◆ 47.きりん
赤に黄色にオレンジに緑、その他もろもろ24色の色鉛筆よりも鮮やかな色彩が、思い思いの動きをしてあっちに行ったりこっちに来たり。 あー、すごい。 ここまでちんまい集団に囲まれるのって、中学の頃「職場体験」で近所の保育園に出掛けた以来だわ。あのときだって、何も第一希望じゃなかったもの。パン屋さんも美容院も定員オーバーでたらい回しにされた挙げ句よ。そう言えば、その後はしばらく腰痛に苦しめられたっけ。
「……で、こういうとこに呼び出してどういうつもり?」 フードスタンドのひさしから、しばらくはその光景を見守っていた。でも、とうとうしびれを切らして問いかければ、隣の男もとんでもなく不機嫌な顔。 「しかたねーだろ、トラブル続出だったんだからさ」 そう言えば、こいつの「職場体験」の行き先は部品工場だって言ってた気がする。何でか知らないけど、急にそんなことを思い出してた。 「昨日、従姉の結婚式。何を気取ったのか、避暑地の教会とか洒落込んで親戚一同が大移動。で、ついでにせっかくだからと今日も観光地を回ってるらしいよ。あいつらは塾とかサッカー教室とかで、こっちに居残りになった連中」 何だか知らないけど、直接はあまり関係のないお家の事情やらがあるらしい。ま、それはいいけどさ。たまの休日返上に、どうして私まで子守に付き合わなくちゃならないのよ? 「だって、本当のこと言ったら普通逃げるだろ」 今すぐにでも自分が逃亡したいと言わんばかりの発言。そうはさせないわよ、仕方なく付き合ってやってるんだから最後まで責任取りなさいっていうの。うーん、それにしても月曜日だって言うのにすごい人出。さすが「夏休み」ね。 「にーちゃんっ! あとひゃくえんちょうだい!」 緑と白のストライプが集団から飛び出して、こちらに駆け寄ってくる。鼻の頭に絆創膏って言うのが、何だかお約束っぽくて笑えるわ。一丁前にカーゴパンツなんてはいちゃって、だぼだぼさ加減が妙にミスマッチ。 「何だぁ、まだやんのか?」 あきれ顔でポケットを探ったあと、空になったバケツの中に百円玉を投げ込む。ちゃりんという音が聞こえた途端、しましまシャツはまた行列の出来てる自動販売機の前に並んだ。 「そんなに楽しいのかねえ……訳分からない」 いや、仮にも身内であるアンタが分からないなら、全くの部外者である私にはもっと意味不明だってば。弟の陽汰もゲームとサッカーに明け暮れる五年生だもんなあ……、さすがにこんな場所は数年来のご無沙汰よ。多分、狩野には奴の方が気が合うと思うわ。 地元では知らない人のいない観光スポット「ふれあいファミリー動物園」。近郊で生まれ育った人なら、幼稚園や小学校の遠足で最低二回は足を運んでいるはずよ。さらに「市民割引」とやらで、小学生以下は入園料が50円! 大人でも250円! いやー、自分で払ったことはなかったし、さすがにここまでチープとは知らなかったわ。 ただし、この「安さ」には裏がある。「ただより高いものはない」っていう言葉通りにね。 この動物園の一番の見所は絵本でお馴染みの大型・小型動物に直接餌をあげられるというエリア。首が長いレンガ模様のキリン、長い鼻をずいーっと伸ばしてくるゾウ。握手のサービスまでしてくれる猿もいる。ウサギやアヒルはオリの中に入って楽しめるんだ。子供の頃はなかなか帰りたくなくて、駄々をこねたっけなあー。 ……というわけで。 この餌ゾーンはそれぞれのオリの前に設置された自動販売機でバケツ一杯100円の餌を購入するわけ。たかが100円、されど100円。子供のお砂場遊びサイズのバケツに入る分量なんてほんのわずかだもの、飽きるまでやらせたらゲーセン並みに散財しちゃうわね。 あちこちでちょこまか動く後ろ姿を眺めていた無表情男が、いきなり大声を上げる。 「おら〜、そろそろ次に行くぞ!」 何だかなー、そのまんまガキ大将みたいだよ。 今日狩野に預けられたのは、幼稚園児ふたりと小学1年生がひとり。叔父さんの子供とか、叔母さんの子供とからしい。
矢印に従って順路を進めば、次は噴水広場に出る。ここがまた、恐怖の散財ゾーン。ピンクと白のしましまに塗られたテイクアウトスタンドが、「ようこそ」と言わんばかりに待ちかまえてる。 「俺、ソフトクリーム!」 それぞれの注文を聞いて、買い物に行くのは私の仕事。狩野ったら、威張ってるばっかで何もしないんだもの。朝、入場門の前で待ち合わせをしたときから、ずーっと不機嫌そうな顔してさ。もしかして「こういう亭主を持ったら最悪」っていう見本になってるんじゃないかしら? 「はい、チョコバニラ」 ありがとうの一言もなく無言で受け取るのって、マナー違反だと思う。子供たちだって、ちゃんとお礼を言ってくれたよ? 教育上絶対良くないったら。 今日の子守のメリットと言えば、きっちりスポンサーがいることだと思う。
入場料はもちろん、食事代から何から全て親御さん持ち。当たり前ったら当たり前だけど、まあ、タダで味わううずまきソフトも悪くないかしら?
年代物のパラソルの下、奇妙な組み合わせの五人組で陣取る。 ふうっと一息ついて周りを見れば、平日だと言うのにそこらじゅう親子連れがいっぱい。月曜日に仕事が休めるって、職種は何だろう? それとも早めの夏休みかな。 風船かー、昔はやたらと欲しかったよね。一晩寝ると翌朝にはシワシワにしぼんじゃうって分かってるのに、それでも欲しくて欲しくて大騒ぎしたっけ。今思えば、無邪気なもんだわ。どうしても欲しいものが大騒ぎをするだけで手に入るって、すごく幸せなことだと思う。 今は風船よりも欲しいものがたくさんあって、でもそれを声に出して素直に「欲しい」って言えない。
◆◆◆
顔中べとべとにしてる男の子たちとは対照的に、真っ白いTシャツにシミひとつ落とさずに食べ終えた小1の彼女。膝に置いてたバッグを手にプラスチックの椅子を飛び降りる。 「あ、待って。一緒に行くから」 二口分のコーンカップを慌てて口に押し込むと、私も席を立った。 今は物騒なご時世だもんね、小さな女の子を一人歩きさせたら何が起こるか分からない。もしかしたら狩野はこういう状況を想定して私を誘ったのかな? 男性が女子トイレの前で待ってるのって滅茶苦茶恥ずかしいと思うし。
ひまわりの造花が付いたストローハット。細い背中を見失わないように後を追う。私が手洗い場に到着したとき、彼女はすでにハンカチを口にくわえてばしゃばしゃ手を洗っていた。 真剣そうな顔を横目で観察する。最初に会ったとき、今時の綺麗な顔立ちの子だと思った。肩より長い髪をきちんとふたつにしばって、Tシャツにハーフパンツの軽装。足下は生意気にナイキだ。私たちとは9歳違いになるんだな、ふうんあの頃ってこんな感じだったっけかなあ……。 「あたしの顔、何か付いてる?」 あ、やっぱり視線に気付かれてたか。こちらを振り返った彼女は、鬱陶しそうに唇をとがらせた。 「う、ううん。みんな待ってるし、早く行こうか?」 これじゃあ、どっちが年上か分からないわ。別に狩野の親戚に媚び売る必要もないんだけどね、妙にどぎまぎしちゃう。
広場まで戻ってくると、狩野と男の子たちは噴水に手を伸ばして騒いでいた。 その横を、もの珍しそうに眺めながら親子連れが通り過ぎていく。何か、知り合いと思われたくないなあ。私と同じことを思ってたのか、彼女も一緒に立ち止まる。彼らを少し離れたところから眺めている感じだ。 ……ふうん、やっぱこうやってみても背が高いんだなー。 朝の登校時に、夕方の帰宅ラッシュに。狩野はどこにいてもすぐに見つけることが出来る。だって、周囲の人たちよりも、必ず頭半分くらい大きいんだもの。確かに昔は同じ目線だった気がするんだけどなあ、いつから見上げないとならないようになっちゃったんだろ。
「ねえ、お姉ちゃん」 そう呼びかけられて、最初は自分のことだって気付かなかった。中途半端な間合いを置いてから反応すると、彼女はまた顔をしかめる。 「お姉ちゃんってさー、廉くんの何?」 それは、いきなりの問いかけだった。えー、改めて聞かれると困っちゃうかも。 「えっとー、家が近所で幼なじみって奴? 3月まで同じ中学校に通ってたし」 いや、別に慌てる必要もないか。頭に浮かんだ私たちの関係を、そのまま口にした。そしたら、彼女はさらにこんなこと言うの。 「何で? 同じ高校行かなかったの? ……行けなかったとか?」 ぎゃ、いきなりそんな風に言うか? 何だかすごーくトゲのある問いかけなんだけど。……いやいや、相手は子供だし。言葉をそのまんま真に受けちゃ駄目よね。 「別に、そんなことはどうでもいいでしょ? だったらミホちゃんだって、どうして結婚式に行かなかったの? どうせ夏休みに入ってたんだもの、みんなで一緒に行けば良かったじゃない」 男の子ふたりはサッカー教室と英会話教室があって、そっちに参加するからって残ったんだって。式に出席しないおばあちゃんちに預けられてるとか。でも、彼女「ミホちゃん」は直前になって突然キャンセルしたんだとか。すっごい楽しみにしてて、ドレスとかも買ってあったのに。 「……うっさいわねー」 彼女の視線は噴水のしぶきを追っている。吐き捨てるような言葉、そんなことを思い出させないでよってオーラが漂ってきた。 「人の結婚式なんて、楽しくも何ともないでしょ? 遠くまで出掛けて馬鹿みたい、こっちに残ってた方がずっといいもの―― それに」 ぽんって、大きく一歩踏み出して。それから振り返って私を見上げる。まるで、挑戦するみたいに。 「主役になれないんなら、意味ないの。つまんないよ、そんなのって」 ……??? 言ってる意味が分からない。それをそのまま表情に出したら、彼女は即座に「駄目ねえ」って顔になる。 「フラワーガールって、知ってるでしょ? 花嫁さんに花束を渡すの。その役目、他の子に取られちゃったんだよ。ちっちゃい方が可愛いからとか言われてさ」 思い出すだけで口惜しいんだろう、ミホちゃんの顔がぐにゃっと歪む。すぐに元のすっきりした表情に戻ったけど、その瞬間に今までよそよそしかった女の子が急に身近な存在に思えてきた。 「ふうん、だったら今日は思い切り楽しまないとね? 結婚式に負けないくらいに」 ふたり同時に、にこーっと微笑み合う。噴水側の男どもには内緒の、秘密の約束だ。 「うん、分かってくれればいいよ」 ……生意気なこと、言っちゃって。 だけど、事実。彼女にとってはいっぱいいっぱいの気分だったんだろうなあ。もう少し手を伸ばせば届きそうな場所にあるもの、それを掴み取れなかった悔しさは私にも分かる。そっかー、ちっちゃくても気持ちは同じだよね。その挫折を乗り越えようとする心意気も。
「じゃ、行こうか」 そして、私たちはその時初めて手をつないだ。洗ったばかりの彼女の手はひんやりしていて、とても気持ちよかった。 「いいこと、教えてあげようか?」 水しぶきの向こう、狩野たちがこちらに気付く。その同じ瞬間に、ミホちゃんが私に耳打ちした。 「廉くん、お姉ちゃんのこと『俺の彼女』って言ってたよ」
自分の背丈よりもずっと高いしぶきが通り過ぎて、その向こうにストライプシャツを着た「きりん」が現れた。
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お題提供◇miyu様 ……「こじつけーっ!」とか、言わないでくださいね(汗 |