◆ 11.言い訳
その理由も思いつかないまま、途中下車した見慣れない街並みを辿っていた。 「制服の着方を見れば、その生徒の心の傾きもすぐさま分かります」――生徒たちの間でひそかに「ロッテンマイヤー先生」と呼ばれている生徒指導のコチコチ先生が「作法」の 授業中にそう仰ったっけ。 五月も下旬。この季節になると、裏地付きのブレザーはちょっときつい。でも、夏服の移行期間になる来週までは、絶対に正規のスタイルを崩すわけにはいかないのね。ライトブルーだから見た目こそは涼しげだけど、内側は蒸し風呂のようよ。まるで強化トレーニング用のサウナスーツみたい。 ――ふうん、みんな結構着崩してるなあ……。 すれ違う他校の生徒たちを眺めつつ、心の中で呟く。上着を着ていても、前ボタンを全開にしていたり、ブラウスの裾を上に出しちゃったり。スカートの裾もあと数ミリでパンツが見えちゃうくらい短い子もいる。かと思うと、ぎょっとするほどずり下げてズボンをはいてる男子もいたりね。見てるこっちがドキドキしちゃうよ。 何か、住んでる世界までが違うような気がしてくる。制服って不思議だね。ただ身につけているだけで、自分のポジションをきっちりと決めつけられてしまう。多分注意深く見れば、この人波の中には三月まで同じ中学校に通っていた仲間も紛れていると思うんだ。でも、やっぱり遠いよな。どうしても精神的な距離を感じてしまう。 たった二ヶ月で、ここまで離れて。一体、三年後にはどれくらい遠のいているんだろう。
大きめの交差点。横断歩道を渡ると、幾度か通った風景が現れる。 あの頃はまだ努力すれば報われると思っていた。長い長いトンネル、真っ暗闇で出口の見えない受験生活。それでも、最後には必ずこの学校の門をくぐるんだって。いっぱいいっぱい、それこそ脳みそがすり切れるほどに勉強した。 フェンスの向こうの景色は、今の私には全く縁のない異次元。校門から次々に吐き出されてくるのは同世代の若者たちなのに、彼らも全部エイリアンに見えてくる。
……いいなーっ、やっぱり着てみたかったかも。
不意に湧き上がってきた気持ちを、慌てて振り払う。やだな、もう。とっくに吹っ切ったはずだったのに、まだこんなにも未練があるなんて。 違う、違う。そうじゃなくて、今は「理由」を考えなくちゃならないのよ、「理由」を。 部活が急に休みになって、でも他の仲間たちは「デート」とか「お稽古ごと」とか予定が入ってて。何かわびしいなーと思いつつ、ひとりで帰路についた。いつも通りに電車に乗り込んだ訳だけど、このまま真っ直ぐに家に戻るのもつまんないなとか思って。気がついたら、ひとつ先の駅で途中下車してたのね。 そこからは小さな大冒険。TVの「はじめてのおつかい」な気分だった。ずっと握りしめていた携帯、手のひらが汗ばんでる。 「あ、そうか」 セミのようにフェンスにしがみついたまま、ぽつりと呟く。そうだそうだ、園子がいたじゃない。一高には知り合いが少ないけど、園子なら気軽に呼び出すことが出来る。うんうん、最初からそうすれば良かった。そうよ、私は園子に会うためにここまでやって来たんだわ! 忘れてたけど、絶対にそうだったのよ。 慌てて、『今どうしてる?』って短いメールを送った。まだ、私がここにいることは内緒。返事が来たら驚かせようかと思って。 そしたら、1分足らずで返信が来る。『ごめん、これから野暮用』……駄目じゃん、これじゃ。脱力してたら続いて二通目が届く。 『へへへ、何とデートなんだよん♪後で報告聞いてね☆』 ……あ、そうか。 そう言えば、この前の電話でそんなことを話していた気がする。人の恋バナを聞いても寂しい身の上では一緒に盛り上がるのは無理。適当に聞き流していた。 『分かった、楽しみにしてる♪』と返事をして、大きく溜息。はー、何かいきなり現実に引き戻されてしまったわ。
見上げれば、校庭側から伸びた銀杏の枝が、頭上を覆っている。校門から向こう側は桜並木。百余年の伝統を無言で物語る堂々とした大木たちだ。 他高校の前に立ってるのって、何か緊張する。身の置き場がないし。なのに、何で気がついたら足がこっちに向いていたんだろう。 手のひらの中の携帯を、またぎゅーっと握りしめる。べつにもういいもん、園子がいなかったんだから。もう帰る、帰るから……!
――と、そのとき。 私は自分の身体の内側から、血の気がさあっと引いていく音を聞いた。緑のフェンスのそのまた向こうの銀杏の幹の陰。ほんの一瞬の出来事、ひとつの横顔が通り過ぎていく。石造りの校門を抜ければ、すぐにこっちの通りまでやってくるはずだ。だって、利用している駅がこの向こうにあるんだもの。 だけど振り向くことはおろか、フェンスを掴んだ指さえほどくことが出来なかった。何で? ……何でこんなに緊張しているの、私。構えることなんてないじゃない、分かってるのにそれなのに……! 「――え、あ……何? もしかして、陽菜(ひな)……?」 胸奥に緊張が走ってからその声が耳に辿り着くまで、ほんの30秒にも5分にも思えた。確認するまでもない、久しぶりに聞く声。このひと月以上、幾度となくナンバーを押しかけてはやめた相手に違いなかった。 「やっぱり。何だ、守(もり)と待ち合わせでもしてたか。そういやあいつ、ベルが鳴った途端に教室飛び出してってそのまんまだけど……」 白いワイシャツに黒いズボン。紺色のカバンを肩から提げて、振り向いた私を鬱陶しそうに見つめてる。何か、……何て言うか「どうして、お前なんかがここにいるんだよ?」みたいな感じで。 「え、……何でっ!?」 オウム返しみたいに、同じ言葉を突き返していた。その瞬間、頭の中も真っ白になる。
制服、どうして上着がないの? 学ランだよ、学ラン。黒の詰め襟学生服……! 今週末まではきちんと冬服を着用するのは一高も一緒じゃなかったのっ!? いや……、そうは言っても他の生徒も誰ひとり着てないし……。 ――もしかして、私。それが、目的だったの? ここまでの道のりで色々と言い訳を考え続けてきたけれど、実は簡単なことだったんだ。
やっと、ひとつの結論に達した私。でも狩野はと言えばシベリアの大寒波よりも冷たい態度、一瞬で凍り付きそうな眼差し。 「何、じろじろ見てんだよ。ウザいぞ、お前」 そして、そのまま。その他大勢の生徒たちに紛れて、駅前に向かって歩き出そうとする。途方に暮れたままの私のことなんて、全く関係ないよと言わんばかりに。
「うひょーっ、森が丘の子がいるぞ!」 思わず、追いかけていって後ろから襟首を掴んでやろうかしら……とか思ったとき。奴が去っていく反対の方向から知らない声がする。 「何ーっ、カノジョ。彼氏と待ち合わせ? へーっ、リボンの白ライン一本だから一年生ちゃんか。初々しくていいねえ〜っ!」 そこに立っていたのは、制服をかなり着崩した感じのふたり連れ。髪の毛が不規則につんつんして、さらにどう考えてもカラー入ってる。毛先に行くほどブリーチが強くて、先端はほとんど透明になってた。 「えっ、……ええと」 別にカマトトぶってるわけじゃないわよ。でも、こっちは同世代の男子と面と向かって話をするのも久しぶり。高校生って、やっぱいろいろ違う感じがする。くだけているというか、はっちゃけてるというか。ペアで来られると、さすがにビビッちゃうわ。 「す、すみませんっ! 失礼します……っ!」
もう、どうしようもない感じで。慌ててその場を走り去っていた。 のろのろと同じ速度で進んでいく一高生の人波をかき分けかき分け、別に誰からも競争しようなんて言われてないのにムキになって全力疾走してる。 でも。そんな風にして駅前までたどり着いても、奴の姿はどこにもなかった。で、私が立ち止まるのを待ってたみたいに、手のひらの中の湿った携帯がうなり出す。メールの着信だ。
『バーカ、何やってんだよ。みっともねえ』 怒りにまかせて、思わず携帯を地面に投げつけようとして。でも、ぎりぎりの理性でストップした。そうよ、買うときは「ご新規さま0円」とかで買えるけど、修理とかになると馬鹿高いのよね。ああ、危ない危ない。 「ちっ、……ちょっとぉっ! どこよ、見てるんなら出てらっしゃいよっ、卑怯者……っ!」
我を忘れて大声で叫んじゃったから、周囲の視線がさあっと集まってくる。 そんな中、ただひとり「我関せず」な背中が、自動改札を抜けて振り返ることもなくホームへの階段を上っていった。
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お題提供◇sao様 ----------------- 今度は「待ち伏せ☆陽菜編」……と言うところでしょうか? お約束に狩野もちょろっと出てきましたが、進展がないどころか暗雲立ちこめるって感じ。 次は一気に大荒れといきましょうっ!……って、何かとても楽しそうな作者(笑)。 |