2010年
日々好日
2010.05.28 (金)

 パソコンの音が出なくなった!

 先日、鎌倉の先輩の家を訪問したとき、そのときはわからなかったのだがReal Playerという無料のソフトをダウンロードして音楽の動画を楽しんでおられた。

 すでに70才を越された先輩だが、常に最新の情報に精通し、次々と新しい情報機器を取得して人生を楽しんでおられる。さらに鎌倉の街を早朝から毎日ウォーキングされ、健康管理にも怠りなくシニア生活を満喫されている。実にうらやましい限りだ。僕もこのような生活を見習ってシニア生活を楽しもうと考えている。

 早速帰宅して教えてもらったこの無料ソフトのReal Playerをパソコンにダウンロードした。
確かにものすごく便利なソフトで動画サイトのユーチューブなどで気に入った音楽動画を即座にダウンロードできて大変満足していたのだが、一週間ほど前から僕のホームページに限って音声が出なくなってしまった。
他のページでは問題なく音楽が流れてくるのだから不思議なこともあるものだと思っていた。

 ただ自分のホームページ開くときには、それまではなかったことなのだが、管理者の許可が必要とのメッセージが画面に現れてくるようになり、いくらクリックしてもうまくつながらずのままだった。

 本来の音声関係はまずWindowa Media Playerというソフトを通じて音声が流れるようになっているのだが、何かの拍子にReal Playeのソフトが関係して音声の出声をじゃまをしているらしいことは理解できたのだが全くのお手上げ状態だった。

 常に表示される画面には管理者がReal Playerと書かれているのだが、なぜ急にこのような事になったのか皆目理解できなかったので思い切ってパソコンを車に乗せて近くのミドリ電化という家電販売店に持っていった。

 案内された「パソコンサポートセンター」というころでは、相談料はもちろん、パソコンに関する修理の有料料金も明示されていたので、ある程度の出費は覚悟していた。

 若い担当者の方が懸命に原因を探ってくれているのだが1時間経っても原因がつかめず困っていた。
珍しい故障らしいということはわかったが、まだ少し時間がかかりそうなので少し店内でも見学してくださいといわれた。
1時間ほど店舗内をうろついて戻ってきたら、ちょうど原因も分かり音声も出るようになっていた。

 料金表には30分単位の修理料金表も明示されているのでかなりの金額を覚悟はしていたのだが、自分は修理担当会社の人間ではなく、ミドリ電化の社員なので今回は料金はいただきません。そのかわり今度電化製品を買うときはこの店舗を利用してくださいといわれて驚いた。

 確かに持ち込んだパソコンはこの店舗で購入したものでないので恐縮したが、これからはこんな店舗で買わなければならないなーと実感した次第だ。

 困っているときに親切にされると、やはり人間はうれしくなってこの店舗の固定客として次々とお客を獲得していくのではないかと変に納得した次第だ。
でもなかなか気分の良い一日だった

2010.04.27 (火)

 友はみんな元気に頑張っています

 定年前まで勤めていた会社の同期だった友人H氏から、新たに書籍を発行したとの連絡をもらったので、早速梅田の紀伊国屋書店まで出かけて購入してきた。

 彼とは同期といっても、入社当時は中途入社だったので年齢もまちまちだったが、なぜか一番気の合う友として親しくしてきた友人だ。

 2004年に自ら「インテリア文化研究所」を立ち上げて、インテリア全般にわたる研究に没頭。
 今ではトータルなインテリアの知識においては我が国の第一人者として右に出るものがないほどの活躍をしている。

 今回で3冊目の出版だが、毎年海外への出張を繰り返し、自分の足で確かめて世界のインテリアに関する情報・資料収集を行っている。
65才もすでに越えたのに執筆をはじめコンサルタント、講演などで全国を飛び回っているらしいが大した活力だ。

 インテリア研究をライフワークとする明確な目標を持っているから年齢に関係なく活力を維持し続けることが出来るのだろう。

 今回の出版本は秀和システムから発行されている「各業界の動向とカラクリがよ〜くわかる本」シリーズのインテリア業界版で、彼の豊富な知識が各所にちりばめられていてインテリア業界の理解には最適な本となっている。
内容・文章ともになかなか読みやすくまとめられていて一気に読んでしまった。

 最近は先輩、同輩の不幸などの連絡を受けて気持ちも落ち込み気味だったが、少し元気をもらったみたいだ。
 ますますこれからもインテリア業界のためにも元気に頑張ってもらいたいものだ。

2010.04.25 (日)

 まだ現役の友人と鎌倉、東京へ

 もと勤めていた会社の人事部時代は実に充実した時期だった。
厚生年金基金設立新人事制度の立案実施福利厚生の充実など立案したことのほとんどが実現させることが出来た良き時代であった。

 給与はもちろん、賞与も上場企業の平均金額を大きく上回るなど、今では考えられないほど企業業績も良かった。
 現在では何処の企業でも実施されている従業員のリストラなど考えもしなかった。

 先日、現在はハローワーク関係の仕事で頑張っている元人事部にいた同僚と一杯飲んでいたときに、当時の部長が宝塚の地を離れ、現在鎌倉に住んでいるので是非一度会いに行こうという計画が急に決まり、4/24.25の土・日を利用して鎌倉・東京と一泊二泊の旅行を楽しんできた。

 新大阪を出発をするときは、天気も良く、富士山も見えるのではないかと期待が膨らんだが、新富士に近付いたところからあいにく雲が深くたれ込めて三島を過ぎても全然見ることが出来ずがっかりだった。
大船駅に着いたときに、わざわざ元部長は駅まで迎えにくれていて、早速自宅へ直行!
奥様が御丁寧にも昼食まで用意してくれていた。
早速おいしくいただいた後に、鎌倉見物に出発。

 鎌倉は京都と同じくお寺の多いところだが、土地自体が狭いのかほとんどが徒歩圏内での見物も可能みたいだ。
鎌倉特有の狭い民家の間をくくりながらまず北鎌倉地区を散策。

 まず円覚寺を訪問。この寺は8代執権北条時宗が、元寇戦死者のために創建した寺といわれている。
境内は老杉に覆われていて長い歴史を持つ立派なお寺であることがあることが実感できた。

 広大な円覚寺の境内を廻った後、鎌倉街道を15分程南下してアジサイ寺として有名な明月院に寄ってみた。

 アジサイの時期も過ぎていたので、拝観はあきらめて、近くの鎌倉明月と呼ばれている茶房で一服。

 本来は焼き物の店らしく、コーヒーの器などもなかなか凝っていておもしろかった。
少し値段が高かったが...

 円覚寺側の北口には横須賀線の北鎌倉駅があるのだが、乗車券売り場がなく、わざわざ踏切を渡って一度南口までいって切符を買わなければならない変な駅だ。

 夜は今回の最大の目的?である親睦会。東京にいたときの同僚のN氏も加わって4人で料亭風の居酒屋で飲み会。
久しぶりの再会で大いに盛り上がった。やはり友はいいものだとつくづく感じた。

 今日は大船駅前の相鉄系ホテルに宿泊。部屋はビジネス用のためか少し狭いが、ベットはシモンズ製のセミダブルで料金の割にはなかなか寝心地が良かった。
 
 翌日は9時ちょうど竹庭で有名な報国寺へ参拝。

 この寺は足利尊氏の祖父家時が開いたとされる名刹だ。本堂をお詣りした後、孟宗竹が生い茂る竹の庭を歩くが、竹の隙間から差し込む日の光が庭の地面を照らし、素晴らしい光景を醸し出していた。

 毎週木曜日に服部緑地をウォーキングしているが、その仲間の一人が鎌倉霊園にある墓参りに毎月やってくるのだが、その友人から特に竹庭が素晴らしいところだからと薦められていたので一度は来てみたかったお寺だ。

 この近くにも行ってみたいお寺はあるのだが、時間的な関係もあって金沢街道を歩いて、鎌倉駅近くの鶴岡八幡宮に直行することにした。
ここは鎌倉の大仏さんと並ぶ鎌倉の人気観光地で、源実朝暗殺の舞台としても知られおり、この八幡宮のご神木とされている境内の大銀杏が昨年の台風の大風で倒れてしまった。

 その大銀杏の一部を隣に植え替えたとの事だったので早速見に行ったが、見事に切り口の一部から青々とした新芽が出てきていてほっとしたものだ。何とかまた多くの年数をかけて見事な大銀杏として、再びご神木としての役目を果たしてもらいたい願いながら次の目的地の急いだ。 

 江ノ島は天気も良かったので多くの人手で賑わってはいたが、昼に東京で友人と待ち合わせて、食事を共にすることになっているので記念撮影だけして、東京に向かった。

 東京は僕らの働いていた当時とはガラリと様子が一変していて、大型ビルがそびえ立っていて、上を見上げるとめまいを起こしそうになるほどだ。こんなところでは二度と働きたくはないなーと感じたものだ。

 東京で迎えてくれたのは、当時部下として素晴らしい働きをしてくれたSさんという女性で、まだ現役として頑張っているとのことだ。

 はつらつとした態度は、当時と少しも変わっておらず食事をとるのも忘れるほど懐かしく語りあった。素晴らしい食事タイムだった。
会社を支える人として、これからも頑張ってほしいものだ。

 夕方の新幹線で帰ることにしたが、朝から天気快晴でこの調子だと夕日に輝く富士山もが拝めるかもと大いに期待していたのだが、三島あたりから急に曇りだして、残念ながら見ることは出来なかった。
 
 新富士駅を過ぎるところからまた晴れの天気に戻ったのだが、見える区間だけが曇っていたとは何という不幸だ!
でも久しぶりの友との旅行で大変楽しかった。

2010.03.27 (土)

 我が師とも仰いだ、大森 実さんが亡くなってしまった。

 昨日、国際シャーナリストとして活躍されていた大森 実さんが、米カリフォルニア州ミッションエホの病院で死去されたことを知った。最近肺炎を患って入院されていたらしい。88才だった。

 もう何十年もお会いしていなかったが、今から45年ほど前の青春時代の若き日に、短期間だったが一緒に仕事をさせていただいた強烈な思い出が、昨日の事のようによみがえってきて、今日は何ともいえない悲しくてブルーな一日だった。

 この日、中国の黄山地方を旅行中の友人に携帯メールを打って悲しみを訴えてしまった。本人は何のことかわからずびっくりしているのではないかな?

 大森さんは、ベトナム戦争の末期に日本人最初のジャーナリストとして北ベトナムのハノイに飛び込み取材を試みて、米軍の無差別北爆でクイン・ラップ・ハンセン病院が破壊された記事を送ったことで有名な元毎日新聞外報部長だった。

 しかし当時のライシャワー駐日米大使から病院爆撃は事実無根として名指しで批判され、その後も数々の圧力が加えられたことが原因でやむなく毎日新聞を退社することになってしまった。

 でも現地からベトナム戦争の実体を報道し、その勇気ある行動には世間では高い評価も受けていた。真実を報道することの難しさを実感させられた事件だった。

 毎日新聞社を退社後しばらくして国際問題を中心とした「大森 実国際問題研究所」を設立された。

 その設立にあたって、当時まだ僕はまだ24才で早稲田の大学院に在籍中だったにもかかわらず、数人の仲間と彼の元に馳せ参じた若者の一人だった。

 当時事務所は東京上野の池之端にあった。
「東京オブザーバー」というクオリィティペーパーを発行する準備で、事務所内は毎日ムンムンとした活気溢れる空気が常に流れており、大森社長以下、社員全員まさに寝食を忘れてそれぞれの仕事に打ち込んだものだった。

 当時の仲間には優秀な人も多く、当時学生でありながら東京オリンピックの参加国の国旗管理の責任者として活躍していたF氏や、カンボジヤ内戦の取材途中に行方不明のままになってしまった行動派記者のN氏など多士済々の集まりで、みんな大森さんを慕って集まってきた若者だった。

 大森氏のすごいところは、財界のトップと会うときはその目線で堂々と対等に応対し、我々と議論するときは同レベルまで下げてきて何時間でも対応できるものすごい幅の広い、しかもバイタリタィーあふれる大変魅力的な人物だった。

 慰安旅行などでも人間性丸出しで、宿泊先のお寺の鐘をマイク代わりに一緒にカラオケ?をみんなと楽しむなど、ざっくばらんな人でもあった。

 当時の彼は昼夜関係なく、まさにナポレオン的睡眠で1日3時間ぐらいしか寝ていなかったのではないか。

 僕の研究所での在職期間は2年弱と大変短かったが、ものすごい超人的でしかも人間味あふれた人物と一緒に仕事をさせて貰ったことは若き時代の本当に素晴らしい経験で、強烈な印象として現在でも鮮明に僕の記録の中に生きている。

 その後の僕の人生の生き方、考え方、行動にも大きな影響を与えてくれた人生の恩師として決して忘れることが出来ない人だった。

 *設立後3年で残念ながら「東京オブザーバー」廃刊と共に研究所を閉じ、その後は、米カリフォルニア州に移り住んで、フリージャーナリストとして活躍される一方で、カリフォルニア大学アーバンイン校の常任理事を務めておられたらしい。

  ご冥福を祈ります!

2010.01.03 (日)

 運勢下り坂への追い打ちだ! なんか悪い出来事でもあるのではないかな?

 昨日は原田神社のおみくじでは「末吉」と予想外の悪さだったので、今日は一駅先の「服部天満宮」にウォーキングの帰りに立ち寄った。この服部天満宮には(医薬の祖神)の少彦名命(学問の神)菅原道眞公が祀られている。

 またこの菅原道眞が太宰府に左遷される際に、このあたりで持病の脚気に悩まされ、足がむくんで歩けなくなったらしい。

 そこで村人のすすめで、医薬の祖神「少彦名命」を祀る服部の路傍の小祠に詣でて一心にその平癒を祈願したところ、不思議に痛みや、むくみが治り、再び健康を取り戻して無事太宰府に着いたと伝えられている。

 そのため「菅公、脚気平穏の霊験」が広まり「脚気天神」「足の神様」として有名になったところだ。
そのためサッカーなど足を使う競技選手などもよく訪れているみたいだ。

 我々お年寄りも足だけは丈夫で痛いので、毎年この天満宮にお詣りに来る。
今年もお詣りの後、おみくじを買った。ここは昨日のおみくじが100円だったが、倍額の200円も払わなければならなかった。
渡されたおみくじを見て唖然呆然、なんと「凶」という字が目に飛び込んできた。

 普段なら別だが、正月に凶などとは縁起でもない。
ここは商売の神様も兼ねているのだから「大吉」を多く入れて、ましてや凶などは入れなければいいのにと思ったぐらいだ。

 人を落ち込ませるようなここの神様は案外商売下手なのではないかと思ったぐらいだ。

 もう二度と来るまいと誓ったのだが、表裏一体という言葉もあるので、裏には大吉となっているのかと思って見たがやはり書いてなかった。
一度あぶってみょうかな?

2010.01.02 (土)

 新年早々あまり縁起が良くないぞ!

 新年は毎年近くの原田神社にお詣りに行っている。

 普段は阪急岡町駅に行くときに、近道として境内を通過させてもらっているだけだが、年一回のお詣りの神社としての僕の定番になっている。

 お詣りの拝殿まで行くには、毎年入り口の鳥居をはみ出して並んでいるのだが、今年は少し短いようで、10分程度並んで到着した。
拝礼の後、おみくじを飼うのも毎年の事。

 ここのおみくじは裏面には、英文で翻訳されたものが載っているので、気になる部署を英文と見比べながら読むとおもしろい。
100円を出して買ったが、なんと今年は「末吉」だ。 これは吉でもまさに一番下の順位ではないか。昨年は小吉だったから、さらに順位が下がってしまった。

 「恋愛」の項?
「良い人ですが危ない」とある。これはどういうことかな?
英文では、 She looks good、but take care。    なるほど!

 さらに、全体の運勢は、「かげくらき 月のひかりをたよりにて しずかにたどれ のへの細道」とある。
 また末吉の人は「出来るだけ身をへり下って、何事にも我から進んで市内しないがよい。
 強いてしょうとすると思わぬ災にあう。つつしんで事を行え」というこちらしい。   
今年は出しゃばらないで慎ましく生活するのが良いみたいが、できるかな? 

 でも昨年はそんなに変な感じの年でもなく、平穏に暮らせたのだから大丈夫と言い聞かせて帰路に着いたが、それでも一抹の不安が。でも年も昨年より一つ増えたのだから仕方ないかと自分に言い聞かせながら納得させるしかなかった(笑)

 昼からは、僕のガールフレンドに昨年末に作成してあげる事を約束していた南こうせつが昨年9月に出した「二人のラプソディ」を中心にしたCDづくりに取り組んだ。

 題名を「愛する人への鎮魂歌ということに決定。
副題を「もう一度あいたい」

 それにふさわしい10曲を選曲にしたが、なかなか味わいのある曲が集まった。

 @「二人のラプソディ」 A「最後だとわかっていたのなら」 B「遠い想いで」 C「愛遙かに」 D「希望の枯葉」 E「愛しき旅路」 F「あの日にかえりたい」 G「ふれあい」 H「ブナンデーグラス」 I「粋な別れ」 
最後には「般若心経」のお経入りだ。


 果たして喜んでもらえるかどうかな?

2010.01.01 (金)

 新しい年が明けました!

 2010年 寅年の日本経済はどうなるのでしょうか?
 「虎は一日に千里を走る」といわれていますが、果たして日本経済も大幅に一気に上昇するのでしょうか?

 それとも、信貴山の門前に悠然と居座っている「張り子の虎」のように見かけ倒しのままで終わってしまうのでしょうか?

 僕らのような年金生活者には、ただ見守ることしかできないのが残念ですが、これも運命。

 少なくとも自分の身は自分の力で守っていくことしか方法がないのですから、今年もビールは第3のビールに限定のように「質素倹約」の生き方に。でもあまりにも夢がないなあ?

今年のテーマソングも「ふるさと」をビートルズ?さんの演奏でいきたいと思います。

昨年NHKの朝ドラ
「ちりとてちん」で時々流れていました。
なんともいえない郷愁を感じさせてくれる曲ですね。