◆ 28.どちらにしても
意を決して電話したのに、茜ちゃんときたらどこまでものほほんとした受け答え。最悪の事態も考えていただけに、拍子抜けしちゃった。
家に戻って、携帯を確認。 机の上に置きっぱなしになっていたそれの着信ランプが点灯しているのを見たときは、心拍数がかなり上がったと思う。だけど新着メールを確認すると、届いてたのは園子からの2通だけ。真墨さん、やっぱそうとうに怒ってるんだろうなあ。そう思ったら、とても本人に直接掛けることなんて出来なかった。
「兄貴に用事なら直接連絡してよ。こっちもさ、ことあるごとに伝書鳩状態で疲れちゃう。ま、電話来たことは伝えとく。んじゃ、そんなことでー」 呆気ないなあと思っちゃうけど、よくよく考えればこれが普通の茜ちゃんだ。そのものズバリをストレートに言う代わりに、後腐れなくすっきりクリアなのね。見ていてすごく気持ちがいいし、とにかく付き合いやすい。何を考えているのか分からない相手って、扱いが難しくて大変なんだもの。 そうなのよね。そんな茜ちゃんのお兄さんなんだ、真墨さんは。 何も兄妹だからといって思考回路までがそっくりになるとは限らないけど、今までの彼の行動のひとつひとつを茜ちゃんに置き換えてみると不思議なくらいしっくりくる。基本的に悪い人じゃないもの、真墨さんって。ちょっと腹黒かなーって思う瞬間こそあったものの、それ以外の面では普通に過ごせたし。 ……だけど、どこかで何かが掛け違っていたんだな。 真墨さんの「提案」を一緒になって楽しめない、そんな自分にイライラしてた。 「目には目を」って感じで突き進む真墨さんに同調できなくて、だけど上手い断り文句も思いつかなくて。何度かデートみたいなことをしたりしたけど、全然面白くなかったよ。それどころかウキウキと楽しそうに自分の「名案」を語る真墨さんが、とてつもなく嫌な人だと苛立ってた。 私の中の黒雲は、そろそろ限界値。今にものすごい雷雨が来て、大変なことになる。そういう感情までセーブできるのが立派な大人なんだけど、現段階ではそこまでの自信はない。
『今日はいきなり、ごめんなさい』 とりあえず、メールした。ものすごく失礼なのは分かっていたけど、他に方法が思いつかなくて。返事が戻ってこないなら、それはそれでいいって思った。 「陽菜ちゃん? こっちこそ悪かったね、まさかあんな風にはぐれるとは思わなかったよ」 あまりにも「普通」な彼の態度。どうもすぐ側に茜ちゃんがいるみたい。帰宅して話を聞いたところで、丁度私の連絡が入ったのかな。すごいタイミングだ。 「は、はぁ……」 やだー、ふたりとも信じられないー! と言う茜ちゃんの声が遠くから聞こえる。 「すぐに連絡を取ろうとしたんだけど、よく考えたら陽菜ちゃんは携帯を家に忘れたって言ってたでしょう? それじゃあ仕方ないなと思ってさ。便利な生活に慣れ過ぎてると、これだから困るよ。この埋め合わせは必ずするから……」 真墨さんの声がふっと遠ざかって、そのあとに茜ちゃんの笑い声が近づいてくる。 「もう、ふたりったら何してるのよ。人混みではぐれるなんて、超可笑しいーっ! 陽菜と兄貴の話じゃなかったら、いいネタにしてあげるのに。もう、こんなことで気まずくなったりしちゃ駄目だからねっ!」 そう言いながら、まだ笑いが止まらないみたいだ。笑い声が、部屋の壁に反響しているのかとにかくビンビンに響いてくる。
何かよく話が見えないけど。 どうも私と真墨さんは街中でお互いを見失って再会できないままだったことになっているようだ。まあ……結果としてはそうなんだけど、それまでの経緯は茜ちゃんには知らされてないみたい。 言えないと思うけどね、実際のところ。
「……じゃあ、また連絡するよ。今日はこれから家族で外食なんだ」 シメの言葉は真墨さんで。よく分からない通話は、前触れもなく途切れた。
◆◆◆
天気予報は「梅雨の中休み」があと数日続くことを告げていた。母親に自分の布団を干していくようにと言われ、週明けの慌ただしさに加えて仕事が増える。手すりを拭く雑巾を手にベランダに出ると、目覚めたての日差しが眩しすぎて直視できないくらい。何もかもが輝く風景に、自分ひとりが馴染まない気がする。 「あー、また一週間だーっ!」 全く疲れの取れないまま、週末を終えてしまった。かかとの高い靴で延々とウォーキングしてしまったため、足首と共に足の裏が未だにじんじんしてる。ああいうのは洒落っ気で履くもんなんだなと、改めて実感。実用性は全くないわ、しばらくは見るのも嫌な感じ。 昨晩はベッドに入ってしばらく、色んなことが頭の中をぐるぐるしていた。身体はめいっぱい疲れてるのに、脳がひとりで頑張ってる。ああでもないこうでもないと独り相撲を取ったところで答えが出るわけもなく、最後は無理矢理どろどろ眠りの中に意識ごと吸い込まれていった。 一生懸命考えれば回答の糸口が見えてくる、っていうのは数学の証明問題くらいじゃないかな? あれもかなりややこしいものだけど、現実社会と比べたら「正答」があるだけマシだと思う。もちろん、私が手がける「文系用の数学」レベルの話ではあるけど。
結局ね、誰も悪くなんてないんだよ。だから、始末に負えないんだな。 それでももしもひとり「悪者」を見つけなくちゃならないのだとしたら、それは私自身だと思う。とっくに途切れた関係、それも「クラスメイト」なんてありきたりのポジションにいつまでもこだわっているなんてどうかしてる。 あの頃のくすぐったい関係のままでずっと過ごしていたかった。けど、こんな風に離れてしまったらそれも叶わない。だったら「当たって砕けろ」で突き進めばいいのに、どうしても勇気がなくて駄目。だって、この期に及んで一体なんて言えばいいの? 真顔で告ったところで、いい笑い物にされるだけだわ。ううん、それどころか本気だと信じてすらもらえないと思う。 可愛くなれないんだよ、見た目もそうかも知れないけどそれより中身がね。素直に自分の気持ちをアピールして甘えることがどうしても出来ないの。思いがけずに狩野が目の前に現れたときもね、きっと嬉しそうな顔なんてしてないはず。あれじゃあ、絶対にこっちの気持ちを分かってもらえない。 こんなんじゃ、百万年かかっても素直になれないって思うわ。そもそも、相手が悪すぎる。 もういい加減吹っ切って、新しい恋を探すのもいいかなーって気がしてくる。だけど、悲しいかな「女の園」に暮らしていては素敵な出逢いなんて期待できない。ようやく知り合った真墨さんはあの通り「訳アリ」人間だし、とにかく上手くいかないなーって感じね。 ――けど、どうやって切り出したらいいのかなあ……。
寝ぼけていた頭がだんだん動き出すと、昨晩途中で一時停止していた「ぐるぐる思考」が復活して来た。 そうなると身体の動きそのものがスローペースになって、結局いつもよりも五分ほど遅くなって家を飛び出す。マンガのように「パンをくわえて……」というほどは切羽詰まってなかったけど、ちょっと急がないとヤバイかな。 とか、思いつつも。背に腹は代えられず、ぱたぱたと小走りに進んでいく。そして、細い辻から表通りに出たところで急に失速した。
「……あ……」 五十メートルほど先を、大股で進んでいく後ろ姿。白いワイシャツ、ネクタイをオジサンっぽく肩に引っかけて、下は黒ズボン。エナメルの大きなバッグに朝日が反射してる。 やだ、嘘。何で、昨日の今日で。 無言で追い抜かせばいいのかな、それもちょっとよそよそしいかな? でもだからといって、ふたりで連れだって登校って言うのもちょっと変だよね。でもでも、このままでいたら遅刻しちゃう。私の方がアイツよりも学校遠いんだもの、三十分は多めに見積もらないと駄目なのよ。 ああでもないこうでもないと思いつつ、どうにかギリギリの距離をキープしながら進んでいった。何となく狩野の歩く速さに私が合わせている気分。ふたりが並んで歩いているわけじゃないのに、不思議な連帯感を感じちゃう。広い広い背中、高校に進学してからいちだんと逞しくなったみたい。
――やっぱ、声をかけちゃおうかな。 冗談っぽく聞いてみようか、この前の彼女のこと。どんな反応するかな、私と真墨さんのことを逆に突っ込まれたりするのかな。そういうのもちょっと楽しいかも、当たり前の友達同士みたいで。
そこまでの自分を頭の中でシミュレーションして、大きく首を横に振る。 ……駄目駄目、そんなの無理。きっとまだ上手に笑えない。狩野だって意識しなければ、他の男子に対してならどうにか出来そうだけど。こういうのって、理屈じゃないんだね。 私の心の中には、まだ狩野に対する「好き」の気持ちがたくさん残っている。いつもいつも見てた、何気ない仕草。そのひとつひとつに「いいな」と感じてた日々。楽しそうな笑い声がすれば、話の輪に一緒に入りたいと思った。真剣な眼差しで頑張っている姿を見れば、一緒に同じ方向に進んでいきたいと思った。そばにいたいなと思った、とても強く。 もう、こんなに遠くなったのにね。心はあの頃のまま、いつまでも歩き出すことが出来ない。
嫌だな、うだうだで。 全然すっきりしてなくて。背伸びしてでも頑張ってみようって、必死で受験勉強してた頃はあんなに楽しかったのに。いつもそばに狩野がいて園子がいて。そんな日々が永遠に続けばいいと思った。そうすればいつか心のエネルギーも満タンになって、素直に自分の気持ちを伝えられるような気がして。もうちょっともうちょっとって徐々に加速を付けながら、それは不完全燃焼のまま終わった。 合格発表、園子に付き合ってもらって。自分の番号がないことを確認して、それでも涙も出て来なかった。あそこで泣けたら、心も凍り付くことがなかったのかな。無理に笑って吹っ切ったつもりになって、だけどずっとわだかまっていた。
もうこのまま、……ずっとこのまま? コイビトにもなれないのに、友達にも戻れないなんてちょっと口惜しいよ。
「……あれ?」 その刹那。カバンの中で、携帯が鳴り出す。誰だろ、今頃。そう思いつつも、ごそごそと奥まで探って取り出した。 『着信メール1件』 二つ折りのそれを開いたら、飛び込んできた液晶画面。ぷちっと確定ボタンを押して、内容を確認する。次の瞬間、私は自分の目を疑った。
『何でそんなにのろのろ歩いてんだ? 早く追いつけよ』 驚いて見上げる視線のずっと先。信号待ちの交差点、制服姿の狩野がゆっくりとこちらに振り向いた。
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お題提供◇Kasabake様(サイト・仔猫の遊び場) ----------------- 陽菜、うだうだ思考の巻。 まあ、全編を通してそんな感じですけどね、彼女。石橋を叩いて叩いて、叩きまくってます(笑)。 「恋愛」はひとりで出来るものではありません、必ず相手が必要です。 そんなわけで、少し……少しだけ、何か「予感」を漂わせつつ、お話は続きます。 |