TopNovelさかなシリーズ扉10111213


〜みどりちゃんの妹・ぼたんのお話〜
…12…

 

 

 ……不思議だね。

 あんなに「会いたい」って思ってたのに、こうして目の前に実物が現れると頭が真っ白。それでもお団子をぱくついてるうちは良かったけど、それもなくなっちゃって。

 

 また、少しの間は沈黙が続く。でも、決して息苦しいものではなかった。ああ、そうだったかなって思い出す。「楽々亭」に居座って、ぼんやりと大吉くんの仕事姿を見ていて。別に彼は始終私を意識して気遣ってくれた訳じゃなかった。

「僕、一服するけど。ぼたんちゃんも、お茶新しくする?」

 後ろの作業場から出てきて、「まだ、いたのか」って不思議そうな顔をする。まるでおじさんが飾っていた「商売繁盛」の金ぴか招き猫の置物と同類になった気分。ちょっとムッとしたけど、すぐに思い直した。だって、招かざる客なのは分かり切ってるもん。そりゃ、ちゃんとお茶菓子代はきちんと払っていた。ただ食いなんてしてない。だけどやっぱり、同じ空間に誰かがいたら緊張するもんね。

 ……そうだな。猫つながり、ってわけじゃないと思うけど。本当に私は迷い猫みたいなもんだったんだなって思う。ある日、突然ふらりとやってきて、勝手に威嚇して唸り声を上げて、それなのに食べ物をねだったりして。いつもおじさんにしていたみたいに、……ううん、もっと我が儘にしていたんじゃないかな。何もかもを受け止めてもらえる心地よさに、ほんのりと酔いが回っていたのかも。

 気まぐれにぷいっと、いなくなって。久しぶりに戻ってきたから、また餌をくれる。今日のお団子だって、そんな感じだった。

 

 時間、あまりないと思うんだけどな。分かってるのかなあ……。

 大吉くんは、またぽつりぽつりと話し始めた。新幹線の時間を考えたら不安になるけど、こうして何となく一緒にいられるのは嬉しくて、ぼんやりと聞き入ってしまう。声も息づかいも、みんなみんな当たり前みたいに私の中にしみこんでく。それで……満たされていくんだ。

「僕さ、……実はもう和菓子の世界にいるのは辞めようって思ってたんだ。休暇を取ったのだって、かなり強引だったし、ずるずるとのばして二度とあっちには戻らないって。ホント、マイナスの思考でぎちぎちに凝り固まっていたんだな。実際、帰省して十日くらいは家でごろごろしてたんだ。何にもやる気がなくてね。親方から連絡貰ったときは、本当に驚いたもの」

 首をすくめて、ちょっとだけ笑う。でも、その横顔はどこか寂しそうだった。

 

 拝み倒されて承諾したものの、やっぱり店に立つのは乗り気ではなかった。

 まあ、「楽々亭」には専門学校に通い始める前から何度も手伝いに来ていたし、ショーケースに並べるお菓子も作り慣れている。極秘の配合だって、習得済み。何より、同じことをずっと繰り返して修行してきたんだから、気持ちがついて行かなくても身体が勝手に動いていた。

 もう、二度と調理場には立ちたくない――そう決めていたのに。無心に手を動かしているうちに、忘れかけていたものを時折思い出せる気がした。だけど、それは一瞬ふわっと湧いてきて、すぐにまた沈んでいってしまう。どうしてもすくい取るまでには至らなくて、もどかしい日々が続いていた。

 

「最初の時に言ったけど……、ぼたんちゃんのことは前もって親方から聞いていたんだよね。でも、信じられなかった。すっごい可愛いよ〜なんて言われても、ふーんって感じで。それどころか、見ず知らずの女の子なのに『嫌だな』って思ってた。だって、僕だって親方にとっては息子同然の存在だと思っていたんだよ。なのに他にも可愛がってる子がいるなんてさ、いい年して何だよとか腹の底で考えてた」

「……はあ」

 そんなこと、張り合われても困るんだけど。イメージしていたよりもずっと子供っぽい思考回路にちょっと驚いた。大吉くんもさすがに恥ずかしかったんだろう、耳たぶがほんのり赤くなってる。

「今まで女の子には散々な目に遭ってきたからね、何となくそこは逆恨みっぽいのも入っていて。せいぜいからかってやろうかなって、考えたりもしたんだな。三色団子だって、試作品をいくつも作ったんだよ。中には納豆とか練り辛子入りとかもあったんだから」

 ――何それ、信じられない。もしかしたら私、とんでもないものを食べていたかも知れないってこと? まあ、何の疑いもなくぱくついてしまった自分にも責任あるけど……うわ、怖。

 きっとそのときの私がすごくびっくりした顔になっていたんだろう、大吉くんは頭をぽりぽりしながら「ごめんね」って小さく呟いた。

 

 不思議だなあって、思う。

 だって、そうでしょ。私から見たら、大吉くんは最初からすごく落ち着いていて余裕で。まるで明日や明後日のことまで全部知ってるような顔をしてた。つんつんに尖った私に対しても全く動じなくて、イライラももやもやもいつの間にか全部吸い取られていたよ。

  けど、違ったんだね。大吉くんだって、普通の人間なんだ。しかも少なからず傷ついて、昔からの「夢」すらももう捨てちゃおうって思っていたなんて。よほど面の皮が厚いのかなあ……どうして、全然悟られないように出来るんだろう。何もかもが完璧で、あっさりしていて。――やっぱ、全然敵わないって思う。

 

「でも、良かった。元気になれたなら、それが一番だよ」

 気が付いたら、そんな風に呟いていた。何が「ありがとう」なのか分からないけど、まあいいか。感謝されるのは悪い気はしないもの。よく言うじゃない、何かをして貰ったら「すみません」じゃなくて「ありがとう」って言うべきだって。その方がずっと気持ちいい関係になれる。言葉ひとつで、幸せになったり不幸になったりするんだね。

「うん、良かったよ。本当にありがとう」

 大吉くんもすごく嬉しそう。良かったなーって本当に思う。だって、もったいないよ。せっかくあんなに美味しいお菓子を作れるんだもん。難しいことを考えすぎて、それを辞めちゃうのは絶対に良くない。「花より団子」って、言うでしょ? いくら綺麗なお花を見ても、おなかはいっぱいにならないよ。おなかがふくれなかったら、心だって満たされない。これは人間の生理的欲求のひとつなんだから。

「あっちに戻っても、変わらずに頑張ってね。私、応援してるから。声、届かないと思うけど、それでもおまんじゅうやお団子を見るたびに、大吉くんのこと思い出すわ」

 これからも、頑張って。おいしいお菓子でたくさんの人を幸せにしてあげてね。大吉くんの作るお菓子をきっといっぱいの人が待っている。……そうなんだよね。

 

 ああ、何だろ。すごく、胸が痛い。

 おなかはいっぱいで幸せな気分のはずなのに、どうしてこんなにしくしくするの? もしかして、私は食い意地張りすぎ? お団子10本じゃ、足りなかったのかな……?

 変だなあ、大吉くんのお菓子で十分に幸せにしてもらったはずよ。落ち込んだときには美味しいものをいっぱい食べて立ち直るの。今までもずっとそうしてきた。ほかほかのおまんじゅう、つるりとした水菓子。柔らかいお餅の皮から出てくるしっとりした餡。きらきらショートケーキじゃこうはいかないの。やっぱ、和菓子じゃなくちゃ。

 

 それに……私の方だって、いっぱいありがとうだよ。

 大吉くんと出会って、私はたくさんのことに気付いた気がする。真剣に仕事してる背中を見ていたら、私もいつまで逃げていちゃ駄目だなってわかったのよね。誰かに幸せにしてもらうことを考えるよりも、誰かのために自分が頑張りたいなって。自分の目の前に広がるいくつかの道の、一番難しいコースを選ぶのも苦じゃなくなった。

 自分自身の力で生きてくのは、面倒だわ。だって、それには責任がついて回るから。自分で蒔いた種は自分で刈り取らないといけない。もちろん、全てをひとりきりで出来るはずもないけど、そうするだけの覚悟がなかったら駄目なのよ。いつまでも可愛いお姫様じゃいられない。

 大好きだから、この街。いつまでも大切にしたいから。今はまだひよっこだけどね、いつかきっと立派に「巡田商事」を切り盛りして見せるよ。駅前商店街が、地域全体がますます元気になるように頑張るんだ。

 立ち上がる気力をありがとう、そして歩き出す勇気もありがとう。感謝してもしきれないくらい、私は満たされてる。この上に何を望むというの、そんなの欲張りだよ。

 

「うん、今日のお団子もとびきり美味しかったよ。ありがとう、本当にごちそうさま。おなかいっぱいで、パワー全開になれそうだよ」

 私も立ち上がって、まっすぐに大吉くんを見た。そして、にっこりとびきりの笑顔。ふわふわの髪とかスカートとかがないと、やっぱりまだ少し心細いけど……いい女は中身で勝負出来るわ。

 

「……そう?」

 その言葉には、少し驚いた。それに、何だか腑に落ちないような顔をしてるんだもの。バッグに手を伸ばして、持ち上げるのかと思ったら、中を開けてごそごそしてる。やがて、何かを探り当てた背中が止まった。

「もうひとつ……渡したいものがあったんだけど。こっちはもう、いらないかな?」

 

 何だろう、すごく迷っているみたいな声。私の知ってる大吉くんじゃないみたいだ。

 このまま、私が断ったら、「なら、やめよう」っておしまいにしちゃうんだな。それも可哀想だなあって気がして、思わずううんって、首を横に振った。肩越しに振り向いた彼は、ホッとした表情になる。

 

「じゃあ、……両手を出して。僕がいいって言うまで、目を閉じていてくれる……?」

 静かにこちらを振り向いて、後ろ手に何かを隠してる。緊張が頬に張り付いた微笑み。一度承諾の意を示してしまった私は、訳も分からないまま、それでも言葉に従うしかなかった。


つづく (050426)


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