◆ 18.イジワルな人
私の視線はすぐに、奴の隣にいる女子の方に移っていた。だって、……本当に寄り添うみたいに歩いてたんだもの。腕を組んでるとか手を繋いでるとかそう言う風ではなかったけど、お互いの間には握り拳ほどの隙間もない感じで。 ビー玉みたいなぽろんと大きな目、それを縁取る長いまつげ。まさかマスカラとか使ってるんじゃないわよね? とか確認したくなるような存在感があった。モデルみたいな小顔で、それなのに絶妙なバランスで乱れなく各パーツが配置されてる。生まれたままの綺麗な黒髪は鳥肌が立つくらい真っ直ぐのストレートで胸の辺りまで。何か苛ついてくるくらい綺麗な子だ。 一高の夏服は、ワイシャツに布製のワッペンをつける。それがクラス章になるんだって。4枚綴りで何故か半端に350円なんだと園子が言ってたっけ。男子が左胸のポケットに、女子が左袖に縫いつけるらしい。もしも忘れたりすると、すぐに新しいのを購買部まで買いに行かされるそうだ。ふたりとも、赤。彼女も私たちと同じ一年生だ。
――何これ、……どういうこと!?
いや、声に出して確認するまでもないだろう。そうね、そういうことか。もうすっかりヨロシクしちゃってる、こーんな可愛い彼女がいたんだね。 だもん、私がいきなり会いに行ったってあんなに素っ気なくするはずだよ。そうだよ、もうちょっと喜んでくれたって良かったのに。そんな風に気遣う優しさだって、すでに持ち合わせてなかったんだよね。必要ないから、元クラスメイトなだけの私なんて邪魔なだけだから。 私、目つき悪かったかな? 相手の女子はちょっとびびって後ずさりしてる。ううん、別にガン付けるつもりもないから。何でもないよ、こんなの。気にしてない、絶対。
「――どうしたの、陽菜ちゃん?」 ふわっと、肩に腕が回ってきた。支えが出来たその拍子に、がくんと身体の力が抜けていく。何だろう、私ってばどうしちゃったの? 自分で自分がどうなってるかが全く分からない。何をこんなに取り乱してるんだろう。 「あ、すみませんっ!」 この腕は真墨さんだ、茜ちゃんのお兄さんのだって。ぐらついたところを助けられたんだって、少ししてから気付いた。多分、コンマ何秒の世界だと思う。でも私にとっては一体どれくらいの長い時間が過ぎたのか分からないくらいだった。 「もう、よそ見なんてしてるからだよ。さ、急ごう」 すぐにほどかれるかと思った腕、なのにさっきよりももっとしっかりと掴まれてる気がする。そのままぐいっと促されれば、足を前に出すしかない。
気が付けばずんずんと進んで、狩野たちの場所からあっという間に遠ざかっていた。振り向いて確認してみようかなと思ったとき、傍らから声を掛けられる。 「今の、元彼?」 驚いて声の方を振り向いたら、そこには明らかに何かの意志を持った表情の真墨さんがいた。ええと、何て言ったらいいのかな。それまでは「いい人、優しい友達のお兄ちゃん」って表現がぴったりのにこにこ笑顔だったのに、今はそこに明らかに違う色が加わってる。 「あ、やっぱり。わっかりやすいなあ、陽菜ちゃんは。いきなり全身の血の気が引いてるんだもの、どうしようかと思ったよ」 くすくすって、喉の奥で笑う。やっぱ、先ほどまでとは全然違う人に見える。 「……え、そうでしたか!?」 そんなつもりもなかったけど、端から見てそんな風に見えてたのか。だったとしたら、情けないな。向こうのふたり組にも動揺していたのを気付かれたのかなあ。 「ふふ、そうだよ――」 真墨さんが後ろを振り向くから、私もそれにつられた。 すぐに視線は先ほどのふたりを探してる。嫌だなあと思うけど、それが事実。黒っぽい制服のカップルはこちらに背を向けて並んで歩いていた。もうこっちのことなんて、全く気にする素振りもない。
……何か、嫌な感じ。
こういうのって、私の勝手な考えであっちのふたりにはとても迷惑だと思うけど。 何でよりによってこんなところを歩いてたのかと憎たらしく思えてくる。いちゃこくなら、違うところでやってよね、私に見つからないようにさ。やっぱ、そうか。……こんな風に学校が別れちゃうと、もう全然駄目なんだな。 今までの狩野って。そりゃ滅茶苦茶にモテはしたんだけど、自分から自発的に一対一の付き合いをするとかそう言う感じじゃなかった。友達に誘われて待ち合わせ場所に行ってみたらダブルデートだったとかはあったみたい。でも、そこからの進展は私の知ってる限りでは未だ確認されてない。 だから、……思ってたんだよ。どんなに周りに女の影がちらついたって、奴は大丈夫なんだって。
「……陽菜ちゃん?」 あ、やばやば。 名前を呼ばれて、ハッと我に返る。もしかして、私って一応デート中だったんだっけか。今日一日は隣にいる真墨さんといいムードでいなくちゃいけなかったのに、心が違うところに吹っ飛んでたら駄目じゃん。ああ、馬鹿馬鹿。 「ふうん、完全には吹っ切れてなかったんだね。もしかして自然消滅とか? あっち、一高の生徒でしょ。まあ、あの制服だから間違いないか」 さすが年上の余裕なんだろうか、真墨さんの方は私が失礼な態度を取っていても全く気にすることもない。それどころか何気ない感じでフォローしてくれて、本当に優しい人だなとか。何しろ、狩野につれなくされるばっかりだったから、ちょっとしたことでも胸にじーんとしてしまうのね。 「はあ、……まあそんなとこです」
別にきちんと付き合っていたわけでもなかったから、元彼って訳じゃないんだけど。 まあ、片思いの相手であったことは確かだから、いいのかな。それに少しくらいは見栄を張りたい気分もあった。一方的に思いを寄せていた相手に彼女が出来てショック受けてるなんて、あまりにも情けないでしょ? こうして、今となりを歩いてくれてる人がいることはとてもありがたいのかも知れない。もしもひとりっきりでいるところで今のような事態になったら、それこそダメージが大きすぎて大変なことになりそうだ。一日だけ恋人の振りをする相手がいて、心の傷も少しは癒えるだろうか。
「そっかー、陽菜ちゃんも色々大変だったんだね」 人通りの多い交差点まで辿り着いて、肩を抱かれていた腕はようやくほどけた。けど、今度は何となく自然に手を繋ぐ感じになって、横断歩道を渡り終えても離してくれる雰囲気もない。 「……待って?」 思わず走り出そうとしたら、強い力で引っ張り返される。力の差は歴然としてるし、ここは真墨さんに従うしかないのかな。 「あのさ、提案があるんだけど。やっぱり、俺たち付き合わない? それで、さっきの奴の前で思いっきり見せつけてやろうよ」
――はあ……?
何を言い出すんだ、この人。 さっきまでは全然その気がないようなことを言ってたのに。いくら私だって、この発言には呆れたわよ、ばっかじゃないのって思っちゃった。 だけど、そんな私の気持ちなんてお構いなし。真墨さんはますます楽しそうに微笑む。 「何せ、相手は一高生だろ? やっぱ、始終引け目を感じてる身としては俄然張り切っちゃうよなー。あいつら、本当に嫌な奴らだし。そりゃ、頭はいいかもしれないけどそれを鼻に掛けて何かとツンケンしてるのが気に入らないな。陽菜ちゃんみたいな可愛い彼女がいるのに、新しい学校でさっさと違う女子をゲットするなんて人間のすることじゃないよ。見返してやろう、絶対」 「え……、でもそんな」
そりゃ、口惜しいなとは思ったよ。しばらく音沙汰もなかったと思ったら、よりによってあんな可愛い彼女を連れて歩いてるんだもん。 自業自得なんだろうなとか、そう言う気持ちもあるんだな。だから、少しの間はずるずる引きずって何も手に付かないかと思うけど、これも痛い授業料だったと思って吹っ切るしかないと思う。何も行動を起こさなかった私がいけないんだもの、狩野にはとうとう自分の気持ち伝えられなかったし。 もしも、……もしもだけど。一歩踏み出してれば、今とは違う結末を迎えていたかも知れないでしょ?
ふうって思わず溜息ついちゃったから、別の意味に取られちゃったのかも。真墨さんはますます優しい口振りになって私を口説き落とそうとする。 「いいって、いいって。遠慮することもないだろ、俺さこう見えてもとーっても優しいんだよ。あんな風に動揺している陽菜ちゃんを見たら、やっぱり放っておけないな。思いっきり真正面から打ち込んでやろうぜ? あいつのダメージ食らった顔見てみたいしな……やっぱエリートって言うのは挫折を知らないからあんな風に偉そうなんだよ。鼻の穴を開かしてやろう、どんなに気持ちいいだろうなあ」 ―― あの、それを言うなら「鼻をあかしてやる」ではないでしょうか? まあいいや、わざわざ指摘するほどのことでもないし。……それにしても。 何だろう、この人。ひとりで勝手に盛り上がってるってどういうこと? 何か、……一高生に個人的に恨みとかあるのかな。そうとしか思えない。 私、今はもう狩野とは関わりたくない気分なんだけどな。静かにひとりで心の傷を癒したいのに、どうして放っておいてくれないの。
放課後の街中。 たくさんの制服が入り乱れてる。その中で何故か目に付くのはたくさんのカップル。何だか、どこもすごく幸せそう。自分たちの世界にすっぽり入って、ひとりぼっちの私の気持ちを理解してくれる人はひとりもいない感じだ。 この人波に私も巻き込まれてしまうのかな。何も知らない人から見たら、私と真墨さんもごくごく普通の恋人同士に思えちゃうのかも。握手しても、さっきみたいに肩を抱かれても、こうして手を繋いでも……全然どきどきとかしないんだよ。それなのに、……それでも。
「わ〜、陽菜っ、ごっめーん。つい、話に夢中になっちゃってさ、すっかりそっちの存在を忘れてたわ!」 やっと、私たちに気付いたのかな。茜ちゃんが真墨さんのお友達さんを置いてひとりで戻ってくる。そして繋いでいるふたりの手を見て、何故かにっこり。そして私に耳打ちしてくる。 「ふふ、兄貴も結構手が早いじゃん。良かった〜、これでカップル成立だね! 私も無事に役目が果たせてホッとしちゃうわ」
どこまでも無邪気な友の笑顔。曖昧に微笑み返してしまった自分が情けない。あそこのケーキ屋さんでお茶しようよって言われて、うんうんと頷いた。そんな私の隣で、真墨さんは何食わぬ様子でいつも通りに微笑んでる。 でも、そのとき。私はこの人に対して今後とも絶対に心を許すことは出来ないなと確信していた。
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お題提供◇綾伽様 ----------------- 果たして、今回一番の「イジワル」は誰なのでしょう……?? まだまだ混迷は続きそうな予感です。 |