皇子尊宮舎人等慟傷作歌廿三首
皇子尊の宮の舎人等、慟傷しびて作る歌廿三首
高光我日皇子乃萬代尓國所知麻之嶋宮波母
高光る我が日の皇子の万代に国知らさまし島の宮はも
嶋宮上池有放鳥荒備勿行君不座十方
島の宮上の池なる放ち鳥荒びな行きそ君いまさずとも
高光吾日皇子乃伊座世者嶋御門者不荒有益乎
高光る我が日の皇子のいましせば島の御門は荒れざらましを
外尓見之檀乃岡毛君座者常都御門跡侍宿為鴨
外に見し真弓の岡も君ませば常つ御門と侍宿するかも
夢尓谷不見在之物乎欝悒宮出毛為鹿佐日之隈廻乎
夢にだに見ざりしものをおほほしく宮出もするか佐日の隈廻を
天地与共将終登念乍奉仕之情違奴
天地と共に終へむと思ひつつ仕へまつりし心違ひぬ
朝日弖流佐太乃岡邊尓群居乍吾等哭涙息時毛無
朝日照る佐田の岡辺に群れ居つつ我が泣く涙やむ時もなし
御立為之嶋乎見時庭多泉流涙止曽金鶴
み立たしの島を見る時にはたづみ流るる涙止めそかねつる
橘之嶋宮尓者不飽鴨佐田乃岡邊尓侍宿為尓徃
橘の島の宮には飽かねかも佐田の岡辺に侍宿しに行く
御立為之嶋乎母家跡住鳥毛荒備勿行年替左右
み立たしの島をも家と住む鳥も荒びな行きそ年かはるまで
御立為之嶋之荒礒乎今見者不生有之草生尓来鴨
み立たしの島の荒磯を今見れば生ひざりし草生ひにけるかも
鳥■立飼之鴈乃兒栖立去者檀岡尓飛反来年
とぐら立て飼ひし雁の子巣立ちなば真弓の岡に飛び帰り来ね
吾御門千代常登婆尓将榮等念而有之吾志悲毛
我が御門千代とことばに栄えむと思ひてありし我し悲しも
東乃多藝能御門尓雖伺侍昨日毛今日毛召言毛無
東の多芸の御門に侍へど昨日も今日も召す言もなし
水傳礒乃浦廻乃石上乍自木丘開道乎又将見鴨
水伝ふ磯の浦廻の石つつじもく咲く道をまたも見むかも
一日者千遍参入之東乃大寸御門乎入不勝鴨
一日には千度参りし東の大き御門を入りかてぬかも
所由無佐太乃岡邊尓反居者嶋御橋尓誰加住■無
つれもなき佐田の岡辺に帰り居ば島の御橋に誰か住まはむ
旦覆日之入去者御立之嶋尓下座而嘆鶴鴨
朝ぐもり日の入り行けばみ立たしの島に下り居て嘆きつるかも
旦日照嶋乃御門尓欝悒人音毛不為者真浦悲毛
朝日照る島の御門におほほしく人音もせねばまうら悲しも
真木柱太心者有之香杼此吾心鎮目金津毛
真木柱太き心はありしかどこの我が心鎮めかねつも
毛許呂裳遠春冬片設而幸之宇■乃大野者所念武鴨
けころもを時かたまけて出でましし宇陀の大野は思ほえむかも
朝日照佐太乃岡邊尓鳴鳥之夜鳴變布此年己呂乎
朝日照る佐田の岡辺に鳴く鳥の夜泣きかへらふこの年ころを
八多篭良我夜晝登不云行路乎吾者皆悉宮道叙為
はたこらが夜昼といはず行く道を我はことごと宮道にぞする
右日本紀曰 三年己丑夏四月癸未朔乙未薨
右、日本紀に曰く、三年己丑」の夏の四月、癸未の朔の乙未に薨ず、といふ。