三色団子を送ってもらわなくちゃならなくなる。きっともう私は落ち込んだとき、おじさんのお団子じゃ立ち直れないから。ここで踏ん張るのが、一番いいんだよ。そうに決まってる。

 でもどうしよう、爆発しちゃいそうだよ。何とかしてこらえる方法を、誰か教えて……!

 

 かさかさと、落ち葉が通り過ぎて。大吉くんが私の後ろで、ふっと溜息をついた。

「……無責任じゃないから」

 え? って、思わず振り向いていた。何を言い出すのよ、全くもう。それよりも、この腕をいい加減に離して! 動けないじゃないの。

「言ってなかったかな、あの店での修行期間は最初から三年だったんだ。年季が明けたらどうしようかと思ってたんだけど……親方から正式にあの店を継がないかって言われて。とりあえずはもうちょっとあっちにいるけど、二月もしたら戻ってくるよ。それまで、待てない?」

 

 自分がメイクはげはげのすごい顔をしていることは、だいたい見当が付いてた。だけど、大吉くんの照れた笑顔から目がそらせない。

 え、……え? どういうこと!? あの、……それって。

 

「はい、これはぼたんちゃんの。ちゃんと、大切にしてね。防腐剤を入れておけば、しばらくは大丈夫だから」

 有無を言わせない勢いで手渡される。だけど、彼の手のひらは両方とも箱の下で私の腕をぎゅっと握りしめてるまま。動けないまま、すごく顔が近くなって……何、どうなってるの?

 まっすぐな目、仕事してるときよりも真剣な目が私を見つめる。ホント、これって「射抜かれてる」って感じよね? か、身体が動かない……!

「前に若手職人の批評会があるって、話したよね? あの店での集大成ってことで、やっぱ頑張りたいんだ。だから……ぼたんちゃんの応援が欲しいな?」

 

 だから、……そのっ、――うわっ……!

 

 ばりばりの女性実業家を目指した私が、ゆでだこになっちゃってる。大吉くん、何なの、手が早すぎ……! 柔らかいキスの後に唇が離れても、身体ががちがちに硬直したままだ。彼は、バッグを手にするともう一度にっこり笑った。

「……戻ってきたら、もっとすごいもの、期待してるね」

 

 瞬きをしているうちに、どんどん遠ざかる背中。ごちゃまぜになった頭の中をひっくり返して、私は必死に唇を動かした。

「――勝手なこと言わないでよね。そんなのっ、一番にならなかったら、駄目だもんっ! 私に釣り合いたかったら、せいぜい頑張りなさいよっ……!」

 

 振り向いた大吉くんが、大きく手を振る。「行ってきます」って、口元の動き。

 私たちはここで終わるんじゃない、ここから始まるんだって信じられるのはどうして? きっとこれも和菓子がくれた奇跡、一生懸命生きていたから、神様がご褒美をくれたんだ。

 

 負けずに振り返した私の指先に、一足先に春のぬくもりが舞い降りてきた気がした。


おしまい♪ (050425)
ちょこっと、あとがき >>


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