TopNovel赫い渓を往け・扉>肩越しの風景・10




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「せっかくこんなにご馳走が並んでいるんだから、遠慮無く頂こうよ。何でもここの料理長には本場仕込みのシェフをチーフに雇ったらしいんだ。喉も渇いたでしょう、この場所は蒸すからね」

 三鷹沢の後について人垣をすり抜けながら器用に進んでいくと、ひときわ賑やかな一角に辿り着いた。

 向こうが見えないほど細長いテーブルにはぱりっとしたリネンが掛けられ、その上に色とりどりの料理が大皿に盛られ美しく並べられている。招待客たちはおのおのが取り皿を持ち、好みの品を自由にチョイスしていた。壁際にはいくつかもの小さな丸テーブルも置かれて、4,5人のグループに分かれて和やかな談笑が続いている。
  普段の生活では味わうことの出来ない不思議な情景に、宵子はぼんやりと見入っていた。裾を引きずるほどに長く延ばしたドレスをまとった淑女が、流れるような手つきでミートローフを取り分けている。ここでは女性も男性と肩を並べて同等の扱いを受けていた。取りにくい料理などには給仕の者がさりげなく手を貸したりしている。その全てがどこまでも自然に行われていることが新鮮だった。

 ――こんなシーンは映画の中だけのものだと思っていたのに。

 宵子が知っている「パーティー」と言えば、子供の頃に友人宅に招かれた誕生日やクリスマスの時のもの、または職場で行われる宴会の席くらいであった。そのような場では、女性はゆっくりと料理を味わうことなど出来ない。上司たちのテーブルをひっきりなしに回り、酌をしながら嬉しくない軽口にも笑顔で付き合う。あくまでも添え物としてしか扱われない自分たちがとても惨めに思えた。
 高度経済成長、女性の社会進出。我が国も表向きは先進国の一員の顔をして、欧米に追いつけ追い越せと国中が湧き立っているように思える。だが、その実はどうであろう。女性が一生働き続けることが出来るのは特殊ないくつかの職種に限られ、その中でも数々の制約に苦しめられている。そして、宵子のように首の皮が一枚繋がっただけで、明日のことなど見通せない立場の人間もいた。

「ほら宵子さん、まずは乾杯しようよ。ラズベリーのフィズだって、綺麗な色でしょう?」

 いつの間に手にしたのか、ふたつ持った片方のカットグラスを三鷹沢はこちらに差し出してきた。宵子が慣れない手つきでそれを受け取ると、彼の口元から笑みがこぼれる。グラスの縁に高い天井からの照明が当たり、キラキラと妖艶な輝きを見せていた。

 ――乾杯? ……それは、何のために?

 こちらが問う暇もなく、軽い響きでグラスが触れ合う。促されて口に含んだイチゴ色の液体はどこまでも甘く濃厚だった。グラスに注がれていたのはほんの三口ほどの分量で、普段だったら酔いが回るわけもない。だが、会場の雰囲気にすっかり飲まれていた宵子はもうそれだけで足下がおぼつかなくなった。

「ほら、こっちのもおいしそうでしょう。……ああ、あちらのデザートも皆、とても綺麗だね」

 そう言葉を掛けられても、上手に受け答えが出来ない。だいたい、いいのだろうか。今日の催しは三鷹沢が勤める「一籐木グループ」が主催しているもの。それなのに、社員である彼がこんな風に招待客に混ざって料理を味わっていることが許されるのか。
  訪ねる暇もなく、綺麗に料理の盛られたプレートがこちらに差し出される。ちょうど空いたテーブルに彼が一足先に行き着いて自分の皿を置いた。

 

「あっちの方には椅子もあるから、疲れたら休むといいよ。……すごいね、一体どれくらいの人が入っているんだろう。これじゃあ、どこに誰がいるのか分からないね」

 新しい飲み物を取りに行ってくると告げて、三鷹沢がその場を離れる。たくさんの人々が行き交う会場にあっても、ひときわ長身の彼は頭がひとつ上に飛び出している感じだ。だから、どこにいるのかすぐに分かる。ここがどこの国なのか分からなくなるほどに外国からの招待客も多いが、その中でも彼の存在は決して埋もれることがない。

 ――ああ、また知り合いに遭遇したみたいだわ。

 もしかすると、一籐木という企業は自分が思っているほどに堅苦しいものではなく、とてもフレンドリーな感じなのだろうか。会場内での三鷹沢を見ていると、そんな風にも思えてくる。かなりの地位にあると思われる人物を相手に、彼は笑顔で応対していた。

「こちら、……宜しいかな? お嬢さん」

 突然、背後から声がして慌てて振り向く。

 宵子であっても見上げなくてはならないほど上背のある初老の紳士がそこに立っていた。少し身体を避けると、彼はこちらの断りもないままにテーブルに自分のプレートを置く。そして自分の身体ごとテーブルに預けると、ふうっと小さな溜息をついた。

「いや、これだけの人手があるとそれだけで疲れるものだね。あなたはこのような賑やかな場所が好きですか?」

 自分の発言が恥ずかしかったのか、照れ笑いを浮かべるその人の顔にどこか見覚えがあるような気がした。だが、どんな場所で遭遇した人物だったのかすぐには思い当たらない。宵子は仕方なく曖昧な笑みで応えた。

「いえ……実はあまり。今日は知り合いに頼み込まれて仕方なく参加したんです。もうすっかり会場の雰囲気に飲まれてしまって、仕方ありませんわ」

 ああ、そうでしょうねと紳士が答える。どこか異国の面影を思わせる横顔だった。やはり、この人は以前見かけたことがある人物に違いない。だけど、一体どこで? 必死に思いを巡らしてみるが答えには辿り着けなかった。

 

「ごめんね宵子さん、お待たせ。――あ……」

 しばらく他愛のない雑談などを続けていると、そのうちに三鷹沢がようやく戻ってきた。紳士の姿を目にして、彼の顔色が変わる。一瞬のうちに強ばった彼の頬が小刻みに震えている様を、宵子は不思議な面持ちで見つめていた。

「これは、……社長。ご無沙汰しております、三鷹沢です」

 そう告げながらも、手にしたグラスが小刻みに震えている。その言葉を聞いて、宵子も改めて紳士の方を向き直った。

 ――え? ではこの方が、一籐木の……?

 そう言われてみれば、納得がいく。何しろ、現総理大臣の顔は知らなくても一籐木月彦社長の顔を知らない者はないと言われるほど国内外を問わず有名な人物である。とっさに思いつかなかった自分の方がどうかしていると思った。

「おおう、こちらこそ久しぶりだね、真之君。たまには自宅の方にも顔を出してくれたまえ、研修の話なども聞かせてもらいたいものだ」

 一籐木氏は三鷹沢が自分用にと持ってきたグラスを遠慮なく受け取ると、それをゆっくりと飲み干す。本当にこの人がそうなのだろうか、今の日本という国を動かす力のある人間を目の前にして宵子はまだ信じられない思いがした。

 確かにどっしりした構えでどこまでも風格に溢れている。しかしこうして面と向かえば「躊躇なく」と言ったら嘘になるが、それでも対等に話も出来る相手なのだ。
  あまたとある企業を吸収合併し、瞬く間に日本の頂点まで上り詰めていた脅威の存在。長いものに巻かれ甘い汁を味わうことを求める者、そして一方でそれに反発して撃沈していく者。ドラマのような現実は、毎日のニュース番組でさえ当然の様にとりだたされていた。
  一代でそれだけの城を築いた男はどんなに恐ろしく、血も涙もない鬼のような存在に違いない。一籐木月彦と言う男の経歴を見た者なら、誰でもそう思うだろう。

「それでは、こちらの美しいお嬢さんは真之君のパートナーでしたか。ああ、こうしてふたりが並ぶとなんてお似合いなんだろう。……これは誠に羨ましい」

 目を細めて見つめられて、宵子は自分の頬だけではなく耳の先、いや手足の指の先まで赤く色づくのを感じていた。三鷹沢も何か言葉を返してくれればいいのに、このように黙ったままでは埒があかない。
  だいたい、どうしたことなのだ。いくら人混みの中とは言っても、一籐木のオーナーがこのようにひとりでのんびりしていていいものなのか。それにこのように立派な地位にある人物には、当然たくさんの側近が付いているはず。そんな雰囲気でもなかったから、こちらもついうっかりしてしまったのだ。

「……あ、社長。呼び出しが掛かっているようですよ、私がステージまでお見送りしましょうか」

 場内のアナウンスが社長の名を呼び、そこでようやく三鷹沢が我に返ってそう告げる。しかし、一籐木氏はその申し出にゆっくりと首を横に振った。

「いや、それには及ばないよ。君はこちらのお嬢さんをしっかりとエスコートしなくてはね。……では、またそのうちに会おう」

 

 ゆっくりと去っていく背中をふたりでぼんやりと眺めていた。そのうちに、深紅のドレスを着た若い女性が人混みを無理にかき分けるようにして飛び出してくる。そして彼女はそのまま一籐木氏の腕に自分の腕を絡めてなにやら早口に叫んでいた。かなり離れた場所なのでその会話までは聞き取れない。だが、かなり憤っている様子は伝わってきた。

「……一籐木氏のお嬢様のおひとり、千鶴子様だよ。先ほどの幹彦様の妹に当たる方で、今年大学に進学されたんだ」

 呆気にとられている宵子に、三鷹沢が耳元で説明する。彼女のウエストに結ばれた大きなリボンが蝶のようにひらひらと舞って、周囲の者たちもその姿に惚れ惚れと見入っていた。それも無理もないことだ、はち切れるほどの若さと美しさで彼女は会場中の中心を堂々と陣取っているような気がしてくる。そして本人もそれを十分承知している様子であった。
  そうだろう、あの細かく綺麗にカールした髪もきっと一流の美容師が腕によりを掛けてセットしたものだ。そして、あのドレスも靴も、髪に付けた花飾りのひとつひとつまで、全て彼女だけのためにデザインされた一級品に違いない。遠目に眺めるだけでこんなに目を引くのだ、もしも間近で目にしたらどうなるのだろう。

 

 そこに来て、宵子は改めて会場にいる女性たちを見渡していた。

 そうなのだ、三鷹沢は始終このような美しく知的な上流階級の人間たちと当然の様に接している。彼自身はあまり気付いていない様子であるが、こうして並んで立っていれば周囲の女性たちが彼に向ける熱い視線をつぶさに感じ取ってしまう。そして、その後には必ずその眼差しは傍らの宵子へと向けられるのだ。

「どうして、あのようなみすぼらしい女性と彼がご一緒なの?」

 綺麗にルージュの引かれた口元は動かずとも、彼女たちの心の声がはっきりと耳元に届く気がした。嫌悪と蔑み、そして嘲笑。思い過ごしとは思えないあからさまな視線は、次々と矢のように突き刺さってくる。女性特有の含みのあるそれは、宵子をネガティヴな思考に陥らせるのに十分な威力を持っていた。

 自分では精一杯着飾ってきたつもりだ。こんなドレスを身につけたのは生まれて初めてと言って良かったし、鏡に映した姿は別人のように美しく思えた。だがしかし、結局のところ何も変わってはいなかったのである。
  母は洋服の仕立てを仕事にしていてかなりの腕を持っていると思うが、所詮素人に毛が生えたほどのもの。世界に名をはせる一流デザイナーと比べたら、初めから勝負は決まっている。いくら娘のためにひと針ひと針心を込めて縫い上げてくれたとしても、そこに宿る想いなどきらびやかな照明の下では全てが消え失せてしまうだろう。そもそも用いている生地にしても質が違いすぎる。

 

「宵子さん、もう一度飲み物をもらってきてもいいかな? 何だか、緊張して喉がカラカラになってしまったよ。ああ本当に驚いた、社長がこんな風に人混みの中にやってくるなんて。普段は寡黙でご自分から話しかけたりしない方なんだけどなあ……」

 首をすくめる仕草にもまだぎこちないものが残っている。表面上は普通にしていても、かなりの冷や汗ものだったのだろう。

 一籐木月彦という人物は「鷹の目」という異名まで持っていると聞いている。従来の格式にとらわれず、時には奇抜なアイディアを持って事業展開を進めていく。あまりの強引な手腕には、社内の人間であっても度肝を抜かれることが少なくないとか。それだけに敵も多く、見た目の華やかさとは裏腹にかなり孤独な一面も持っているらしい。

 ――ああ、何で私はそんなことまで知っているのだろう。

 ひとり残された宵子は、ほとんど空になったグラスを持ちながら思わず苦笑してしまった。一籐木という企業は好きではなかったし、そこの社長と言えばなおさらである。それなのに、自分は嫌いな人間に対してこれだけの情報を持っているのだ。誰に聞いた訳でもない、気付かぬうちに話が身に付いてしまうほど有名な人物なのだから仕方ない。彼という存在を無視して生きられる訳はないのだから。

「……あ」

 そのとき。ふっと目の前を横切った横顔に、思わず声が漏れていた。それを聞きつけたのか相手もすぐに振り向く。しばらくは何事かと不思議そうな面持ちでこちらを眺めていたが、そのうちにようやく気付いたらしい。大げさに両腕を広げて見せた。

 早口でまくし立てられた英語は半分ほどしか内容を聞き取れなかったが、それでも宵子は精一杯の笑みを浮かべていた。この会場には珍しくない欧米からの客、でも数日前に出会ったばかりのその人ははっきりと見分けることが出来た。スミス氏も慣れない場所で知り合いに巡り会ったことをとても嬉しく思っている様子だ。同伴していた女性を妻だと紹介してくれ、しばし談笑を楽しんだ。
 もともとは夫人の日本びいきが高じて、彼も今の仕事を手がけるようになったと言う。今回も忙しい日程をやりくりして、いろいろな名所旧跡を訪ねたのだと嬉しそうに話してくれた。大きく胸元の開いた美しいドレスを身にまとった彼女は、しかし宵子のドレスを誉めることも忘れない。「肩のところにはもう少し派手な飾りがあるともっと映えるわ」というアドバイスまでもらってしまった。

 先日の面会では、緊張のあまり舌も上手く動かない有様であったが、今日は不思議なほどスムーズにやりとりが出来る。そんな自分の中の変化にも驚かされた。

 しばらく経ってふたりが去っていくと、宵子はまたひとりテーブルに付いていた。やはり右を見ても左を見ても知らない人だらけ。まるで自分ひとりだけが爪弾きにあっているような錯覚まで覚えてしまう。そうなるとやはり頼りになるのは同伴者である三鷹沢の存在だ。そう言えば戻ってくるのが遅すぎないか。ぐるりと彼の進んだ先を見渡してみると、かなり遠方にその姿をようやく見つけることが出来た。

 

 ――え……?

 

 彼はひとりではなかった。そしてもうひとりの姿をその目で確認したとき、宵子はハッとして息をのんだ。深紅のドレス、ふわふわと花びらが優美に舞うような袖口。先ほど一籐木月彦氏のご令嬢だと説明されたその人が三鷹沢に声をかけている。彼女が何かを告げ、彼の腕をとる。その仕草に戸惑うようにりりしい肩先が少し後ずさりをした。

 何となくそれ以上は見ない方がいい気がした。先ほどの話では彼女と知り合いだとは言っていなかったが、そう言えば彼女の兄である幹彦氏が三鷹沢の大学の後輩だと聞いていた。そうなれば、ふたりに面識があっても何ら不思議はない。自分にそう言い聞かせながら、宵子はするりとそこから視線を外した。

 

 ――何だか、ひどく疲れてしまった様だわ。

 人混みに長時間埋もれていたせいだろうか、軽い立ちくらみを覚える。

 少し庭にでも出て風に当たれば気分も戻るだろうか。そう思って歩き出したとき、見知らぬ数名の男性が目の前にやってきた。見た目は宵子と同じくらいの年頃に思える。しかし一様に薄笑いを浮かべたその姿に、どうしても親しみを覚えることは出来なかった。

「どうしたの? 三鷹沢とはぐれちゃったのかな。君、彼と一緒に来た子でしょう。見慣れない顔だけど、どこの部署なの?」

 中央にいたひとりがにこやかに声をかけてきたが、どんな風に受け答えをしたらいいものかとっさには見当が付かない。この人たちは三鷹沢の知り合いなのだろうか、だとしたらきちんと対応した方がいいのか。

「ええと、……その」

 彼らの品定めをするような視線が何とも居心地悪い。見知らぬ存在を訝しんでいるのは分かるが、何もこんな風に大勢でやって来なくてもいいのに。だいたい、三鷹沢と自分のことをどんな風に説明したらいいものなのかも分からない。よくよく考えてみれば、本当に偶然から巡り会っただけのふたりなのだから。

「ああ、そんな風に構えないでよ。俺たちは、三鷹沢の元同僚って言ったらいいのかな? まあ、奴の方が後輩なんだけどね。久しぶりに戻ってきたと思ったら、こんな綺麗な彼女を連れちゃって驚いたよ。あいつも隅に置けないなあ……」

 このような者なのだけど、と名刺を渡される。それを受け取りながら、宵子は自分から渡すものが何もないことを悟った。「本社・事業開発部」という部署は、三鷹沢が最初の日に名乗ったのと同じである。きっとここにいる彼らは、三鷹沢の元盟友……アメリカに研修に行く前には一緒に仕事をしていた仲なのだろう。

「いえ、そんな。……私は別に……」

 話の成り行きでとんでもない勘違いをされていることに気付く。自分が彼にとって特別な存在だと誤解を受けては、困ったことになってしまうではないか。どうにかして否定しなくてはならない、そう思うのだがすでに頭も良く回らなくなっていた。

 

「――宵子さん……!」

 上手い受け答えさえ出来ずに途方に暮れていたそのとき、ようやく背後から耳慣れた声がした。しかし、ホッとして振り向いた先にあった彼の顔は別人のように強ばっている。どうしたのだろうと不安げに見上げたこちらを無視して、彼はそのまま前に進み出た。

「ご無沙汰しております、先輩方。ところで、今のアナウンスを聞きませんでしたか? そろそろダンスが始まるようですよ、社員は率先して参加するようにと社長からのお言葉がありましたが」

 きっぱりとした口調でそれだけ告げると、すぐにこちらへと戻ってくる。そして彼は宵子の手を取ると、強引に会場奥へと促した。

 

「そろそろ、今日のメインイベントの時間になるんだ。今回の催しは西洋風にダンスパーティーと洒落込んでいるからね、僕たち社員はそのために駆り出されたのだから。もちろん、宵子さんにも協力してもらわないとね」

 彼のいつになく強い口調に、自分でも気づかないうちに身体が震えてくる。繋がれた手も指が食い込むほどで痛みすら覚えたが、振りほどくことも出来なかった。

「そんな、……無理よ。私はダンスなんて踊ったこともないわ。出来っこないんだから、恥をかくだけだから、やめて……!」

 ――やはり、この人は何かに強い怒りを感じているのだ。

 ギスギスと伝わってくるものを感じ取りながら、宵子は次第にそれを悟っていた。やはり、自分の行動に何か抜かりがあったに違いない。やはり、このようなパーティーに興味本位で参加すること自体が間違っていたのだ。

「――大丈夫だよ?」

 すでに音楽は始まり、男女ペアになったあまたの紳士淑女が広いホールを埋め尽くし軽やかなステップやターンを繰り広げている。そんな踊りの輪のほとんど中心まで進み出て、三鷹沢はようやく宵子の方を振り向いた。

「僕がきちんとリードするから。宵子さんは、ただ言うとおりにしてくれればいいよ」

  

つづく (060329)


 

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