TopNovel>世界の果てまで追いかけて・6




1/2/3/4/5/6/7/8/9/10/11/12/13

  

 予想はしていたけど。
  かなり、リアルに予想していたつもりだったんだけど。
  あたしの約十七年分の想像力なんてあっという間に吹き飛んでしまうくらい、そのお屋敷はすごかった。
「……莉子ちゃん、大丈夫?」
  時代劇に出てくる武家屋敷みたいな門構えを入ると、息を呑むほど広大な日本庭園が現れた。どーんとそびえる三メートルはありそうな庭石、平安貴族が船遊びをしたような水路。一寸の乱れもなく刈り込まれた庭木、風にそよぐ花々。
  その光景を見たとたんに、足がすくんで動かなくなった。そんなあたしを心配そうに気遣ってくれる楓さま。
「う、ううう……平気ですっ!」
  とりあえず返事をしてみたものの、背中を冷たい汗が流れていく。
  くねくね曲がる細道を延々と進んでいくと、遙か遠くに見えていた邸宅が徐々に近づいてきた。それに伴い、あたしの緊張もうなぎ登り。
  だってさ、建物がひとつじゃないんだよ? 敷地内に瓦屋根の家がいくつもいくつも建ってたら、どれが本当の家なのかわからない。あっちにあるのは、いかにも道場って感じだな。……で、その奥にどうして鐘つき堂があるの!? ここ、お寺じゃないよね、普通の家なんだよね……!?
「で、でもっ……楓、先輩? あれって、飼われているものなんですか……?」
  どうして庭にフラミンゴ、しかも十羽の団体。これはもう、迷子になってたから拾って育てたとかいうレベルじゃない。ピンクの羽がふわふわ、何とも場違いな感じで池の中をちゃぷちゃぷ散歩している。
「あら、あのくらいで驚かないで。いつだったか、お屋敷の陰から猪が飛び出してきたこともあるんだから。あのときは私もさすがに驚いたわ」
  それって、にこやかに微笑みながら話す内容じゃないと思う。下手したら衝突したショックであの世行きだよ? もっと危機感持たなくちゃ駄目だって。
「さすがにその後、家族の生活に支障を来すってことで山に帰されたって話だけど。それはそうよね、お爺さまの修練のためとはいえ、やり過ぎだったと思うわ」
  それって、確証の持てる情報だよね? 今もその辺に隠れてたりしたら、どうしようかと思うんだけど。
「さ、莉子ちゃん。こっちに回ってね」
  学校から直行した私たちは、もちろんおそろいの制服姿。楓さまも「女装」のまんまだ。確かに学園のほとんどの人間を欺けるほどの完璧な変装だけど、その恰好のままで身内の人に会うことに抵抗はないのかな。
「え、こっちに、ですか?」
  楓さまが本道をそれて進んでいくのは、どっから見ても「道場」としか思えない建物。さっきからひどく気になっていたのよね、だってこれ、かの日本武道館をそのまま小さくしたみたいなデザインなんだもの。
「そうよ、お爺さまはもう中でお待ちになっているって話だったわ」
  移動中も携帯電話であたしの担任である今井先生と何度も連絡を取り合っていた楓さま。だから、その足取りにもまったく迷いがない。
「えええっ、あの中で待ってるって……どういうこと?」
  あたしの顔がさーっと青ざめるのがわかったのだろう。楓さまはくすくすと笑い出す。
「あら、大丈夫よ。いくらお爺さまだって、女の子相手に乱暴なことはしないわ」
  そんなこと言ったって、はいそうですかって信じられますか。何しろ相手は大王や楓さま、そしてあの高宮葵のお祖父さんだ。まともな人間が出てくると信じる方が間違ってる。
「莉子ちゃん、ひとつだけ忠告させてね」
  道場の入り口で靴を脱いで、木製の階段に足を乗せる。そこで、楓さまは声のトーンをさらに落として言った。
「お爺さまにお目に掛かったら、余計なことは絶対に言わないと約束してね。中でも衛のことは何があっても禁句よ。言いたいことはいろいろあるだろうけど、今日のところはお爺さまの問いかけに応えるだけに留めて。そうすれば、きっと上手く切り抜けることができるわ」
  あたしを見つめる眼差しは、凛として鋭いものだった。何も言えずにいるあたしにひとつ頷いて見せてから、楓さまから先に階段を上り始める。ワンテンポ遅れて、あたしも慌ててあとを追った。
「お爺さま、楓です。……いらっしゃいますか?」
  厳めしい木製の引き戸を開けて、楓さまが屋内へと声をかける。でも返事は戻ってこない。
「あら、おかしいわね。確かにこちらだと聞いたのに」
  その眼差しに促されて、あたしもそろーっと道場の中を覗いてみる。ふうん、学園の剣道場と同じくらいの広さかな。床がピカピカに磨き込まれていて、顔が映りそう。
  と、そのとき。どこからか、絹を裂くようなものすごい叫び声が聞こえてきた。
「キエーーーーーーッ!!!」
  ―― なっ、ななな、何なのっ、これ!?
  もうもう、髪が逆立つくらい仰天したわよ。性別不明の雄叫びは、どうもこの建物の奥の方から響いてくるみたい。これって、何? ラップ現象とかっ……って傍らの楓さまに訊ねようかと思ったところで、道場奥の引き戸ががらりと開いた。
「……」
  そこに立っていたのは、剣道着姿の翁だった。うん、何というか「翁」って雰囲気。濁りのない白髪を背中半分ほどまで伸ばして、更に口の周りからは滝のようなお髭。眉毛ももちろん真っ白。
  ああ、じーっと見てたら「翁」よりも「仙人」かもって思えてきた。
  ……というか、この人って、この人って……!
「大王、どうしてこんなに老けちゃったのっ……!?」
  いや違う、絶対にそんなはずないけど、わかっていてもついついそう叫んでしまっていた。あまりの恐ろしさに身体がガクガク震えて、片手で楓さまの制服の袖を思い切り引っ張っている。
「―― お前が、苑田莉子か?」
  ひーいっ! 声までそっくりなんだけど!? ホントのホントに、この人って大王と違うのっ!? えーっ、タイムマシンで未来からやってきたと言われても、絶対に信じられそうだよ。
「はい、苑田さんです。ご命令通り、お連れしました」
  上の歯と下の歯が噛み合わないままにがちがち言い続けているあたしに変わって、楓さまが返事をする。でも、その声も心なしか震えているように聞こえるのは気のせいかな?
「何だ、楓。お前になど、聞いておらん」
  ええーっ、きちんと自分で返事をしろって!? でっ、でも……怖いんだよぅ……。だって、この人は大王のおばけみたいなんだもの。
「もういい、お前はもう下がっていいぞ。今後は儂が声をかけるまで、誰も部屋に入るなと皆にそう申しつけよ」
  な、何なのっ、それ。しかもその声に弾かれるように反応した楓さまは、私の肩にそっと手を置いたあと、さっさと出て行ってしまう。「頑張って」って言いたかったのかなあ、もうちょっとくらい粘ってくれても良かったのにっ。
「……」
  ここまで来てひとりっきりで取り残されてしまうなんて、こんな恐ろしいことってある? ただの肝試しだと言われたとしても、裸足で逃げ出したくなっちゃうよ。
  年齢不詳の真っ白なご老人は、板間にどかっと腰を下ろした。剣道着だったら普通は正座なのに、何故かあぐらをかいているのが不可解。そのあと、あたしにも「座れ」と顎で促した。
  そのときまで呆然と戸口の前に立ちつくしていたけど、仕方なく数歩前に出て正座する。板間は想像していたよりもひんやりとしていた。
「……」
  そして、また続く沈黙。
  彼は、無表情のままあたしを見つめている。どうしてあそこまで感情を滲ませない眼差しができるんだろう。やっぱり「仙人」だから? ……それにしてもなあ、何かなあ……。
「えっ、……ええとっ! 苑田、莉子です!」
  あんまりにも長い間沈黙が続いたから、いい加減ヤバくなってきた。心臓がバクバク言い過ぎて、胸を突き破って飛び出してきそう。本当にそうなってしまう前に、自分でどうにかしなくちゃ。
「噂通りにふざけた奴だ。儂はお前のような奴が、一番好かん」
  刹那、「仙人」の瞳にすっと生気が宿った。
「だが、見たところまがい物ではないようだな。その顔も髪も、生まれもってのものだろう」
  思ってもみなかった言葉が聞こえて、あたしは呆然としたまま彼を見つめ返してた。
「そうは言っても、この成績はいただけないな。いったい、どこをどうしたらここまで悲惨になれるのだ?」 そして次の瞬間。目の前にぱらりと広げられた紙切れに、あたしは愕然とさせられる。
「ぎっ、ぎゃああっ! なっ、何でっ! 何で、そんなものがここにあるんですっ……!」
  も〜う、びっくりしたなんてもんじゃない。どこがどうなって、そうなるのっ。それってひと月ほど前胃、五月末に実施されたあたしの中間テストの成績っ! 無事に進級できたことでちょっと気が抜けたのか、またもがたがたっと悲惨な結果になってしまった。まあ、……ギリギリで赤点はなかったけどね。
「何を慌てておる。これも皆、お前が引き起こしたことだろう」
  棒読みで言い切らなくたっていいじゃない。そりゃ仰るとおりだとは思うけどっ、……あたしだって、全然努力しなかったわけじゃないんだよ。いや、確かにもうちょっとどうにかするべきだったけど。
「……ま、確かにそんなところです」
  とか思いつつも、否定の言葉も思いつかないままに力なく同意する。すると、真っ白な「仙人」を取り巻いていた禍々しいオーラが少しだけ、ほんの少しだけ和んだ気がした。
「あの腰抜け教師の言っていたことは、あながち嘘ではなかったようだ」
  彼の口元が動くたびに、ふさふさのお髭がふわふわと揺れる。毛足の長い猫をおしりの方から見てるのとちょっと似てる……とか指摘したら、怒られるよね、きっと。
  ―― で、ここで出てきた「腰抜け教師」って……やっぱ、今井先生のことだよなあ。
「この一年余りでずいぶんと方々に敵を作ってしまったようだな、小娘のくせによくもまあここまで出しゃばったものだ」
  う、それを言われると身も蓋もない。
  確かに途中までは、楓さまや大王にいいように踊らされていた節はある。だけど……その後は、自分の意思でどんどん厄介ごとに首を突っ込み足を突っ込みやってきたもんね。
「でっ、でも……後悔はしてませんから」
  膝の上で握りしめた手が、ぎりぎり言ってる。爪が手のひらに食い込んで痛い。だけど、自分の気持ちには絶対の自信があった。
「何?」
  ほんの少しだけ眉を動かしただけなのにね、どうしてこんなに威圧感があるんだろう。大王だって、学園の中では絶対的な存在感を持ってる。けど、この目の前の「仙人」はそれの何十倍もすごい。
「あたっ、あたしは、悪いことを黙って見過ごすよりも、体当たりで阻止した方がずっと気分がいいと思います。そりゃ、学園でのあたしの評判は最悪だし、それが悔しくて仕方なくなることもあります。だけどっ、それでも……入学してから、とても楽しかったです!」
  思い切って口を開いてみたら、意外すぎる言葉が出てきた。へー、あたしってそんな風に考えていたのかーとか、すごく不思議な気分になる。
「だ、だから! 途中で諦めるとか、絶対に嫌です。自分にできることはほんのちょっとだったとしても、これからも頑張りたいと思います。……あ、もちろん勉強もちゃんと頑張りますからっ」
  最後に付け足した言葉は、尻つぼみになって蚊の鳴くように。だけど相手は「仙人」だから、ちゃんと聞き届けてくれたと思う。
「……ずいぶんと、七面倒くさそうな小娘だな」
  そう言って、白い眉がまたぴくぴくっと動く。
「だが、悪くはない。まったくもって愉快すぎる……!」
  次の瞬間、ぱしっと鋭い音が部屋中に響き渡った。何ごとかと向き直ったあたしは、それが彼自身の膝を叩いた音であることに気づく。白いお髭にもさもさと包まれた口元が、小刻みに震えていた。
  ―― もしかして、笑ってるの? これって。
  喉の奥からぐっふっふっ、と不気味な音が湧き上がってくる。これには、さすがにぞーっとしたわよ。目の前の白い人、もしかしてこれから別の生命体に変身っ……なんてことにはならないでしょうね!?
「……」
  呆然と見つめているあたしを完全に無視して、「仙人」は猫背に俯いて唸り続けている。どうしたんだろ、あたし別におかしなことを言った訳じゃないよね? 多少、言い過ぎた感はあるものの、このくらいはどうにか許容範囲だと思う。
  しばらくはコトの推移を見守り続けていた。その他には何もできないし、誰も助けに来てくれないし。道場の壁に響く唸り声、それが幾重にも広がっていく。さらに耳を澄ませていると、外からも鳥か何かの雄叫びが聞こえてきた。これって、さっきのフラミンゴ? ううん、それともこの敷地内に生息している他の生き物のものなんだろうか。
「―― お前は、儂が怖くないのか?」
  どれくらいの時間が経ったのだろう、不意に真顔に戻った「仙人」がおもむろに口を開く。白い眉が垂れ下がったその下に見える瞳は、最初に向かい合ったときのそれとはまったく違う色を放っているように見えた。
「近頃では、どいつもこいつも腫れ物を触るような感じで儂を見る。正面からしっかり目を合わせようとする奴もほとんどない。長いことそれで構わないと思っていたが、お前の無鉄砲さを見ているとこのまま枯れていくのが惜しくなってきたぞ」
  何を言っているの、このヒト。意味不明なんですけど……!?
「そこにいるのだろう、楓。もう入ってきていいぞ」
  彼がそう言い終える前に、背後の木戸ががらりと開く。そこには本来の姿に戻った楓さまが控えていた。あたしは未だにコレに違和感があって、慣れることができないんだけどね。
「あのへっぴり腰は、その後どうなった」
  「仙人」の声が、あたしの頭の上を飛び越えていく。
「はい、ほどなく意識は戻ったそうで、今は客間で医師の診察を受けているそうです。ご心配には及びません」
  振り向いたあたしが瞬きをいくつかすると、楓さまは少しだけ口元を緩ませた。
  あたしの担任である今井先生は、「仙人」との話し合いの途中で突然ぷっつりと気を失ってしまったらしい。まあ、彼らしいといえばらしいけど。でも、あたしのために必死で頑張ってくれたんだから感謝しなくちゃ。
「それで……お爺さま。莉子ちゃん、……いえ、苑田さんの今後の処遇については」
  気がつくと、楓さまはあたしの隣まで進み出ていた。心なしか震えている声、でも守ってくれているんだなってことはすごくよくわかる。
  楓さまの言葉に、「仙人」は少しだけ口元を歪めた。それが、この人にとっての最大限の意思表示なのだということをあたしはもう知っている。
「そうであるな、たまにはこのような輩が緑皇をかき回すのも悪くはないだろう」
  もっとね、ストレートに言えないものかと思うけど、きっとこれが精一杯なんだろうな。楓さまはそれまでの硬い表情をふっと和ませる。
「ありがとうございます。では、もうよろしいでしょうか?」
「仙人」が大きく頷くのを確認して、楓さまが先に立ち上がる。そして、すぐに腕を伸ばしてあたしが立ち上がるのを助けてくれた。
「行こうか、莉子ちゃん」
  男の人の力で、腕を掴まれる。ずるずるっと引き戸のところまで引きずられるように戻ったところで、あたしはハッと我に返った。
「ちょ、ちょっと待ってくださいっ……!」
  あたしの動きに驚いた楓さまが制するよりも早く、あたしは「仙人」に向き直っていた。
「あ、あのっ! あたし、まだあなたに言いたいことがあります。大王をどこにやったんですか、すぐに学園に戻してください! いくらお祖父さんだからって、こんなの許されることじゃありませんよ……!」

 

つづく♪ (100820)

<< Back     Next >>

TopNovel>世界の果てまで追いかけて・6