1995年 1996年 1997年  1998年   1999年 
     1999年 大島哲蔵さんと佐藤敏宏の私信交換      home 

     4月      10 11月 12 
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 
16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 30 

●99年5月2日 8:45

佐藤敏宏様                from大島哲蔵
昨日はどうも。老婆心ながら下記について助言したいと思います。(結構大事なことです)

A、コンペの案は(とくにオープン)入選する余力を残したほうが良い。大家になったとき、また若いうちは自分の案を徹底させることが重要ですが、それ以外は、審査員と自分との化かし合いですから(オーディション)自案の長所を生かし、短所(相手にとって)カヴァーするのが定道。 とくに自分の手法を明らかにするのは意味がない。

そういうのは講演会のときにやればいいことであって、技術の種明かしはする必要がありません。 従った漢字のコンセプトはいらない。これにこだわるとワタナベさんと同じことになります。同じ病気でも悪い病気。水戸黄門の印籠を宿屋の女中に見せて自慢するようなものです。

表現の詰め込み過ぎは禁物。 内容が良くても欲張ったものははしたない感じを受け、大きなマイナスになる。これも能力ある人が陥る欠点。例えばスポーツ選手やピアニストがさわり(見せ場)を連続させたら観客は満足するでしょうか? 全体のバランスのなかで、ネタフリや起承転結があることによって、その人の持ち前の8割程度がでているものがベストです。 全面展開した作品は余裕がなく鬱陶しいだけです。ナルシズムは自分がそう思っていればよいことで、他人は自分が思っているほど自分に対して思い入れはないのですから注意が必要。 自身の全体像を全面に押し出すのは、後程でよいわけでいつでもできるわけです。内観パースは必要。プランは見えやすい大きさで あまり小さくないほうが良い。

以上よくある有名実力作家になってはいけません。(佐藤氏には似合わない)あとで自作として活用するのは別のバージョンを作ればそれで済むことです。セーラムーン城のようにアンビルドを前提にしたプロジェクトや展示会ようにプロジェクトとコンペ出品作を同一レベルにする意味はありません。 入選の一角にひっかかって役所に存在を認知させる。


●99年5月22日 23:18

佐藤敏宏様
もし居られれば10分後にTELします。

本日 コンペ案落手しました。建築とは当初案のほうが突出してますが、ありきたりの作家主義、プロジェクト主義に背を向けて、案を歪曲された決断に敬意をはらいます。いずれ将来、作品集を出される時は当初を中心に発表されるのが良いと存じます

カモフラージュは全体として成功していて、入賞を狙うことが出来ると思いますが、随分大胆にトランスフォーメーションしておられると思いました。

模型も面白いし、全体の主張(コンセプト)もかなり説得力のあるものだと感じました。欲をいうと、本当によい突出した提案はいくらデフォルメしても、当初の建築としての迫力と体質と本質を維持しているものだと考えますが、もし住宅ならそうなったと思いますが、多くの人間やアクティビティーがからんでくる場合は、まだ本当に佐藤さんらしい設計(空間)に押し上げる練り込みが不足しているように思いました。つまり佐藤さんのパブリックビルディングの方法論はまだこれから完成していくのだろうし、それだけ独自の体質をもっている作家だと考えています。(当初案はその片鱗が出ていたとおもいます。)

審査員にとってはこの案は難関だと思われます。無視するわけにはいかないし、全力で押すには従来の施設には無い主張を貫いているからです。入るかどうかは別に、この案は中庭や屋上の活用、明確なテリトリー・・入り口の所が多様に使えるなど、可能性のある提案がいくつも含まれており、当然実施設計でそれらがさらに発展され、是正されるとすれば、大変期待できるあんだと思います。もしその中でコメントするだけですが、参加要請があれば私も積極的に関わりたいと思います。大変おつかれ様でした。良い結果を祈ってます。草々 大島哲蔵


● 1999年5月25日 12:49 

桜が日本列島を駆け上り始めたころに始めたコンペをようやく提出し、大島さんに見ていただいて一段落。何とかごまかしながら一段落出来ました。

 公共建築の困難は計画者(呼びかけ人)の不在と、提示された計画の正当性をだれも疑わず取り掛かることでしょうか。言い方を変えれば他者を自己に変えることが出来ない、またそう思わづ何かありがたいこを、やつてくれる、やつていると、信じている。身体のない神を信ずる、身体を持たぬが故に何でも聞き入れることが出きる。公共空間には「役に立つ神」が祭られるのですね。

 長い間公共建築に参加する気になれなかったのですが「新都白河」以来 機会が多く訪れるようになりました。役に立つ神様が「考えなさい」といつているような気がしまして。今回のコンペは大変楽しかったです。入賞を目指して取り組みましたが、結果はどうでしょうか。コンペを開催することは日本の政治風土ではただならぬことですから、大きな政治的風圧が存在していることでしょう。良い結果は私を幸せにしてくれますが、残念な時でも公共建築の諸問題と良い建築とは何かを考えさせる場を与えてもらいましたから、感謝です。

 設計者選択の良い方法を社会が手に入れるためには私が多少の無駄をしても仕方がないことだと思います。大げさかな。その新しい芽を建築家が自ら摘む愚かを犯さないよう注意を払うつもりですし、これからも大島さんの協力を得て多いに挑戦していきたいと思いますので、よろしく願います。
 
 提出作品はほとんど最初の写真の内容と同じなのですが、飾りつけやレイアウトで大島さんさへ だませたのかと感心し新しい可能性に気づいた次第です。飾り付けや写真の撮りかたでずいぶん他者に与える印象が変わるものですね。

 それから今回のコンペで気が付いたのは、介護保健制度を策定した人が、「老後の生を自分の生とは思っていないのでは」と言うことです。人間らしさとは楽しい気持ちいいことを追求する事でして。役に立や何かを作り出す等は本来どうでもいいことであるはずです。芸術家のようにどんなことにも満足できない人種を除いてはです。

大多数は毎日を平凡(楽しく気楽に記憶にも残さない)に暮らせればいいわけです。生きているその瞬間が楽しければ良いのです。私は学校特に女子校と介護施設は合体すべきだと思いましたので一部学校風のなでしょうね。介護交際とゆうやつです。

 気持ちいいことを続け、自分の人生は大いなる暇つぶしなのですから、目的主義的なコンペの呼びかけ文にはならないはずです。無目的な人の生を目的主義に変えるのが制度の罠ですね。その罠をいかに変質させ楽しむかに公共建築の面白さはあるように思いました。

審査会場でも何か良いことをしようとか発見しようとか、皆が目的主義の餌食になることでしょうね。多いに楽しませてもらいます。

 いろいろアドバイスをしていただき有り難うございました。感謝いたします。庭の山法師が美しくなりはじめました

山法師 頭をまるめ 介護交際           佐藤敏宏



99年5月28日 22:31

佐藤敏宏様
faxありがとうございました。いろいろありましたが、満足出来る案に仕上げられた力量に敬服いたしております。これまでとは違うやり方や建築に足を踏み出すチャンスのように思うからですが。これまでとおりのうま味をしゃぶり続けたい人たちも多いですから、果たして結果はどうでしょうか。

一等案が従来通りのそつのないものに決まってもその補償作用として「本当はこちらの方が好きだし良いのだが・・・」と次席か最悪佳作に入るだけの視角のあるものだと思います。老人でも若い人でも今までの役所建築には満足していませんが、意外に大病院の一見「豪華な」カラフルな空間に順応しているようにも見えます。それとも空間よりも美人看護婦の動静とひいきチームの活躍(テレビでの)なのでしょうか。

介護交際は亡くなった藤田さんもきっと望んでいたことでしょう。老人は老人同士で話をする機会と、若い人の中にまじって回春するようにしなければ生きる力がなくなってしまうに違いありません。アートもよいですが、時にはピンク映画(昔の日活)なども放映するぐらいサービスしなければ誰も来ないぐらいの厳しさにならないと、公共施設の魅力の向上はないのでしょう。審査を見に行きたいところですが我慢するほかありません。審査員泣かせの厄介な案になることを期待しています。

経営や学校や原稿書きで、ここのところ忙殺されています。 学校は一回行って1万円になりませんし、原稿料は一枚(400字)1500〜3000円ですから、調べるだけで大変です。 徳川家康の心境(重き荷物を背負いて茨の道を行く)です。大島


● 1999年5月30日 16:00
大島哲蔵さま

   介護交際 のうた      作詞   田腑雪渓

わたしゃ体が不自由(ふじゅう)よ
恋いもしたいし歌も唄いたい
わたしゃあなたの世話になり
人の優しさの中に生きている
体の一部が動かないけど
昔恋したことも愛されたことも
忘れてはいない
今あなたのふれあいの中に活き
恋いもしたいし唄も歌いたい


わたしゃ体が不自由よ
大きな声で泣き涙も流したい
わたしゃあなたの世話になり
人の温かさのなかに生きている
言葉の一部を忘れたけれど
昔恋した言葉も求められたことも
忘れてはいない
今あなたのふれあいの中に活き
恋の言葉を思いだし書き残したい


わたしゃからだが不自由よ
楽しい会話で人になりたい
わたしゃあなたの世話になり
人の長い時間を生きている
人の一部を失ったけれど
恋のことばも歌ったことも
忘れてはいない
今あなたとふれあいの中に活き
ことばの海を思いだし泳ぎたい


FAX有り難うございました2・3日うろうろ車を走らせうろつきました。会津の町役場を見たり、又方々にある介護センターにふれすっかりコンペの選外を確信してしまいました。田んぼの中にある役場やセンターにできている最新の建築をみて少しも心が晴れません。モダンミニマムと足袋姿の農婦の組み合わせはキリコの絵のようです。もう少し都市化された世界でないとモダンは生き粋(キリコの絵は完成しない)としないのです。アルトのような有機的な要素がいるように思いマス。

役所建築のような目的主義の世界では私の脱目的主義的世界が理解されることはないでしょう。やはり小さな世界で生きて行くのが良いことっだと言えます。唄でも歌いながら楽しく時間を潰すのが人生の極意と思い早速上記の詩を書いてみました。

介護交際のうたは老人が言葉、恋する心を失うはずはないだろうと思い書きました。
恋おおき老人、嫌らしい老人、ロマンチックな老人、野心的な老人などと、やはり若者といくらも違いのない世界がそこには存在しているでしょう。

明日から町の文化センターで展覧会があります。妻やファンクラブの面々とで露天風呂(白河の大黒屋)に行くついでに見に行きます。見学会だけではつまらないので、風呂に行って俳句が作れたら良いです。
サイトウさんは公開審査には行くけれどと言うことです。

昨日コンペの知らせがありました。今度は3000坪の高校が2校プロポーザル競技で県内の建築事務所が対象です。一件はbox13の裏にある女子校です。片方は相馬高校で相馬の城の脇にある高校です、環境と緑が豊かでなかなかナイスな学校です。どちらも改築工事で、校舎と体育館を使用しながら全て建て替える仕事です。

課題は  1将来の学校のあるべき姿の計画理念を提案
      2環境を考慮したエコスクール及び
       維持管理コストの低減に対応した施設整備のあり方
      3景観形成と建築のあり方
     4教育内容の変化に対応できる施設整備のありかた

歴史を加味することも必要とおもいます。プロポーザルにどのように取り組んだら良いのやら、またどん提案が選ばれているのか見当がつきません。建築センターに資料を注文したところです。いろいろ又アドバイス下さい。

原稿書きや学校で忙しくお金にならない大変な時期にまたお願いです。


    佐藤敏宏

●1999年5月30日 20:53
 
佐藤敏宏様 介護交際の歌は誰かが作曲して世に出すべき、次世紀の初頭のテーマソングのような内容です。肉体とともに精神も老いて行く人と、後者はいつまでも若いときのままという変人が居て、どうも私たちは典型的なそれのようです。(どちらが良いかは分かりませんが)

昨日は送ったような会があり、多くの若い人(女性が多い)に囲まれて、英雄のような1日でした。心配していたよりうまく行ったので、久しぶりに気分もハイで悪酔いもしませんでした。人間なんて勝手なものです。 遠くから教え子もかけつけてくれ、立ち見も出ていますが、いずれ佐藤さんも呼ぶことになっているそうです。春秋塾と違ってジェネレーションが若くて、可愛い女の子が多いのが楽しいですよ。

役所建築はたしかに佐藤さんに向いていませんが、これからはどうでしょうか。むしりぴったりくるように思います。流れが変わればドット注文が舞い込むことも考えられるように思うのですが。アベ君のように、特に動機があると簡単にクリアできる面もあるので、とにかく一つやることが大切のように思います。

したがってコンペは頑張ってやりきっておけばそのうち解決出来るのではないでしょうか。日本は堰を切ったように何かが始まるところです。

 建築とは比較になりませんが、しゅつ筆の注文は結構多くなりました。(安いのでボランティアみたいなものですが)また少し名前が出ると、以前に受けなかったところも、簡単に笑いがとれるようになります。一般人の感性は私たちと違って、予め彼らが作ったイメージを確認できる場面になると容易に反応します。有名人の人には予め好感を持っていますから、その心をくすぐってやればそれでOKです。

小さい住宅も大事ですが、大物を狙わないと最後まで白鯨のエイハブ船長のように続行しましょう。介護交際と大物ねらいで老後はハッピーといきたいところです。学校建築は以前の方法も想起して思い切った提案がよいですね。プログラムも適当に満足させねばならないのですが、大変ですが・・・・また少し寄せてもらえば幸いです。落選案集ができるまでやりましょう。大島哲蔵




 1999年 6月へ