TopNovel>世界の果てまで追いかけて・7




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 このまますべてが終わるなんて、とんでもないと思った。
  背格好は同じくらい醸し出されるオーラもうり双子なのに、一気に六十年以上老けた大王を前にして、あたしの精神状態はまさにギリギリのところで踏みとどまっているという感じ。ここまで恐ろしい想いをしただけで、収穫ゼロなんて許せない。いいよ、もう。すべて振り切っちゃったってさ。
「大王、……はて?」
  相変わらず髪も眉毛もお髭も真っ白なその人は、やっぱりどこかの誰かとそっくりの表情を作った。
「そう言えば、お前は初めにも儂を見てそう言ったな」
  これは「とぼけている」のではなくて「まったくもって何も知らない」ときの顔。それが瞬時に認識できてしまう、自分に驚いている。
  妙なポイントで感心してしまっているあたしの腕を、楓さまはなおもぐいぐい引っ張る。
「りっ、莉子ちゃん! もういいだろ、早く退座しよう」
  普段は何ごとにも物怖じせず大王の反撃をもさらりとかわしてしまう人なのに、何をそんなに慌てているんだろう。そんなにこの「仙人」が怖いのかな? でもさ、よく見てご覧よ。これって、あたしたちがいつも一緒にいた大王のおばけじゃない。どうして、怯える必要があるの?
「……もうっ、楓は少し黙ってて!」
  学園内の全生徒から崇拝されている才色兼備な「楓さま」。
  だけど、あたしには「そんなよそよそしい呼び方で距離を置かないで」とか何とか、よくわからないことを言う。「さま」が駄目なら「先輩」?とも思ったけど、それでもまだ他人行儀だって悲しそうな顔をする。
「衛のことは、呼び捨てにするのに……」
  そうは言ってもね、大王のことは学園の誰もが呼び捨てでしょう? 「閻魔」「閻魔」って、それが当然。だから、あたしだってそれにならっただけだって。
  ―― でも。
  このとき、あたしは初めて楓さまのことを自然に呼び捨てにしてた。今までも意識して頑張ってようやく呼んでいたことは何度かあったけど、こんなにするりと抵抗なく口にできたのはすごい。
「……莉子ちゃん」
  そのことを気づいているのかいないのか、とにかく楓さまは途方に暮れたような表情になった。
「あたしは、ここにいる仙人に話があるの! 邪魔しないでよ!?」
  相変わらず、綺麗に整った顔だよなー。あたしにとっては違和感ありまくりの男顔だけど、これはこれで半端なくモテると思う。
「ちょっと! そこの白い人も、いい加減、しらばっくれるのは止めてくれる!?」
  あたしは楓さまの手を振り解くと、もう一度「仙人」へと向き直った。
「大王って言えば、大王でしょ。江川衛先輩のことです! いったいどこに隠したのっ、さっさと連れてきなさいよ……っ!!!」
  ここで、いつもの悪い癖が出てしまった。頭で考えるより、即実行。自分が正しいと思った道をどこまでもひたすら突き進む。そうすることで、過去に何度失敗してきたことか。わかっているけど、止められない。
  今日、いよいよ「高宮の爺」って人に会えるって聞いて、もうこれは絶対に大王を返してもらおうって決意してた。楓さまに釘を刺されたって、そんなの全然関係ないから!
「……衛? あいつとはかれこれ一週間以上は顔を合わせてないが。マンションの方にでも戻っておるのだろう、悪いが儂は何も知らんぞ」
「は……?」
  もちろん、すぐに「はい、そうですか」と懐から取り出して見せてくれるわけではないと思ってたけど、ここまでの反応は意外だった。本当に知らないの? まさか、そんなはずないでしょう。
「葵からも何も聞いてはおらんが、……奴に何かあったのか?」
  本当に、今初めてこの話を耳にしたように、翁は首を捻っている。これも年齢を重ねすぎてずる賢くなった大人の名演技? ううん、そうじゃないってことくらいわかるよ。
「……嘘、それじゃあ誰が……」
  あたしは背後の人を振り返っていた。当然その人もあたしと同じくらい驚いていると、そう信じて。
  でも、……残念ながらそうではなかったみたい。
「―― 楓っ、……どうしたのっ!?」
  わざとあたしから視線をそらせたその人は、次の瞬間にはくるりときびすを返してそのまま道場を飛び出していた。

「楓っ、楓ってば……! 何なのっ、どうして逃げるのっ!?」
  呆然として固まったり、いきなりスタートダッシュしたり。緩急のつけ方が半端ない一日だ。すらりと長身な彼とあたしとではコンパスの差も歴然。走っても走っても追いつけない、だけどそれでも諦めずに全速力で追いかけた。
「かっ、楓! 楓―― 、うぎゃっ……!」
  あんまりにも慌てていたから、足を踏み外して庭に敷き詰められた砂利の中にダイビングしていた。白い石はそのすべてが河原に転がるそれのように丸く角がとれていたけど、それでも全身を打ち付けられれば痛い。
「……莉子ちゃん!?」
  馬鹿だね、楓さまって。もう絶対に追いつけないくらい遠くまで行ってしまったのに、すぐに戻ってきちゃうんだから。
「大丈夫っ、莉子ちゃん!」
  しばらくの間、あたしは砂利に突っ伏したままでじーっとしていた。別に本当に動けなかったわけじゃないの。でも、ひんやりした石ころたちに身体を埋めていると、思いがけずに冷静になって今回のことの全容が見えてくる気がする。
  だけど、それはどうしても信じがたい、信じたくない事実だった。
「……」
  差し出される手を断って、あたしは自力で砂利の中から立ち上がる。そして、制服についた汚れを叩き落とした。
「すべては高宮のお祖父さんの仕業だって、楓はそう言ったじゃない。あんなに自信満々だったのに、大外れってどういうこと……!?」
  楓さまは俯いたままで何も答えない。こんなのって、全然らしくないと思うよ。
  すぐ側の茂みの向こうで、フラミンゴたちが一列に並んでこちらを伺っている。きっと野生の第六感で、あたしたちの間にある不穏な空気を察知しているに違いない。
「いや、それは……俺の思い違いだったってことで……」
  ううん、違う。絶対にそうじゃない。消えそうな声で告げられる言葉にも、あたしは素直に頷くことなんてできなかった。
「そんなわけない、楓は最初から知っていたんだ。知ってて、……それなのにあたしにまったく見当違いの情報を流していたんでしょう?」
  そりゃ、入学当初のあたしのこの人に対するイメージは最悪だったしね。それからもずっと、丸のまま信じていたわけじゃないよ。むしろもっともらしいことを告げられても、そこに何が含まれているのかをちゃんと考えるようにしていた。だけど……さすがにここしばらくは、ちょっとそこまでの余裕がなくなっていたかな。
「……莉子ちゃん……」
  いくら悲しそうな声だしたって、絶対に騙されないからね。
「楓、本当は知ってるんじゃないの? 大王がどこにいるかを。だったら、さっさと教えなさいよねっ! 黙ってるなんて、ずるいじゃないの!」
  あたしのその問いかけに、彼はハッとしてこちらに向き直った。そして、綺麗に澄んだ瞳であたしに真っ直ぐに見つめながら、二度三度と首を横に振る。
「ごめん、そのことは本当に知らないんだ。―― でも」
  どこかでまた、鳥の雄叫び。でも、そんな合いの手に惑わされるあたしたちではなかった。
「どうしたら、衛が学園に戻ってくるか。その方法なら知っているよ」
  生ぬるい風が頬をくすぐり、一呼吸置いて低く立ちこめた雲からぽたぽたと粒の大きな雨が降り出す。
「莉子ちゃんが衛のことを諦めれば、それですべてが上手くいく。それだけは確信を持って言える」
  信じられない言葉に、すぐには応えることができなかった。呆然と見守る美しい顔は微動だにせずにあたしのことを見つめ続けている。
「そ、それって……」
「すべては、莉子ちゃん次第なんだ」
  なんで、そんなことを言われなくちゃならないの。それがまったくわからない。あたしが、大王を諦める? それとこれとでどんな関係があるというの。それって、まさか――
「やっぱり、すべての元凶は高宮葵だったってこと?」
  かなりの確信をもって言ったのに、楓さまは何も反応してくれない。イエスかノーか、それくらい答えてくれたってよさそうなものなのに。
「莉子ちゃん、この世に存在する男は衛ひとりじゃないよ? 君のこと、近くでずっと見守っている人間は他にもいる。いつまでも莉子ちゃんが衛にこだわって、危険に晒されるのを見ているのは辛いんだ」
  楓さまの綺麗な手が、すううっと伸びてあたしの頬に触れる。真っ白ですべすべして誰もが憧れる極上の感触が、ひどく禍々しいもののように思えた。
「俺を選びなよ、莉子ちゃん。俺なら、莉子ちゃんのことを決して悲しませたりしない。世界中の誰よりも幸せにできるよ?」
  空のとても高い場所から落ちてくるような言葉に、あたしはほんのちょっとの現実感も覚えることができなかった。
「……な、何でっ、こんなときにそんな冗談が……!」
  たとえ極上のブラックジョークだったとしてもね、時と場所を間違えたらその効力は果てしなくゼロに近くなる。頭のいい楓さまがそのことに気づかないはずないのに。
「こんなこと、冗談で言えるわけないだろ。ずっと、……伝えたかったんだ」
  長い腕があたしの身体を絡め取る。あっという間に抱きすくめられてしまって、あたしは彼の胸で小さく悲鳴を上げた。
「衛のことなんて、忘れろよ。これからは俺が莉子ちゃんを守る、すっと大切にする。だから、俺のことを選ぶと言ってくれよ……!」
  今までだって、遊び半分に抱きつかれたことは何度もある。楓さまとあたしはずっと「志を一緒にする仲間」だったから、それくらいの戯れは当然だったんだ。だけど、これは全然違う。今の楓さまは、身体も心もそのすべてが男の人。あたしの知っているその人とは全然違う。
「やっ、やめて! そんなこと言う、楓なんて嫌いっ、大嫌い!」
  大王と全然違う匂いに包まれている自分に、たまらなく違和感を覚えた。チビなあたしは、男女問わずぎゅーっとされたらその顔も見えないし、そこにたいした違いはないようにも思える。でも、実際はそうじゃないんだ。
「莉子ちゃ……」
「もうやだ! 楓なんて、知らない! いいよ、助けてなんてくれなくても。自分のことくらい自分でどうにかするものっ、あたしは楓がいなくても全然大丈夫なんだからね……!」
  こんな束縛になんて負けるわけにはいかない、必死の力でもがくとどうやら少しの隙ができた。そこからすり抜けるなんて、朝飯前のことだ。
  力いっぱい飛び退くと、砂利に足を取られた。でも、もう一度転んだりはしない。あたしだって、ひとつの失敗から学ぶことはちゃんとあるんだよ。
「あとは自分ひとりでどうにかする! だからっ、もういいから! 金輪際、楓はあたしに構わないで……!」
  呆然と立ちすくむ楓さまの瞳は今にも泣き出しそうだった。その表情だけは演技じゃなくて本物だって信じたい。
  この人があたしのことを? ……本当に? ううん、駄目。今、余計なことを考え始めたらさらにややこしくなってくるもの。

 その後、お屋敷を飛び出して。気がついたら、田んぼや畑の広がる一本道をとぼとぼと歩いていた。
  行きは楓さまが一緒だったし、途中まではバスに乗ってたからあっという間だった。だけど、今のあたしはひとりっきりだから。……ううん、もしもここで楓さまが再登場したって、絶対にご一緒したくないけどね。
「はあああっ、もう嫌だ。こんなのって、絶対にあり得ない……」
  あまりにも広々、見渡す限りの田舎。
  独り言でも呟かなかったら、とてもやっていられないって感じ。何でこんなことになるの。今まであたしと一緒に大王のことを心配しているとばかり思っていた楓さまが、どうしていきなりあんなことを言い出したんだろう。
  ―― あたしが、大王のことを諦める? そんなの無理だよ、大王はおやつのプリンとは違うんだよ。幻のデラックス・ミルフィーユよりもずっとずっとすごい、この世にひとりしかいない存在なんだから。他のもので間に合わせたり、そういうのは絶対に無理。
  自分でもよくわからない。どうしてこんな気持ちになるのか。大王なんて、威張ってばっかであたしのいうことなんて全然聞いてくれないし、やさしい言葉を掛けてくれたのなんて最後に聞いたのはいつだったかと記憶の底の底から見つけ出さないと駄目なくらいレアな出来事なんだ。
  でも、それでもあたしは大王がいいなと思う。もちろん、向こうから「お前なんて、もういらない」って言われちゃったりしたら、それはそれで考え直す必要もアリだろうけど。そんなのそのときになってから、初めて考えればいいことでしょう?
「でも……これから、どうしよう」
  白い翁は、大王のことについてはノータッチ。……ということは、残る容疑者はただひとり、あの高宮葵をおいて他にはいない。彼女が大王をどこかに監禁している。もちろん、彼を命の危険に晒すつもりは毛頭ないだろうけど、現段階で大王が自力で出てこられないような場所に置かれていることは間違いない。それはきっと、最後に出会ったあの夜に大王を追いかけていた黒い人たちが関係しているんだ。
  だけど、そこまでばっちりとわかったとしても。あたしひとりで、この先をどうしろというの。彼女は絶対に口を割らない、それだけは確信を持って言える。
  楓さまにはもう二度と頼れない。そもそも、あたしと大王のことを終わらせようと目論んでいるその人に力を借りるなんて不可能。そして、彼を「敵」に回してしまった以上、学園の皆もあたしの味方ではなくなったってこと。早紀だって、大行司くんだって、春日部くんだって、その他の人たちだって、すべてあたしから去っていくだろう。
  正直、頭のいい選択だったとは思えない。あそこで楓さまを選んでしまった方が万事上手く収まるってことくらいわかってた。……だから、このさきはあたしの我が儘でしかない。
  ―― どうしても、大王がいい。大王じゃなくちゃ、駄目。
  これからのことなんて何も思いつかないのに、それでも大王のことを考えると胸の奥が温かくなった。そして、まるで大王がすぐ側にいてくれるみたいなそんな幸せな気持ちが溢れてくる。
  しばらく会わないでいるうちに、大王はあたしの中でとんでもなく美化されているみたい。いつか本物にもう一度巡り会えたら、あまりのギャップに腰が抜けるかもね。
  自分の馬鹿馬鹿しい考えに、ようやく固まっていた感情が動き出してた。ふふっと、小さく笑い声がこぼれたところで、あたしはハッとして向き直る。
  どこまでもどこまでも続く駅までの一本道。その向こうから、フラミンゴ色のタクシーが滑るように近づいてきた。

 

つづく♪ (100827)

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