TopNovel>世界の果てまで追いかけて・4




1/2/3/4/5/6/7/8/9/10/11/12/13

  

 釈然としないまま、数日が過ぎていった。
  教室にいても聞こえてくるのは「彼女」の話ばかり、しかもかなり好意的なものに限られている。吹奏楽部のソロコンテストに出る部員の伴奏を快く引き受けたとか、毎朝花を持参して教室に飾っているとか。そうそう、誰もいない放課後の昇降口の掃き掃除をしていたっていう美談まであった。
  もちろん、実施される抜き打ちテストは全て満点。授業中に当てられれば、明瞭かつわかりやすい解答を完璧に披露する。誰に声を掛けられても気さくに応じて、お高くとまったイメージは微塵もない。
「すごーい、あそこまで完璧な人間って本当に存在するんだな」
  そんなコメントを吐く悪友・早紀だけど、彼女自身だって日本舞踊はかなりの腕前だと言うし、格式高い家柄では当然のこととしてその他のお稽古ごともそつなくこなしているはず。
  早紀だけじゃない、この学園に在籍する生徒たちは「○○流師範」やら「全国△△コンクール優勝」やら「インターハイ入賞」やら誰から見てもわかりやすい功績を持ち合わせている。……ま、まあ、あたしのような例外もたまにはいるけどさ。
  そして放課後の憩いの場「指導室」にも、もれなく彼女がいる。毎日手を変え品を変えお茶会を主催して、一年生ズの心を鷲づかみ。
  そう、どこからどう見ても彼女はすごい。何でもできるのに、誰からも好かれて、これぞ非の打ち所がないって奴だ。そのことを認めなくちゃ駄目ってことぐらいわかってる。しかも彼女は大王や楓さまの身内。だったら、ふたりと同様に仲良くしていけばいいんだと思う。
  ……でも。
「あら、苑田さんはもう帰るの? そんなの寂しいわ、もっとお話ししましょうよ」
  親愛に満ちた誘いを断るあたしって、本当に極悪人だと思う。だけどこの場所にいて爆発しちゃうよりはずっといいでしょう? あたしだってね、そこまで空気読めない人間じゃないんだよ。
「うん、部活のことでやり残したことがあるから。ごめんね、途中なのに」
  さらりと告げたつもりだったんだけど、その瞬間に彼女の瞳がきらりと光る。
「そう、なら仕方ないわね。でも明日も必ず来てね、約束よ」
  その笑顔はどこまでも清らかなのに、どうにも偽物っぽい気がしてしまうあたし。これって、やっぱり「ひがみ根性」って奴なのかな。

「莉子ちゃん、顔色がすごく悪いみたい。……大丈夫?」
  すきとおった花の香り、ここに来るととてもホッとする。私専用のマグカップにお茶が注がれる頃には、もう涙腺がうるうるしていた。
  今日は楓さまが受講している課外授業の担当教官が出張だったんだって。それで自習のプリントを早めに上げて戻ってきたとか。ふうん、そういうこともあるんだな。ちなみに大王は理系選択だから、いつも通りに授業を受けてるらしい。
「べ、別に……あたしはいつもどおりですから」
  強がる必要もないのに、ついついこんな口調になっちゃう。
  もともとあたしはこの学園の異端児。手派でで尻軽っぽい外見から、軽蔑の眼差しを向けられることが多かった。それでも一年以上を過ごしてきて、少しずつ居場所も見つけてきたつもりだったのに……ここにきてすごく息苦しくなってる。
「もうっ、莉子ちゃんたら。我慢しないで、私の前では素直になってくれていいのよ」
  そう言われたってね、やっぱりおなかの中にある感情は吐き出せない。きっと楓さまなら全部受け止めてくれるってわかってるのに、どうしてもそれができないんだ。
「だっ、大丈夫。大丈夫ですって……」
  目の前がぼわんとかすむ。そうしたら、頭のてっぺんがふわっと温かくなった。静かに頭を撫でてくれるのは楓さまの手のひら。すべすべに綺麗に見えるけど、やっぱりがっちりしてて男の人なんだなって思う。
「……どうもね、葵に情報を流した第三者がいるらしいの。まだ不明点が多すぎるからもうしばらく調査していくつもりよ」
  そこで、楓さまは一度言葉を切る。長い指先があたしの髪に絡みついて、ものすごく愛おしいものを扱うみたいに優しく優しく動いた。
「それに―― お爺さまが、私たちの裏の活動を凍結するようにと言い出したの。もうやるべきことはすべてやったし、不安要素はひとつもなくなったからって。でもそんな急に、こんなの絶対におかしいわ。何もかも中途半端で放り投げるなんて、私は絶対に嫌よ」
  表向きはいつもと全く変わらない楓さま。でもこの人もあたしと同じように不穏な空気を感じ取っていたんだ。
「だっ、……大王はなんて言ってるの?」
  髪を梳いてくれていた指先の動きが止まる。そのまま、楓さまは何かの言葉を探すみたいにしばらく黙り込んでいた。
「衛とは……しばらく話らしい話をしてないのよ。朝も放課後も葵がそばにぴったり寄り添っているから、内緒の話なんて絶対無理。莉子ちゃんは、衛と連絡取れてないの?」
  あたしは無言のままで首を横に振った。楓さまはまた、溜息をひとつ落とす。
「そう……か。仕方ないわね、衛はマンションにもほとんど戻れてないみたいだし。あんな風に四六時中、葵に見張られていたらさすがの衛も下手なことはできないってことね」
  また雨が降り出したみたい。今日も一日、降ったり止んだり。校舎の中も外も全部が湿っぽい感じだ。
「葵、お爺さまの一番のお気に入りなの。彼女の母親、つまり私たちの叔母に当たる人だけど、その人もお爺さまに目の中に入れても痛くないほど可愛がられていて。だから、結婚するときもわざわざお婿さんをもらったの。どうしても高宮の家から出したくないってことでね。だからなんでしょうね、お爺さまは葵のことになると他のことなんて放って夢中になってしまうのよ」
  さらりと話してくれるけど、何だかとても複雑な事情だと思う。
「葵はとにかく負けず嫌いで、自分の欲しいものは必ず手に入れるタイプ。衛のことだって、ずっと乗り気じゃなかったのよ。なのに、どうして今頃になって……やっぱり誰かが裏で糸を引いているとしか思えない。このまま黙って見過ごすことなんて、絶対にできないわ」
  今日の楓さまは普通に女子高生してる、ということは比較的冷静でいるってことだ。
「大王……あたしのことなんて、もうどうでもいいと思ってるのかな」
  あんな奴、最初から全然好きじゃなかった。自分勝手だし、こっちの言うことなんて全く聞く耳持たないし、横暴で最後は必ず力でねじ伏せようとするし。
  だから、……いなくなったら清々するはずなのに。とんでもない化け物に付きまとわれなくてすむようになったんだから、あの高宮葵には心から感謝しなくちゃいけないんだよ。
なのに……
「そんな顔しないで、莉子ちゃん」
  今、この学園であたしの味方でいてくれるのは楓さまただひとり。少なくとも、この人だけは高宮葵の行動に不審を抱いてくれている。他には誰もいない、楓さまがいなくなったら、あたしは今度こそ本当にひとりぼっちになっちゃう。
「莉子ちゃんがしょんぼりしていると、私まで悲しくなっちゃう。ねえ、こんなところにいてもますます気が滅入るだけよ。どう、これから私と美味しいものでも食べに行かない?」
  本物のお姉ちゃんみたいな優しい微笑みに包まれて、あたしの頬にもようやく少しだけ笑みが戻ってきた。

 落ち込んだときには甘いものが一番。
  そんなわけで、てんこ盛りのビッグパフェを全て平らげた。向かいの席でクリームあんみつをお上品に食べていた楓さまはそんなあたしをすごく興味深そうに眺めている。
「莉子ちゃんの小さな身体にそんなにたくさんの食べ物が摂り込まれるなんて信じられないわ。これぞ生命の神秘ね」
  何だか小難しい解釈をつけてくれているけど、ようするに「想像を絶する大食い」って言いたいんだと思う。確かにまあ、自分ひとりでこれだけ食べたのは初めてだった。
  でもでも、すごいんだよこれ。バニラとストロベリーとチョコとペパーミントのアイスが入っていて、さらにバナナが一本丸ごと突き刺さっている。器から溢れんばかりの生クリームにポッキーがこれでもかってくらい刺さってて、いちごやパイン、ブルーベリーもてんこ盛り。
「あーっ、おなかいっぱい!」
  まん丸のスイカみたいに膨れたおなかをポンポン叩くあたし。……ふうっ、さすがに今夜はご飯のお代わりがいらない感じね。
「じゃあ、ここまでで大丈夫ですから。あとはバスで一本だし」
  家まで送ってくれるという有り難い申し出を断って、ひとりでバスに乗り込むあたし。本当に過保護なんだから、楓さまは。あんまり甘やかされると自分が駄目になりそうな気がしちゃうんだ。
「そう? じゃあ、気をつけてね」
  バスから離れた楓さまを確認した運転手さんが乗車口のドアを閉める。手を振って見送ってくれる彼女にこちらからも手を振りかえしていると、そのうちに携帯が鳴ったみたい。楓さまはポケットの中をごそごそしている。そして彼女が携帯に耳を当てるのと同時に、バスはゆっくりと走り出した。

 最寄りのバス停に到着する頃、また雨が降り出していた。バスを降りて傘を開く。ここまで来れば、家まではあと一息。少し上り坂になった道を一気に駆け上がるだけだ。
「うう、まだおなかが苦しいーっ!」
  さすがにちょっと食べ過ぎたかな、いつもだったら早紀やみつわと三人でシェアする量だもんね。やっぱ、楓さまにも手伝ってもらうべきだった。
  そのままよろよろとした足取りで坂道を上っていく。見た目はそれほど急勾配ではないはずだけど、疲れているときには足に来るかも。でもあんまりへっぴり腰になってたら、お祖母ちゃんズにも笑われそうだ。
「……?」
  ようやく家の目と鼻の先のあたりまで戻ってきて、そこでふと足を止める。少し向こうの電信柱、その影の辺りがゆらっと揺れた気がした。これにはさすがのあたしもぎょっとする。
  ……まっ、まさか変質者!? えーっ、のどかな住宅地でそんなのが出没することってあるのっ……!
  傘を差してないとちょっと辛い雨脚、薄暗く煙っている道に落ちる街灯の光。濡れ鼠の身体が、ゆらりと前に出てくる。オカルトチックに見えるその情景に、それでもあたしは身動きひとつ取れず、ひとことも発することができなかった。
「―― 莉子……?」
  黒い影が、ようやく聞き取れるほどのかすれた声であたしを呼ぶ。だけどまだ、何の反応も示すことはできなかった。唇がぶるぶると震える、黒い影がまた一歩前に出た。
「だっ、……大王……?」
  そんな、まさかって思ったのに、それでもそう呼ばずにはいられなかった。
  見上げると首が痛くなるような長身、憎らしいくらい真っ直ぐで真っ黒な長髪、夏服に衣替えしたはずなのに未だに詰め襟の学ランを着込んでる人間なんてそうそう見つかるわけもない。
「……莉子……」
  何で、この人がここにいるの?
  今日だって、あの高宮葵と一緒に下校したはずでしょ。あたし、帰りがけにちらっと見ちゃったんだから。ふたりが昇降口から並んで出て行くの。そんなことまでいちいち確認しちゃう自分がすごく嫌だった。
「だっ、……大王っ!」
  自分でもいったい何をしているのかよくわからなかった。傘を投げ捨てて、鞄も放り投げて、目の前の黒い物体に向かって突進していく。がつっ、と鈍い振動がして、そのあとすぐにきつくきつく抱きすくめられていた。
「……うっ……」
  刹那、それまでどうにか留まっていたはずのあたしの涙腺がどっと堰を切って溜めていた全ての涙を放出した。ぼろぼろと頬を流れ落ちていく生ぬるい水。すぐにあたしの顔はぐしゃぐしゃになってた。
  ―― これは大王だ、ホントのホントに大王なんだ。
  息をするのも辛いくらい隙間なく抱きしめられて、あたしも夢中で大王の背中に腕を回していた。もう絶対に離さない、離しちゃ駄目だ。この人がそばにいないと、あたしの心は滅茶苦茶になる。息苦しくなって、上手く呼吸ができなくなる。お互いに顔を合わせることなく過ごすなんて、絶対に無理。そのうちにあたしは全部空っぽになっちゃう。
「すまない、莉子。……こんなことになるとは」
  大王の声はとても辛そうだった。いったい何に怯えているのか、身体が大きく震えている。
  少しでも気持ちを和らげて欲しくて顔を上げると、そこに湿った唇が落ちてきた。ほんの数日ぶりなのに、ものすごく久しぶりな気のするキス。口の中に大王の匂いが広がってく。
「……このまま、俺は……」
  唇が離れても、まだ大王の感触が強く強く残ってる。頬を手のひらで包まれて、額を押しつけ合う。そしてもう一度、ふたりの唇が触れ合おうとしたそのとき――
「……いたぞっ、こっちだ!」
「逃がすなっ、必ず捕まえろ!」
  バタバタといくつかの足音が、通りの向こうから響いてきた。弾かれたようにあたしから身を剥がす大王、いきなりのことに驚いて何か叫ぼうとしたのに、声が出てこない。
「大丈夫だ、―― すぐに戻ってくる」
  さらに強くなる雨音。バス通りから聞こえてくる足音を振り切るように、大王の影は闇の中に消えていった。

 

つづく♪ (100805)

<< Back     Next >>

TopNovel>世界の果てまで追いかけて・4