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    1999年 大島哲蔵さんと佐藤敏宏の私信交換        home 

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1999年3月2日 23:05

佐藤敏宏様
FAX有難く読みました。いつも一方的にこちらが得るものばかりで申し訳ないと思っています。以前は新しいお客を紹介されると会うのが楽しみでしたが、最近はそんな機会は滅多にありませんし、あったとしても会う前から察しがつくので、期待感は全くありません。

5年位前でしょうか、「佐藤さんに一回会わせる」と言われた時も、もったいなくも「いいから」と何回か言っていた覚があります。ニッタ氏が「きっと気が合うと思う」と言うので忘年会か何かに行ったら、直ぐに「只者ではない」と思いました。それでも真価はもっと後になって知ったのですし、佐藤さんのADMIRERとしての私は一貫しています。日頃ほとんど人を誉めないでケナしているので皆が奇妙に思うようで少しおかしいぐらいです。

実は私は寺山やワタナベさんのような突き抜けた人よりも、普通に世間にもまれながら、全くrareな人を大変好むのです。 天才的な発想家文章家よりも通常のようでどこかに面白味や その人以外には期待できないところを見せてくれる人を最も評価するのです。

したがって大建築家などより大成しなかった実力があり、人のやらないことをすましてやっている人が良いと思っています。そんなわけでダメな国のバカ建築家にいくら振り回されても、一人の天才らしくない天才さえ話し相手になってくれば満足です。

土曜日にマルヤマヒロシというアイゼンマンの事務所に居た東京の建築家がやって来て大阪で話を聞く機会があり、日頃小難しい文章を書いているので余り期待しないで敬意だけ表しておこうと思ったのですが、久しぶりになかなか面白い人物でした。

話し方がちょっとなくなった林屋三平に似ている三枚目なのですが(文章は二枚目)時々鋭いことを言い、多くの下らないことも言う人なので良かったです。いつかまた紹介できればと思います。

ヤツカさんと親しいそうだったので「最近彼はどうですか」と聞くと、「仲は良いけど株で言えば100円割った位でしょう最近は」、なんて的確なことを言ってました。また「アイゼンマンは陽気で呑気な勉強家で、けっこう若い所員に問い合わせて気に入ったらとり入れて悦に入っている人ですよ」と教えてくれました。世界一線級の人の話を聞くと、とても親近感を覚えるのですが、日本には本当にそういう人が少ないと思います。とても残念ですがしかたありません。私はまた何人かそういう人を知っているだけで幸せなのかも知れません。

ところでサイトウさんと今度あったら臓器移植の漫画を書くよう言っといてください。脳死判定で騒いでいるの人が皆 脳な死ヤローばかりです。外人はフランケンシュタインの国だからよいのですが、日本人は違うのです。生き方は昔からダメだけど、死に方だけはマシな民俗だったのに、それももういけなくなってしまうようです。医者というのは建築家以上に全く信用でみません。日本全体を病院にしてしまうでしょう近いうちに。

明日はイソノ氏の学校の卒制の講評に行きます。元気な学生と話ができるから少しは気が晴れるかもしれません。施工中の家はシンドイようですが大目にみてあげてください。普通の家族が常軌を逸したアーキテクトに発注したのですから。満足すべきでなかったら発表しなくてもよいではありませんか(淋しいでしょうが)

去年櫻の頃にそちらにお邪魔したような記憶があります。今年も行ければよいのですが、3月6日ジャッド・シンポジュームは金が無いので実行委員長の僕だけが東京には行けません。泣けて来ます。    大島哲蔵


1999年3月8日 17:54 

大島哲蔵さま
FFAXを頂いた晩に
ミヤジマさんが電話をくれました。互いに社会(会社で)から干されていることの確認をしましたが、やる気だけは充分です。マルヤマさんやアイゼンマンの話を教えてくれました。文化の懸賞論文佳作のヨネマサタロウさんはミヤジマさんの隣の席だそうです。ヤツカさんのヨネモトさんに対する評に私も同感で、言葉と物とは互いに影響を与え進化するものとかんがえます。ですから安定した言語が産み出す社会を私たちは断念しなければならないと考えます。心構えの先の提案が無いのでヨネモトさんは建築家にはなり損ねてしまうでしょう。学者としては大成するかも知れませんが。

言語が物なのかエネルギーの状態なのか、インクのシミや人の運動の軌跡なのか簡単ではありません。言葉が個の誕生以前に存在していますから安定した存在であると、考えがちです。特に建築家はものを言葉で支配しようとしますから、言葉の安定は望むべき条件ですが、勝手な願望でありとりあえず私たちが生きている電脳社会は、世界を混交かくはんし建築家をいらだたせることでしょう。

言葉が同時に二種存在するとは認め難いことでしょうが、寺山からその事を学びました。ルーセル研究家の
キタヤマさんとも、多くの演劇やパホーマンスを観て話しあつたものです。福大を辞めて東京の大学へいつてしまいました。

 白河の
フジタさんが昨日死んでしまいました。長いホスピスでの生活に満足して死んだようです。冥福を祈ります。新都の話し合いで寿命を縮めたかもしれませんが、彼はああいった行為が好きでしたから仕方がありません。明日葬式です。

 施工中の家が完成したら個展を、完成した家でしてみようかなと想い始めました。現場監督の考えることと私が考えた建築の差は、計画道路のラインによつて混乱する計画と同質のように思いますので、図面を極力観ないで即興的にその場で決めたり、まちがった材料や収まりはそのままとし それに新たに付け加えて消化することにしています。 加えるなら全体の計画と完成した差異をも加えたほうが良いだろうと考えたからです 。建築は何によってスプリッティイグされたのかが個展によつて明らかになれば良いと考えましたのでそうしたいと思うようになりました。

春秋塾にはテープとスライドで参加するつもりです。美術館の案と木箱(
千万家)の話を少し送ります。これから準備をして明日ニッタさんのところへ送るつもりです。ではまた 佐藤敏宏


●99年3月12日 11:16

佐藤敏宏様 昨日はスライド映像とテープ音声による春秋塾への参加、誠に有難く見聞きさせていただきました。説得力ある助言と魅力ある語りに改めて感心し作品の独自のトーン、技巧や操作が前面に出てこないのですが入念な計画性に腕の冴えを実感しました。

ワタナベ氏もいたく感心していました。おかげさまで佐藤さんのプロジェクトを最後に2年間に渡った春秋塾との付き合いも一段落することになりました。後はニッタ君が引き継いでそれなりにやってくれると思います。私はコーチのような立場から気楽に協力したいと考えています。

小松のコンペ案は縫い合わせるというコンセプトがどんなことなのか今ひとつ分からないのですが模型を見てすぐ理解できました。新しいような古いような不思議な創作行為ですね。建物自身が変容して再生していく生物学的な退行ー進化のプロセスが感じられました。 スプリット住居で何となく感じられたイリュージョンが具体的な形をまとって顕れて来たのでしょう。将来重要な作品集が出来るのではないでしょうか。

モデルに結晶したアイデアは実作とほとんど変わらない存在感があります。こういうものそれなりの資金がついて来たら新しい時代と言えるのでしょう。

佐藤関係者が全員2万円づつだしたら直ぐにでも出せるような気もします。2002年ぐらいが丁度良いように思います。アベ君は5万円ぐらい出さないといけません。フジタさんも地方の文化を考えるのだったら、そんなことを考えてくれれば一番良かったように思います。 大島哲蔵


●1999年3月14日 16:52 

 二期最後の春秋塾にささやかに参加させていただき、かつ喜んでもらい有り難くおもつてます。糸を撚る。景観や空気を撚る。認識の問題の展開ですが古くて新しい建築かもしれません。景観や空気をスプリットし又撚るそして布を織る。文字の配列における形式に記憶やある時点の感情さえ加え、新たに文字(建築)をつくることができる。あたりまえの事をやつていてのですが、おもしろいものです。流布している建築とは違いますし、ポストモダンとも違います。変な建物です。コラージュともちがいますね。

 群居47が昨日届きました。春秋塾と木匠塾の報告を
ワタナベさんが書いてましたが、とても悪い文章でした。塾は建築のスター養成所でないと思います、知らず知らずに消費されて行く今までの言説や建築 それに人も。それだけのことでしかなかつたのでしょうかね。

あたらしい勉強会は
ニッタさんが主に展開していくとのこと、遠いですが多いに協力してゆきたいとおもいます。そして一人のスターよりおおくの建築ファンを獲得したいですね。 昨日はBOX11を訪ね住人と一日、学校や教育の話をしてすごしました。

小学校の教員を夫婦でしていまして。近くの村の小学生の担任をなさつています。学級崩壊や離職する教員の話は大変ショツキングでした。良い建築における学校造りなどと呑気な話が出来なかったです。

消費社会に翻弄される人々と子供たち。文明史は人が人生を消費する
(人生暇つぶし論・花見人生論)ことを人の最終目標と教えます。 只消費だけがある社会がどうなるか小学生の話を聞いただけで予測できました。 働いたり・頑張ったりしてもろくな事にならないことをバブル期に学んだ人々は、今この時の悦楽に浸るか、不安を煽り熱心に単純に努力するかに別れてしまうのだそうです。なるほどです。

バーチャルから抜け出せない子供もたくさん学校にきててボーとして時をやり過ごし、家に帰ってゲームにいそしむ。自分の時間の潰し方を生まれながらにして分かつてる。生産を第三世界に依存した消費社会がわずか二、三十年年で出来あがり、その事による矛盾はこれから本格的に現れてくるのですね。

 階級格差が田舎の村でもはっきりしてきて、所得差による教育に対する対応や感心が明らかな違いになつているそうです。有名大学と親の年収の関係は以前から言われてる事ですが、教育に対する関心がこの不況でますます亀裂を大きくしているのだそうです。 生産する社会から消費する社会に激変する過程でますます喜劇・悲劇が展開して行くのですね。

BOX11は雀に子育てのための格好の隙間を提供していたようです。屋根の下地の鉄骨に巣が一杯あつて、外壁も糞で汚れがめだちだしました。数匹 家の中でミイラになつたのさへあるそうです。子育ての季節になるとものすごい雀の鳴き声で目が覚めるんだそうです。 蛇はくねくねした手すりが大好きでそれに絡みついていて、奥さんの帰りを歓迎するのだそうです。 岩瀬村は水がおいしいので蛇も住み心地がいいでしょう。

 小学校の話や家が変化する表情を眺めてると、私の観念が自然の中に曝され少しずつ知恵になりやがて形式を獲得するためには時間と努力が必要だなと改めて確認しました。 そなことにはならず死んでしまうのでしょうが、せめて屋根裏で死んだ雀のように、死んだのは「
雀だったなー」と他者から見分けられるようにはなりたいものです。

FAX感謝又連絡します。佐藤敏宏



99年 3月22日 11:18

佐藤敏宏様          from 大島哲蔵
昨日は神戸奧の三田という所に建った塾生の住宅作品(フジワラ君)を乞われて新田氏とみてきました。そのルポを書きます。

六甲のトンネルを抜けて行くのですが、以前はイノシシやタヌキの住処だったところが次から次と都市化されています。何度見ても無惨という以外はなく、戦後中間層という人種の程度が偲ばれます。ロケーションが近づくと、さすがに神戸市が開発しただけあって、平均的な手法ではありますが、徹底した人工的郊外が作り上げられています。道路のネットワークも整備されていて、しかも適当に曲線を使っているのですが、膨大な諸ブロック構造はどこでも同じです。

大通りには入り口はめんしてなくて、(規定でそうなっている)裏側からアプローチします。周囲はプレハブの山で、たまに設計者が入っていると思われる手作り風の家があります。

くだんの住宅は基本的に白一色で、確かに目立っていて、平屋建てですからなおさら目につきます。土地は40坪ぐらいでしょうか。価格は3000万弱で皆さん2500万から3000万円ぐらいの家を建てています。施主は40才くらいの教師で妻と子供一人で坪50万弱くらいの予算です。 彼が以前付き合っていたデベロッパーの知人で最初はその人がやっていたのですがキラからない仕事なので、彼にふったという物件です。

設計者は30代前半で今でも数戸の住宅経験があり、以前ヨシダヤスオ氏と共働きした経験もあります。人柄がよく熱心ですが、今ひとつピリッとしないやつです。左右が建ってつまっているので、見えるのは道路側と玄関側のファサードだけです。プランはこんな感じで中庭タイプです(奥さんが家庭菜園をするのだそうです)がそこに面しているのは部屋の一部としての廊下でしかないので中庭をいかしているとはお世辞にも言えません。

また予算も関係するのでしょうが、インテリアは白一色を塗りたくっていて(施主の希望だそうです)かなりイージーな感じが否定できません。一部屋、分不相応と思われるピアノ室がとってあり、とてもちぐはぐな感じがします。

また請負の幹部が大型のベンツに建材を積んで入り口横にデンと駐車させていて、ますますチグハグな感じでした。大通りからのファサードはこんな感じで白とガルバリューム鋼板が交互に来る割付です。屋根は片流ですが、右奧は天井高をかせぐのとバランスをとるために逆に上げられています。裏の入り口側の方が比較的まとまっている表情ですが、も一つ魅力に乏しく、ニッタ氏は「わざわざ来る代物ではない」と言っていました。施主がなにやら険しい顔つきでチェックしていて、余り良い雰囲気ではありません。

5000万もはたいたのに気の毒なことです。ここで彼らが年をとるのかと思うと同情してしまいますが、しょせん自らの成せる業ですから誰にも文句は言えません。これなら既製品のプレハブにしておいた方がマシだったのでは、という気もします。

三田からJRに載ると途中の駅で何と地下鉄東西線につながっていることを知り、要は私のところの天満宮前までたった40分ぐらいで来てしまうのです。彼は熱心にこれからも頑張ろうとしているので、「見込みが無いから街の設計屋さんとして、ていねいな仕事だけを心がけなさい」とも言えず、いろいろ言って、今度またゆっくり感想を津たっるなどと気休めを言って帰ってきました。

今塾生で残っているのはほとんどこうした連中です。従ってどこから見てもたかだか知れているのでニッタ君は大変ですが、こちらが呼びかけたので、付き合う以外にはありません。こうして半日以上が過ぎましたが、気がまぎれるとは言うものの翻訳でもしていたほうが生産的だったのですが、一日中やっていると体調が悪くなりますし、というような感じです。


1999年3月23日 22:08 
 
 大島哲蔵さま
 昨日は春の嵐が吹き荒れて、住宅の屋根が吹き飛ばされる被害が出たようです。昨日は久しぶりに家で寝て居ました。長男の進学と娘の留年と次男のバイトが始まり、やうやく皆落ちつく先が決まり安心したのでしょうか良く寝ることが出来ました。

 塾生の住宅見学とそのルポのFAXありがとうございました。健康のため出かけるのは大切なことですから、作品の善し悪しを気にせず出かけて行って、縁に感謝してもらいたいものです。頭ばかり酷使するといけません。体を動かし仕事場に悪い感情は持ち込まず、その場ではっきり評価を下し、塾生に嫌われる。喜ばれまたは励ます。作り手の願いは、自分の再発見しかないと思います。余り責任を感じなくとも良いのではないですか。

 時には感情を害す言葉も効果があると思い、面と向かって感想を言いましょう。当然嫌われるのですが、反対の力が働きます。反発なり自分を補強するために内部に力が発生するはずですからそれで良いのです。自分が考える自分と同質の話は余り役立たず、誉め殺しみたいなものです。それは新たな自分を発見する契機にはならず、大いなるマンネリへと進むだけです。若い時は賞賛されることを望むことでしょうが、こう社会が混迷し、屋に屋を重ねるように問題だけが積み重なる現状では、賞賛など何の役にも立たないのです。批評とて作品を理解し欠点と挑戦に対する評を同時に作者に提示出来ればいいが、一作だけでは困難でしょう。批評も作者を新しい創作の大地へ連れ出さなければ余り意味はないように。建築家も家と施主を新しい大地に連れ出すのが理想でしょうか。

 住宅の諸問題は、持ち家制度とその所有権の所在に端を発しているのですから、個人のデサイン能力や施主のわがままなど些細なものなのです。とは言っても発注者は自分のわがままや知識を、最上のものと考えいて、とても人の集団として家がどうあるべきかなどという話にはいかない。また家に対する考えが深まるほど、家造りに関する関係者間の体制も整っていない。とりあえず施主は40坪の中の自由と贅沢を、水も漏らさぬほどに追求するので哀れになります。建築業者は一回限りの仕事をいい加減にこなしたい、儲けたい。

個人を大切にする社会になつていないですが、気づいてる人は少数ですから、この困難は誰が解決するのでしょうか。そんななか家造りに人生をかけるなんて。そんな困難な住宅を見学すると誰でも疲れます。現況では建築家や施主の能力をいくら重ねていっても新しい関係を共に発見するのがなかなか難しそうです。

 気恥ずかしいことですが、やはり人としてどのように死んで行くのか、などを話せないようではいけないようです。景観・教育・生き方など気恥ずかしいことばかりです。

先日宝塚のコンペの話の中で、閉館していても利用出来る飲み屋のようなものを内包し、いつでも利用できる施設を!との話がありました。同感です。大地のようにいつでも上れる。逍遙できる。きつと当初は落書きや施設破壊が続きそれに耐えきれず閉鎖してしまうのでしょうか、鎮守の杜のようにはならない。伝統芸能と現代のパフォーマンスの差異にも感じることです。

浄土堂でも思いました。建築家や表現者の想いが大地に根付くのには風雪に耐えるだけのものが必要なのです。現況にいくら良く対応してもしょせん小さな世界での喜びにずぎないようです。そんな「もの」を発見をするためにこれからも与えられた現実を見つめ生きて行きたいです。

家の本を整理していたら文化1月号(p163)で、ペローが「織りtissage」とよく言うと書いてありました。宮本三郎の美術館は織物倉庫の利用でしたから、古い建築と新しい建築を織り上げようとしました。糸を撚るとも言いました。ペローの織ると私の織るの違いを考えたいので彼の言説の翻訳本がありましたらお願いします。

 今日県内を対象にした公開コンペの知らせが知人からありました、最優秀を得るように気合いを入れ参加します。ある町の在宅看護支援センターのコンペのようです。いつものようにダメでも良いですから 建築の新しい大地と考え方を発見したいものです。

 今年はコンペ三昧になりそうです。宝塚市民ホールも青森の体育館も参加します。門前払いはされるでしょうが。FAX感謝!99/3/23 佐藤敏宏



●99年3月25日 12:31

佐藤様 昨日は楽しい会話有り難うございました。月末にあるヤツカ氏のレクチャーのレジメを送ってきたので、話題提供にお目にかけます。(私は内容的には一切関係ありません)彼はマシな人ですが、今頃こんなことをしゃべるつもりだとすると、よっぽどノンキな人です。

柄谷行人が昨年ヨーロッパでレクチャーした内容がヒントになっているようです。日本の知識人が自らの抱えた歴史的、思想的欠陥を自己分析して話すという寸法です。(ヨーロッパの近代思想だってギリシャ・ローマの周縁文化−それも古代の−から派生したものに過ぎないのに、です)丸山氏などは真面目だけが取り柄の、必至になって考え出した自編での批評が皆、自分自身に当てはまってしまう人で、柄谷などもその典型ですヤツカ氏もアルトを勉強したり自己反省のふりをしてみたり、下手な建築も設計するとは器用な人です。

大學にも呼ばれず、設計(原稿)の依頼は忘れる頃しか来ない、いつもの生活苦にあえいでいる、それでも言うことだけは大きいというのはなにやら宮沢賢治的ですが、そうした土着的パルチザン、遊民のような、世捨て人のような人が一番ナウで格好良いのではないでしょうか。(高楊枝の先がすり切れてしまいそうですが)

住居問題にしても、建築理論にしても、同じ所に問題と限界があるようです。つまり誰でも本当のことを見ても見てないふりをし、言うべきことを言わずもがなのことを言い、すべてが拡散して常にピンぼけなのです。注意したいものです。 大島哲蔵


1999年3月28日 22:05

佐藤敏宏様 またしこし寒くなりましたが、お変わりありませんか。建築文化にアベ君の売り建てが出ていました。不動産屋にはよい材料を提供したと思いますが、説明の調子や変にリラックスした感じがいつにもましてうとましく感じっれました。有名病患者のスター気取りとは違いますが世間ズレしてしまったオジン臭い物言いがたまりません。

以前ニッタ君の所へ就職を頼みに来て2・3度あったことのある豊橋の娘さん(関大卒)が1年足らずで夢破れて故郷に「静養に」戻ることになりました。ハキハキしたよい子でしたが、今の建築界の異常さが つい1年前には希望に燃えていた人をつぶしてしまったわけです。運が悪いことにヨシダヤスオ氏が「雇って良い」と言ったので、6〜7ヶ月行っていたのですが暇を出されてしまい、施工業者に1ヶ月ほど行きましたが続きませんでした。

ヨシダ氏は気違いじみたところのある人で、余程の人でもトラウマを受けるキャラです。初対面の時はとても魅力的に振りまくので、その落差が誰にも耐えられなず、ズタズタにされますが、不思議なことに、まんざら悪人でもないので、理解不能になってしまいます。外見が良い人は恐ろしいですね。

親も変に過保護で何とヨシダ氏と親が連れ戻す決定したようです。彼らは子を思いの善人で、娘は「精神的に不安定」などと さとされ リハビリにはげまなければならないわけです。逆なのになんという所でしょうか今の日本は!

私も発狂寸前だ」とニッタ氏に言ったら全然とりあってくれません。相当修羅場をくぐった人間でも たまったものではありません。(直ぐに回復するから心配はいりませんが)大島哲蔵



●1999年3月29日  2:28 

大島哲蔵さまFAX(レジュメ付き)とFAX有り難うございました。
ヤツカさんのメモはカタカナ文字が多くてこまります。簡単な日本語では言い表せないほど意味深いことを言ってるようではないと思いましたが。自分が解らないことを難しく人に言っても仕方がないいようにおもいます。 近代の再認識のかけ声と日本の知識人の軟弱な体質の確認をしていても始まりません。有能な人間を育て上げる組織も人も居ない現実をどのようにしたいのか したくないのかでしょうか。

 ヨシダ氏は以前頂いた彼の本を見る限り余り愛すべき人とは思いませんでした。かわいそうな娘さんもいたもんですね。「可愛い女は、皆 男にやられちゃう!」と言ったのは
サイトウ君です。 本の編集や漫画界の世界の話ですが、建築の世界では「やつた」後 気まで狂わせる様ではいけませんね。 建築家の世界は良く知りませんがやはり もてるんでしょうか、若い建築家志望の女の子に。良いですね都会は。こちらはだれも訪ねても来ないので、チャンスをおお逃した気分です。 都会で若い人に囲まれ収拾が付かなくつてみたいもんです。

 県内を対象にしたコンペの要項を手に入れました。500坪ほどの保険福祉センターでした。「地方における福祉施設はどうあるべきか 建築化しなさい」というものです。敷地は平坦な文化センターや野球場と役場のある寒々とした雰囲気が感じられる場所です。大きな構成は出来ましたが、いままでの考え方を展開したいと思います。「…どうあるべきか」に何かご意見があれば聞かせて下さい。最優秀になり建物を完成するのもいいが4名まで賞金がでますから、入賞して温泉旅行ぐらいご招待します。そうはいきませんね。

 漢字と田の字形を合成して、この土地の古い記憶と風景を呼び起こし新しい思いを付け加え、新たな記憶と風景を創出出来れば良いとおもつています。フランスの人々のように人種を問わず特別の才能を持つ人を、自分達が育てることに誇りと生きがいが感じられる社会が出来るよう頑張りたいものです。散々な目に遭って少しでも良くしようと思わないとこれから退屈でしょうがありません。若い人を励ましてゆきたいものです。

今日は筋肉痛で少しくたびれてます。BOX13の天井に嘘の空を描いたからです。2日間掛かってしまいました。足場が悪くて首や腕の筋肉が痛いです。建物は道路が出来ても残る部分の外部が出来これから計画道路内の木造部分を作り始めます。

ほぼ一年掛かりそうです。写真を撮りましたので送ります。敷地はほぼ四角で条件によって残る敷地の残形がL形だったので、あらゆる平面、立面、開口、等をL字型にしました。Lがたの寄せ集めですから収拾が付いてません。現場の間違いも多いに誇張して色付けしてるので現場の人と施主はあきれてます。進入禁止の標識に多いに影響を受けてます。

嘘の空はペンキやさんがやってくれませんし、監督に何でも出来るぞとの脅しの意味もあります。それにコンペを考えていると興奮しすぎますので、頭を冷やす役目もありました。体が疲れて丁度いい感じです今日は。 人は簡単に狂ったりしませんから、多いに困り果てて下さい、きつと良い考えが浮かびます。 佐藤敏宏

  
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