TopNovelしりとりくえすと>羽曜日に逢おう ・1


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01.制服


 ――人生ってさ、何だか上手くいかないことばっかり。

 努力したからって報われるとも限らないし、成功して喜びに満ちあふれている人の影でその何倍もの人々が泣いてるのよ。ああーっ、もう嫌だ。嫌だ、嫌だっ!

 

 心の中でそんな風にブツブツ繰り返しながら、ふと見上げた空。

 今朝方までの雨に洗い流されたような真っ青な色、ぽこぽこと浮かぶ丸い雲。さらに心地いい南風が頬をくすぐって、私を無理矢理に気分転換させようとしてるみたい。
  卒業式から3日、春めいた私服も軽くてふわふわしてる。だけど、その手になんて乗りませんからね。そう思いながら重い足下を見たら、よりによってお父さんの健康サンダルを履いていた。商店街の一角、すぐそばのウインドに自分の姿を映してみたら、すっごいちぐはぐでさらに落ち込んでしまう。

「は〜っ、もうサイテー……」

 だから、外出するなんて嫌だったのよ。今はまだ誰にも会いたくない気持ちだし、気の済むまで自分の部屋に引きこもっていたい感じ。灰色の受験期間、読みたい本もみたいドラマも聴きたい音楽も全部我慢してきた。ようやくそれも解禁なんだもの、思いっきり自堕落になったっていいと思うんだ。
  在校生よりも一足早く春休みになった訳でしょ、だからここぞとばかりに飛び回って遊んでる友達もいる。今日だって本当はディズニーランドに誘われたんだよ、仲良しのグループで都合の付く子だけ行こうって。でも断った、だってとてもそんな浮かれた気分にはなれないんだもん。付き合うんだったらみんなに合わせなくちゃって、いちいち頭で考えるのも面倒。

 ……なのにさ。

 のろのろと亀の歩みで歩き続けて、辿り着いたのは小さな洋服屋の前。
  え? おしゃれに「ブティック」とか言いなさいって? ……いやいやいや、それは無理。ここはどう見ても「洋服屋」なのね。見てご覧なさい、馬鹿でっかい看板に書かれた『まるや洋品店』という文字。「営業中」と言う張り紙が貼られている入り口はイマドキ引き戸! 普通さ、こういうのって自動ドアだよね。じゃなかったら、せめて押したら開く奴とか。

 がらがらと音を立てて中に入る自分を想像しただけで気が滅入っちゃう。何か不思議だよね、いつもはそこにあることも忘れそうな昔ながらの店先が、このシーズンだけ賑わいを見せるんだもの。

 

 ――と。

「……何だよ、入るか入らないかはっきりしろ。邪魔なんだけどな、実際」

 いきなり何の前触れもなくそんな声がしたかと思ったら、背後から腕がぬーっと伸びてくる。頬のすぐそばをかすめたスウェット素材の袖、ライトブルーの先っぽから出た手が引き戸に届いた。

「……うわっ、狩野っ……!」

 ほとんど背中密着状態だったから、身体を斜めにしながら向き直る。声だけで判別できるくらい分かりやすいこの相手は、幼稚園からの腐れ縁でさらに3日前までのクラスメイト。ついでに3学期の間はずっと席も隣だった。

 いつの間にか頭ひとつ分も私を追い越していた身長、目の前に立たれると壁が立ちはだかってるみたいに威圧感がある。狩野廉(かのう・れん)、今現在は特に会いたくない人物のひとりだ。

「何だ、お前も制服の引き取りに来たのか。久しぶりに早起きしたと思ったら、変な奴に会っちまったな」

 ――それは、こっちのセリフだっていうのっ!

  切り返す間もなく、奴は私を押しのけて引き戸を開けて店内に入っていく。おいおい、順番を守りなさいって。だいたいさー、気の利いた男だったら自分が先に着いててもレディーに道を譲るってもんじゃないの?

「ごめんくださーいっ、誰かいますか〜っ!」

 私の頭上で響き渡るバリトン・ボイス。

 ウナギの寝床とは良く言ったもの。言葉通りに細くて長い店内は、さらに両脇に森の如く積み重ねられた段ボール箱のせいで人一人が歩くのがやっとの感じ。前を行く狩野は肩幅もだいぶあるから、少し斜に構えて進んでいく。気分は密林探検隊のようだ。
  その昔。お父さんもここで中学と高校の制服を作ったんだって、それくらいの老舗。でも私、実は店の中にはいるのは今日が初めてなの。採寸の時には合格発表当日に女性店員さんが家まで押しかけてきたのよね、どこでどう調べたのかとびっくりしちゃった。

「おー、誰かと思ったら正志んとこの次男坊か。しばらく見ないうちにおおきくなったなーっ! ちょっと待ってろ、今出してきてやるから」

 ようやく店の奥まで辿り着くと、作業台の前に座って書き物をしていたおじいさんが顔を上げる。そして眼鏡を少し斜めにすると狩野を見てそう言った。どうも顔なじみのようだ。まあそうかもね、奴の家って向町で酒屋やってるんだもの。そう言うつながりかな?

「お前さんも親孝行だなあ、正志えらい喜んでたぞ。まあ、無理もないか。この辺で一高に行くって言ったら昔から相当のエリートだって決まってる、ご隠居たちも近所では鼻高々だろうよ」

 おじいさんは席を立つと、そのまま奥の倉庫に入って行こうとした。

「――あ。親父さん、ちょっと待って。もひとり来てるんだ、水鳥川陽菜(みどりかわ・ひな)。コイツのも持ってきてやってよ」

 いきなり狩野がそんなこと言うから、ちょっとびっくりした。てっきり自分の用事だけ済ませて戻っちゃうと思ったのに。何か、意外。

「水鳥川……ええと、下の名前はなんて言ったかな。それじゃそっちのお嬢ちゃんも一高かい? でも、そんな名前あったかな……」

 ぱらぱらと、帳面をめくる音がする。何しろ前には狩野がいるから、視界が遮られてよく見えない。だけど、会話自体は聞き取れるから早く訂正しなくちゃと思った。だけど、それより先に立ちはだかる男が口を開く。

「ううん、こっちは『森が丘学園』。いるだろ、ほら右のページの上から三番目」

 よくよく考えたら、すごく久しぶりに見る私服姿。制服よりもさらに広く見える背中を、私はぼんやりと眺めていた。

 

◆◆◆


「良かったのかよ、試着しなくて」

 店名の入った大きな紙袋をおそろいで手にして、何となく並んで歩いていた。

 小学校が一緒と言うことは、家もそんなに離れていないってこと。そうなると、戻り道も一緒になる。
  狩野の家の方が奥にあるからてっきり自転車で来たのかと思ってた、ぶらぶら歩いてきたって言うから驚いたよ。中学への登校時、毎朝徒歩通学の私をコイツはシャーッとすごいスピードで追い越していった。何か未だにそんなイメージなんだよね。

「いいよ、別に。着てみてあんまり変だったら、お母さんに直してもらうもの。丈詰めくらいだったら出来るって」

 隣でゆらゆら揺れてる、狩野の紙袋。あの中には真新しい制服が入ってる。一高って学ランなんだよね、レトロだけど格好いいな。中学は男女ともにブレザーだったから、だいぶイメージが変わりそうだ。

「ふうん、そりゃ便利でいいな」

 そう言いつつ、どこかつまらなそうな顔してる。いや、そう感じるのは私だけかな。いくら古なじみとは言っても、今年に入って席が隣同士になるまでは長いこと疎遠になってたんだよね。中学時代、狩野はずっと部活部活で朝から晩までボールを蹴ってる毎日だったし、私の方は放送部。同じ学校にいても、廊下ですれ違うことも稀だった。
  だから、知らなかったんだよな。狩野がそんなに成績良かったなんて。小学校の頃はそんなに差がないと思ってたのに、中2で久しぶりに同じクラスになった当初はかなり焦った。

「……知ってたんだ、私が滑り止めどこ受けたか」

 出来るだけ抑揚のない声で、さりげなく切り出す。地域によって差はあるんだろうけど、この辺では何となく「公立が本命で私立は滑り止め」という感じになってた。森が丘は一番上位は一高と大して変わらない偏差値だけど、とにかくピンキリって聞いてる。まあ、私立なんて難関校以外はどこもそんなものかも知れないけど。
  まあね、ウチの親は初めから私立単願でもいいって言ってたくらいだから、気は楽なんだけど。それでも「もしかして」と最後の望みを持っていただけに今は廃人状態よ。狩野と一緒に受けて奴は受かった「選抜入試」で一度落ちて、「一般入試」でも落ちて。二度も打ちのめされた悔しさは、いたいけな十五の乙女にはきつすぎるわ。

「うーん、まあな。ま、そんなに落ち込むなよ。あんなに頑張ってたんだから、そりゃ口惜しいだろうけどさ」

 狩野の方も素っ気ない口振り。でも、正直どんな風に言われたところで私の胸の傷が癒える訳じゃないから同じことよね。本当、あと一息の伸びが足りなかったんだと思う。だけど、私にとってはもうやるだけやり尽くしたって感じ。それでも……努力が報われないって辛いね。

「うん、……だね」

 でも、やっぱり行きたかったよ、一高。箸にも棒にもかからないってレベルなら簡単に諦められたんだけど、模試でもA判定とB判定を行ったり来たりだったし。

 それにさ、……本当はどうしても行きたかった理由があるんだ。これ、まだ誰も知らないんだけど。

「狩野にも世話になったよね、数学とかたくさん教えてもらったし。……結果は出なかったけど、ちゃんとお礼言わなくちゃとは思ってたんだ。もう、この先はなかなか会えなくなっちゃうし」

 ……ああ、駄目。何気ない振りを装いたかったのに、やっぱり鼻の奥がつんと痛くなってくる。言葉にして現実を突きつけられると、かなり辛い。正直、狩野と違う学校に通う自分がまだ想像つかないんだ。今まではいくら顔を合わせなくても同じ空間に存在してると実感できたけど、もうそれがなくなるんだものね。

 ――行きたかった、狩野と同じ高校。そしたら、もしかしてって期待も出来たのにな。

「え、そんなことないだろ? ……お前、何言ってんだよ」

 急に立ち止まって大声出すからびっくりした。5歩くらい歩いちゃってから振り向くと、狩野はとても不思議そうな顔をしてる。

「何で会えなくなるんだよ、別に遠くに引っ越すわけでもないだろ? 学校が違ったって、足のばせばすぐだし。そのうち、気が向いたら顔見に行くよ」

 そこまでが信じられないくらいの真面目な顔。……で、その先はふっといつものやんちゃな笑顔に戻って。

「森が丘の制服、可愛いしさ。あれ、かなり期待できるんだけど。絶対にチェックしに行こうと思ってたんだよな、お前のお陰でいい口実が出来たって感じ」

「……何、それ」

 しっかり5秒くらい固まったあとで、どーっと脱力。ああ、期待して損した。いや、期待なんてそもそもするだけ無駄だって思わなくちゃならないんだろうけど。でもね、それでもね、もしかしたらって気になっちゃうんだよ。

 ぷんと拗ねてそっぽ向いてみても、おじさんサンダルじゃイマイチかな?

 今までずっと校則で肩についたらふたつしばりにしなくちゃならなかった髪の毛、面倒でも三年間毎朝あとがつかないようにゆるめにまとめてた。
  この休みのうちにシャギーを入れて、ほんのちょっとだけ明るい色にするんだ。うん、絶対に分からないくらいにほんのりと。狩野が知らないうちに、別人みたく綺麗になっちゃうもんね。そうよ、きっとよ。

「これぞと思う女がいたら、速攻俺に紹介するんだぞ。他の奴に横取りされる前にな?」

 そう言った狩野の頬がちょっとだけ色づいて見えたのは、やっぱり春の魔法なのかも知れないね。

 

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