TopNovel>世界の果てまで追いかけて・12




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 ふうっと意識が戻ると、そこは真っ暗闇だった。ちゃぷちゃぷと水音、岩肌の小さな隙間から忍び込む夜風が少し肌寒い。
「……どうした?」
  眠っているとばかり思っていた大王が、ぴくっと反応する。あたしを包んでいる腕に力がこもって、それだけで溶けてしまうほど幸せ。
  あのあと。大王の気が済むまで、とてつもなく長い時間を過ごした。それから、しばらく身体を休めて、そのあとふたりで水浴びしたりして。この緊急事態になにしてるんだろうなあって感じだったけど、本当に楽しかったんだ。
  ここの水、すごく透明で綺麗なの。きっとずっと底の方ですぐ側を流れている川と繋がっているんだろうって大王が言った。水が循環しているから、底の方までしっかりと見渡せる。喉が渇いたら飲んじゃったりできるもの、きっと賞味期限切れのパンよりはずっと安全だと思う。
  いつの間にかここに落ちてふたつめの夜が訪れていた。でも今夜のあたしは全然怖くない。だって、すぐそばに大王がいてくれるから。それだけでもう、身体の内側も外側も何もかもが十分すぎるくらい満たされている。
  元通りに制服を着込んだあたしたち。昼間のとんでもない光景がすごく過去のことのよう。あれって、一生分、抱き合ったってことになるのかな。うーん、わからない。
「ううん、なんでもない」
  これからどうなるんだろう、いくら抑え込もうとしても逃れることのできない不安。大王の言うとおり、黒ずくめの男たちもこの場所まではやってこなかった。そして高宮葵も、未だに戻ってこない。
  そして、また朝が来て、夜が来て。人間の体力って、どれくらい保つんだろう。賞味期限切れのパンもあたしの鞄の中のなけなしのお菓子もなくなっちゃったし、ここにはもう水しかないのに。
「余計なことを考えなくていい、まずはゆっくり休め」
  そんなこと言ったって、大王だって不安なはずだよ? せめてもうちょっと、天井の割れ目がこっち側にあればなあ。そうすれば、ふたり分の身長を合わせればよじ登ることもできるかもだけど。水の上に立つなんて、いくら大王が化け物だって無理だもんね。うーん、困った。どうにか、この場所を誰かに知らせることはできないものかなあ……。

 次に目が覚めたとき。もう夜が明けていた。
  時計のない状況で、相変わらず朝なのか昼なのか、それはまったくわからないけど。とにかく洞窟の外側が明るいことだけは確かだ。
  ぼーっとしたまんま、あたしは白く煙った水面を見つめる。そうか、湿度が高くて靄になってるんだ。こんな風に自然現象が目の当たりにできるってなんかすごい。
「……ん……」
  傍らの大王がもぞもぞっと動いた。ふたりでもたれ合うみたいに壁際に座ってたから、お互いのちょっとした動きで目が覚めちゃうんだね。
「おはよ、大王」
  彼は薄めを開けてあたしを確認すると、そのまま腕の中に抱きしめた。それから、どちらからともなくキスをする。まるであたしたち、本物の恋人同士みたいだ。
「……?」
  しばらくは互いの存在を確認し合うみたいにくっついたり離れたりを繰り返していた。そのうちに、大王がぴくっと身体を硬くする。
「どうしたの?」
  急にきょろきょろと辺りを見回すんだもの、ちょっと焦ったよ。まさか、目に見えない「何か」が見えてるんじゃないかとか。いや、それはさすがにまずいよ。
「今……何か聞こえなかったか?」
  あたしの肩を抱く大王の手のひらに力がこもる。急に信じられないようなことを言われて驚いたけど、あたしもつられて耳をすましてみた。だけど、かすかに聞こえるのは海風の音だけ。
「何も聞こえないよ、……気のせいじゃないの?」
  一度はそう答えてみたものの、大王の表情がまだ硬いままだからもう一度必死に聴覚を集中させてみた。あたし、五感にはかなり優れているんだよ。言い換えれば「野性的」とも言えるけどね。
  ―― ……っ!
  鼓膜をかするような音に、あたしたちはハッとして見つめ合っていた。うん、間違いない。誰かが外にいる。それも、どんどん近くまで来ている。私は耳を両手で覆って、さらに精神を集中させてみた。
「こ、これって……もしかして、大行司くんたち……!?」
  私有地の中を歩き回っているんだから、もしかしたら例の黒ずくめの男たちかなとも思ったんだよね。でもどうもそうじゃないみたい。ほんの数日前に別れたばかりの懐かしい声が風に乗って聞こえてくる。
  もしかして、幻聴? ……ううん、それでもいい。この際どうでもいいから――
「ここっ、……ここにいるよ! 大王とあたしっ、ここにいるから……っ!」
  立ち上がって、天井の割れ目に向かって必死で叫んでみる。
「大行司くんっ、春日部くんもいるの!? ふたりともっ、そこにいるのっ!?」
  もう無我夢中だった、どうにかしてこの場所を見つけて欲しい。
  わかりにくい場所だもの、あの高宮葵以外には発見してもらえることはないかもって半ば諦めていた。そしたらまた、あの意地悪にとんでもない条件を突きつけられてしまうかも知れない。
  でもこんなラッキーなことって本当にあるの? あたし、今夢を見てるんじゃないかな。もう一度目覚めたら大王の姿も消えて、ひとりっきりに戻ってるんじゃないだろうか。
「ああっ、先輩! 本当だ、莉子先輩! それに、江川先輩も……!」
「無事で本当に良かった〜っ、すごく心配したんですよっ!」
  最初に顔を覗かせたのは大行司くん、それから押し合うようにして春日部くんも姿を見せる。それだけのことなのに、あたしはもう涙目。自分の意思とはまったく関係なく、ぼろぼろとこぼれてくる。
「あっ、駄目! ここ、入ったら出られないのっ! だから、落っこちないで……!」
  嬉しそうなふたりの姿にしばらくは感激しきりだったけど、そのうちにあたしは一番大切なことを思い出す。
  駄目駄目、もしもまたここでふたりが飛び込んできたらふりだしに戻ってしまう。今度こそ、失敗するわけにはいかないんだから。
「あ、わかってますよー。今、助けてさしあげますから、もう少し待っててください……!」
  ふたりとものんびりしているけど、一応状況は把握しているみたいだ。でもまだ安心はできないよね、この先何が起こるかわからないし。
「ちょ、ちょっと待って! 大行司くん、春日部くん! 危ないよ、近くに黒い人たちがいない? そいつら、怖いんだよ。あんたたちまで掴まっちゃったら大変! だからっ、気をつけて……!」
  そうだよ、洞窟の外側は危険がいっぱい。私立緑皇学園では向かうところ敵なしだった大王ですら、片手で捻りあげられちゃうくらい強靱なガードマンたちが無駄にたくさんいる別荘なんだよ、ここ。普通ののどかな場所とは違うんだ。
「それにっ、高宮葵! 彼女だって、ただの優等生じゃないんだから! あんたたちは信じてくれないかも知れないけどっ、あたし、あの人のせいで大変な目に遭わされたんだからね……!」
  まあ、全部が全部、彼女のせいだと言ったらちょっと可哀想かな。でもとにかく強引すぎるんだもの、人の話は全然聞かないし、その上思い通りに行かないととんでもない行動に出るし。
  ああいうのが「お嬢様」なんだとしたら、絶対に何かが間違っている。そりゃ、彼女は何でもできる完璧な人間だし、美人だしスタイルもいいし、どうみても胸はあたしよりもでっかいけどっ! だからって、やっていいことと悪いことがあると思う。
「あははっ、そんなことはご心配なくー。みんな決着着いてますからー!」
「あの黒い警備の人たちは、高宮のお爺さんに突き出しておきました♪ 今頃、こってりと絞られていると思いますよーっ!」
  何なの、それ。もっとわかりやすく説明してよ。
  ただでさえ、岩の割れ目の部分と何メートルもしたの場所でよく聞き取れない会話をしているでしょう。その上、大行司くんも春日部くんも好き勝手にしゃべるから、こっちは思考の整理がまったくできない状態。
「詳しいことはあとで説明しますから。まずは、そこから無事に脱出することだけを考えててくださいー!」
  そのうちにごうんごうんと大きなエンジン音が響いてきた。地を這うようなおぞましい轟きに、あたしと大王は驚きの表情で見つめ合う。これって、普通の乗用車の音じゃないよ。でも、だったらいったい何……っ!?
「あーっ、来た来た! こっちです、こっちこっち!」
  外に向かって叫んでる大行司くんの声がとても遠く聞こえる。爆音の正体はわからないけど、とにかくそれを操縦している人としゃべってるみたい。何? いったい何が起こってるというの? もうっ、訳がわからない……!
「―― じゃ、江川先輩、莉子先輩。できるだけ隅の方へ寄っていてください。多少は揺れたり岩が落ちてくるかも知れませんけどっ、我慢してくださいねーっ!」
  その春日部くんの声が終わらないうちに、岩壁の向こう側がめりめりと鈍い音を立てた。
「なっ……」
  そりゃあさ、今までだってあたしの周りでは予想だにしなかったことが次から次へと起こってきた。だから今更、この上に何が起ころうともそれほど動じる必要もないと思う。
  でもでも、これはさすがにあり得ない。
「ちょっ、ちょっと待って! 何やってんのっ、中に人間がいるんだよっ! いきなり外側から壊さないでっ、こんなことしてどうなるのっ……!」
  冗談じゃないよ、まったくもう! 何考えてるのっ!
「おいっ、危ないじゃないか。無駄に動くなっ!」
  とか言って、大王には抑え込まれちゃうし。もうっ、何が何だか。どうにかしてよっ、勘弁してーっ!
「ええっ、だって! 何でこれが落ち着いていられますかって……うわーっ、天井も落ちてくるっ!」
  横壁に振動が伝わった結果、天井の方にも次々に亀裂が入っていく。
  何なの、この乱暴なやり方! 普通、救助って言ったらもうちょっと人道的な方法がとられてもいいと思わない? だよね、そうだよねっ!? あたし、間違ったこと考えてないはず――
「……っんぎゃああああっ……!」
  次の瞬間、本当に信じられないことが起こった。あたしと大王を今の今まですっぽりと包み込んでいたドーム型の岩壁。その半分に当たる場所が跡形もなく崩れ去っていた。辺りにもうもうと上がる土煙、そしてその向こうに見える穏やかすぎる海。それから、その海をバックに佇むのは……もしかして、ショベルカー……!?
  そして、運転席に座っていたその人はあたしたちの姿を見るなり、すっと視線をそらしてどこかへ行ってしまった。
「……あ……」
  その場に立ちすくんだまま、呆然と佇むあたし。でも大王はそんなあたしの肩を掴むと待ったなしの感じで叫ぶ。
「おいっ、何をしてる。ここも今に崩れるぞ! 今のうちに向こう岸に渡って脱出だ……!」
  自分の意思とは関係なく飛び込む水の中。いったんは深く沈んで、そのあとたくさんの水泡と共に水面に浮き上がる。それと同時に、あたしの意識もすごくすごく遠いところへと吸い込まれていった。

「おい、いつまで寝てる。もう昼だぞ」
  乱暴に揺り起こされてまぶたを開けても、まだ水の中を漂い続けている気がする。話しかけられる声もすごく遠く感じて、現実から切り離された場所に意識が残っているみたい。
「莉子、何を寝ぼけている」
  あたしがあんまりぼんやりしていたからかな、半分心配したような、でももう半分は馬鹿にしたような声があたしを呼んだ。それから額に手のひらがくっついて、次におでこがくっつく。そうなると、あたしの顔の周りは黒いカーテンで覆われているみたいになってしまう。
「……大王……」
  あたしは当たり前にベッドの上に寝てた。ここは大王の部屋、いつものワンルーム・マンション。実を言うと、昨日の晩もお泊まりしてしまった。
  こういうのってどう考えても高校生にはあるまじき行為なんだけど……今じゃこういうのが親も公認だしなあ。にこやかに「いってらっしゃい♪」とか送り出されると逆に申し訳ないよ。
「でもー、まだ眠いし……」
  昨日はすごい遅くまでテスト勉強していた。世間ではそろそろ夏休みなんだけど、あたしと大王には来週の頭から追試が待っている。
「じゃあいい、俺はこれから出掛けてくるから気が済むまで寝てろ」
  あ、そうか。大王はこれから予備校だ。受験生だもんな、大変だなあ。あたしも来年同じ道を辿るのかと思うと今から気が重い。だよねーっ、いくら親公認の仲になったとはいえ、一足飛びにその……そういうことにはなれないんだろうしな。
「うん、いってらっしゃい」
  あたしは寝そべったままで大王を送り出すと、もう一度大きな枕に顔を埋めた。そして大王の匂いを胸いっぱいに吸い込む。そしたら、またとろとろと眠りが訪れてきた。

 あのあと。
  浜辺の洞窟から脱出したあたしと大王は、そのまますぐに病院送りになった。そして、ありとあらゆる検査をされて、それで異常なし結果が出るまで二週間も掛かったんだよね。もちろん、その間に期末テストは終わってて、だから追試なんて嬉しくないことになってしまったんだ。
  もちろん学校側には面倒なことはすべて伏せられていて、大王の方は現地実習という「何だよ、それ」な理由が、あたしは「ナントカウイルスに感染した疑いがあったから隔離」というもっとひどい理由がついていた。だからふたりとも公欠扱いなんだって、だから大王の十二カ年精勤もまだ続行中なんだよ。
  今週は久しぶりに学校に通ったけど、さすがに疲れたかな。テスト明けで半日とかHRだけでおしまいとかそう言うのが多かったから、本当に助かった。
  しかも驚いたことに、あの高宮葵の姿までが忽然と消えていた。急にあっちでコンクール出場が決まったとかそういう理由があるみたいだけど、別に詳細はこの際どうでもいい。
  だから。当たり前すぎて、普通すぎて、以前と少しも変わらない日常。でも、何かが足りない。そのことに気づいていながら、あたしは知らんぷりを決め込んでいた。
  すべてが元通り、だからそれでいいじゃない。もう止めようよ、難しく考えるのは。そう―― 思っていたんだけどね。

 ことん、と物音がして。あたしは再びまぶたを開いていた。
  窓から差し込む日差しがだいぶ傾いて、夕暮れに近いことを告げている。そうだな、そろそろ起きた方がいいかも。明日も日曜日で学校はお休みだけど、あまりだらだらしていると元通りの生活に戻るのが辛くなりそうだもん。
「……大王、もう帰ってきたの?」
  ベッドから降りて、リビングスペースに進む。その奥を覗き込むと、キッチンに長い髪の後ろ姿が見えた。

 

つづく♪ (100908)

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