◆ 33.後ろの正面だあれ
もう一度、開いたまんまの携帯に目を落とす。あんまり驚いて、もう少しで手から滑り落ちるところだったわ。ああ、危ない危ない。 再び顔を上げれば、信号が丁度青に変わったところ。元通りに背を向けて駅へと歩き出す狩野、「追いつけよ」とか言っておいて自分は待ってやろうって気にはならないのね。
あーそうですか、そうですかっての。
携帯をぷちっと二つ折りにしてバッグに放り込んだら、その瞬間にぱっと視界が開けた。 このところずっと頭の中を覆い尽くしていたモヤモヤが跡形もなく消え失せてる。「だけど」とか「そうだとしても」とか否定的な問いかけも、この際脇に置いておこう。 色んなものを全部吹っ切って走り出す。かなりの距離を保っていたはずだったのにな、横断歩道を渡り終えたところで早くも追いついた。
「……てっ!」 勢いよく振り回したスクールバッグ。綺麗な弧を描いて、憎たらしい背中にジャストミートする。 「何すんだよ、馬鹿力で背骨が折れたらどうするんだ。ガキっぽいことすんなよな?」 予想通りの反応。大袈裟に背中を丸めてみせるけど、構うこっちゃないわ。ふーんだ、やられたらやり返すのよ。もうこれ以上、おなかに溜め込んでおくのはたくさんだから。 勢いづけるために、自慢になるほどのボリュームもない胸を張ってみる。どっちかというと仁王立ちって感じかも、まあいいか。 「ガキっぽいのはどっちよ、気が付いてたんならどうして無視するの。人のこと遠隔操作しようなんて、趣味悪いわ」 そんな風に強がり発言をしてみたけど、こっちも人のことを言えた義理じゃないのね。普段通りに急ぎ足で進んでいけばあっという間に追いついていたのに、いつまでもこんな風に後を付けて。これじゃ尾行してるみたいだわ。自分への情けない気持ちが、さらに言葉をとんがらせる。 「……別に、そんなつもりもなかったんだけどよ」 ふて腐れたままの横顔、相変わらず綺麗な輪郭で憎たらしい。
コイツのことなんて、本当にちっちゃい頃からそれこそ何でも知ってるつもりだった。いつの間にこんなに大人っぽくなっちゃったんだろうな、面と向かってるときはあんまし気にならないのに横を向いたときの顎のとんがったラインとか見せつけられるとたまらない。 ―― ああ、やっぱまだ好きなんだよな。 ぶくぶくと湧き上がっていく泡で埋め尽くされてしまった心、いつの間にかとっても不自由になっていた。当たり前に接したい、普通に笑ったり馬鹿なことを言い合ったりしたい。それなのに、気持ちがつっかえてそれが出来ない。すごくすごくもどかしかった。
「これ以上、短足に付き合ってのろのろと歩くのもタルくなったしな。いい加減にしないと、こっちまで遅刻だぞ。駅からの距離はこっちのがあるんだから」 何よ、それ。 さもこっちが悪いような言いぐさは、いくらなんでもひどくない? そりゃあさ、意識しすぎたこっちも悪かったとは思うわよ。でもさ、だからといってさ。 「別にこっちに付き合ってくれと頼んだ訳じゃないでしょ? 変な風に絡まないで、そうじゃなくたって――……」
立ち止まったままのふたり。 その脇をざらざらと制服たちが追い越していく。その足取りがだんだん小走りになっていることにやっと気付いて、私はバッグにぶら下げたままの腕時計をつまみ上げた。
「あーっ、やばっ! ちょっと、マジで遅刻しちゃうっ!」 うわー、次の電車を逃すと完全にマズイ。 ウチの生徒指導の先生、本当にねちっこいんだもの。一秒でも遅れたら、そのまま首根っこを捕まえられて延々とお説教されちゃう。吹きさらしの廊下に正座させられるんだよ、小学生じゃあるまいし勘弁して欲しいって感じ。 「と言うわけで、この続きはいつかね。んじゃあ、また!」
ひー、今度こそスカートがまくれ上がるのも何も構っちゃいられなくなったわ。ううう間に合うかなあ、苦しいよ〜っ! 肩に引っかけたバッグが動かないように脇で挟み込み、文字通りの全力疾走。革靴がかちかち鳴って耳障りだけど仕方ないわ。色とりどりの制服たちが何事かと振り向いても、もう気にしていられない。整えた髪の毛も今頃素敵にヤマンバになってるわ。 ……けど。
「何で、付いてくるのよ!」 ただでさえ目立ってるんだから、ここは極力小声で。だって、絶対変だよ? ゴール前のデッドヒートのように、私の斜め後ろにぺったりと貼り付いてる男がいる。しかも、いわゆる「前方の選手を風よけにした」ポジション。これってすごく腹立たしいものなのね。 「別に理由なんてないけど」 あー、やっぱ憎ったらしい。どうして全然息が上がってないの。そりゃ、日頃から部活で鍛えている人間と自分を比べる方が間違ってるか。それにしてもさ、何なのよ? 訳分からない……!
風のように改札を抜けると、そのまま一気に階段を駆け上がる。すでに閉まりかけたドア、もう諦めようかと思ったそのときに私の脇を疾風が吹き抜けた。 「よし、行けるぞ!?」 ほんの30センチほどの隙間に身体を押し込んで、迷惑そうな他の乗客を背後に手招きをする。もう迷ってる暇なんてなかった。ひんしゅくなのは分かってる、だけど乗らなくちゃ。狩野のタックルに驚いてもう一度開いたドアに私も負けじと突っ込んだ。
◆◆◆ お決まりの「駆け込み乗車は危険ですからお止めください」のアナウンスが頭の上を通り過ぎていく。ごとんごとんと動き始める車両、揺らめく足下をどうにか支えようとドアの窓に額をくっつけた。 「すげー顔、してたぞ。朝からとんでもないものを見せられちまったな」 そんなこと、言われなくたって分かってるわよ。だって、必死だったんだもの。ドア付近にいた他の乗客にもその姿を見られていたと思うともう立ち直れない気分。だから背中を向けてるんじゃないの、情けないったらありゃしない。 「……悪かったわね、とんでもなくて」 まだ息が上がっていたから、絞り出すような声しか出て来なかった。車輪のきしむ音に紛れて、奴の耳まで届いたかどうかも分からない。 それきりお互いに黙り込んだまま、あっという間に次の駅に到着する。開いたのは反対側のドア。背後から生暖かい風が流れ込んでくる。あちこちを向いた毛先がふわふわと揺れて、さらに情けない気分になった。
―― 嫌だなあ、もう。 たまにしか会えないんだから、そのときだけは思い切り背伸びをしたいなとか思うのに。いつもいつもこんな情けない姿ばかり見られるんだから、口惜しいったら。どうせなら息が止まるくらい綺麗になって見返してやりたかった。そんなこと絶対に無理なのにね。
「逆のパターンなら、何度かあったんだぞ。お前、全然気が付いてなかったみたいだけど」 不意にそんな風に切り出すから、また思考がストップする。無意識のうちに振り返りそうになって、慌てた。 閉まるドア、ゆっくりとまた動き出す車両。規則正しい振動に同じように揺られていく。こんな風にしていると、同じ教室にいた頃に戻ったみたいだね。そう思うと、すし詰めの電車も悪くないかなと思えてくる。 「本当に気が付いてないのか、気が付いてシカトしてるのかその辺が分からなくてさ。だから今朝は思い切って、こっちが待ち伏せをしてみたんだ。……何だ、バレバレじゃん。いちいちカーブミラーに映るんだからな」 ぶっきらぼうな口振りは普段通り。機嫌が悪いのか悪くないのか、それもさっぱり分からない。ゆっくりと振り向くと、ふて腐れた顔があった。 「……そうなの?」 気付いてなかったよ、全然。そりゃ、同じ道を通って駅まで歩いてるんだから、いつかはって期待してたけど。そういうこともないから、やっぱ縁がないんだろうなとか思い始めてた。 「何だよ、気のない返事だな」 そう言いながら、明後日の方向を見る狩野。つられて私も視線をそらす。
そんな風にしている間にも、電車はレールの上を滑るように進んでいく。ひとりの時は長く感じて仕方ない距離なのに、不思議。ぎこちない会話を続けるふたりを嘲笑うかのように、車内アナウンスが狩野の降りる駅を告げた。 元通りのドアの方を向いた私の視界。窓越しにグレイのホームが飛び込んでくる。
「明日からも、同じ電車に乗らないか?」 降りる乗客のために一度ホームに降りたら、目の前を通り過ぎていく狩野がそんな言葉を投げかけてくる。 「どうして?」 ぼんやりしていたら、置き去りにされちゃう。慌てて車内に戻りながら、そう聞き返していた。もうちょっと気の聞いたことを言えれば良かったんだけど、何だか訳が分からなくて。 「理由なんて、あるかよ」 閉まるドアの隙間から、滑り込んできた声。こちらに背を向けて歩き出した狩野は、そのまま二度と振り向かなかった。
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お題提供◇catalyst様 ----------------- あーでもない、こーでもないと裏返したりひっくり返したりしてましたが 結局はこんなかたちにまとまりました。 とりあえずは行動から先にお願いしましょう、その方が彼ららしい気がします。 |