TopNovel>世界の果てまで追いかけて・13




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「大王?」
  この部屋にいるときは、基本的に彼がごはんを作る。別にあたしがやってもいいんだけど、大王がなかなか譲らないんだよね。だから張り合う理由もないしって、主導権を与えてあげてる。その代わりに洗濯とかしてあげたりして。早くも自然に家事を分担しあっているあたしたちって、本当にすごいと思う。
  あたしが呼んでいるのに、その背中は振り向かない。そして、流しに溜め込んであった洗い物をすべて終えると、その人は返事をする代わりにそれまで着けていたウィッグをさらりと外した。
「……」
  本当はね、最初からわかっていたんだ。だって、気配が全然違うから。だけどわざと気づかない振りしたんだ。なんとなく、その方がいいような気がして。
  しん、と沈黙が流れて。その静寂にとうとう耐えられなくなったあたしの方が、最初に口火を切っていた。
「―― 楓」
  ちゃんと名前で呼んであげたのに、まだ振り向かない。やだなあ、いくら従兄弟だからって、強情なところまで似せなくていいのに。
「……ごめん、莉子ちゃん。君には合わせる顔がない、だから二度と会わないって決めたんだ。だけど……やっぱり、最後にひとことだけ謝りたくて」
  シンクの縁を掴んでる腕が大きく震えてる。それだけで、目の前の人の心の嘆きが痛いくらい伝わってきた。だからもう、十分かなと思う。
「いいよ、もう。あたし、何も気にしてないから」
  ううん、そんなのは嘘。まだ心のどこかで引っかかりがあるのは事実。
  でもいつまでもそのことにこだわり続けていたら、あたしは大切なものを失ってしまう気がする。それはもっと悲しいことだ。だから、どうにかして回避したい。
  もとの学園生活に戻って、たったひとつ残った違和感。それは楓さまの姿が校舎内のどこにもなかったことだ。誰もそのことに触れないから何となくあたしからも訊ねづらかったんだけど……やっぱりね、このままじゃ良くないと思ってた。
「楓は、あたしたちのためにいっぱい頑張ってくれたんでしょう? 聞いたよ、全部。だから、もういいんだよ」
  今回の救出劇。そのはじまりは、フラミンゴ・タクシーの松島さんだった。
  黒ずくめの男たちは、別荘の前から逃げたあたしを探して右往左往。そのうちに私有地の入り口に駐車しているいかにも不審な車を発見した。確かにアレじゃ目立ちすぎだよ、気づかずに通り過ぎろっていう方が無理な話。
  そしてあちこちを追いかけ回された結果、山道の奥まで迷い込んで帰る道がわからなくなってしまったという情けなさ。仕方なく夜明けを待って春日部くんに連絡を入れたのだという。そしてさらにその情報は大行司くんへ。
  そりゃ、ふたりも驚いたでしょうよ。いきなりあたしが消えちゃって、行き先も不明。これはヤバイことになったと慌てつつ登校したら、今度は高宮葵までが姿を消していた。こうなったらもうお手上げ、可哀想な一年生ズは困り果てた末に腹をくくって一部始終を楓さまに話すことにしたんだって。
「楓が高宮のお爺さんに直接掛け合ってくれたんでしょう、そのことはすごく感謝してる」
  この話もずっとあとから聞いた。楓さまのお父さんは高宮爺の次男。出来のいい跡取り息子である長兄や猫かわいがりされている末妹に隠れてひっそり陰のように暮らしていたんだとか。まあそれについては大王のお母さんも似たり寄ったりな立場だったみたいだけどね。
  とにかく楓さまはご両親の厳しいしつけの元、絶対に高宮爺に逆らわないようにそれを第一に生きてきた。そうじゃなかったら、女装までして高校生活を送るなんて不思議なことできるわけないもんね。たとえそれがどんなに理不尽な話でも、楓さまにとって高宮爺の命令は絶対だったんだ。
  それを―― 数日と置かない間に二度も自分から意見するなんて、本当に本当に怖かったと思う。
  しかも「私有地だから免許も必要ない」って、あんな特別車両まで自ら動かしちゃったりして。マジで特別功労賞を与えなくてはならない人だと思うよ。
「ううん、俺は……その前に、ふたりにひどいことをしてしまったから。だからそれくらいのことは当然だったんだよ」
  どうしてそんなにうなだれてるの、それって全然楓さまっぽくないよ。
「……あのとき。衛はどうにかして莉子ちゃんとふたりきりで会いたい、そして真実を伝えたいと願っていた。当日、どうにかして葵をまいたから莉子ちゃんと連絡を取りたいと言われたのに……俺はそのメールを無視してしまったから」
  そのことも知ってる、あたしのことをたくさん慰めて特大パフェまでご馳走してくれた日のことだよね。
  楓さまは大王から連絡をもらって、そのことをそのまま高宮葵に伝えたんだ。大王があたしの家の前にいるって聞きつけた黒ずくめの男たちが、そのまま高宮葵の命令で彼の身柄をあの別荘地へと運んだってことみたい。
「莉子ちゃんを危険な目に遭わせるつもりなんてなかった。本当に……ふたりには申し訳ないことをしたと思ってる」
  楓さまの想いに直に触れている気がして、あたしの心もひりひりと痛む。何か言わなくちゃ、伝えてあげなくちゃと思うのに、言葉が何も浮かばない。
  本当はあたしだって、楓さまに謝らなくちゃならないことがあるよ。あんなひどい言い方をして、拒絶したことはすごく後悔している。そりゃ、あのときはあんまりにも信じられないことばかりで、もう二度と普通の気持ちで向かい合えないと思ってた。でもそうじゃないんだよ、本当は違うんだよ。
  一度すれ違ってしまった気持ちも、努力すればもう一度修復可能なことだって十分ありうるんだ。
「もういいよ、楓。……本当に、もういいから」
  楓さまのことは、今でも少し怖い。何を考えているのかわからない部分が多すぎだし、またいつかとんでもないことを言い出すんじゃないかっていう不安も隠せない。
  だけど、このまま二度と会えなくなるなんて、そんなのは絶対に嫌。それだけは許せない。
「―― 莉子ちゃん……」
  後ろからきゅっとしがみついたら、楓さまの身体が石みたいに硬くなった。背中の肩胛骨のすぐ下のくぼみにあたしの頭がすっぽりと収まる。線が細くて、それでもきちんと男の人の体型をしていて、たまらなく凛々しい。これが、あたしの知っている楓さま。ずっと一緒にすごしていた楓さま。
「楓、学園に戻って来なよ。やっぱり、楓がいないと寂しいよ」
  そこで、彼の身体が一気に脱力する。ぴったりくっついてると、そういうのが全部わかっちゃう。
「……まったく、莉子ちゃんには敵わないな」
  そして楓さまは、あたしの両腕を丁寧に解くとくるりとこちらに向き直る。久しぶりにあたしに向けられたその眼差しは、まだ少し悲しい色をしていた。
「俺も本当は、莉子ちゃんがいないと寂しすぎるんだ」
  そんな風にさらりと言ってくれちゃうんだもんな、こっちが照れちゃうよ。嬉しくて恥ずかしくて……でもちょっと哀しい。あたしと楓さまの関係って、これからもずっとこんな感じかな。
「えへへ、良かった」
  でも、笑って見せたよ。できるだけ、自然な感じでね。それが今のあたしにできる、精一杯だと思うから。
「……ね、莉子ちゃん」
  そしたら、楓さまは急にあたしの方へと頭を傾ける。ちょうど耳打ちするみたいに、思い切り猫背になって。
「このまま、抱きしめてもいい?」
  ―― え、嘘。
  もちろん、あたしはびっくり。思わず後ずさりしたわよ。でも楓さまは全然平気、あたしが後退した分だけずいずいと近づいてくる。
「誤解しないで、もちろん友情のハグだから」
  でも困るよ―― なんて、断る暇もなかった。あの絶望の夕べにあたしを包んだのと同じ腕が、今度もまたあたしをぎゅっと抱きすくめる。だけど、不思議と恐ろしくはなかった。本当だ、これが新しい友情の始まりなのかな……
「ふふふ、莉子ちゃんって柔らかい。やっぱり、諦めるには惜しいよなあ。……ねえ、一度だけ俺のことを試してみない? 絶対に衛よりも相性がいいと思うんだけどなあ―― 」
  ぎょっ、……なっ、何っ!? ちょっと冗談っ、駄目だって! うわぁ、これ以上くっついてすりすりするのは反則! ヤバイって、止めようよ〜……
「―― おいっ、何をしてる! ……いい加減にしろ!」
  と、そのとき。
  バスルームのドアがいきなり開いて、そこから大王が飛び出してくる。もちろんその姿は腰にタオルを巻いた状態で……ではなくて、普通に服を着ていた。
「……えっ、何っ!? 大王って、いたの……!」
  ずっるーい、これって反則じゃない? ドアの向こうに隠れてあたしたちのやりとりをうかがっていたなんて、趣味悪すぎっ!
「当たり前だ、お前を楓とふたりきりになどできるか。コイツはまったく信用ならんからな」
  あーっ、もしかしてちょっと嫉妬してる!? まるで除菌とでも言うように、あたしの身体をそこらじゅう撫で撫でして、それからぎゅーっと抱きついてくるの。
「お前もお前だ、もう少し危機感を持て。まったく油断のならん奴だ」
  思いっきりすりすりしながらそんな風に威嚇したって全然怖くないんだから。ほら見なよ、楓さまだって半端なく呆れてるよ。
「はいはい、お邪魔虫は退散しろって? わかったよ、これ以上ちょっかい出して自分の命を危険にさらしたくはないからね」
  そう言って本当に玄関の方に向かって歩き出すんだもの、ちょっと焦る。
  だって、せっかく久しぶりに会えたのに。もうおしまいなの? そんなのって寂しすぎるよ。
「ねっ、ねえ、楓! これからみんなでごはん食べに行かない? どうせながら、大行司くんや春日部くんも呼んでさ。指導室メンバー完全復活のお祝いしようよ!」
  もしかして、こんな風に誘われるのを最初から期待していたんじゃないかな。振り向いた楓さまはすごく嬉しそう。
「でもいいの、せっかくふたりでいるのに俺たちが一緒じゃお邪魔でしょう?」
  そんなこと言いながら、もう行く気満々でしょう? ほら、早速携帯まで取り出して、メールの早打ちを開始。あれって、きっと一年生ズに宛ててだね。
「うん、むしろ大歓迎っ! だって、ずーっと大王とふたりきりだと息が詰まっちゃう。寝ても覚めても勉強のことばかり、こんな感じに食事してたら完全に消化不良を起こしちゃうよ」
  ほとんど本気の発言だったんだけどね、後ろから思い切りげんこつが落ちてくる。
「―― 当然だ、お前の馬鹿を治す薬はない。とにかく付け焼き刃でもいいから詰め込むしかないだろうが」
  あいたたた、ひどいなあ。今のって本気だったでしょう?
「あはは、莉子ちゃん。そういうことなら任せておいて」
  メール完了、って感じで楓さまは携帯をぱちんと閉じる。
「指導室のメンバーは君を除いて学年トップクラスの秀才揃いだからね。みんなで得意科目を受け持って、追試に向けて完璧に指導してあげる。……あ、今夜は『肉肉亭』の特上コースにしよう。一問解けるたびに特上カルビをご馳走するのって、どう?」
  えーっ、やだ! そんなの冗談……って、慌てて後ろを向いたら。大王までが「それはいいな」とか呟きつつ、早速予約を入れているし!
「安心しろ、『肉肉亭』は時間無制限だ。ラストオーダーまで存分に楽しめるぞ」
  わかったらさっさと支度しろ、とかあたしをベッドスペースに追いやるふたりの笑顔がやっぱり似てる。こんな風にしてあと半年、楽しくやっていけるかな。あたしの学園生活もそろそろ折り返し、きっとこの先も楽しいことがいっぱい待っている。

 そして、新学期。
  追試を無事クリアして楽しい楽しい夏季休業を満喫したあたし。でも久しぶりの登校で、残念ながら思わぬ人物と昇降口でいきなり再会してしまった。
「あら〜、苑田さん! その節はどうも」
  なっ、なんであんたがここにいるんだよ、高宮葵。てっきりおフランスに強制送還されたと思ってたのに……!
「まあ、嫌ね。そんな風に邪険にしなくたっていいじゃない」
  まったくっ、どの口がそれを言うって感じよね。悪いけどっ、あたしはあんたに一度殺されかけた人間なんだよ? 今更懐いてこられたって、誰が信用できますかって言うのっ……!
「そうそう、喜んでちょうだい。わたくし、コンクールで見事優勝したの。そのご褒美にお爺さまがこの学園への編入をお許し下さったのよ。これからは苑田さんの近くで高校生らしく過ごしなさいって、そう仰ったから……わたくしたち、これからも仲良くしましょうね!」
  え〜っ!? それだけは駄目っ、断固拒否! お願いだから半径一メートル以内に近寄らないでっ、……わっ、わかってるんでしょうね……!!!
「これからあなたのことは『莉子』って呼んでいいわよね、わたくしのことももちろん『葵』って呼び捨てにして」
  なんなのーっ、冗談じゃないわよこの人っ! もうっ、あっちに行って! しっ、しっ! お願いだから離れてよ〜!
「もうっ、衛のことは諦めたから安心していいわよ。……って、あなたたちふたりのことは学園内ではトップシークレットなんですって? ふふ、大丈夫よ。わたくし、見かけ通りに口が硬いの。ほとんど半同棲状態だってことも黙っててあげる♪」
  怖いよーっ、マジでやめてほしいんですけどっ!?
「そろそろ予鈴だし! あたし、急ぐからっ、さようなら!」
  あたしは上履きに足を突っ込むと、そのまま逃走。でも、この人って隣のクラスだから、またどこで出くわすかわかったもんじゃない。これからは安心してトイレにも行けないの? やだよー、そんなのっ。
  そして、これはその後の話なんだけど。この高宮葵、大王のことを諦めたと思ったら、今度は大行司くんに夢中。何でもあのハイテク頭脳に惚れ込んだんだって、秋の生徒会改選にはふたりで立候補しようと大プッシュ中なんだとか。可哀想に、大行司くんも泣くほど困ってたよ。

 ―― そんなわけで、あたしは。
「おはよーっ、莉子! 元気だった〜!」
  相変わらずパンツが見えそうにスカートのウエストを折り込んでる早紀がニコニコとやって来る。
「……あのさ、あたしたち昨日も会ってるじゃない。元気だった〜、なんだよ」
「あははっ、それはノリだって、ノリ!」
  どーでもいいんだけどさ、新学期早々コレだもんね。先が思いやられるわ。ま、ウチの学園の二学期は文化祭からスタート。一年前に経験したあの浮かれ気分が今年もすぐにやって来る。また忙しくなりそうだな、まあ今年は実行委員長がちゃんと仕事をしてくれてるから楽ちんだと思うけど。
「―― あれ、何それ……」
  空っぽなはずの机に手を突っ込んだら、何かが指に触れた。それをそーっと引き抜くと、途端に早紀の顔色が変わる。
「うっわーっ、どうして新学期早々に『矢文』!? あんた、休み中にまた何かやった? やっだー、もう友達やめるっ、本気でやめるからねーっ……!」
  ……もう、呆れてるのはこっちの方だって。
  どうして、大王は携帯に直接連絡して来ないんだよ。わざわざこんな目立つ真似して、呼び出さなくたっていいのにさ――
『二年桜組、苑田莉子。至急、指導室まで来るように!』
  で、今度は全校放送で流されてるし。ほらほら、またクラスメイトの目がいっせいにあたしの方を向いている。早紀なんてあっという間に黒板のところまで逃げちゃってるし。
「……はーい、ちょっくら行ってきま〜す!」
  何だかなーって思うけど、まあいいか。昨日まで学園主催の集中講義で三年生は山寺に半月籠もってたしね、久しぶりに顔を見てあげるのもいいかも。
  学校指定の学生鞄を机の上に放り投げると、あたしは一目散に「指導室」目指して走り出した。
  窓の外は残暑真っ盛り、けだるそうな早咲きのコスモスが熱風によろよろと揺れている。少し高くなった青空が、どこまでもどこまでも続いていた。

 

とりあえず、ここまででおしまい♪ (100910)
ちょこっとあとがき(別窓) >>

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