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     1999年 大島哲蔵さんと佐藤敏宏の私信交換      home 

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●99年7月3日 0:08

佐藤敏宏様
佐藤さんをうらやましがらせる話題があります。今日夕方、京都でドミニク・ペロート偶然会いました。話しも少ししました。学校の帰りに大龍堂という書店に立ち寄ったところ彼が京都の人の案内で15分ほどその本屋さんにこられたのです。子供を一人つれてリラックスしておられました。昨日は大阪で講演会があり(本多さんが司会をしました)今日も京都に居るようです。

彼の新しい作品集が出たので。それをもっていったところでしたので。めざとく見つけて喜んでいました。普通の良さそうな人でした。日本のいわゆる大物とは大分印象が違います。21世紀の前半をリードする建築家になる人してふさわしいキャラクターではないかと思います。

こういう偶然は滅多にあるものではありませんが、ロッシやジャッドの時もこの種のことが起こったので、私も運は悪化してないと実感しました。

佐藤さんはペローが好きなようですから、2回目の荷物が着いたら(7月末)日頃のおつきあいの御礼として一冊進呈しますので、楽しみにしてくださいね。では又

大島哲蔵


1999年7月11日 6:04 

大島哲蔵様
季節が同じ繰りかえしに見えるように、事を起こす前に必ずもめ事が起きます。その後何事もなかつたように新たな生活が始まるのでしょうか。

 無駄口を 叩く女や 梅雨なかは
 ごね口を こねる女や 雲の峯

BOX13の竣工パーティーと見学会無事盛り上げ完了いたしました。建築に付き物の親子喧嘩、兄弟や近隣のそれも無事収まり、離れるものも去るののもそれなりの完了をみ、明日は下男なり登場です。腰など壊しては大変なので重い荷物の引っ越しは専門家に依頼しました。

 雑事に追われFAXをいただいてから大分時間が経過してしまいました。ペローさんにお会いできて幸運でしたね。良い縁が出来ることを祈念いたします。ペローさんの本頂けるとのこと、金運に見放された身といたしましては金運復活でしょうか、楽しみに待っています。

 見学会は
ヤエガシさんと所員の人が来たり、将来建築家希望の浪人生や数人の友人と息子それに1人の市役所の役人で約3時間たっぷり おおいに話が出来ました。大島さんがいらっしゃればべつな展開になったでしょうが又機会を設けたいと思います。その時はよろしく願います。ミヤジマさんがいれば良かったのですが遠いので連絡しませんでした。彼はその後元気で顔を見せていますか。

見学会に参加した
サイトウさんの感想ではホームでの私の完敗だそうです。ヤエガシさんを気分良くさせて ホンネを聞き出す作戦でしたが、自信たっぷりの発言に、昔の佐藤さんのようだなんていっていました。 彼との考え方の相違を知るのは互いに役立つと私は思いましたが、私もトシなのでしょうか。

 千万家の模型とクライアント それに考え方にはさすがに参加者全員が感振心と驚異と「認め難き」作品との発言がありました。高等な手法であると
ヤエガシさんと所員の方は完敗を認めたと感じました。いずれにしてもいい加減さに皆に笑われてしまいましたがね。引っ越し以前の連絡まで   佐藤敏宏


99年7月11日23:32

佐藤敏宏様
Box13のパーティ行けなくって残念でした。当日昼過ぎまでジャット展の案内人(50名くらい)午後は全学講評会(3年生)夜は3−4年生の大パーティとフルメニーの一日でした。

住宅が出来て去る人来る人いろいろ出てくることでしょう。人間関係も新しく船出するのですね。 今度の住宅については減築になる時にももう一度さ「よならそして新生の会」を催さねばなりません。秋までに見に行くことが出来たら嬉しいのですが、恐らく何かのChanceがあると思います。

拙宅の改築も今日行ってみたら、コンクリート部分がすっかり無くなっていました。ごつい建物でしたが無くなるとさすがに淋しいものです。飼っている猫が不安そうな顔つきでオロオロしていました。

ミヤジマは先週またもやプランを変えて、どうも設計と建設を同時平行てきにやるつもりのようです。このごろは大分 大人になてきて優しくなったようにも思いますが大阪の若手から支持が厚く、こう留学や東京で始める線は無くなったように思います。若いのにリストラされて子会社に出向していますが、適当にこなして余暇を有効活用しているようです。

ペローの第二図書館は真ん中を空白にして床を木にするなと大変トリッキーな作家で千万住宅でも佐藤さんを彷彿とさせる人です。ベッドをガラスで囲んで台(ベンチ)にした案もとぼけていて面白いものでした。人を食ったことをする人です。では又
スケッチあり 説明:付き( ガラスの縞の中にベットが見えているが機能はベンチ)
大島哲蔵


1999年7月16日   0:53

大島哲蔵さま
 先日はFAX有り難うございました。お母さんのための住宅建設が進展しているとの事何かと大変でしょうが、良い建築と良い建築家が誕生いたしますよう、祈念いたします。

 建築には近隣との争い、親子、兄弟親戚や友達とのケンカは付き物です。関係者のケンカは「建築の花」ですからおおいに咲かせたいものです。
ミヤジマさんには余り力を入れすぎないように注意してやつて下さい。苦労と建築の出来の良さは反比例の関係にあるように思えます。

 先日の見学会で一巡した長男が「
住み手のセンスが問われる建築だなこれは」と呟いておりました。今までのように 住み手のセンスが問われないよう、互いに自律した関係を築いて来たことをすつかり忘れて深入りしすぎたよううです。 RC部と木造部の微妙な関係は、持ち込まれる物により全体が唯一無二の美しい物にもなるし、ゴミのような関係にもなると言う事です。 消えゆく木造のはかなさや、哀れさを、この建築を訪ねる度に私が味わうことになるのです。それ程ではないか。薄羽陽炎のようなはかなさを孕んでいたら成功ですが。

 昨日はさすがに疲れて顔の腫れが引かないので、用件を簡単に済ませ、妻を看護し家にいました。このごろ人前に出ることに少し慣れてきました。パーティに参加しましたが早めに引き上げましたが、それでも疲れが出るようです。立っているだけでしたが 引っ越しにも参加しましたし、徐々に人間らしさを回復し 怒りや喜びの表現を持つようになりました。まだまだ時間が掛かりそうです。

 梅雨盛ん 妻の手あてを せし夜かな

 先週末から降り続く雨ですつかりカビが生えた妻の髪を洗い乾かし、爪を切り、メシを食わせ、久しぶりに手入れをしたら、元気になり、金を稼ぎなさいと頬を二つ張られました。物を飛ばす元気はまだまだありませんが、心配係の復活です。

 割り箸を 割るような 梅雨落ちる

 割り箸やさんが住宅を建てたいと話が有りました。又時間が掛かると思いますが、少しの仕事があればいいです。絵描きのアトリエの話もありますがお金がないのですが力になりたいです。千万家は少し進んでいます。

BOX13の写真が梅雨でなかなか撮れませんもう少しお待ち下さい。ペローさんの作品集楽しみです。仙台の若者達もファンのようですから見せて上げます。
ミヤジマさんの住所を教えて下さい,BOX13の感想を聞きたいのでお願いします。

 これからの予定は中原中也賞をもらつた、中学の後輩を祝ってやることです。BOX12の桟(熊手)の下に幔幕を張り野外朗読会を開催するつもりです。BOX13まで往復する詩の朗読もやりたいものです。近況まで 佐藤敏宏


99年7月16日 23:13

佐藤敏宏様
fax拝受いたしました。含蓄のある見解も
ミヤジマに伝えておきました。よくやってくれてますが、苦労はそんなにしてない感じです。気軽にどんどん案を変えますから。

まだよくなっていないようですね。私はもうほとんど治ったと思っていました。本当にデリケートなものなのですな。自分など人よりも数倍神経が細かいやつだと思っていますが実はそのような人がよほど鋭敏なのでしょうね。

ペローはもう少し待ってくださいね。来月号の文化の書評に書きましたナイトウとかバンとかアベとかと同じでとても立ち回りの上手いひとです。もちろん彼は実力も申し分なくありますが・・・。

ところで7月31火の午後2時から信州大でこないだやった集まりの第二弾を実施じます。講師はニッタ君でその夜はダルマ山荘に十数人泊まります。万一これたら来てください。無理する必要は一切ありません。万一これたら来てください。無理する必要は一切ありません。

このところ西安の学生やら近所の専門学校生やOBなど美人を含む多数の人に慕われhappyな日々を送っています。
(問題は生活苦だけです)佐藤さん以外の同年配の人とは断絶ができて、もう話す気にもありません。(ホンダ氏ものぞく)まだこの調子だと先が心配です。一日一日がにぎやかだと一人になったときがまた淋しくなりますし、うまく行かないものですね。
大島哲蔵


99年7月18日 18:55
佐ト様
以前差し上げた本で四国の学校をいくつか設計している何とかいう人が居ましたが、代表作のある田舎町(日置町だったでしょうか)の行き方がしりたいのですが本を参照にして教えてくれますか?教え子が夏休みに四国に行くそうで、場所を教えてやりたいとおもうのです。要件のみにて失礼  バルコニーが張り出しているやつです。(スケッチあり)大島


● 1999年7月20日  1:39

大島哲蔵様
まず四国の愛媛県の八幡浜市の市役所の建設課で日土小学校の設計をした松村正恒(1931〜1993)と言うことです。

 先日のFAX感謝いたします。信州大でのテーマは何でしょうか教えて下さい。10日の見学会のテープ起こしもしていませんし、日の出町のゴミ捨て場をようやく見学に行って来まして、帰りに寄った川崎の中村正義の美術館で95/12/2に篠原一男自作るのテープをいただいたので、それも起こしもしたいので行けるかどうかわかりません。

宴の後は淋しいとのことですが余り人に左右されず泰然と生きて行きたいものです。私の所へは人や電話がほとんど来ませんのでいつも淋しいのでしょうが、どうせ本物の人は少ないのですから、煩わされなくて良いのです。でも妻を始め女の人には苦労させられます。見識のある詩人のような女性は居ないものでしょうか。俗物ばかりで考えさせられますが、誠意を尽くして事に対処しています。

BOX12の唄、会津磐梯山風 「タダノリ山」と BOX13の唄、「家が出来たよお母さん」を作り皆にサービスしています。やはり良い建築を作りたいと唄を聞き人が喜ぶほどに思います。

 篠原さんのビテオをみて居たら100年記念館を見たくなり、帰りに立ち寄って来ました。谷川俊太郎の山荘は若いとき大きな感動をしたことを思い出しましたし、彼のような人(建築家)がそばに居たら他はどうでもいいのではないでしょうか。私の父より年上の彼に考えさせられたこと大です。

 晴れ間を縫ってBOX13の外観を撮り編集長さんに見てもいましたがどうでしょうか、千万家と対でとお願いしてきました。写真は撮っておきたいのでナカガワさんに連絡しました。 学歴もなにもないので、私が地の日本における建築の環境を明かに出来るのではないでしょうか。建築の質には余り関係は無いのですが。文学的な感心事項です。明日は新潟へ見学に行く予定です。連絡まで


夏休み ゴミ捨て草や あおあおし  佐藤敏宏


● 1999年7月20日 8:21

佐藤敏宏様
イツタ氏の話はいつものような作品紹介を中心としたもので、信州勢との交流が目的ですから、わざわざ来て頂くことはありません。多分第三回は佐藤さんになると思います。彼ら(中心は3名)気分の良い人達ですが、彼らの話によると、他の連中は例によって田舎建築家に甘んじている連中で、そのくせ保身だけは都会と同じようにやっているらしい、いづこも同じだなという印象があります。

ニッタ事務所にはアルバイトで取ってもらった女性が居るので、夏の旅行も兼ねて以降という意味もあります。 ほとんど無給で働いていますが、去年の成安大學の環境デザイン科のNO2のこなので、彼には役立っているはずです。

篠原さんの初期の作品は高く評価すべきですが、80年代以降は金属コンポジションという強気の「理論」災いして、あまり触発されない存在になりました。人間的にも独特の権威主義が鼻について好感がもてません。建築至上主義というかあの程度の空間づくり
(といってもそれが大変困難なのは事実ですが)で大御所として君臨しようというのは少し虫が良すぎるように思います。

前期の試験で学生にレポートを書かせたのですが、中に面白い文が散見されます。注目していなかった学生から意外にしっかりした反応が返ってくるのは楽しいことです。簡単な言い回しですが、そろそろ独自の感受性や眼が育ち始めてりるのが解ります。とこにか書いてあったことを要約する子も多いので見分けるのは少し技術がいりますが、思ったより自分の意見を書いていのが良い傾向です。

ただ80点前後の学生は少し突っ込んで考え熱意を持って取り組むと簡単に90点前後にアップするのに、それをしないで、準Aを自認しえいるようなところがあるのは残念です。私達とは違って地味な存在として生きていこうとする若者が結構居るようです。この時代にはタップリ自己主張し、ストレス貯め込んで、荷物を背負ってヨタヨタするのが正解だと思うのですが・・・。

松村氏の情報、お手数かけました。彼の仕事から何かを発見してくれると有りがたいですが・・・・。ではまた 大島哲蔵


99年7月29日 16:38

謹呈 佐藤敏宏様
いつもお世話になります。with:Dominique Perraultが着荷しましあので、日頃のこ交誼に感謝し一冊送らせて頂きます。彼からの印象はKBの書評にも書いたとおりなので繰り返しませんが、見た目のこだわりのなさとは違ってかなり危ない線を渡っているところが面白いように感じています。個人的な感性を抑制してスッキリしあげてあるので、大きな抵抗感がうまれませんが、体制と反体制のボーダーライン上でアクロバットをしていることは確かなように思います。ヌーベルの次の世代として、そうならざるを得ないのかもしれません。フランスの建築界はなかなか面白いキャラクターを育てくれるものです。暑さに向かう折、くれぐれも健康にはご留意いください。
  「西宮苦楽園プロジェクトでの7人の侍」ゲラ3枚 添付

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