TopNovel>世界の果てまで追いかけて・5




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 百年以上の歴史と伝統を誇る私立緑皇学園。生徒たちの間で「閻魔」と呼ばれて恐れられていた自称「風紀委員長」の江川衛。その彼が、ある日を境に学園内から忽然と姿を消した。全く、何の前触れもなく。
「表向きは病欠として届けが出ているのだけど、そんなはずはないわ。衛は十二カ年精勤を目指していたのよ、三十九度の熱があったって這ってでも登校するような人なんだから」
  従兄弟である楓さまにも詳しいことはわからないみたい。だけど小さな頃から一緒にいて大王の生態を十分に把握している人がいうのだから、今回のことは本当に「あり得ない」出来事なんだな。
  もちろん、高宮葵にも聞いてみたわよ。こうなったら恥も外聞もあったもんじゃないもの。でも彼女は何でそんなことを気にしているのと言わんばかりな態度だった。
「衛は今、お爺さまのお屋敷にいるわ。誰だかさんの悪い病気でももらったんじゃないかしら、ひどく風邪をこじらせてしまって。だけどご心配なく、わたくしがつきっきりで看病していますから」
  でも、そんなのは嘘。高宮のお屋敷には楓さまが懇意にしているお手伝いさんもたくさんいて、こっそり情報を伝えてくれる。もちろんそのことが公になればその人に迷惑が掛かるから、こっちとしても細心の注意が必要だけどね。
「どうもね、衛はずいぶんお爺さまとやり合っていたみたい。書斎からふたりの言い争う声が聞こえていたそうよ。もう、信じられない。そんなことしたらどうなるか、衛だって十分にわかっているはずなのに……」 あたしは黙ったまま、唇を噛みしめて俯いた。
  実は、あの日のことを楓さまに伝えられないままでいる。最初に今回のことが知らされたときに「すぐに話さなくちゃ」って思ったんだよ。でも、何となくそれができなかった。自分でもどうしてなのかはわからないけど。
「ああ、でも大丈夫よ、莉子ちゃん。お爺さまだって、本気で衛をどうこうしようとは思っていらっしゃらないはずだもの。今回のことだってきちんと話し合えばきっとわかってくれる、だから安心していて」
  楓さまはいつも、あたしのことをすごく心配してくれる。だからすぐに笑って「そうだね」って言えればいいのに、それができない。どうしてなんだろうなあ。
「大王……どこに行っちゃったんだろう」
  あたしには難しいことは何もわからない。ごくごく一般的なサラリーマンの家庭に育ったあたしは、一族がどうとかしきたりがどうとか、そんな面倒ごととは無縁に過ごしてきた。だけど高宮一族に限らず、似たような問題を抱えている家はたくさんある。うーん、それがわかっても、やっぱり遠い世界の出来事のような気がするな。
  あの雨の夕暮れ。
  大王がぎゅっと抱きしめてくれて、すごく嬉しかった。今までそんなことあんまり感じたこともなかったのに、あのときははっきりとそう思ったんだ。迷子になりかけていた気持ちが元の場所にすっと戻れたみたいな、安心感。大王が側にいてくれないときのあたしは、自分でも支えようがないくらいぐらぐらしてた。
  会いたいのに、今すぐにでも会いたいのに、大王はいない。どこに行ったのかもわからない、今度はいつっていう約束もしてない。だけど……やっぱりすごく会いたい。
「ほら、莉子ちゃん。元気を出して」
  楓さまだって、あたしと同じくらい大王のことを心配してると思う。だけどそんな素振りは絶対見せないで、優しく気遣ってくれる。
「でも、もう丸一週間だよ。こんなに長い間学校休んで大丈夫なの?」
  まあ、ウチの学校は私立だしそう言う点ではいろいろ融通が利くとは思うんだ。それに授業なんて今までだって何度も抜け出したりしてるしね。どういうシステムになっているのかはわからないけど、特別待遇を受けていることは間違いない。
「そうねえ、そろそろ期末テストだし。たぶんそれまでには復帰させてもらえるんじゃないかとは思うんだけど……」
  楓さまは、高宮のお祖父さんが大王をどこかに監禁しているんじゃないかと睨んでる。日本各地にある別荘とか一族所有のマンションとか、めぼしいところを捜してみてくれているみたい。だけどまだ、手がかりは何も掴めてないんだ。
「それも、衛次第かも知れないわね」
  最初の数日は、まだ余裕に構えることができた。もしかしたら、高宮葵の言葉通りに本当に寝込んでいるのかも知れないって思えたし。だけどここまで日数が経っちゃうともう駄目、いくら冷静でいようとしても気持ちばかりが焦ってしまう。
「え?」
  と、そのとき。自分でもよくわからない声が出た。一瞬、あたしを取り巻く空気が変な風に歪んだような、よくわからない違和感を感じたから。
  慌てて何度か瞬きしたあとにもう一度確かめると、不思議な感覚は全て消えていた。
「どうかした? 莉子ちゃん」
  もちろん、聡い楓さまがあたしの挙動不審な態度に気づかないわけはない。
「いっ、いえー! ……何でもないですっ!」
  あー、びっくりした。いったい何だったんだろう、今のは。
「そうなの? ならいいんだけど……このところ天候も不順だし、体調でも崩したら大変。期末テストまで一月切ってるし、十分に注意してね」
  空っぽになったあたしのカップに、お茶を注いでくれる楓さま。その口元にはいつも通り、柔らかな微笑みを浮かべていた。
「そうそう、莉子ちゃん。今日わざわざ来てもらったのはね、実は葵に通じている学園関係者の目星が付いたからなの。もちろん向こうはまだこのことに気づいていないはず、だからここからはさらに慎重に話を進める必要があるわ」
  思いがけないニュースに、あたしは大きく目を見開いて楓さまをみつめていた。
「でも大丈夫、私たちの力を合わせれば怖いものなんてないわ。―― さ、もういいわよ。入っていらっしゃい」
  がらがらがら、廊下との境の引き戸が開いて。その向こうから、あたしもよく見知った顔がふたり入ってくる。
「……え、何で……っ!」
  どうしたの、あんたたちは今日も「指導室」でお茶会しているんじゃなかった?
「ふふ、驚いたでしょう?」
  楓さまはふたりにも席を勧めると、新しいカップを並べる。そうかー、今日は何だかお茶菓子がやけに多いと思ったら、こういう理由だったのね。
「でも……どうして」
  だってこの子たち、誰の目から見ても疑いようもないほどすっかり高宮葵に懐いていたんだよ。まあ無理はないと思ったけど、ちょっと悲しかったのも事実。少し前までは「莉子先輩」「莉子先輩」ってあたしのあとをくっついて回ってたのに、変わり身早すぎって。
「いやあ……ははは」
「そんな顔しないでくださいよーっ、これも作戦だったんですから!」
  何なの、コイツら。全然悪びれもせずに。
  口を半開きにしたままで呆然と立ちつくしている私に、彼等はすっきりとした笑顔でこう言い切る。
「やっぱり楓先輩が一番です! そりゃ、葵先輩もとても素晴らしい方ですが……何かもうちょっとこう、というかどうしても物足りない感じがしちゃって」
「ですです、それにいくら葵先輩のおそばにいても、静音様は現れませんから!」
  ―― おいおい。結局のところ、あたしのことはどーでもいいんじゃないの? どこを斜め読みにしてもそうとしか思えないわ。あんたたちって、いっつもそうなんだから。
「まあっ、嬉しいことを言ってくれるのね。さあ、ふたりとも座って。今、お茶を入れますからね」
  いいよなあ、当然のようによいしょされちゃう人間は。
  でも、この子たちの言い分もよくわかる。あたしも指導室で何度か高宮葵のいれてくれたナントカっていう舌を噛みそうな銘柄の紅茶をいただいたけど、とびきりに美味しいってわけじゃなかったもの。
  最高のおもてなしを提供するために絶対に欠かせないものは「真心」って言われるよね。楓さまはそのことをよく心得ているんだと思う。たとえばスーパーの見切り品コーナーで購入した100個入りティーパックを使用したとしても、この人ならどんな味にうるさい相手の舌も満足させてしまうはず。
「ああ、嬉しいです! それにしてもここはいつ来ても、居心地がいいですねー。やはり管理する方が素晴らしいとこうも違うのでしょうか」
  まったく、調子ばっかいいんだから。しかもその言葉を丸ごと受け取って満面の微笑みを浮かべる楓様。いいわよ、百年でも二百年でも気が済むまで楽しんでいれば?
「莉子ちゃん、そんな隅っこでふてくされているのは止めて。新しいお茶がはいったから、こちらにいらっしゃいよ」
  可愛い「家来」たちにかしづかれた女王様は、清らかな天使の微笑みであたしを手招きする。
「敵さんはどうしても私たちをバラバラにしたかったみたいね。どうしたものかとさんざん考えた結果、肝心かなめの莉子ちゃんをターゲットにしたのよ。でもまさか、葵に白羽の矢を立てるとはね。よくぞそこまで考えたものだと感心するわ」
  心持ち小声になって、楓さまは話を続ける。
「高宮のお爺さまはとにかく葵に甘いから。赤の他人の話は鵜呑みにしなくても、あの子が言うと一発で信じ込んじゃう。そう言うわけで、現時点では莉子ちゃんはかなりまずい状況にいるのよ」
「……え……」
  何なの、それ。いきなりそんなこと言われたって、納得できないから。
「まあ、このことについては例のあの人にひたすら頑張ってもらうことにするわ。彼がどこまでお爺さまの曇った眼鏡を綺麗に磨けるか、それは定かではないけれど」
  ……ええと、「例のあの人」って。
「ふふ、決まってるでしょう。莉子ちゃんの担任である今井先生、これ以上の適役は考えられないもの。今頃、お爺さまのお屋敷の応接室で冷や汗をかいていることでしょう」
  えーっ、何それっ!? そう言えばウチの担任、午後から出張とか言ってたけど……まさかそんな裏事情があったとは。
「莉子ちゃんはあの人に相当の貸しがあるんだから、何としてもやり抜いてもらわなくてはね。それにしても、ここに来て思わぬ手駒が使えたものだわ。やはりどんな恩でも売っておくべきなのね」
  いやいやいや、そういう問題じゃないと思う。というか、今井先生との一件はあたしにとって災難以外の何者でもなかったよ。今でもときどき思い出して、ぞっとするもの。
「と言うことで、お爺さまの件は報告待ち。そして、生徒会長の方は―― その後、どうなったかしら?」
  話を振られた大行司くんが、ぴしっと姿勢を正す。
「はっ、はい! 新たに立ち上げられた裏サイトへの潜入は成功しました。まだ目立った活動は始められてなかった様子です。そろそろ生徒会の改選ですし、その前にどうにかしたいというもくろみでしょうね」
  抱えていたノートパソコンを広げてカチカチと操作したあとに、画面をぐるんと楓さまの方に回して見せている。
「本当に困った人ね、こんな狭い世界で王様気分を味わってたって仕方ないのに。このデータもそのままお爺さまの元に送りましょう。本当に余計なことばっかりしてくれて、頭が痛いわ」
  眉間に皺を寄せて、ふうっと溜息を吐く楓さま。そんな彼女(彼?)をうっとりと見つめる家来たち。
  今まで大王や楓さまを手こずらせてきた「小物」たちを陰で牛耳っていたのが、他の誰でもないその生徒会長だった。最初にそのことを聞かされたときにはすごく驚いたけど、よくよく考えれば納得だよね。
  何しろ、いろいろな権限を持っている人だから、彼を通すと話がスムーズに運ぶことが多い。だからってことで重宝がられてちやほやされていることに慣れすぎて、いつかそれを自分自身の人徳だと勘違いしてしまったみたい。
  そんな彼にとって、自分の足下を揺るがし続ける大王や楓さまは許し難い存在。しかも従順な僕(しもべ)たちはどんどん減っていくし、そのことに焦り続けていたんだろう。
  見た目はなかなかの好青年で、好みのタイプだなと思ってたのになーっ。これにはかなりがっかりだ。
「葵もね、頭のいい子なんだから会長がたいした器じゃないってことにも気づいていると思うわ」
  細く開けた窓から雨風が吹き込んでくる。
  昨日も雨、今日も雨、そしてたぶん明日も雨。それでも梅雨はいつか終わる。そうすれば、このじめじめ感も一掃されるに違いない。そして、その頃にはすべてが解決しているのだろうか。
「……気づいたなら、早く元の場所に戻ればいいのに」
  ぽつんと、口をついて出てきた言葉。自分でも意識がないままにこぼれ落ちていたから、みんなの視線がこっちを向いて初めてハッとする。
「あらあら、莉子ちゃん。そんなに葵のことを嫌わないでね、あの子だって決して悪気があるわけではないのだから」
  すぐに取り繕ってくれる楓さま。それでもあたしの心は晴れない。
  だって、あたしは嫌いなんだもの、彼女のこと。この学園では、今や絶対的な存在となってしまった高宮葵。何をやっても一番で、どこへ行っても誰の口からもいい噂しか聞こえてこない。
  だけど嫌、あたしは嫌。あんな女、この世から消えてなくなっちゃえばいいと思う。どうしてここまでどろどろとした思考になっちゃうのか、自分でもよくわからない。
「それに莉子ちゃんには私たちがついているわ。だから安心して、すぐにすべてがうまく行くようになるから」
  ……本当に、そうなのかな。
  あたしは黙ったままで、カップに残っていたお茶を飲み干した。ちょっと苦くて、舌がしびれる。美味しいお茶も、何杯も続けるとこうなってしまうんだね。
  ―― と、そこに携帯の呼び出し音。
「あら、噂をすれば……」
  楓さまはすぐに携帯を開いてボタンを押す。どうも届いたのはメールだったみたい、開いた画面をしばらく眺めて、彼女はふっと微笑む。
「さあ、莉子ちゃん。私と一緒に行きましょう」
  そう言って急に立ち上がるんだから、こっちはびっくり。
  何、どうしたの、って思ってるうちに、楓さまは使い終わったカップを流しに運んで学校指定の学生鞄を手にする。
「え、ええと……」
  目をぱちくりさせるばかりのあたしに、楓さまはにっこり微笑んだ。
「今井先生から連絡が来たわ。お爺さまが莉子ちゃんに直接会いたいと仰っているから、すぐに連れて来てくださいって」

 

つづく♪ (100812)

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