TopNovelさかなシリーズ扉10111213


〜みどりちゃんの妹・ぼたんのお話〜
…6…

 

 

 別に、そんなに深い意味もないんだけど。

 結局のところ、大吉くんには借りを作ってしまった感じになっちゃったし。このまんまはやだな〜とか、そういう当然の思考になっただけなのよね。そうよ、意味も理由もないの。ただ、明日が2月の14日だったという偶然が重なったまでで。

「あれ〜、なんか変。……やっぱり上手くいかないわ」

 木枯らしの吹き荒れる窓の外の風景とは対照的に、熱気のこもったキッチン。自慢の髪をひとつにまとめて、クマさん柄の三角巾をかぶった額から、汗が流れ落ちる。泡立て器を動かす手を止めて、私はぽつんと呟いていた。

 幸いなことに、今日は朝から両親が外出中。何でもママがこの頃めろめろになってる何とかって言う役者の舞台を、ふたり連れだって見に行っちゃったのだ。それも都内のじゃなくて、はるばる大阪の何とかホールまで。追加公演の最終日だから、どうしても外せないんだって。
 この日のためにと新調したワンピースを着たママはそのまんま乙女。年齢を考えろと言いたいところだけど、仕方ないわね。だって、似合ってるんだもん。

 そんなわけで、今は広い家に私はひとり。いつもは通い出来てくれる家政婦さんも土日はお休みだし、気楽なものよ。「いってきます」の声と同時に、早速行動を開始。いくつもの買い物袋の中身を調理台の上に並べた。何を作ろうかと考えた末、一番スタンダードな「アルミカップに流し込んでトッピングする方法」を選んだの。これなら初心者でもどうにかなるんじゃないかって。

 

 ……自慢じゃないけどさ。この年になるまで、バレンタインに手作りのお菓子を作ったことはなかったのよ。

 そりゃあ、甘いものは自分でも嫌いじゃないし、パパもママも「おいしい」って言ってくれる。だから、お菓子作りは色々手がけてきたわ。ケーキ台のスポンジだって、専用のおフランスの小麦粉を使って本格的に作っちゃう。ふわふわで、それでいてしっとりしてるのよ。
 ナッツやチョコチップをたくさん入れたホームメイドクッキーも友達に好評だったし、少し前に流行った「なめらかプリン」も完璧。ただ、その腕前を武器にしてまで、男心を掴もうとは思ったことがなかっただけよ。

 だって、そう思わない? どうして私が、そこまでしなくちゃならないのよ。ただですら、ハンドメイドって「重い」って言うじゃない? そこまで頑張る理由もそもそもなかったのよね。あんまり期待させたりしたら、申し訳ないし。

 チョコレートなんて、シーズンになれば市販品でいくらでもいいのが出てくるのよ。スーパーのワゴンじゃちょっと庶民的すぎるけど、デパ地下のケーキ屋さんもこぞって「今年の新作」を並べてくる。どれを見てもとっても美味しそうで、彼氏のためじゃなくて自分用に購入する女の子が多いっていうのも頷けるよ。
 実のところ、チョコそのものが大好きな男性って本当に少ないと思うの。まあ、今のご時世では「貰うこと」がステータスになるから、とりあえず受け取れれば嬉しいみたいだけど。ネクタイとかのおまけにちょこっと添えるのがおしゃれかなと思っていた。

 

 そうよ、今だってその考えは変わらない。

 なのに、半日以上も甘ったるい香りが充満したキッチンで奮闘しているのはどうしてなんだろう。それこそ、明日の朝に出掛けにコンビニでちょこっと見繕ったって良かったと思うのに。うーん、何でだろ。何となく、なんだけど……大吉くんに値段の分かっちゃう贈り物ってしたくない気がしたのね。

 ――だけど。どうして、こうも上手くいかないのかしら……!?

 最初に出来上がったのは、ごつごつとまるで溶岩の固まりみたいになっていた。気泡みたいのがぷつぷつしていて、全然綺麗じゃないの。出来損ないのエアインチョコ、って感じ? 風味もすっかり飛んじゃって、とても人前に出せるものではなかった。
 変だなあ、製菓用のチョコレートを細かく刻んで湯煎にかければいいんだよね? それくらいは知識として知っている。とろとろになったところで、型に流し込んで完全に固まる前にトッピング。それで完成だと思ってた。けど、これはちょっとねえ……。

 どうやらこれは失敗したのだと悟った私は、二度目に挑戦する前にきちんと作り方をおさらいした。原因はすぐに判明したわ、湯煎する温度が高すぎたのね。お湯を60度くらいにして、チョコは40度くらいに保つのがベター。そうかそうか、やっぱりこういうのは最初からちゃんと調べなくちゃ駄目ね。

 ……でも、型に流すところまでは完璧だと思っていた二度目も、仕上がってみるとやっぱ見栄えが悪い。なんて言うのかな〜、表面がまだらに白っぽくなって美味しそうじゃないの。売ってる奴はもっと色が濃くてつやつやしてるはず、あれって素人には無理な技なの……??

 味そのものは一度目ほど悪くなかったから、そこで妥協しても良かった訳よね。でも、ここまで頑張ったんだもん、もうちょっとだけやってみようと思い直した。時間だってたっぷりあるし。底をついてしまった材料はもう一度、買い足しに行ったけど。

 

『テンパリング』という言葉を、ネットで調べて初めて知った。チョコレートを一度溶かしてから固め直す場合、なめらかでつややかな状態にするためにはこの作業が必要なんだって。チョコを溶かしきったあと、全体を同じ温度に保ちながら、徐々に冷ましていく。氷水とお湯を交互に使ったり、結構めんどくさい。さらに、湿気や油分も御法度ということで、調理器具や手順には注意が必要なんだって。
 チョコレートっていうのは約30〜40%のカカオバターと、60〜70%の砂糖及びカカオ成分が均一に混ざりあってできたものなんだそうだ。だから、冷却することにより出来るカカオバターの結晶が全体に対して均一にならないと、縞々模様が出来てしまったり、舌触りがざらっとして美味しくないものになっちゃうのだとか。

 ああ、知るわけないでしょ、そんなこと。どうしてバレンタインは女の子があげる側になるんだろう、面倒くさいわ。世の男性陣だって、面白くないと思うの。ただ待ってるのって、嫌なもんじゃないかな? もしも学校や職場で私のように可愛い子が近くにいたら、自分からモーションを仕掛けるタイミングを伺っているんじゃない? きっとバレンタインが自分たち主導だったらって、思っているよねえ。

 

 そんな風にイライラして、時々はぷっちんと来そうになりながら……どうにかこうにか、日没までに満足のいくものが仕上がった。お弁当箱くらいの大きさの箱。ちまちまと並んだチョコはとっても可愛くて、さりげない。軽い気持ちで手渡すには丁度いいものが出来たと思う。

 もうしばらくはチョコレートはたくさんという感じ。更に、不法投棄のごとく流しに積み重ねられた洗い物と失敗作の山には大きな溜息。もちろん、自分で散らかしたものは片づけるのが当然だけど、とりあえず日本茶を一杯。ああ、生き返るわ。

 何事も極めるのって大変ね、大吉くんは毎日毎日それをやってるんだからすごいと思う。この作業が楽しいと思える日は一生来ない気がするけど、彼はもうその域を超えているんだもんね。

 

 ――今日はとうとうお店に行けなかったな。もうシャッターを下ろしている頃だわ、あそこのお店は閉まるのが早いから。
 日曜日だから、きっとお客さんもいっぱい来ただろうなあ……。忙しく表に裏に走り回っている彼の姿が脳裏に浮かんでくる。たまには助っ人が欲しいとか思うこともあるのかな。まだ一度も頼まれたことはないけど、やってみてもいいなとか思ってるのね。

 毎日、おまんじゅうやお団子に囲まれて暮らしていたらすごく幸せ。奥の調理場からはお豆を炊く匂いや、もち米を蒸す匂いがするんだよね、きっと。湯気の向こうには、大吉くんの笑顔。そういうのって、すごくいいな。だけど、ひとりで足りるお店だもん、おじさんだってずっとそうして来たんだから。

 ……変なの、私。おじさんとの時はそんなことまで考えなかったのに。

 

 リビングのソファーに身体を埋めたら、とろとろと眠気が襲ってくる。瞼の裏は一面がチョコレート色、胸焼けの気分のまま。何だか、悪酔いしそう。

 明日は、お団子をおなかいっぱい食べたい。そしたら、きっと元気になれる。大吉くんに会うのがとても楽しみだなって思ってた。

 

----------------------***----------------------


 シュガーピンクのワンピースを選んだ。その上に、粉砂糖みたいなレェスのカーディガン。シューズまでばっちり揃えたけど、ペチコートの陰でほとんど見えないわ。
 髪の毛も完璧よ。うたた寝したあとは、きちんとシャワーも浴びて念入りにシャンプーとトリートメントした。何度洗い流しても、何となくカカオバター臭くて嫌だったけど。焼き肉屋さんの匂いよりはマシだと思うし。

 何だかとっても不思議。朝の風景がいつもと違って見えてくる。通りを歩く女の子たちが、みんないつもよりもずっと可愛く見えるよ。みんな、どこに行くんだろう。そのバッグの中には、私と同じものが入ってたりするのかな?

 

 ――あれ?

 朝8時半。仕込みが終わって、お店に商品を並べ終えた時間を見計らった。一仕事終えてホッとしてる頃なら、きっと気安く声を掛けられるはず。和菓子屋さんは朝が早くて、のれんは8時過ぎから掛けられていたりもするんだけど、……何か変よ。

 今日はどうしたんだろう、お店の前に人だかりが出来ている。ざっと見て、10人以上はいるわね。申し訳ないけど、これだけ賑わっている「楽々亭」って、今までに見たことがないよ。

 

 不思議に思いながら、電信柱の陰に隠れる。だって、嫌だもん。あんなに人がたくさんいたら、渡すものも渡せない。それに、朝のお茶だってもらえなそう。

「……??」

 ぼんやりと眺めていて、やっと気付いた。あそこにいるのはみんな女の子だわ。私と同じか、人によってはもうちょっと若いくらいかも。きゃぴきゃぴって、女子高生みたいなはしゃぎ声も聞こえてくる。およそ、楽々亭には似合わない光景だ。もしかして、お店の前でドラマのロケか何かしてるとか??

 がらり、お店のドアが開いて。白い作業着を着た背高のっぽの彼が出てくる。その瞬間に、女の子たちの声が、一段と高くなった。

「大ちゃん〜、探したよっ! どうしたのよ、こんなところにいて」

「みんなであちこち、調べて回ったんだよ。急にいなくなるんだもん、行き先くらい教えてよっ!」
 

 ……え、何? これって、どういうこと……?

 

 何が何だか、よく分からない。

 ええと、「大ちゃん」って、大吉くんのことなのかしら。そうだよね、本人に向かってそう言ってるもん。それにしても、何よこれ。アイドルの追っかけじゃないでしょ、変だよっ!!

 

 遠目に見ても、大吉くんがひどく当惑してるのが分かる。女の子たちに何か声を掛けてるけど、とてもここからは聞き取れない。どうしたらいいのかと思いあぐねているうちに、彼の方が私に気付いた。……上手く隠れていたつもりなんだけどなあ。

「あ……」

 彼の視線の後を追って、女の子たちが一斉にこちらに振り向く。まるで突き刺さるみたいな視線がずぶずぶと突き刺さる。怖いよ〜っ!

 

 私はすぐにはその場を動くことも出来ず、地面に足を踏ん張ったまま立ちつくしていた。


つづく (050402)


<<     >>

Novel indexさかなシリーズ扉>ななめ上の予感・6