TopNovel>世界の果てまで追いかけて・2




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 お天気が良かったのは週末だけ。新しい一週間を迎えた月曜日からは、梅雨空が戻ってきた。
  そんな中で相変わらず元気いっぱいなのは、中庭の紫陽花集団。さらに色味がしっとり濃くなって、我先にと首を伸ばすその姿が憎らしいくらい。
「なあに、莉子ちゃん。浮かない顔ねえ」
  いつもの華道部部室にて。放課後のティータイムを楽しんでいる楓さまとあたし。
「そんなこと、ありませんっ。今日はあとをくっついてくるふたりがいなくて、気分は晴れ晴れですよ!」
  窓の外のしとしと雨降りには気分が沈んでくるけど、今日と明日の二日間は一年生が宿泊学習で不在。よーやくお目付役から解放されて嬉しいったらない。
「ふふ、強がっちゃって。本当は寂しいんでしょう?」
  そう言って小首を傾げる姿、絶対に計算していると思う。あたしとは対照的な真っ黒さらさらロングヘアを見せつけてくれるんだ。それがウイッグだってことはわかっているのに、ジェラシー感じちゃう。
「楓先輩の方は、相変わらずお元気そうで。ファンクラブのメンバーもますます増えて、結構なことじゃありませんか」
  これは当然と言えば当然の結果なんだけどね。
  今年入学してきたぴっかぴかの新入生たち、そのほとんどは上級生との「対面式」で壇上に上がった楓さまの姿に釘付けになった。まー確かに、あのときの立ち振る舞いは「よくぞここまで」と思っちゃうくらい完璧だったわよ。
  でもなあ、ここまで人気独占でひとり勝ちされちゃ、さすがに面白くないんだけどな。
「まあ、莉子ちゃんに褒めてもらえるなんて嬉しいわ」
  そう言って、微笑む姿は谷間の白百合のよう。穢れない純白の輝きが、キラキラの粒になって辺りに散らばっていく。
「でも安心して、私の心はいつでも莉子ちゃんひとりだけのものよ。いくら熱烈なアプローチを受けたって、絶対になびいたりはしないわ」
  イマドキこんなしゃべり方するジョシコーセーなんていないよ。そう突っ込みたくなるけど、この人の場合はその外見とぴったりマッチしているんだから仕方ない。
  実家は華道ナントカ流のお家元でゆくゆくはその看板を継ぐことになっているとか、茶道だって少なくとも学園一の腕前であることは確かだ。中学までは普通に男子生徒してたって言うことの方が信じられないよ。
「でもぉ、これって私の片思いなのよね」
  ふうっと寂しそうに溜息を落としたりして、その演技がかった仕草がたまらなく嘘っぽい。
「莉子ちゃんは、いつだって衛に夢中なんだもの。いったいあんな粗忽者のどこがいいの? 絶対に私の方がお得だと思うんだけど」
  ……ぶっ! いきなり何を言い出すの!?
「なっ、……ななな……」
「あらあら、そんなに慌てちゃって。いいのよ、私はどこまでも耐える日陰の身で生きていくんだから」
  そう言って差しだしてくれるのは、お決まりのレースのハンカチ。この人ってこういう小道具にまでぬかりないんだよね。自分で悲しくならないのかな、わーこれってバラの地模様まであるじゃない。
「莉子ちゃんがこんなにしょんぼりしているのも、ここに衛がいないからなのね。でも仕方ないのよ、お祖父様の呼び出しを断れる人間なんてこの世に存在しないんだから」
  そうなんだ、久々に放課後の補習のない今日。本当は大王もここに同席するつもりだったみたい。でも急な呼び出しが来て帰っちゃったんだって。……ううん、そのことについては少しも残念になんて思ってないから。
「それにしても、この頃『呼び出し』多いですよね。もしかして、進路のこととかで難癖つけられているとか?」
  去年はここまで頻繁じゃなかった気がする。それに楓さまと大王がセットで呼ばれることの方が多かったし。でも、このところ大王ひとりだけちょくちょく「高宮の爺」という人に呼び出しをくってる。
「高宮」っていうのは楓さまの姓でもあるわけだけど、そう言う名前の一族なんだ。大王の場合はお母さんがお嫁に行ったから、姓が違う。とはいえ彼が「高宮一族」の一員であることには変わりない。
  先祖代々受け継いできた血筋がどうとか、一般庶民なあたしには全く別世界の話。でもウチみたいな学校だとその手の話題があっちこっちに転がってる。
「うーん、どうなのでしょう。私も詳しいところはわからないの」
  どこまでも「女」としての自分を貫こうとするその役者っぷりに感心しつつも、あたしはぼんやりと考えていた。
  そうかー、大王もこの人も受験生なんだよな。来年の今頃にはもうどこかの大学でキャンパスライフを送っているんだ。ふたりとも常に学年トップクラスの成績だし、かなりすごいところに受かるんじゃないかな。
「私は最終的には実家を継ぐことになるのだし、だから学生時代は自分の好きなことを学ばせてもらおうと思ってるの。歴史に興味があるから、史学科とかかな。教員の免許も取りたいと思っているわ」
  へー、そうなんだ。古文書の研究とか、すごく楓さまっぽいかも。
「……大王は、やっぱり警察関係に進むことになるのかな」
  いや、なんとなくね。そうかなあとか思って。警察のお偉方がたくさんいる一族だって聞いてるし、曲がったことが嫌いで武道に精通している大王にはぴったりな気がする。
「あらあ、莉子ちゃんてば。そうやってすぐに衛の心配になるのね。気になるなら、本人に直接聞けばいいじゃない。莉子ちゃんのお願いなら、きっと喜んで答えてくれるわよ」
  その前に、そもそもあたしたちの間にはまともな会話も成立しないと思うんですけど……。
「将来のだんな様の職業がそんなに心配? 莉子ちゃんも隅に置けないわねーっ」
  ―― 絶対にこの人、こっちの反応をチェックして楽しんでいるよな。
「あのーっ、ちょっといいですか?」
  このまま楓さまのペースで遊ばれているのは面白くない。あたしは顔の頬のあたりの筋肉に意識を集中させて、できる限りの真面目くさった表情を作った。
「こんな無駄話をするために、あたしは呼び出されたんでしょうか?」
  今日は巡回ルートも少なめで、早く下校できそうだとか喜んでいたんだよね。それなのに昇降口のところでこの人が待っていて、強引にここまで連れてこられた。こっちの言い分を全く聞いてくれない辺り、あの化け物の従兄弟だなと改めて確信する。
「まあ、ひどい。莉子ちゃんは私とお茶会するのがそんなに嫌?」
  だからーっ、どうしてそうやって話をすり替えるかな。そりゃ、学園内外を問わず楓さまとツーショットでお茶をしたいと夢見る輩はたくさんいると思う。でも、少なくともあたしはそうじゃないし。
「そっ、そーいうわけではないですけど……」
  とか思いつつも、ついつい場を取り繕ってしまうあたし。まあね、美味しいお菓子もたっぷり用意されていたし、それをいただくことは少しも悪いことじゃない。
「ふふ、良かった」
  そしてカップの中の紅茶を全部飲み干すと、楓さまはそっと身を乗り出してきた。
「その後、莉子ちゃん身辺に変わりはない? あの生徒会長がまた馬鹿なことを考えていないか心配になって」
  あれれ、そうかー。一応、先輩らしく気遣ってくれていたりしたんだ。
「そっちの方は全然平気です! 学校内ではいつも子分ズが一緒だし、あちらも手を出す機会がないんじゃないですか?」
  四月の植木鉢落下事件は、なかなかすごかったもんね。あのときはバタバタ通り過ぎてしまったけど、あとから考えたら背筋がぞーっとした。
「それに、あのときのターゲットだって、本当は大行司くんの方だったんだし」
  正直、もう忘れたいと思っているんだ、あのときのことは。だからあたしは話をさっさと切り上げて、新しいクッキーに手を伸ばした。
「……でもねえ、実は完全にそうとも言えないのよね」
  難しそうな顔をした楓さまは、その眼差しをちらりと中庭の方に向けた。雨の中で心地よさそうに揺れている紫陽花畑には人っ子ひとり見あたらない。
「よーく思い出してみて、莉子ちゃん。あのとき、タイミングよすぎに登場した人がいたでしょう?」
  え、そうだっけ。えーと、えーと……あれは確か。
「ちょっと気になったからあとから調べてみたんだけど、彼のことも全くの白とは言い切れないのよね。集められた破片も他の不燃ごみと一緒にされちゃって、あれってまるで証拠隠滅だし」
  で、でも……まさか。
「そ、それはさすがに違うんじゃないでしょうか?」
  深読みもいいところだと思うよなあ、菅野先輩に限って裏があるなんて信じられない。
「まあ、彼のことを疑いたくないという莉子ちゃんの気持ちもわかるのだけど。菅野くんね、生徒会長と同じ中学出身なのよ。ダンス部の一件のときも色々と相談に乗ってもらってたみたい」
  たぶん、楓さまは慎重に言葉を選んでくれているんだと思う。そう言う気遣いが、梅雨時の湿った空気を通して伝わってくる気がする。
「だ、だけどっ。……やっぱり」
  あたしは嫌だな。たとえどんな状況にあったとしても、手当たり次第に相手を疑って掛かるなんて良くないことだと思う。そういう風にお互いがいがみ合ったら、ますます人間関係がこじれてくると思うし。
「とりあえずは忠告だけしておきたくて。ごめんなさいね、気に障ったのなら謝るわ」
  楓さまは首をゆっくりと横に振ると、傍らの紅茶ポットを持ち上げた。
「もう一杯、おかわりはどう?」
  その言葉に、今度はあたしの方が首を横に振る。相変わらずくりんくりんの茶髪は、今日も軽快に踊っていた。
「あたし、そろそろ帰ります。―― あ、指導室の戸締まりを確認してなかった。そっち、回って行きますね」
  一緒に帰りたくないからと、わざわざそんな風に理由をつけたりして。あたしも性格悪いよな。でもさー、何だかとっても悲しい気分になっちゃって、ちょっとの間ひとりになりたいなとか思ったんだ。
「―― あ。あのね、莉子ちゃん」
  学校指定の重い鞄を持って立ち上がると、楓さまが遠慮がちに声を掛けてくる。
「私も衛も、莉子ちゃんのことが本当に心配なの。元はと言えばこっちの勝手で厄介ごとに巻き込んでしまったから、とても責任を感じているのよ。……そうなのよね、こんな風に疑い出すとキリがないの。気がつくと、誰もかもが自分の敵のように思えてくるようになるわ」
  楓さまの放った最後の言葉が、後日胸に再び深く突き刺さることになる。少なくとも華道部部室を出るあたしは、そのことを少しも予感していなかった。

 制服姿の見あたらない校舎。この学校って、だらだら居残る生徒がほとんどいないんだよね。いつもなら課外の三年生が残ってるからもうちょっとは人の気配があるんだけど、今日はそれもないし。その上、一年生もいないんだから、静か静か。
「相変わらず、じめじめしてるよなーっ……」
  あとちょっとすれば、戸締まりの当番の先生が見回りに来て施錠する。でも今はまだ、廊下側の窓はガラガラ開いていて、そこから湿っぽい風が吹き込んできていた。
  階段をひとつ上がって、教室棟と特別棟を繋ぐ通路を進んでいく。両方の窓から見えるのはいつもの紫陽花たち、やっぱりこうやってみると紫色が一番目立つみたい。
  あたし、もしかするとこの花がそんなに好きじゃないのかも知れない。確かにすごく綺麗だなとは思うんだけど、すごく遠い存在というか……上手く説明できないけどね。色とりどりの姿も「崇高な」っていう言葉が似合ってる気がして、自分とは全く別物のような気がしちゃうからかな。
  そもそもこの学園自体があたしとは真逆な存在だから、そこに植わっている花たちにも親しみを感じることができないのかも。今でも時々考える、どうして「記念受験」なんてしたんだろうって。一緒に受けたみつわが落っこちちゃうなんて、冗談でも止めて欲しかった。
「……」
  通路を右に折れて、そこで足が止まる。指導室の前、あたしと同じ制服を着た人影がふわっと動いた。
  ―― あれ、誰?
  真っ黒でさらさらで背中をたっぷり覆うほど長いのに、全然暑苦しく見えない髪。不快指数120%かと思われる状況の中で、どうしてここまで爽やかなの?
  そして、振り向いたその顔に今度は表情が固まっていた。
「……楓?」
  違う、ってわかっているのにそう声をかけずにはいられなかった。そう、この人は楓さまじゃない。顔はそっくりだけど、身長が違うし……たぶん、こっちは本物の女の子だ。
「こんにちは」
  あたしをはっきりと視界に捉えたらしい彼女は、次の瞬間にふんわりと微笑んだ。そのときも思ったんだ「作りものじゃない」って。そう、楓の場合は女性らしい仕草も話し方もその全てが「わざわざ作りました」っぽい感じが漂ってる。まあそれはあたしが真実を知ってるからだろうけど。
  でも、この子は違う。明らかに、そうじゃない。
「鍵、締まってますよ? 今日は衛、ここにはいないみたい。残念だったわね」
  不思議な彼女は、さらに意味不明の言葉をかけてきた。そしてまた、ふふっと笑う。
「あなた、苑田莉子さん、でしょう?」
  雨降りの夕方、暗くなりかけた窓の外。ぼんやりと浮かぶ白い顔が、あたしのことを見下ろしている。
「あなたのことはよく知っているわ。今までご苦労様、お引き取り願って結構よ」
  いったい、何を言っているのかさっぱりわからない。その上、あたしの両方の足は廊下にくっついたまま動かなくなっていた。
「衛も可哀想にね、いくらわたくしに指一本触れられないからってこの程度の女で退屈しのぎをしようなんて。でも、あなたの役目はもうおしまい。悪いけど、衛は返してもらうわ」
  雨の音がどんどん強くなる。でも何メートルも離れたところに立っている彼女の声はあたしの耳にはっきりと届いていた。

 

つづく♪ (100723)

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