TopNovel>世界の果てまで追いかけて・10




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 とても高い場所から、白い光が差し込んでいる。細く開けた目でそれを確かめたあと、あたしは一度ぶるっと身震いした。いつの間にか夜が明けていたんだ、わずかな隙間から見える風景がそのことを教えてくれる。
「……どうしよう、これから」
  昨日の夕暮れにも、こんな風に途方に暮れていた気がする。だけど、あのときはまだ打つ手がいくつも残っていた。でも今は……この先にあたしができることは何もない。
  今あたしがいるのは、周囲をすべて岩で囲われた場所。上手く説明できないけど、想像するならすごくミニサイズになった東京ドームのてっぺんに人がくぐれるくらいのひび割れができてるって感じかな? そこから内側に落ちて、閉じこめられた。小さいと言っても水面から一番高い場所まではあたしの身長の二倍くらいはありそうだし、よじ登れるような岩肌じゃない。
  ようするに救助してくれる誰かが来なければ、ずっとここから出られないってこと。冗談でも止めて欲しい、こんな状況。
  底面の広さは直径五メートルほど。ほとんどが水に満たされた壁際に、水面より一段高くなったくぼみを見つけた。そこに這い上がれて、ホッと一息。あのまま立ち泳ぎしていたらさすがに体力が保たなかったと思う。制服、ぐしょぐしょだったけど、脱いで乾かそうと思うまもなく寝入っていたみたい。目覚めた今ではちょっと湿り気が残っている程度だ。見た目はレトロでも、機能性に優れているんだな、この制服。
  あーあ、それにしても。
  わかっているのかな、高宮葵。あんたのやってることこそが犯罪だよ。このままあたしを見殺しにしたりしたら、どうなると思ってるの。
  ―― 否、そうなっても彼女が追い詰められるはずもないか。
  車止めを飛び越えて、勝手に私有地に侵入したのはあたし。そしてあちこちを歩き回った挙げ句に、この竪穴式の洞窟に落ちてしまったのもあたし自身。このことは不幸な事故として片付けられて、おしまいになるだろう。
「……はーっ、やっぱ、あたしって馬鹿かも……」
  勝ち誇った笑いを残して高宮葵が去ってしまってからも、あたしは声を限りに叫び続けていた。でもそれに気づいてくれる人は近くにいない。そもそもこんな崖の上の危ない場所、好きこのんで近づこうとする人間もないだろう。
  鞄ごと水の中に沈んだことで、携帯電話もいっぺんにお陀仏。まさかこんなに簡単に壊れるとは思わなかった。だから今、何時なのかもわからない。もう、何もかもが残念な感じだ。
「いいやー、もうちょっと寝てようかな……」
  起きてると、おなかが空くんだもの。よく考えたら、昨日はお弁当を食べたっきり。さっきから、グーグー鳴り続けている。
  幸いなことに、持ち出した鞄の中にはわずかながらの食料が残っていた。でもそれって、キャラメルとか飴とか、クッキーの小袋とか……それほどおなかに溜まらないものばかり。小腹は膨れても、すぐにまた何か食べたくなっちゃいそう。
  もうちょっと経てば、高宮葵が戻ってくるかも。でもきっと、そのときに彼女の要求が呑めるわけないから、またきっと置き去りにされる。大王のことを諦めきれないあたしは、ここから二度と出られないの? そんな風にして籠城作戦はいつか終焉を迎えるんだろうか。
「……でもっ、そんなのやだよう……」
  月明かりの下。白い光に照らされて、思い切り啖呵を切っていた自分が幻のよう。あのときは何が何でも大王を取り戻すんだと意気込んでいた。でも、ぜんぜん駄目じゃない。結局のところ、あたしひとりがあがいたところでどうなることでもないんだよ。
  そしてまた、とろとろと眠りの中に引きずり込まれていく。眠気を伴って気が遠くなるというより、身体の自由がきかなくなるって感じ。いろんなことを考えることが、どんどん面倒になっていく。
  せっかく大王のすぐ近くまで来ているのに、声を聞くどころか遠目に姿を確認することもできなくなっちゃったよ。悲しいな、すごく……とても悲しい――

「……こ、……」
  ふっと途切れかけた意識が、強い力に引き戻された。洞窟の外側、遙か遠い場所、誰かがあたしを呼んでいる。……これって、幻聴? ううん、違う。あたしのよく知ってる、とても懐かしい声。
「……莉子ーっ……!?」
  もう一度、今度はもっとはっきりと聞こえてきて、あたしの身体が大きく震えた。
  まさか、そんなわけ。ううん、でもこれは絶対にそう、間違いない。
「だっ、大王っ、大王っ……!?」
  あたしの声はほとんどドーム型の洞窟の内壁に反響してそのまま吸い込まれてしまう。だけど、それでも声も限りに必死で叫んでいた。
「―― 莉子っ、ここか!?」
  一瞬、頭の中が真っ白になった。
  すぐ真上で大王の声がする。本当に? これは現実に起こっていることなの? 今のあたしには、昨日の夜見た彼の姿すら本物かどうか判断が付かなくなりそうなのに。
「……だ、いおう……」
  身体半分ほどがかろうじて見える天井の割れ目から、大王の顔が見える。そしてその脇からさらさらとこぼれ落ちてる黒い髪。届かない場所にあるのに、すごく嬉しい。息が上がっている感じではあるけど、とても元気そうだ。
「やはりここだったのか、俺の判断は正しかったな」
  そう言った大王の声が、何故かとても嬉しそう。
  でもさ。あたし、穴に落ちたんだよ、そして閉じこめられたんだよ。もっと馬鹿にされるかと思ってたのに、どうしてそんなにやさしそうに笑うの。
  昨夜、ガラス越しに見た亡霊のような姿とは別人のようだった。触れられない場所にいるのは同じでも、ちゃんと声が聞こえる、気配が感じ取れる。それだけで嬉しくて嬉しくて、目の前がまたぼんやりと霞んでいく。昨日からのあたし、笑ったり怒ったり泣いたり、感情の起伏が激しすぎ。
「……ちょっと、待ってろ」
  一度、大王の顔が岩ドーム天井の割れ目から消えた。ふっと息を呑んだ瞬間、今度はそこからぬっと学生服の足が伸びてくる。
「あっ、ちょっと! 駄目っ、大王! こっちに来ちゃ、駄目だって―― 」
  必死で叫んだけど、間に合わなかったみたい。大王の身体はするりと割れ目をすり抜けて、あっという間にあたしが飛び込んだのと同じ水の中に落ちていった。
「……」
  洞窟の内壁に響き渡る音に、あたしは耳を塞いだ。ものすごい水しぶきも同時に襲いかかってきたから、目も閉じる。そして一瞬の間をおいてそろーっと水たまりの真ん中をうかがった。丸く幾重にも波紋が広がっていくその中央に、ぷくぷくと泡が上がっている。
「……大王……?」
  え、ちょっと待って。もしかして、沈んじゃって上がってこられないとか? まさか大王って泳げなかったりするのっ!? 知らない、聞いてないよ、そんな情報っ。でもでも、どうしよう。助けにいった方がいいのかな――
  ほんの数秒の間に、あたしの心をいくつもの思考が横切っていく。すぐには考えがまとまらない、だけどたった今「落ちてきた」人がいつまでも水中に留まっているなら、あたしがどうにかしなくちゃ駄目だよね?
  と、思っていたら。
  水の底の方から、黒い塊がすーっと浮き上がってきた。そして、ざばっと水面に顔を出す。
「……」
  すぐに何か言葉をかけなくちゃ、って思ったんだよ。でも、何だか、胸がいっぱいになっちゃって無理。濡れて頭にべったり付いている髪、その毛先はまだ水の中だから綺麗に広がってゆらゆらと漂っている。
「……どうした?」
  しばらく呆然としているうちに、大王はさっさとあたしのいる岩場まで泳ぎ着く。そして縁に手を掛けて、ざばーっと這い上がった。無駄に身体が大きいし付属物(学ランや長髪)が多いから、いちいち動作が大袈裟なんだよね。……とか、またあまり関係のないことを考えていたり。
「ここ、思ったよりも深いな。助かった」
  まあ確かに、飛び込みのプールくらいの深さはあるかも。浅かったら底にぶつかって大怪我だもんね―― なんて、感動の再会にあまりにも不似合いな第一声。そうしているあいだにも髪から服から顎から、絶え間なく雫がしたたり落ちている。あっという間に大王の腰掛けた周りには水たまりができてしまった。
「深いんだけど……出口らしき場所もないんだよ」
  答えるあたしも、負けず劣らず空気を読んでない感じ。会いたくて会いたくてたまらなくて、それでとうとうこんなところまで来ちゃったっていうのに、思い切り外してる。
  人間ひとりがようやく寝っ転がれて、それでも足の先は残念ながらはみ出しちゃうかな? というスペースにふたりで腰掛けて、なんとなく視線までそらしちゃったりしてね。
「そうか」
  大王はたいして驚いてもいない口調でそう答えると、突然学ランを抜き出した。その下に身につけてるのは長袖のワイシャツ。そっちもかなり水を含んでいて、身体に貼り付いて肌色が透けて見えてる。
「……教えてあげようと思ったのに、人の話を全然聞いてないんだから」
  べちゃっと鈍い音がして、大王の学ランが岩肌に投げつけられた。
「お前こそ、こんなところでいつまで何やってんだ。いったい何時代の人間か。さっさと助けを呼べばいいだろうが」
  元通りに静かになった水面。水の方へと足を投げ出して座ってる。あたしよりも足の長い大王は、もうちょっとで靴下を脱いだ足の先が水に着きそうだ。伸び上がってそのことを確認すると、不機嫌そうな表情も鏡に映ってるみたいにはっきりと見ることができる。
  真っ暗闇に見えたこの洞窟も、こうして夜が明けてみると岩肌のあちこちに指の先くらいの穴が開いているのがわかる。天井の割れ目はかなり大きいし、だからカーテンを閉めてる日中の部屋程度には明るいんだ。
「携帯、ここに落っこちたときに壊れちゃったもん」
  あーあ、ようやく救いの神が登場したと思ったのに。あっという間に「同じ穴の狢」状態になっちゃって、駄目じゃない。だけどこれ、絶対にあたしのせいじゃないからね。
  隣の大王が、一瞬息を止めたのがわかった。同じ空気を吸ってるとそういうことまで伝わってくるんだなと今更ながら気づく。
「……ま、このまま待ってれば、いつか高宮葵が覗きに来るんじゃない?」
  あたしひとりなら、このまま放置プレイもあり得るかなと心配したけど。さすがの高宮葵も、大王だけは助けたいと思うはずだ。何たって、婚約者なんだもんね。そうすればあたしがここにいることも外の人に気づいてもらえる。
「それは、ない」
  感情を殺したような声で、大王が呟く。
「葵? あいつなら師事している教授が突然来日することになったとか言って、急いで戻っていった。少なくともあと三日はここに帰ってこないだろう。俺は見張りの奴らの隙をついて出てきた、上手く巻いたから奴らはきっとまったく別の場所を捜索しているはずだ」
  その言葉にはさすがのあたしもびっくり。思わず、大王の方へと向き直っちゃった。
「あいつらの裏をかくくらい、俺には朝飯前だ」
  なんか、すごい威張ってますけどっ! めっちゃ、自信満々なんですけどっ……そのことが実は裏目に出てることに気づいているのかなあ……
「じゃあ、……下手したら何日も気づいてもらえないかもってこと?」
「そうだ」
  あっさりと言わないでよっ! 嫌だよ、あたしこんなところでミイラになるのは。まだやりたいことも食べたいものもいっぱいあるんだから。あたしの青春、これからなんだからね……っ!
「まあ、人間そう簡単には死なないから安心しろ。この陽気ならば、凍死はあり得ない」
  そっ……そりゃあ、そうかもしれないけどね。
「多少の食料もある。何が起こるかわからないから、備蓄しておいた」
  大王はズボンのポケットに手を突っ込むと、そこからビニールに入った菓子パンや総菜パンをいくつも取り出した。それにしても、いっぱい入ってるなあ。ずらりと並べた中から、大王はあんパンとメロンパンの包みをあたしに投げてくる。
「うわっ、何これ! 消費期限が三日前っ……!」
  ちょっとそれはないでしょうと抗議の声を上げたのに、大王はまったく動じない。そして、自分はソーセージパンの包みを開けて、その表面や裏側を確認してからかぶりつく。
「それを言うなら、こっちは四日前だ。何、あの部屋は涼しかったし、こういう商品には薬がたくさん入っているからそう簡単には腐らない。安心しろ」
  えーっ、本当に? 大丈夫かなあ、食中毒とか起こしたら、それこそ生命の危機が訪れるような気がするけど。……で、でもおなか空いたし。もうこれ以上我慢するなんて無理。
「いっ、いただきます!」
  そんなわけで、しばらくはお食事タイム。聞けば大王は、何日も固形物を口にしてなかったとか。それで納得。昨夜のやつれ方は半端なかったもんね。この男もそれなりの抵抗は示していたみたい。それで食べなかった分をこっそり隠していたなんて、らしいなあと思う。
「それにしても驚いたぞ。どうしてこの場所がわかった、楓が探し当てたのか」
  その言葉に、あたしは黙って首を横に振った。
「ううん、大行司くんが調べてくれた。ここには春日部くんが手配してくれたタクシーで来たんだ、運転手はあの松島さんのお父さんなんだよ」
  少しぱさついたメロンパンが、喉の奥に引っかかってる。
  前触れもなく楓さまの名前が出てきたから、少し胸が苦しくなった。あっちに残ったみんなの間でどんな風な情報交換がなされているかはわからない。
  高宮葵に内緒で行動を起こした楓さま、そしてその楓さまに内緒で大王の居場所を突き止めてくれた大行司くんたち。さらに、人知れず大王をこんな遠い場所に監禁まがいのことをしていた高宮葵―― 何となくそれぞれがこの先も意識的に接点を持たずに行動していきそうな気がする。
  となると、あたしたちの発見はますます遅くなるってことで……。
「でっ、でも! 大王だって、こんなに簡単に逃げ出せるなら、もっと早い段階で行動を起こせば良かったじゃん。何で、高宮葵の言いなりになってたの? そんなのって、全然大王っぽくないよ……!」
  最初のうちは驚きすぎてストップしていた思考も、こうして会話を続けるうちに元通りに動き始めていた。そうなると一番に上がる疑問点はそこだよね? どうして、大王が何日も何日も大人しく従っていたのか、それがあたしにはさっぱりわからない。
「それには、相応の理由がある」
  人には「話をするときには相手の目を見ろ」とか言うくせに、自分はそっぽ向いてるんだもんな。まったくもって、言ってることとやってることがバラバラ。
「黙って言うことを聞かなければ、お前を学園から追い出すとか抜かしやがった。それくらいのことを当たり前のようにやる女だ、ここは要求を呑む振りをするほかないだろうが」
  その言葉のあとに「それくらいのこともわからないのか、大馬鹿者が」と続いていくような気がした。それくらい、偉そうな口ぶりだったんだよね。
「だっ、だけどっ……だったら……」
  それくらい上手く立ち回れるなら、もう一歩進んで監禁状態を解除させるところまで持って行けば良かったのに。
「もうしばらく経てば、あの女の頭も冷えるだろうと踏んでいた。元はといえば、お前が悪い。何をそんなに焚きつけたんだ、お陰でこっちはとんだ茶番劇に巻き込まれていい迷惑だったぞ」
  ……なんか、勝手なこと言ってるし。あたしは食べ終わった菓子パンの包みをポケットに押し込むと、投げ出した足をぶらぶらさせた。
「あたっ、あたしは何もしてないもんっ! こっ、こっちだって……いい迷惑だったんだから」
  何なんだよ、そんなに嫌そうに言わなくたっていいじゃない。
「いっ、いっぱい心配したし! いろいろ悪いこととかも考えちゃったし! ……それに、それなのに……」 だけど、もしかしたら大王に会えるかもって言われたら、自分でもびっくりするような行動に出てた。あたしにこんなエネルギーがあるとは思ってなかったから、本当に驚いたんだよ。
「馬鹿、泣くな」
  そんなはずないよ、泣いてなんかないよって言おうとしたら、スカートにぽたぽたと雫が落ちていた。
「俺もあの女を甘く見すぎていたと思う。ああいうタイプは追い詰めるととんでもない行動に出るのだと、ようやく気づいた。まあ……そういうことで、許せ」
  何なの、それ。全然納得いかないから。
  そう思っているうちに、長い腕がぬーっと伸びてきてあたしはあっという間に湿った身体に抱きすくめられていた。
「……だ、大王……」
  久しぶりの温もりはどこか水っぽくて、それでも胸いっぱいに大王の匂いを吸い込んだらすごくホッとした。
「離れている間、お前のことばかり考えていたぞ」
  えー、どんな顔してその台詞? すっごく見たい、見てみたい。だけど、こんな風にくっついてるのはもっと気持ちいい。離れたくない。
「ね、大王」
  あたしも大王の背中に腕を回して、負けないくらい強い力で抱きしめた。
「……しようよ?」

 

つづく♪ (100903)

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