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     1999年 大島哲蔵さんと佐藤敏宏の私信交換      home 

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 1999年8月2日 22:34 

大島哲蔵さま
 先日ペローの作品集を送って頂き感謝いたします。建築文化の書評は読んでおりませんが、若いときから大きなプロゼェクトをこなし建築が大きいので関心いたしました。樹木と建築の混成形態は環境伯母さんの様で余り関心しません。建築を樹木の大地にしようとしているのでしょうか、フランスでは環境に優しいなんて事で、そんな風になるのでしょうかね。
 デュシャン本の翻訳家の
キタヤマさんが今年もフランスへ行っているので来月帰国したら聞いてみます。そのいらだちが例のベンチの表現になるのでしょうか。椅子も又構造部とシート部の分離になるのでしょうか。とにかく大きな建築と、大きな経営の事務所のようで、多いにガンバつてアンビバレントな世界を構成しているのではないでしょうか。
 
 福島は昨年とは違い、盆地特有の夏が今盛りです。今日いつもの桃農家へ行って桃の発送を頼んできましたので、週末か来週始めにはそちらへ届くと思いますので、食べて下さい。今年は少し小振りです、春先の水不足がたたっているのでしょうか。

BOX13の写真を送ります。雑誌で住宅特集をするのでと連絡がありました。編集長が写真を預かってくれたので、断るかBOX12にしてもらうか思案中です。
 今月は中也賞を祝う会の準備があるので、詩人達との交流が楽しみです。
佐藤敏宏


● 1999年8月11日 9:06

佐藤敏宏様
桃をいくつか食してみましたが、毎年微妙に味が変化していて気候が植物に転写されることが良く理解できます。戦後に生まれた動物としての私達もその時代の捉えた問題やエートスに刻印されながら脳に、脳自身が否定的に反応した場合は相当複雑な事態が招来されるに違いありません。シンドイ話しでもありますが、恐らく創造性とはそうした時代や空間の枠組みを乗り越えようとする、否定的な力そのものを指すのでしょう。この感染症と一生付き合う光栄に感謝すべきなのでしょうか。

新作はローコストのようですが、新しい素材の使い方やこれまでの手法と違う感じもおりこまれていて興味深いです。 普通の人には理解を超えたオブジェクトとなってしまうのもわかるような気がします。いつか道路拡幅で切断された時の頼りない佇まいも予想され想像が刺激されますが、その時は立ち退きでお金で周辺に増築したらどうでしょう。いろいろ手はあるように思いますが。

日本はこれまでに50年に一度ぐらい劇的に変化してきました。客観的に現在がその節目に当たる時期ですが、自分では変われないという深刻な問題も控えているようです。このままではただたんに老人中心の社会になることで外面的な「変化」と言うか性格が決定するというだけで、将来の希望が全く無いという情けな無さに閉じこめられそうです。仕方ないから私達老人予備軍が決起して改変の火ぶたを切らなければならないわけです。主流はの人達はこぞって無視することでしょうが、まけて居られません。

その手始めに佐藤さんの本でも準備しようと思いますがいかがでしょうか。本人が全面協力するのは当然として編集は外の人が(squatter)がした方が良いので5年後位を目指していかがでしょうか。金は100万弱まではすぐ集まると思います。出版後に本と出資しに応じた清算金がbackされわけです。5万円出した人は本一冊と2万5千円が戻ってくる)また相談しましょう。


1999年8月15日  3:54

大島哲蔵様
 fax感謝いたします。エトスに反する行為が何に因するか。形成された中枢が体験する抹消によって改変をせまられる事は、本質的に良いことだと思います。感染症と考えるとなにやら、不快な感情を伴いがちなので、エトスに向かい抹消が反乱を企てるのは身体を保持するための良いパトスの反応と思いましょう。それ以上思い悩んでも理解できることは世界と言われるものと比較して、余りにも狭いはずですから、大らかに生活しましょう。理解不能な将来の変化を人と言われる生物はきっと生き抜くと感じます。日本(私の生活周辺)には大人が少ないのは確かですがね。

 新作はローコストなのでしょうか、RC部、坪100万。木造部、坪60万です。プランニング、は計画道路の存在で、田の字形とその土地の印象の形の組合わせにすることが出来ませんでした。諸条件によって残る敷地の残地形であるL形。そのL形を上昇させつつ縮小させて、各階の平面を作りました。立面やそれぞれの部位もなるべくL形にしています。それを束ねる事、又はモノは「何か」を探索した建物でした。文章の中の会話に「・・・」とL形のような形を用いるように、その表象に意味を求めたりしませんでした。

 無理に言えば今までに作ったそれぞれの語(BOX1〜12まで)を連続させ新たな話言葉を発するための準備ではないでしょうか。千万家へと続く会話の中身を探していたのでした。ゴネ口や駄々口を聞いて思いついた事は、パトスハウスに対するエトスからの異議申し立てでしょう。とりあえずパトスに従いパトスを抑圧する源を探求するために千万家を作ります。

 本の準備の話感謝いたします。私も本を出すつもりでいます。BOX13の写真を撮るのもそのためです。自費出版しか考えたことがありませんでした。今まで建築の本ではありませんが2冊本を世に送り出しています。3冊目は白河の例のモノだったのですが、地元の反対で断念しました。原稿は出来上がっていました、残念でした。

 自分の本は
サイトウさんに任せるつもりでした。彼はたくさん本の編集をしてますし、建築関係者じゃないので、と言っても今ではそうも言えないかの知れませんが。楽しい本にしたいとおもっています。昨年来の暇を生かし、徐々に整理していますが、おっしゃるように5年ぐらい先をメドには良いかも知れませんね。お金はやはり自分で工面します。 多くの理解者を得ることがはたして良いことなのか、淋しいことは悪なのか、いずれにしても他者を理解するのは私には大変なことですから。

 淋しいことが普通の状態で良いと思います。時々友が遠方より来たり、訪ねたりすれば後は煩わしい限りです。現在の設計業界では生き残れないでしょうが、もうそう言う事には興味が湧かなくなりました。文章などを少しずつ書きためておきます、いろいろアドバイスお願いいたします。 佐藤敏宏


1999年 8月23日 0:43

佐藤敏宏様
盆も終わりましたが、最近都会では舞い戻ってきた人が寄り合って「年の後半も元気で」という意味でしょうか、飲み会を多く開くので、呼び出されることが多くて困ります。大体は1時間半で切り上げれば気にならないのに、3時間以上やっているものだから、ほとんど時間の浪費です。

昔父親が東北地方だ九州だと言って一週間ほどかけ各都市を回るのを大儀がっていたことを思い出します。各地方の支社を毎日のように回って激励していたようですが、結局晩が飲み会となって不満や悩みを聞いてやるのが幹部の務めだったようです。みなと写った写真が山ほどあるので、これは大変だったろうと思います。よくやったものだし大変なエネルギーです。 これだけでもとてもかなわないと思います。

本を作るのはサイトウさんが一番良い人選です。近所に居る編集能力をもったユニークな人物となると、もう決定的です。以前に紹介したヨシダヤスオさんの本は変わっていましたが妙なナルシズムが漂っているので、彼の世界がうまく伝わって来ません。これまでと違う編集で一人の作家の世界が表現できれば言うことはないですね。

最近の大阪は商売が良くないので、車の往来も閑散として良い傾向だと思います。物価や家賃が2/3ぐらいになったら、本当に良い状態だと言えるのに残念です。建物もあまり建たない状態ですが、沢山やってもロクなものにはなれないとすれば今の方が良いのではないでしょうか。建築家は仕事がなくって大変ですがこれに関しては粗製濫造しためんもあって、一体どこえ文句をつけるべきなのでしょうか。

今日は自邸の最終確認がありました。意見らしい意見を出さないでいると施主として無責任と言われるので、少し本音にちかいことお喋ると、またそれに「誠実に答えて」なんとか施主の希望に沿おうとしてプランを変えたりするのでこちらが大変です。いかなる空間であれ、もうここらでFixして欲しいというのが最大の希望なのですが・・・・。
 大島哲蔵

1999年8月26日  2:47

大島哲蔵さま
 盆も終わり飲み会の誘いが多いとのこと、体調に注意してお付き合い下さい、人に煩わされるのは良きことのように思います。紳士の世界は孤独で寂しいと思うからです。多いに若者に檄を飛ばしてやって下さい。 本の話もいろいろ心配していただき感謝いたします。もう自分のために一冊作っても良いようです。

 建築関係の粗製濫造と不況は当たり前の事なので、人は建築にあまり煩わされては、かなわないのですから、興味を示さないのでやはりろくな建築はできないようです。そんなことより楽しい生活が大切です。建築家はwatanabeさんの「渡り職人考」のように、こんな時は他の事をして生活すべきなのだと思います。本を作ったり、詩の朗読会のような建築を使った、「建築あそび」がよいと思います。朗読会は大変盛り上がりました。「新都白河を語る」からこの方「建築遊び」の手法がだんだん確立してきたようです。

 今日
ミヤジマさんから連絡があり、9月末の大阪での講演を頼まれました。喜んで引き受けました。建築遊びや今考えてることを整理して話したいと思います。その時お会いしていろいろ話しましょう。

 大島さんの家のことについてアドバイスしておきました。大島さんのことは無視して、好きにやれ、とです。お母さんはもし失敗作を与えら れても、既存の木造に逃げ場があるから安心して
ミヤジマさんのやりたいようにすべきだ、と言っておきました。

知識があることと、自分がやりたいことがあることは全く違うことなのですが、若い人は知識を沢山手に入れればやりたいことが自然発生的に生まれものと思い違いをしている人が多いようです。その事に早く気付いた人だけが建築家としての素養を身につけることができるのでしょう。そしてその先に建築家が生まれるわけですから大変です。建築家を育てるのは困難がつきまといます。

 詩の朗読会について再びですが、食材を持ち寄りそれを自分たちで調理して食べたのです。食材を言葉に見立て、加工してできた弁当が詩そのものであると思いました。朗読は会計事務所の2階で行い、観客を1階の狭い部屋に押し込んで座布団に座り、見上げて口を開きながら聞きました。

夜中の2時まで大変 話に花が咲いて、観客が解散しないので、翌日片づけるはめになりまして、私にとっては3日間の「建築遊び」でした。所沢の詩人片岡直子さんが家族で参加しましたが相変わらずで、彼女の出現は男性を男らしさの呪縛から解放すると思います。良い詩を書いていました。

今は小さなアトリエの増築の模型をこしらえているところです。今週はBOX13の写真撮影です。また連絡します。佐藤敏宏


 1999年9月の私信交換