〜みどりちゃんの妹・ぼたんのお話〜 …7…
「ごめんね、驚いたでしょう」 湯飲みの中にたっぷりと注がれたお茶は、いつもよりも少し濃いめ。多分、彼の方も疲れているんだろうなと思った。珍しく自分用の丸椅子を出してきて、腰を下ろしている。座ってしまえばカウンターの向こうからは見えなくなるから、ここは今、店員不在のお店みたいだ。 「……ううん」 そうやって答えたけど、本当は嘘。直接女の子たちに対応したのは大吉くんで、私は何もしていないんだけど、なんかもうびっくりしちゃった。季節外れの蝉のように電信柱にしがみついて身の置き所もなくて、「もう帰っちゃおうかな……」な〜んて考えてたくらい。 ふう〜っと、大きな溜息。こんな姿もいつもの彼からは想像できないことだ。くるくるって、コマネズミみたいに休みなく立ち働いていても、疲れた顔ひとつみせないもんね。もしかしたら、超人なのかもって思ってたよ。 熱めのお茶をごくごくって一気に飲み干してから、彼はようやくぽつんぽつんと身の上話を始めた。
「一年くらい前だったかな、地元のケーブルテレビが店の取材に来てね。放映されたのは10分くらいの短いものだったし、それ自体は何でもないことだったんだけど……偶然番組を観た地元の情報誌がまたやってきて。だんだんおかしな方向に進み始めていったんだ」 先ほどの女の子たちの様子を見てればなんとなく察しが付く。 きっと番組の中でスポットが当たったのが若い見習いの大吉くんだったんだね。だろうなあ……、こうして地味な格好をしていてもすごくさわやかだし、何となく「和菓子職人」っていう堅苦しいイメージとは違うもん。どこだって不景気な世の中、少しでも地域活性化する足がかりになるなら、と引っ張り出されたんだ。 「街で見つけた、イケメン職人」――そんな感じで、大吉くんはあっという間にちょっとした地元の有名人になっていたみたい。彼目当てでやってくる女の子たちも増えて、もちろんお店は大繁盛。ただ、そんな風に周囲がいたずらに騒ぎ出すと、困った状況が色々出てきた。 「最初はほんの数人の子がお使いのついでに声を掛けてくる、って感じだったんだ。だから一時的なものですぐに収まるだろうって思っていたんだよね。でも、そのうちに店頭だけじゃなくて朝夕の従業員出入り口とか行きつけの喫茶店とか、いろんな場所で彼女たちを見るようになって。定休日に僕の下宿までやってきたときは、正直勘弁してくれって思った。 ああ、そうかも。さっきの女の子たちの中にも、ちょっと関西っぽいイントネーションの子もいれば、私と同じ話し方をしてる子もいた。
手に届かないような遠い存在よりも、すぐに顔を覚えてもらえるくらいの距離がいい。それなら気軽に声を掛けたり、差し入れしたりが可能だ。某アイドルグループのところには誕生日やバレンタインに4トントラック何台分のプレゼントが届くっていつかニュースで見たけど、あれじゃあいくら心を込めても絶対に本人が目にすることはない。 ――だけどなあ、まさか大吉くんが。そんなこと全然考えてもいなかったけど、言われてみればすんなり納得できる。彼みたいな人間は、荒んだ今の世の中にはうってつけの「癒し系」。思わず吸い寄せられちゃうのも無理はない。
そう言い終えたあと、彼はぐるりとお店を見渡した。 ガラス張りの外装。作業場を含めた床面積が五坪くらいしかないちっちゃな店舗。何度かの改装を重ねながら、おじさんがひとりで守ってきたお城だ。常連のお客さんに支えられて、ゆったりと営業を続けていける感じ。派手じゃないけど本当に美味しいお菓子ばかりだから、時々は食べたくなるのよね。 「僕はただ、心を込めて仕事をしてお客さんに喜んで貰いたかったんだ。女の子たちが騒いでくれるのは、そりゃ、嬉しくない訳じゃないよ。でも、なんか違うんだ。だって、あの子たちは和菓子になんて興味ないんだもん」 空っぽになった湯飲みに、お茶を注いでくれる。自分の分もつぎ足したあと、大吉くんはどうしようもないほど寂しい顔になった。 「ソフトクリームをなめながら、用もなく店に入ってきたりするんだよ。だから、勧めてみたんだよ。たまにはひとつ買ってみない? って。そしたら、こんなの地味だし甘いだけだしって言うんだ……」 通りに面した窓の向こう。遊歩道の街路樹も葉を落としているから、輝き始めた日差しがお店の奥まで届いている。大吉くんの白い帽子の先にも光のかけら。 「……そうかあ」 けど、実際。女の子の和菓子に対する印象なんて、そんなものかも。 お友達とお茶しようってことになっても、大抵はおしゃれなカフェになるよ。「パティシエ」って言葉もだいぶ浸透してきたし、可愛くてお値段も手頃なケーキショップは大盛況だ。それに対して和菓子って、どうしてもおばあちゃんのイメージだもん。ひなびた縁側とか、冬の日のこたつとか。そういうのが浮かんでくる。 そんなの、分かり切っていることだから仕方ないと思うんだけど。でも、大吉くんはそうは思えないんだね。職人魂とかそういうのを感じるよ、「負けたくない」ってね。 「誘われるままに何となく付き合ったりしたこともあったけど、全然楽しくないんだ。女の子って最初から、自分で勝手にイメージを作って恋愛しようとするんだ。相手がどう考えるかなんて、お構いなしで。そんなのに付き合ったって、疲れるだけだよ。もう、たくさんだって思った。だから少し、女性不信になってるかもね。 棚の隅っこ、色とりどりにラッピングした包みが山積みになってる。ひとめで今日のために用意したって分かる、可愛いリボン。くるくるって、先っぽがカールしているものもある。 彼自身は迷惑なんだろうな、でもあのひとつひとつが精一杯の気持ちなんだよ。それに気付けなくなるくらい、大吉くんは大変な思いをしてきたんだ。きっと、私なんかにはとても想像が付かないくらいに。
温かいお湯のみ、両手で包んで。今までの自分を思い起こしてた。まずいなあー、初めてここで出会ってからもう1週間以上、毎日のように入り浸っていたもの。大吉くんは、女の子たちとの間で大変な思いをしてて、それで何もかも嫌になって。だから……きっと。 自分でもやりすぎかなって思うこともあったんだよ。でもね、すごく楽しかったから……ついつい流されてしまった。ああ、すごい自己嫌悪。
「え、……そんなことないよ?」 そろそろ次の仕込みを始めようかなって、彼は立ち上がる。そして私に向かって、にっこりと微笑んだ。いつもと同じに。 「ぼたんちゃんは、このお店の大切なお得意様だもんね。だから、おもてなしするのは当然だよ」
つづく (050407)
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