◆ 53.メープルシロップ
オーダーした数分後に運ばれてきたアイスティーを一気に半分ほど飲み干す。加減したつもりだったけど、後に残っているのはほとんどがクラッシュ氷。これじゃきっと、五分と経たずに全てが水になってしまいそう。身体に取り込まれた水分が、そのまま汗になって噴き出してくる。ハンドタオルで額を抑えながら、私はふうっと小さく溜息をついた。 「何だ、その顔は」 眉間にしわを寄せてガンつけるけど、そういうアンタの方がよっぽどふて腐れていると思うよ? 無駄な長身が普通サイズの椅子に納まりきらずにふんぞり返って、やたらと偉そう。一応、それは制服でしょ? お里が知れてるならもうちょっとかしこまった方がいいと思うけど。 「そんなことないよ」 なかなか会話の続かないふたりの間を、生暖かい風が流れていく。 一応、パラソルで日陰にはなっているものの、ここってオープンテラスの一角。真夏の昼下がりには絶対に避けたいポジションだ。そんな訳で同じ考えを持った先客で店内のテーブルは満杯。夏休みってこともあって、平日でも街中には若者たちが溢れかえっている。まーこの混雑ぶりを考えれば、椅子に座れただけでも良しとしなくちゃなのかもね。 こうやって眺めていると、本当に色んな組み合わせがあるなあ。男女カップル、女子だけ男子だけのグループ、制服姿に私服姿、嬉しそうな顔に退屈そうな顔。同じ姿勢で教室の机に向かっているときは誰でも同じような雰囲気なのに、一歩外に出ればみんなそれぞれなのね。当たり前のことだけど、すっごく新鮮。 「あ、大西さんだ」 ぐるーっと移動していた視線が、見覚えのある顔をかすめて止まる。と、同時に意識もなく呟いていた。そして、もう一度ばっちり確認する。 うんうん、やっぱりそうかも。私服だし髪もアップでまとめてるからかなり印象違ってるけど、間違いない。相手は……へえ、男の人だ。それも年上っぽい感じだなーっ。 「何だ、知り合いがいたのか?」 声掛けなくていいのか? みたいに顎で促すから、慌てて首を横に振る。 別にそんな親しい間柄じゃないしな〜、一応クラスメイトではあるけどそれだけの関係だし。こんな場面で声を掛けるのも、何だか勘ぐってるみたいで良くないわ。きっと向こうが気付いたとしても同じ風に考えるはず。 「邪魔しちゃ悪いわ、盛り上がってるみたいなのに」 丁度正面奥のテーブルにいるから、顔を上げれば目に付いちゃう。意外だなあ、そりゃウチの学校の生徒の彼氏保持率はなかなかって聞いてたけど。別にね、こう言うのは競争したりすることじゃないよ。だけどやっぱ、不思議な感じ。大西さんって、学校じゃとても大人しそうなイメージなのになあ。こうやって見ると、全然イメージが違うわ。 ふうん、って気のない返事。別にどうでもいいって感じだ。その後、奴がテーブルの上に置きっぱなしにしてた携帯を何気なく覗くから、私もそれに反応してた。 「まだまだ、時間あるねー」
迷子の末、上映時間ギリギリに駆け込んだ映画館。 でも、実は先週の金曜日から上映スケジュールが大幅変更になっていたのね。狩野が見たがってた作品はすでに上映中、しかも半分くらい終わっちゃったところ。今日はもう一度、四時半からのがあると聞いてそれのチケットを購入する。 そこまで来て、ようやく自分たちが昼抜きで空腹だったことに気付いた私たちは、すぐ側のカフェに飛び込んだって訳。
「飯、食ってりゃすぐだろ」 面倒くさそうにそう言うと、大袈裟に足を組み替える。もともとが女の子好みに可愛らしくまとめられているテラスだから、狩野みたいな「ぱっと見サーファー」には笑えるくらい似合ってない。 「うん、そうかも」 昼下がりで混雑している時間帯のせいか、なかなか注文をさばききれない感じだし。隣のテーブルのカップルなんて、私たちよりだいぶ前からいるらしいけどまだ食事にありついてないよ? この分だと、食事にありつけるまでにはまだまだ掛かりそうだな。 また、会話が途切れる。 手持ち無沙汰なままに視線を落とすと、まだら染めのスカートが目に入った。ああ、何だか不思議。同じ服を着てるのに、この前と今日とじゃ何もかもが違ってる。一緒にいる相手も別なら、その目的も異なる。そう言えば、真墨さんもこの服を「よく似合う」とか誉めてくれたっけ。でもあのときは全然嬉しいとか思わなかったんだな。 どうでもいい関係ならば、何となく続けることが出来る。どうしても壊したくないと思える大切な「今」だからこそ、ぎこちなくなってしまう。出来るだけ自然に、でも退屈ではないように。一番よく見える自分でありたいって思うと、その分空回りしてしまうみたい。 狩野といると、いつもそう。「自分らしく」って必死になるごとに、何だか上手くいかなくなって。私の言葉がちゃんと奴に届いているのかとても不安。
いつまでこんな風なんだろう、もしかしたらこの先どこまで行っても平行線のままなのかなあ……?
「―― おっと、」 突然、狩野の携帯が鳴り出して、ハッと我に返る。 え? どうして、家に忘れたはずの携帯がここにあるって。それはね、狩野のお兄さんがわざわざ届けてくれたの。何でも午後から出かける用事があったとかで、あれからすぐに私の携帯で連絡取り合ってね。最終的には駅のホームで受け取ったんだよ、すごい連係プレイで面白かった。 慌てずに操作する辺り、メールの受信みたいだ。向かい合った席で液晶画面を見つめていたらしい奴は、ぷいっと横を向いて「……にゃろう」って小さく呟いた。 「……どうしたの?」 そんな風にされたら、やっぱ気になるじゃない。でも狩野ってば、面倒くさそうに操作を終えると携帯をテーブルに投げ出す。返信する気もないみたいだ。 「ううん、別に」 何か用事なら、すぐに返事をした方がいいと思うんだけどな。こういう辺り、女子と男子って温度差があるのかしら。よく分からない。
また会いたいって気持ち、今日会っても明日も会いたいって気持ち。 どんな風にして伝えたらいいの? 今日こそは、どうにかしてこの状況を変えたいって思ってやって来た。でもいざとなると何も言葉が浮かばない。
「「あのさ――……」」 と。 思い切って話し出そうとしたら、ふたりの言葉が重なった。これにはお互いがびっくり。あまりに驚きすぎて思わず息を呑んだら、さらにジャストなタイミングで オーダーしたプレートが運ばれてくる。 「お待たせしました、パスタセットはどちらですか?」 狩野が小さく合図する。目の前に料理が置かれると、奴は一瞬前のことをすっかり忘れてしまったみたいにフォークを手にした。しばらくは呆気にとられていた私も、やはり食欲には勝てなくてナイフとフォークを手にする。きつね色にこんがりと焼けたワッフルの上、とろりとバニラアイスクリームが乗っかってて美味しそう。 「何だか変わったモン、食ってるな。そんなんで腹がふくれるのかよ」 瞬く間にプレートのほとんどを食べ尽くしてしまった狩野。一息ついてソーダ水をすすり、私の方を向き直る。 「変わったモンじゃないよ、ワッフルって欧米では朝ご飯に食べたりするんだから。知らないの?」 まあ、私も直接見た訳じゃないけど。何かの雑誌でそう言う記事を読んだことがある。でこぼこの網目模様も美味しそうだよね、生地が軽くていくらでもお腹に入っちゃう。 「そうなのかぁ?」 こんな風にお互いの食べてるものにあれこれ意見するのも新鮮だよね。何しろ中学まではみんなで同じ給食だったし、好き嫌いのことは多少分かってもそれ以上のことはなかった。 「そんなんじゃ、腹つなぎにもならないよなあ。……でも、アイスは上手そうだな。ちょっと寄こせよ」 言い終わる前に、ぬーっと腕が伸びて。うわっ、待って! ちょっと、ひどいよっ。一気に半分くらい持って行ったでしょ! それって反則、絶対許せない! 「それ取りすぎっ! 少し返しなさいって……!」 思わず席を立って、前のめりの姿勢で必死に取り返そうとした。でも敵も然る者、あっという間にスプーンを口に押し込んでしまう。 「……ぎゃっ!」 立ち上がった拍子に勢い余って、直前まで座っていた私の椅子が後ろに倒れてしまった。思いがけなく大きな音がして、周囲の視線が一斉に私たちに集まる。何しろ食べ物がらみで揉み合っていたからね、かなり誤解を受けそうな感じ。 「大丈夫ですか、お怪我ありませんか?」 なんて店員さんまですっ飛んできたりして、もう散々。何事もなかったように座り直すものの、まだ店内のお客さんが全員こっちを見てる気がする。 「ご……ごめん」 別にこっちが謝ることもないと思ったけど、でも何となくね。もう、耳まで真っ赤になってるよ、きっと。本当に嫌になっちゃう。幸い、大西さんはもう店から出て行ったみたい。姿が見えなくてホッとする。 「悪目立ちしちゃ、駄目だよね。誰かに見られたら、絶対に誤解されちゃう」 全くその通りだと思う。次の瞬間、自分の言葉に自分で大きく頷いていた。だって、こんな人混みの中、どこにお互いの知り合いがいないとも限らない。後であれこれ詮索されたら、面倒でしょ? 「……何か誤解されるようなこと、してるっけ?」
そしたら。 今度は狩野の方から訊ねられる。私が予想もしてなかったような、不思議な問いかけを。
「え……?」 これにはさすがに面食らってしまうわ。あまりの暑さに頭がぼんやりした訳じゃなくて、本当に意外だったんだもの。 「誤解っていうか、……その。こんな風にふたりでいたら、絶対に勘違いされちゃうよ? そんなの当然でしょ!?」 街中で連れ立って歩いていたら、傍目にはカップルにしか見えない。本人たちがそう言う意識がなくても、周囲にはそう見えてしまうんだ。狩野だってそれくらい分かるでしょ? それに、逆にそういうクラスメイトを見たら、すぐに勘ぐってしまったりしない? 「別に、誤解でも勘違いでも、そんなのどうでもいいと思うけど」 狩野はすごく面倒くさそう。というか、コイツはほとんどの場合、こういう受け答えをするんだけどね。分かっていてもいちいち勘ぐったり落ち込んだりしちゃう。そんな自分に何だかなーって思っちゃう。 「陽菜(ひな)が勘違いされて困ると思うなら、まあ考えてやらないこともないな。……そうなのか?」
―― え。
そ、そうなのかって聞かれても、ちょっと困っちゃうよ。えー、どうなの? 私って、本当はどう思ってるの!? 何だか、よく分からなくなってきた。 「俺としてはさ、陽菜と会いたいと思うから会う訳。最初はわざわざ誘うのは面倒だと思ったけど、何かそうでもしないとすれ違いばっかだしな。だから、そっちが会いたくないならそう言ってくれればいいし。正直、はっきり言ってくれた方が助かるし」 ……? いつになく饒舌な狩野の言葉に、私の思考が全くついて行けない。何か言わなくちゃって思うのに、どうやって今の想いを伝えたらいいのか見当が付かないよ。 「途中から、人の行動をおもしろ半分にちゃかす奴は出てくるし。知ってるか、お前の行動なんてほとんど筒抜けだったんだからな。友達は選べよ、回り回って恥をかくのは結局自分なんだからな」 そこまで言い終えると、狩野は自分の携帯をちゃちゃっと操作して先ほどのメールの本文とおぼしき画面を見せてくれる。絵文字満載、キラキラ目が痛くなるほどのそれには見覚えが。
……げげ、これって園子っ!?
「覚悟しとけよ、あとで根掘り葉掘り聞かれるからな。……ま、お陰でケツに火が付いたって訳だけどな」 ちょっと待って。 園子には、色々と話しちゃった気がする。だって、彼女は察しがいいんだもの。私が真墨さんと付き合いだしたときだって、こっちが言い出す前に探りを入れられちゃったよ。向こうとしては自分のことは何でもしゃべるんだからそっちも教えなさいってノリだったんだろうね、ちょっと迷惑だったけど。まあ……悩みとかも聞いてもらったし、文句も言えないかな。 でもでもっ、狩野とのことは絶対に、口が裂けても話してないのに……!? 「ほら、早く食えよ。時間なくなるぞ」 一体この男、どこまで何を知っているんだろう。そんな風に急に心配になってきた。でも、まああまり悩んでも仕方ないし、とりあえずお腹をいっぱいにしてそれからだわ。
勢い余って掛けすぎた甘くて苦いシロップが、口の中にじわーっと広がる。ゆっくり味わう余裕なんて、もはやなかった。
◆◆◆
お互いに会計を済ませて店を出る。 映画館への道をふたりで戻っていたら、狩野が不意にそんな風に言った。平日で道路には普通に車が走っている。歩いていたのはその脇の歩道。かなりの広さがあって、大人が三人並んでも余裕なくらい。そこに少なくない人波が行き来してる。 「え? 何が」 促されるまま、他の歩行者の迷惑にならないように脇に寄って立ち止まった。ここ、って口の端を指し示されるから、必死でぬぐってみたけど全然取れてないみたい。目の前の狩野がもどかしげな視線で見守っている。 「ほら、ちょっとこっち向いてみろ」
ぐいって顎を捕まれたら、奴の顔が滅茶苦茶近い場所にあった。あまりのことにびびって思わず目を閉じる。次の瞬間、ぬるりと生暖かい代物が唇の端をかすめていった。
「……甘」 再び瞼を開くと、そこには舌をぺろんとしまう狩野の姿。一瞬、何が起こったのか分からなくて、でももしかしたらものすごいことが起こった気がして、心臓が止まりそうになる。 「なっ……」 振り上げかけた腕をさっと捕まれて、何でもなかったように奴が歩き出す。これって、もっと反応するべき? それとも黙ってやり過ごすべき? ああん、どうなの。もうさっぱり分からない。 「ほら、そろそろ入れ替えだから行こうぜ。中にいた方が絶対涼しそうだし」 そりゃそうなんだけどさ、だけど実際どうなの? 一番大切な部分をさっとすり替えられたみたいな、違和感がぬぐえない。
でも、もしかして。 私たちって、また会えるの? 会いたいと思ったら、会えるのかな? 毎日は難しいかも知れない、でも気持ちを大きく膨らませたら、今まで「無理だ」って決めつけていたことも変わっていくような気がする。
「分かった」 私の方から、つないだ手に力を込めた。ありったけの想いを込めて。 「席に着いたら決めよう、次はいつ会えるか。その次も、そのまた次も決めよう」
今はまだ「約束」でしかない未来が、やがて確かな「記憶」に変わっていくまで。言葉よりも確かな「今」を一歩ずつ確実に歩んでいきたいと思う。
「会いたい」という気持ちが、明日のふたりをしっかり繋いでくれるはずだから。 おしまい♪ (070815) |
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